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世界を動かす3人「大富豪の言葉」

プレジデントオンライン / 2017年3月7日 9時15分

トランプの左隣は3人目の妻のメラニア。右隣は1人目の妻の子供であるイヴァンカとエリック。メラニアの隣はドナルド・トランプJrと、2人目の妻の子供であるティファニー。前方にいるのはトランプJrの子供たち。(写真=時事通信フォト)

成功しているから説得力があるのか、それとも発言が魅力的だから成功したのか。因果関係はわからないが、名経営者の多くは、卓越した「言語能力」をもつと言えるだろう。世界を動かす3人の「言葉」。そこに潜む共通点を探った──。

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データファイル▼ドナルド・トランプ
米大統領(雑誌掲載当時:トランプ・オーガナイゼーションCEO)
【名言】私は物事を大きく考えるのが好きだ(『トランプ自伝』より)
【総資産】4500億円(45億ドル)*
【年齢】70歳(1946年生まれ)
【出身地】ニューヨーク市クイーンズ
【父親】父・フレッドも不動産業を営む
【学歴】ペンシルベニア大学 ウォートン・スクール卒業
【起業まで】大学卒業後、父の会社に入社。25歳のときに経営権を譲られる。
【結婚・家族】3度の結婚をしており、3男2女の子供がいる。現在の妻は元モデルのメラニア。
【尊敬する人物】映画監督に憧れ、映画学科への入学も考えた。憧れはサム・ゴールドウィン、ダリル・ザナックなど。好きな人物はスティーブン・スピルバーグ、リー・アイアコッカなど。
【愛読書】『積極的考え方の力』(ノーマン・ヴィンセント・ピール)、『聖書』
* Forbes The World's Billionaires 2016による。1米ドル=100円で換算。

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■両者が得をする取引など「戯言」にすぎない

「メキシコからの不法移民は強姦魔だ。私が大統領になったら、メキシコとの国境に万里の長城を築く!」

ドナルド・トランプ氏は政治家としての過激な言動ばかりが注目されているが、これまでの発言を振り返ると、実業家としてのしたたかさも備えていることがわかる。

トランプは自身の強みについて、こう分析している。

――私の取引のやり方は単純明快だ。ねらいを高く定め、求めるものを手に入れるまで、押して押して押しまくる(『トランプ自伝』ちくま文庫)

トランプは不動産会社を経営する父フレッドの第4子として生まれた。ペンシルベニア大学ウォートン・スクール在学中から父の会社を手伝い、1968年に入社。71年には経営権を与えられ、社名を「エリザベス・トランプ・アンド・サン」から「トランプ・オーガナイゼーション」に改めた。

「何かでかいもの、思い切り努力するかいのあるものを建てたいと思った」(『自伝』)。当時25歳のトランプは、ニューヨークの中心、マンハッタンの五番街へ進出する。誰も目をつけなかった土地へのビル建築や、経営難のホテルの再建など、破竹の快進撃をはじめる。ひとつの到達点が83年に落成した「トランプ・タワー」だ。

立地はニューヨーク五番街という超一等地。階数は58階。高級アパートメントとショッピングモール、オフィスエリアを擁する複合ビルで、黄金に輝く全面ガラス張りというデザインには、「景観を損なう」という批判も寄せられた。

「マスコミに盛んにとりあげられたため、トランプ・タワーは人びとの関心を大いに集めることになった。(中略)商売をする上から言うと、何も言われないより悪く言われたほうがまだましだ」(『自伝』)

「悪評も評なり」という彼の考えを知れば、数々の「暴言」も意図的なものだとわかる。

トランプの考え方はシンプルだ。自分を大きくみせて、相手を脅し、徹底的にぶっ潰す。そのための努力は惜しまない。彼の言葉を引こう。

「努力すればするほど、わたしの運は上向く」
「わたしは慢心していないし、慢心した人間とは無縁でいたい」
「最高の人材を雇え。ただし、決して彼らを信用するな」
「相手から利益を得たい場合は、あらかじめ相手に脅しをかけておかなければならない。こちらの要望が通らなければ、そちらにも相応の痛みを感じてもらうぞ、と」
「両者が得をするウィンウィンの取引こそが良い取引であると多くの人は言う。戯言(たわごと)もいいかげんにしてほしい。すばらしい取引とは、あなたが勝つ取引であり、相手が勝つ取引ではない」

最終的な行動原理は快楽主義だ。

――わたしはセックスも好きだが、取引の成功はセックス以上にすばらしい(『でっかく考えて、でっかく儲けろ』)

そして自分のビジネスには徹底的に惚れ込む。所有するビルやホテル、カジノ、ゴルフコースなどの多くに自らの名前を冠するのはその表れだろう。冒頭の「メキシコ国境に壁を作る」という発言には、こんなオマケまでついている。

――トランプ・ウォール。すばらしい壁になるぞ。なぜって、いつか私が死んだら、その壁に私の名前がつけられるからだ(15年9月テキサス州ダラスでの遊説)

世界一の大国の元首となったトランプ。その姿勢にブレはない。

――満足したわたしは、もはやドナルド・トランプではない(『でっかく考えて、でっかく儲けろ』)

2009年4月16日、中国でユニクロ製品のネット通販開始を発表し、握手するファーストリテイリングの柳井正会長兼社長(中央右)とアリババグループの馬雲CEO(同左)ら(中国・上海)。(写真=時事通信フォト)

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データファイル▼柳井 正
ファーストリテイリング会長兼社長
【名言】変革しろ、さもなくば、死だ(2011年の会社方針より)
【総資産】1兆4600億円(146億ドル)*
【年齢】68歳(1949年生まれ)
【出身地】山口県宇部市
【父親】父・等はファストリの前身「メンズショップ小郡商事」の創業者
【学歴】早稲田大学 政治経済学部卒業
【起業まで】大学卒業後、大手スーパー「ジャスコ」に入社するが、約9カ月で退職し、父の会社に入社。35歳のときに社長就任。
【結婚・家族】ジャスコ退職後に結婚。妻・照代との間に息子2人
【尊敬する人物】松下幸之助、ピーター・ドラッカー。「松下幸之助さんは『衆知を集める』という言葉を大事にされていた。社員の知恵を集めれば怖いものはない。それが一番よい経営の方法なのだ、という教え」
【愛読書】『プロフェッショナルマネジャー』(ハロルド・ジェニーン他)、『ユダヤの商法』(藤田田)、『成功はゴミ箱の中に』(レイ・クロック)
* Forbes The World's Billionaires 2016による。1米ドル=100円で換算。

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■「安定志向」を憎み「革新と挑戦」を愛する

――成長ではなく、膨張だった(2016年度上期の減益決算について。ファーストリテイリング「トップメッセージ」)

16年5月11日、ファーストリテイリングは社長・柳井正のメッセージをサイト上で公開した。この中でユニクロの営業不振を率直に認めている。

「高い成長の陰で慢心し、ローコスト経営を怠り、商品にお客様が求めている新しさ・革新性が少なかったことなど、さまざまな反省点がありました。しかし、この業績悪化の中でこそ新しいビジネスチャンスの芽が見えてきました。我々はもう一度、ユニクロのファッションリーダーシップ、プライスリーダーシップを取り戻したいと思っています」

過去への反省と今後への意欲。内容はシンプルだが、ここには柳井正という経営者を知る手がかりがある。続けて次の文章を読んでほしい。

――減収減益決算になってぼくは逆にホッとした。(中略)成長というよりも膨張であり、何か異常性さえ感じていた(『成功は一日で捨て去れ』)

これはフリースブームの終焉で大幅な「減収減益」となった2002年8月期決算について、自著『成功は1日で捨て去れ』で振り返ったときの言葉だ。ブーム時はいつでも簡単に売れると錯覚してしまった。ようやく正常な商売ができる――。柳井はそう述懐している。

02年と16年の言葉は驚くほど似ている。柳井はつねに慢心を諫め、成長を目指しつづけてきた。だからだろうか。柳井は、仕事や金儲けが楽しくて仕方がないという態度をみせない。柳井を仕事へと駆り立てているのは「正常な危機感」である。

――ぼくは常日頃から会社というのは、何も努力せず、何の施策も打たず、危機感を持たずに放っておいたらつぶれる、と考えている(『成功は一日で捨て去れ』)

柳井にいわせれば、「安定志向、現状維持、マニュアル人間、サラリーマンへの安住」は「悪」であり、「革新性、挑戦、新たな価値の創造、前進し続けること」は「善」となる。11年の「CHANGE OR DIE(変革しろ、さもなくば、死だ)」というスローガンはその究極だろう。

「危機感」の根底にあるのは故郷の衰退だ。柳井の故郷・山口県宇部市は、「石炭バブル」の浮き沈みにより街の様子が大きく変わった。
「外に出ないと生き残れない。だから、宇部を出て広島へ、東京へと出ていき、世界にも店舗を広げていったのです」(「週刊現代」12年12月15日号)

72年、23歳で父の経営する小郡商事に入社。84年には広島でユニクロ1号店を出店、35歳で社長に就任した後は、全国に店舗を増やした。98年の原宿出店に、フリースブーム。ヒートテックやウルトラライトダウンなど新たな価値を次々生み出した。

――若い人に強調したいのは、一足飛びの成功はありえないということだ。ただし、毎日、少しずつ前進していけば、いつか成果を収めることはできる(『柳井正の希望を持とう』)

もちろん、すべての挑戦が成功するわけではない。02年の野菜事業、05年の靴専門店と手痛い失敗もあった。さらに後継者と見込んだ玉塚元一(現・ローソン会長)は05年に社長を退任し、柳井が社長に復帰することにもなった。特筆すべきは、それらの判断の早さだ。

――問題は、失敗と判断したときに「すぐに撤退」できるかどうかだ(『一勝九敗』)

柳井は「自分が自分に対して最大の批判者になること」を経営理念のひとつに掲げている。かつて「65歳までには後進に道を譲りたい」と語っていた柳井も68歳。「正常な危機感」を源泉とした挑戦は、今後なにを目指すのだろうか。

日本で2010年5月28日に発売された米アップルの多機能携帯端末「iPad」を手に最初の購入者と握手するソフトバンクの孫正義社長。(写真=時事通信フォト)

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データファイル▼孫 正義
ソフトバンクグループ社長
【名言】志を持て(孫正義LIVE2011での発言)
【総資産】1兆1700億円(117億ドル)*
【年齢】59歳(1957年生まれ)
【出身地】佐賀県鳥栖市
【父親】父・三憲は在日韓国人の実業家だったが、幼少期は貧困に喘ぐ
【学歴】カリフォルニア大学 バークレー校卒業
【起業まで】大学卒業後、日本に帰国し、24歳で「ユニソン・ワールド」を設立。さらに同年「日本ソフトバンク」を設立。
【結婚・家族】米国留学中に出会い、21歳で結婚。妻・優美との間に娘2人
【尊敬する人物】聖徳太子、織田信長、坂本龍馬。「この3人のイノベーターには共通点がある。当時の最先端機器をいち早く取り入れた点だ。聖徳太子は折れにくい刀、織田信長は鉄砲、龍馬は黒船」
【愛読書】『竜馬がゆく』(司馬.太郎)、『ユダヤの商法』(藤田田)、『成功はゴミ箱の中に』(レイ・クロック)
* Forbes The World's Billionaires 2016による。1米ドル=100円で換算。

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■「高校1年」で単身渡米。退路を断って勝負する

高校時代の孫正義は、親友にこんな言葉を漏らしている。「いつものように一緒に帰宅する際に、話の流れで孫がこういった。『僕は天才だから』」(大西孝弘『孫正義の焦燥』)

ときに経営者は、途方もない大きな目標を絶対的な自信でぶちあげる。だが、孫のそれは並外れている。

――目標は明確に口に出した方が良い。周りにコミットする事で自分を追い込んで行けるから(@masason Twitterより)

孫正義は、1957年、佐賀県鳥栖市に生まれた。在日2世の父・三憲は、後に事業を成功させるものの、幼少期は貧困に喘いだ。

「俺は今でも一番ある意味尊敬しているのはおやじだね」(前掲書)

孫は、父の影響をこう語っている。

「三つ子の魂じゃないけど、3歳ぐらいの時から、おまえはいずれ世界一の男になると。お前は天才だと、ずっと言い続けてきた」

孫少年は、15歳で司馬遼太郎『竜馬がゆく』を読み、衝撃を受ける。混乱の幕末期に、命がけで脱藩し、商売を通じて日本を変えようとした男――。そんな坂本龍馬の「志高く」という姿勢は、孫の座右の銘となった。16歳で「竜馬のような脱藩に憧れて」高校を退学し、アメリカ留学を決意する。校長や担任には「大学卒業後ではだめか。せめて高校休学にしては」といわれたが、

――僕は弱い男です。(中略)退路を断たないと、困難に立ち向かえん(「孫正義ライブ2011」)

と跳ね返した。留学先では、「肺炎になったことがわからないぐらい」というほど必死に勉強し、19歳で「人生50ヵ年計画」を掲げた。

「20代で名乗りを上げる。30代で軍資金を貯める。40代でひと勝負する。50代で事業を完成させる。60代で事業を継承する」

帰国後、24歳で「ユニソン・ワールド」「日本ソフトバンク」を設立。96年には米ヤフーとの合弁でヤフー株式会社を設立した。97年の上場時に公募価格70万円だったヤフー株は2000年2月には約1億6300万円を記録するなど、孫は「ITバブルの寵児」として注目を集めるようになった。

――目標にある程度の目処がついたら、それを遥かに超える目標を立てる。さすれば再度興奮で武者震いしてくる(Twitterより)
――目標が低すぎないか?平凡な人生に満足していないか?(Twitterより)

00年のITバブル崩壊後、01年に「ヤフーBB」で通信事業に本格参入したソフトバンクは、毎年数百億円規模の赤字を垂れ流していた。だが、06年、ボーダフォン日本法人を1.7兆円で買収し、携帯電話事業に参入する。孫は48歳。買収額は当時の日本企業としては最高額であり、「赤字寸前の会社としては高すぎる」と罵られたが、孫にとっては計画通りの「ひと勝負」だった。

――本当の勇気は周到な用意の元に生まれる。用意の無い勇気を蛮勇という(Twitterより)

その後はiPhoneの独占契約などに成功し、ソフトバンクは飛躍的な成長を遂げる。13年には約1.8兆円を投じて米携帯事業3位のスプリントを買収。14年には人型ロボット「Pepper」を発表し、世間を驚かせた。59歳になった孫。計画によれば、次の目標は「60代で事業を継承」である。

――我々の時価総額を5倍にできるという自信のない人は後継者になってもらったら困る(三木雄信『孫正義名語録』)

現在、後継者の筆頭候補は副社長のニケシュ・アローラ。2015年3月期には半年間で約165億円の報酬を支払っている。最後の有言実行はなるか。

(伊藤 達也 時事通信フォト=写真)

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