1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 経済
  4. ビジネス

過去の"重大事件"にピンと来ない若者たち

プレジデントオンライン / 2017年6月6日 15時15分

■神戸連続児童殺傷事件から20年

神戸連続児童殺傷事件において最後の被害者となった土師淳君(当時11歳)が命を奪われた日から、ちょうど20年が経過した今年5月24日、淳君の父である守さんは手記を公表した。

当時中学生だった犯人の少年A(犯行声明文では「酒鬼薔薇聖斗」と自称)は、2015年に作家ワナビー感満載の手記『絶歌』を突然発表。遺族・被害者に事前説明などもないまま出版されたことから、多くの批判を集めた。同書の出版以降、守さん夫妻は淳君の命日ごろに酒鬼薔薇から毎年届く手紙を受け取らないようにしたという。

この事件は20年前の日本を激震させたが、大事件というものは、その当時子どもだった人や生まれていなかった人にとっては、どうもピンと来ないものであるらしい。

■「何がすごかったのですか?」

最近、2つの過激派関連事件がクローズアップされた。まずは1971年の「渋谷暴動事件」。そこで警官を殺害し、放火をした罪などで指名手配されていた中核派の大坂正明と見られる男が、広島市内で公務執行妨害により5月23日に逮捕された。次に、1974年から1975年にかけて、三菱重工業東京本社ビルなど財閥系企業や大手ゼネコンの建物が次々に爆破された「連続企業爆破事件」。この事件で殺人などの罪に問われた東アジア反日武装戦線の大道寺将司死刑囚が、5月24日に多発性骨髄腫により死亡した。

この2つの事件について、1973年生まれで現在43歳の私にはリアルタイムな記憶がない。成長してからの伝聞で「そういうことがあったらしい」程度のことは知っているものの、詳細を深く把握しているわけではない。たとえば後者の事件については、『狼の牙を折れ 史上最大の爆破テロに挑んだ警視庁公安部』(門田隆将・著)を通じて多くの情報を得ることができる。だが、多くの同世代にとっては、正直なところ、あまりなじみがない事件だろう。ましてや、現在の若者にはまるでピンと来ない出来事だと思われる。

同じように、先述した神戸の事件や、1995年に頻発に報じられたオウム真理教関連の事件についても、若者のなかにはその重大性や社会的な影響に、どうもピンと来ていない人が多い。「何がすごかったのですか?」「なぜあなたたちは、そんなに熱っぽくこれらの事件について語るのですか?」と尋ねられることもある。

そこで今回は、オウム真理教、神戸の事件の際に20代前半だった人間が感じた、当時の衝撃を敢えて振り返ってみたい。たとえ当事者ではなくとも、その頃の空気を知っている者は“語り部”として、当時の状況を後進に伝えることが必要かもしれない──そんなふうに考えるようになったからだ。

■「松本サリン事件」の“松本”を曲解していた人

過去にあった大きな出来事について、自分なりに語り継ぐということを意識し始めたきっかけのひとつは、長野県松本市へ行ったときの経験である。

オウム真理教は、長野地方裁判所松本支部官舎を狙い、化学兵器として用いられる神経ガスのサリンを撒いた。これにより事件直後に7人が死亡(最終的には8人が死亡)した。官舎の脇を歩いていたとき、私が「ここが1994年夏に起きた松本サリン事件の舞台となった場所ですよ」と同行していた30代前半の女性に伝えたところ、彼女は「えっ? どういうことですか?」と聞き返してきた。

私は彼女の質問の意味が分からなかったので「いや、どういうことってどういうことですか?」と尋ねた。すると彼女はこう言う。

「オウム真理教の教祖だった麻原彰晃の本名は松本智津夫であり、オウムの一連の事件はその松本が首謀者だから『松本サリン事件』というのだと思っていました」

■松本が首謀者だから「松本サリン事件」?

つまり、「松本サリン事件」という上位概念がまず存在し、その下に「地下鉄サリン事件」があると思っていた、というわけだ。私が「松本市で死傷事件があったから『松本サリン事件』と言うのですよ」と答えると、彼女は「えっ? ウソでしょ? 本当ですか?」とスマホで検索をはじめた。そしてほどなく、「あっ、本当ですね……。そういうことだったのですか……」とようやく納得したようだった。

彼女は松本サリン事件の発生当時、11歳だった。それを思えば、このような曲解もやむを得ないのかもしれない。とはいえ大人になった現在、それなりに社会問題に興味を持っている人物であり、職業はライターなだけにそれなりに知識が求められる仕事をしているのだが、認識としてはこの程度だったのだ。しかし、それを「無知」と断じたいわけではない。各人が生きた時代や経験に応じ、知識や記憶の差はあるというだけの話だ。そしてだからこそ、人はきちんと過去の事実を把握しようとする姿勢を持つべきだし、できれば当時の世相や空気感も知っておいたほうがいいということだ。

■テレビのワイドショーにとって「おいしい」事件

それでは、一連のオウム事件の空気を振り返ってみたい。

オウムの事件としては、1989年に「坂本弁護士一家殺害事件」があった。ただし、疑惑はあったものの、1995年3月の「地下鉄サリン事件」まで、オウムの仕業だと結論づけられてはいなかった。1994年6月の松本サリン事件も同様である。

松本サリン事件については、事件現場の近くに住む第一通報者の会社員・河野義行さん宅で化学薬品が発見されたことから、警察は河野さんを重要参考人として厳しく取り調べた。マスコミも河野さんを疑う報道を多数行った。まさにメディアスクラムの被害者である。

あるテレビ番組では、芸能人のコメンテーター(今もこの人物は活躍中)が「この人が怪しいに決まってるじゃないのよ!」などと発言する始末。結局、地下鉄サリン事件発生により山梨県上九一色村の教団施設に強制捜査が入るまで、一連の事件がオウムによるものとは断定されていなかったのだ。さまざまな拉致や殺害事件がオウムによるものであることが次第に明らかになっていった際、「まさか1990年代の日本にこんな狂暴なカルト集団がいたなんて……」といった驚きを持って受け止められた。

■ドラマ以上にドラマチック

また、オウムについては、あまりにもテレビのワイドショーにとって「おいしい」材料が多過ぎた。麻原彰晃の風貌・発言に加え、スポークスマンの上祐史浩氏や弁護士の青山吉伸氏といった幹部たちの理知的な受け答え、「走る爆弾娘・菊地直子」や「オウムの殺人マシーン・林泰男」といった異名のキャッチーさ、「ミラレパ」や「アーナンダー」といった耳慣れないホーリーネーム、政府を模したような教団の組織形態など、ドラマ以上にドラマチックな彼らに日本中が釘付けとなった。

この頃からテレビの情報番組では、ジャーナリストや弁護士の活躍がとみに目立つようになる。オウムと対峙した紀藤正樹弁護士、伊藤芳朗弁護士、さらには麻原の「空中浮揚」を再現してみせた滝本太郎弁護士らが頻繁にテレビに出演。オウム問題を追いかけた有田芳生氏、江川紹子氏といったジャーナリストも“時の人”となる。

当時、私は大学生だったのだが、8時30分から始まる1限の開始直前──8時15分あたりまで情報番組を家で見て、それから自転車をとばして8時27分に教室に着いた後は、教室にいる学友とオウムについて「(教団幹部だった)村井秀夫が報道陣の前で刺殺されたね」「麻原は今、どこにいるんだろう」などと語り合うのが日課になっていた。ランチ時もオウムの話が日常会話のテーマとなっていた。

また、オウムは活動資金稼ぎのために、東京・秋葉原でパソコン販売店の「マハーポーシャ」を経営しており、我々学生のあいだでは「マハーポーシャのPCは安いわりに性能がいい」といった声も出て、半ばネタと化していた。今の40代にとって、オウム事件は人生最大のインパクトがあったニュースといえよう。

■過去の重大事件を知ることで見えてくる「今」

それに並ぶほどの衝撃が走ったのが、神戸連続児童殺傷事件なのだ。神戸の住宅街で小学生が鈍器で殴られたり、刃物で刺されたりする事件が発生し、2名が死亡、3名が重軽傷を負った。犯人は神戸新聞に「さあゲームの始まりです」に始まる犯行声明を送り付けた。その文章はこう続く。

「愚鈍な警察諸君 ボクを止めてみたまえ ボクは殺しが愉快でたまらない 人の死が見たくて見たくてしょうがない 汚い野菜共には死の制裁を 積年の大怨に流血の裁きを
SHOOLL KILL 学校殺死の酒鬼薔薇」

土師淳君のケースでは、遺体の頭部を酒鬼薔薇が自身の通う中学校の校門前に置くなどしたことから、非常に大きな衝撃を与えた。日本中が「次は誰が殺されるのか……」と疑心暗鬼になるなか、捕まったのが14歳の少年であることが明らかになり、もはや「どう捉えればいいのか……」という混乱を大人にも子どもにもたらした。写真週刊誌『FOCUS』が犯人を実名で報じ、顔写真を掲載。少年法の在り方などについても大きな議論を巻き起こした。

ここまでの事件だったからこそ、2015年の『絶歌』発売があそこまでの大騒動を呼び、出版することの倫理性が話題にされ、さらには「表現の自由」などの議論も巻き起こったといえる。最近では麻原の3女・アーチャリーこと松本麗華さんがAbemaTVの番組内でオウム事件について語り、「よくぞ説明してくれた」や「犯罪者の娘を出演させるとはけしからん」など賛否両論の意見が渦巻いた。

■ワイドショーの功罪

オウム事件と神戸児童連続殺傷事件の2つは、現在のワイドショー、情報番組の形を定着させた感もある。事件をVTRで振り返り、現場リポートを入れ、識者が登場。過去映像とともに事件を彩る登場人物を次々と登場させ、視聴者にとっては「いつものメンバー」によるドタバタ劇を見せる、という手法だ。

現在、「森友学園」や「トランプ旋風」「北朝鮮の核開発」といった話題がテレビで多数取り上げられているが、いずれは忘れられる話題になるかもしれない。だが、オウム事件と神戸児童連続殺傷事件については、本当にあまりにも衝撃が強過ぎ、いつまでも忘れることができないのである。

----------

【まとめ】今回の「俺がもっとも言いたいこと」
過去の大事件を風化させないためにも、当時の状況を知る者は、自分なりに若者へと語り継いでいかなければならない。

----------

----------

中川淳一郎(なかがわ・じゅんいちろう)
1973年東京都生まれ。ネットニュース編集者/PRプランナー。1997年一橋大学商学部卒業後、博報堂入社。博報堂ではCC局(現PR戦略局)に配属され、企業のPR業務に携わる。2001年に退社後、雑誌ライター、「TVブロス」編集者などを経て現在に至る。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットのバカ』『ウェブでメシを食うということ』『バカざんまい』など多数。

----------

(ネットニュース編集者/PRプランナー 中川 淳一郎)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください