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67年前と同じ"朝鮮有事は起きない"の油断

プレジデントオンライン / 2017年7月28日 15時15分

危機は突然訪れる――朝鮮戦争勃発当時の北朝鮮の戦車部隊(写真=AFP=時事)

いま「朝鮮半島情勢」が緊迫している。だが「戦争なんて、起きるはずがない」とタカをくくっている人も多いのではないか。こんな時、役に立つのは歴史の知識だ。67年前の朝鮮戦争(1950~1953)でも、現在と同じく「起きるはずがない」という空気が支配的だった。その結果、犠牲になったのは多数のソウル市民だったのだ。「ミサイル慣れ」することの危うさを、著作家の宇山卓栄氏が指摘する――。

■北朝鮮は本当に大丈夫なのか

「ソウルは北朝鮮の間近にあるのに、大丈夫なのか?」

「有事のときに、市民はソウルから避難できるのか?」

今年5月、朝鮮有事の危機が高まる中、こんな声が聞かれました。心配になるのは当然です。67年前の朝鮮戦争では、侵攻は突然始まり、多くのソウル市民が犠牲になったからです。

実際に、北朝鮮は弾道ミサイルを発射するなどの挑発を繰り返し、米軍は11隻の原子力空母のうち3隻を北朝鮮近海に集結させ、両国の緊張は一気に高まっていました。今は落ち着いていますが、朝鮮有事が危ぶまれる事態でした。

「ソウルは今、危ないから旅行をキャンセルする」と言って、せっかくの旅行を取りやめた人もいたようです。ソウルから板門店の休戦ラインまで、北に約60km、車で1時間の距離です。有事の際、ソウルが無事では済まないのはいうまでもありません。

私は多くの人と同様に、さすがのトランプ大統領も北朝鮮を攻撃することはできないだろう、と感じていました。今のアメリカには巨額の軍事費を負担できる財政余力はなく、ロシアや中国といった大国との関係を考えれば、北朝鮮への軍事介入などできるはずがありません。「心配いらない」と。

しかし、有事や戦争というものは、そのように皆がタカをくくっているときにこそ、突如、起こるものです。67年前の朝鮮戦争の時もそうでした。

■「また、いつもの小競り合いか」

1950年6月25日午前4時に、約10万の北朝鮮軍は何の前置きもなく、突如、北緯38度線を越えて、侵攻してきました。この日は日曜日で、多くの韓国側の軍人は登庁しておらず、また、農繁期のため、帰郷していた軍人も多く、警戒態勢をとっていませんでした。大統領の李承晩(イ・スンマン)をはじめとする政府首脳部も北朝鮮軍の侵攻を想定していませんでした。

首脳部はアメリカやソ連、中国などとの関係を考えれば、北朝鮮が戦争などできないと考えていました。つまり、今日のわれわれと同じように「できるはずがない」という前提が強く共有されていたのです。

以前にも、頻繁に38度線を挟み、小競り合いが生じていました。韓国軍の上層部は事態の確認に時間をとられていました。彼らは防衛線を次々と突破されて初めて、戦争が始まったと気付いたのです。

李承晩大統領は自宅で、日曜日の朝、くつろいでいました。軍部から李承晩に第1報が入ったのが侵攻から6時間後の午前10時でした。李承晩は最初、報告を聞いた時、「また、いつもの小競り合いか」と聞き流したそうです。報告をした大統領秘書が「今回はそうではないようです」と血相を変えて答えると、ようやく李承晩もことの重大さに気付きます。

■相手が宣戦布告してくるとは限らない

現代のわれわれも、「また、いつものミサイル発射か」とだんだん不感症になっているのは怖いことなのです。戦争が始まるにあたり、相手がいつも宣戦布告してくるとは限りません。戦争が始まったと気付いた時には、機先を制されてしまって、もはや対処が難しいということはよくあります。今も昔も、そのことは変わりません。

慌てた大統領は国防長官の申性模(シン・ソンモ)を呼び、前線の状況を問いました。この時、既に韓国軍は不意を突かれて大混乱に陥り、各防衛線で敗退していましたが、申性模は「わが国軍が勇敢に戦っている」と強がりを言いました。李承晩は文民出身で軍事に疎く、申性模の報告をうのみにして、取りあえず安心しました。

アメリカ帰りの李承晩は、英語が堪能で、駐在米軍に自ら電話を掛けまくり、アメリカ人将校らに「何とかしろ!」と怒鳴りつけ、迷惑がられたそうです。一方で、李承晩はアメリカが迅速に対処してくれるものと決め込んでいました。しかし、アメリカ軍も戦争の準備は全く整っておらず、その動きは緩慢で、トルーマン大統領が報告を受けたのは、北朝鮮の侵攻開始から10時間後というありさまでした。

北朝鮮軍は侵攻作戦を綿密に計画していました。そして高度に統制された軍隊は抜け目なく正確に作戦を展開し、破竹の勢いでソウルへ向けて進撃していました。

■大統領が逃亡し、ソウル市民が犠牲に

この緊迫した事態を、国防長官の申性模は自らの体面を考え、李承晩に報告しませんでした。既に、ソウル北郊の議政府市が突破されようとしているにも関わらず、李承晩は国民の不安を鎮めるため、ラジオで「国軍が北朝鮮軍をよく防いでいる。落ち着いて行動するように」と呼び掛けます。

開戦2日後の6月27日午前3時、李承晩は警護主任にたたき起こされます。何事だといぶかる李承晩に警護主任は「北朝鮮軍がソウルへ入りました。すぐにソウルを脱出してください」と告げました。

大統領官邸はパニック状態となり、李承晩も「報告を受けていることと違うではないか」とわめきながらも、警護の者に引き連れられて、特別列車でソウルから逃亡します。李承晩大統領はソウル市民を置き去りにして、自分だけはサッサと逃げたのです。ソウル市民はこの時、大統領のラジオ声明を信じ、すぐに戦火は収まるものと思っていました。

その結果、ソウルに取り残された多数の市民が犠牲となりました。「きっと大丈夫だ」とタカをくくってはいけないのです。

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宇山卓栄(うやま・たくえい)
1975年、大阪生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。個人投資家として新興国の株式・債券に投資し、「自分の目で見て歩く」をモットーに世界各国を旅する。おもな著書に、『世界一おもしろい世界史の授業』(KADOKAWA)、『経済を読み解くための宗教史』(KADOKAWA)、『世界史は99%、経済でつくられる』(育鵬社)、『“しくじり”から学ぶ世界史』 (三笠書房) などがある。

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(著作家 宇山 卓栄 写真=AFP=時事)

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