あなたは『嫌われる勇気』を誤解している
プレジデントオンライン / 2017年8月25日 9時15分
■ベストセラーゆえ生まれた「誤解」
『嫌われる勇気』が世の中の多くの人に読まれていることは、とてもうれしいことです。しかしながら、一方で、気がかりなこともあります。それは、アドラー心理学に対する誤解が広まっているのではないか――ということです。
なかでも特に気になるのが、「共同体への貢献」という考えへの誤解です。
そもそもアドラー心理学は非常にシンプルなので、かえって誤解されやすい心理学です。正しく理解するには、3つの方法があると私は考えています。
それはすなわち、対話形式でまとめられた本を読むこと、質疑応答の形になった本を読むこと、そして、アドラーの原著にあたることです。
『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(いずれもダイヤモンド社)は、対話篇としてまとめたものです。質疑応答については、私は講演会でも長い時間をとることがあります。SNSでのやりとりもしてきました。
しかし、最後の原著にあたることは、なかなか難しいものです。
■原著がそもそも誤解されやすい
アドラー心理学が誤解を受けやすい理由の一つが、この原著の作り方にあります。アドラーには多数の著書がありますが、アドラーは書くことにあまり執着がなかったため、その多くが「聞き書き」であり、講演録を編集者がまとめたものが多いのです。
それゆえ、原著といえども、各章の問題のつながりがはっきりしなかったり、重複していたりして、必ずしも整合性がない箇所があります。これではなかなか正確な読み解きはできません。
ですので、新著『アドラーをじっくり読む』では、代表作をいくつか選んで、概要を紹介しました。実は、本書のタイトルを当初『アドラーを正しく読む」にしようという案もありました。それくらい、これまでアドラーの著作が「正しく」読まれていない、と痛感していたからなのですが、まずは「じっくり」読むことが必要だと思います。
もとより、私の解釈なので、私とはまったく異なった読み方をする人はおられるでしょうが、今後、原著を読む時の「羅針盤」のような役割を果たせたらと思います。
■リーダーこそ間違いやすい
さて、冒頭に述べた「共同体への貢献」という観点で話を進めましょう。アドラーのいう「共同体」とは、どこかの会社、学校やチームなど、ただ一つの具体的な共同体に限定されるものではありません。これはアドラー理解のための重要なポイントです。さしあたって、自分が属する家族、学校、職場、社会、国家、人類であり、過去・現在・未来のすべての人類、さらには生きているものも生きていないものも含めたこの宇宙の全体を指しています。
しかしながら、現在、経営者をはじめ組織のリーダーが説明する「貢献感」は以下のようなものになってはいないでしょうか。
自身の経営する会社、運営する組織といった固有の「共同体」へ「貢献」する気持ちを持つことが、従業員や部下を幸せへと導く――。
貢献感を持つことは大切ですが、リーダーがこのように考えることは危険なことがあります。なぜこのようなことを言うか、説明しましょう。
アドラー心理学は「使用の心理学」といわれることがあるのですが、その意味を誤解している人がいます。この「使用」とは、「アドラー心理学を使う」という意味ではありません。アドラー心理学の教えはシンプルですが、それが教える技法を使うと、他者がみるみる変わることを知った人が、アドラー心理学が「使える」ことに驚くのです。
しかし、「使用の心理学」というのはそういう意味ではありません。大切なことは何が与えられたかではなく、与えられたものをどう「使う」かだということであり、人は誰でも自分の生を選びうるという意味なのです。
そもそも人を操作するために、アドラー心理学を使えると考えることは、正しい理解とはとても言えないのです。ですから、リーダーが共同体への貢献を語る時、従業員や部下を貢献させようとしていないかに注意しなければなりません。
■共同体とは「理想」のもの
「共同体」、そして「共同体感覚」こそ、自分が環境をどう捉えるかで幸福になれるかどうかが決まるという、アドラー心理学の大切な概念です。先述しましたが、共同体とは、具体的なある一つの共同体ではないのです。あらゆる意味で垣根を越えた「理想」の共同体であり、一つの組織ではなく、もっと大きな共同体に所属していると感じていることが、「共同体感覚」ということです。
したがって、共同体への貢献は特定のある共同体への貢献にとどまりません。理想主義者であるアドラーは、それほど理想的な「共同体感覚」を求めていたのです。
共同体に所属する人の観点で言えば、特定の組織や誰かから承認されればいいというわけではなく、常により大きな共同体の利害を念頭に置いて行動しなければなりませんし、嫌われようと何をしてもいいというようなことにももちろんなりません。
共同体への貢献と言う時、その貢献によって得られる「貢献感」は、決して他人から押し付けられたものであってはいけません。貢献感も、共同体と同じくアドラー心理学のキーワードの一つです。貢献感を持てば自分に価値が感じられ、自分に価値を感じられれば、課題に取り組む勇気を持つことできる。この貢献感は自らの内側から得られるようにならなければ意味がありません。
つまり、働くことでも、勉強でも、老いた親への介護であっても、自分が「貢献している」という実感を持つことが大切なので、貢献感は決して他者から強いられたものであってはいけないのです。
■会社という共同体をどう考えるか
アドラーが使う共同体という言葉はドイツ語ではゲマインシャフトです。これはゲゼルシャフトと対比して使われます。簡単に言うと、ゲマインシャフトとは家族や地縁といった共同体組織です。ゲゼルシャフトとは、会社をはじめとする産業や文明での営みを前提とした、人為的目的をもって作られた機能的な共同体です。
この区別に従えば、会社組織は、ゲゼルシャフトです。しかしながら、特に日本の企業は、組織への「貢献」や「忠誠」や家族的なつながりを求めた、ゲマインシャフトのような――あくまでも「のような」――あり方を続けてきました。
ところで、先に見たように、アドラーは、共同体=ゲマインシャフトという言葉を使っていますから、会社組織という共同体もゲマインシャフトになります。これはどう解すればいいでしょうか。
私の父は昭和ひと桁生まれの会社員でしたが、父の会社では元旦に社員一同が集まって年頭の挨拶をする慣習がありました。
さすがに今ではそんな会社はないでしょうが、通勤電車でも会社のバッジを付けていたり、昼休みにも社員証を下げていたりする人などは、企業へ忠誠を誓い、それによって誇りを得ているのではないでしょうか。過剰なまでの忠節を提供し、人生を担保されているかのように見えます。
■閉じられた組織は行き詰まる
新卒一括採用、終身雇用の時代では、会社へすべてをささげることが、一つの人生のモデルだったのはたしかでしょう。しかし、会社という一つの共同体への貢献は、それを失った途端に人を空虚な存在にしてしまいます。モーレツ社員だったサラリーマンが定年退職後に行きどころを失ってしまうのも、そのためです。
ところが、アドラーがゲマインシャフトという言葉を使う時、その意味は既存の共同体ではなく、外へと広がっていく共同体です。内部では一体感があるけれども、外に対しては閉鎖的であるという普通の意味でのゲマインシャフトではないのです。
生き方が多様化した今、一つの共同体だけへの貢献は、外部には敵対的であることを助長し、その意味でそのような貢献は危険なものになります。
新卒採用でも、会社に忠誠を誓う人材を選んでいては、今後組織は行き詰まってしまうのではないかと思います。
以前、旅行代理店で講演をしたことがありましたが、その日はたまたま新入社員の面接試験の日でした。面接を待つ学生の中に、アジアの民族衣装を着た人がいました。その企業の社員と講演後に話したところ、「あの子はとらない」と断言しました。「奇をてらった人間はいらない」ということです。企業へどっぷりと忠誠を誓う人間しか採用されない――それでいいのでしょうか。
■押し付けられた「貢献」にだまされてはいけない
共同体に貢献することはあくまでも自分の問題です。組織のリーダーが貢献感を部下や従業員に持たせようとするのであれば問題です。残念なことに、過重労働による自殺や、病気についてのニュースがあとを絶ちません。「死ぬくらいなら辞めればいい」と言えば、話はそんなに簡単な問題でないと言われます。特定の「共同体」へ貢献することが、その人のすべてを作ってしまうという日本人のキャリア形成の構造的な問題が背景にあるからです。
リーダーが恐怖に基づいて貢献を強いるのであれば、それがおかしいことに気づくことは容易かもしれませんが、話が厄介なのは、部下に自発的に貢献するように仕向けることがあるからです。
上司は言うのです。「私はやれとは言ってない、あくまでも部下が自発的に貢献しようとしたのだ」と。こうして、自発的な貢献が押し付けられます。
職場で「貢献感」を強調することは、「ブラック企業」の論理に近づきます。いわゆるブラック企業と呼ばれる会社が、会社にとって都合のいい「貢献感」を社員に押しつけている現実があります。新国立競技場の建設現場で働いていた方が自殺した事件もとても痛ましいものです。「東京オリンピック」へボランティアとして参加することを、じつは巧みに「上」から押し付けようとする働きがあることはとても正しいとは言えません。
巧みな貢献感の強要に断固として、自分の中から湧き出る言葉で反論できるようになってほしいと願っています。
そのために、自分が所属する共同体を越えた、もっと大きく普遍性のある「共同体への貢献感」を見いだし、一歩を踏み出すことが、「幸せになる勇気」なのです。
■「嫌われる勇気」を持とう
最後に、「嫌われる勇気」という言葉への誤解についても触れておきましょう。嫌われる勇気とは、人のことを考えない嫌われ者が「嫌われてもいい」と身勝手に振る舞うことを勧める言葉ではありませんし、嫌われても言うべきことは言わないといけないと、他者に自分の考えを押し付けることでもありません。
現実の人間関係への不安を抱え、貢献感を持てないでいる人、他人との関わりを恐れている人に「嫌われることを恐れずに」、幸せへと飛び出していくことを後押しする言葉なのです。その勇気はむしろ部下の立場にある人こそ持たなければなりません。嫌われることを恐れ、上司の間違いを指摘せず反論しなくなれば、組織は衰退していきます。
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哲学者。1956年生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学。主な著書に『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(ともに古賀史健との共著)、『人生を変える心理学』『幸福の哲学』などがある。
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(哲学者 岸見 一郎 取材・文=プレジデントオンライン編集部)
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