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韓国を牛耳る“10大財閥”は日本が育てた

プレジデントオンライン / 2017年10月19日 9時15分

日本の巨額の経済支援をテコに、「漢江の奇跡」と呼ばれる経済成長を韓国にもたらした朴正煕(写真=AFLO)

韓国のGDP(国内総生産)の4分の3を占め、そこに就職できなければ人生の「負け組」が確定するとも言われる韓国の「10大財閥」。これらの財閥を育てたのは、日韓基本条約締結後に日本が行った経済支援とベトナム戦争特需、そして日本の陸軍士官学校を優秀な成績で卒業し、日本支配下の満州国軍士官だった経歴をもつ朴正熙大統領(当時)の「ジャパン・コネクション」だった。韓国がいまのようになった歴史とは――。

「10大財閥」でなければ負け組確定?

韓国の受験競争が熾烈なことはよく知られています。受験で失敗し、自殺する若者もいます。一流大学に入学し、「10大財閥」と呼ばれる一流企業に就職し、いわゆる「勝ち組」に入ることが目標とされます。「勝ち組」に入れるかどうかで、年収などに大きな開きが生じ、人生の明暗が決定付けられます。「10大財閥」とは日本でもよく知られている「三星(サムスン)」、「現代(ヒュンダイ)」、「ロッテ」などの企業です。

「10大財閥」でなければならず、それ以外の企業はダメなのです。なぜならば、韓国では「10大財閥」の売り上げがGDPの4分の3を占め、事実上、韓国経済を取り仕切っているからです。「10大財閥」以外の会社で、たとえ懸命に働いたとしても、報われることがほとんどない社会構造になってしまっています。

市場を寡占する「10大財閥」は独占資本と言えます。韓国では、1960年代後半以降、国家主導で大規模な工業設備投資が行われ、各産業分野に、「10大財閥」のような独占的な巨大企業が生まれ、国家経済を牽引していきました。

ドイツ、ヴァイマール期に活躍した経済学者で財務大臣も務めたルドルフ・ヒルファーディングという人がいます。ヒルファーディングは著書『金融資本論』で、独占資本の発生と形態が国家権力との強い結び付きを持つことを明らかにしながら、独占資本の横行により、資本主義が本来持つ開かれた自由競争が疎外され、社会全体が閉塞していくと批判しています。独占資本の横行は格差拡大などの社会の病弊の大きな原因となります。

財閥はどのように形成されたのか

朝鮮戦争で壊滅的打撃をうけた韓国は1960年代後半以降、急速な復興を遂げ、大きく経済成長します。この復興と成長は「漢江(ハンガン)の奇跡」と呼ばれます。

朴正熙は1963年、大統領に就任し、軍事政権を率います。朴は経済建て直しを優先課題としますが、政策を推進するための財政的な余裕がありませんでした。そこで、朴は日本の援助を当てにし、日本に接近しはじめます。

朴正熙は日本名を高木正雄といいます。日本の陸軍士官学校を留学生首席で卒業し、当時日本の支配下にあった満州国軍に所属していました。朴政権には、日本の陸軍士官学校出身者や日本留学経験者が多く、朴正熙が側近と密談をする時は、日本語を使っていたそうです(女性に聞かせられない下ネタ話も日本語でした)。

朴ら首脳部は親日派で、日本に接近することに抵抗はなかったのですが、韓国の国民感情がそれを許しませんでした。朴政権の日本への接近は日本統治時代の屈辱を忘れ、わずかな支援金と引き換えに国を売る行為であると批判されたのです。

朴正熙は反対派を弾圧し、1965年、日韓基本条約を調印します。これにより、韓国政府は日本から総額8億ドル(無償3億ドル、政府借款2億ドル、民間借款3億ドル)の支援を受けます。この額は当時の韓国の国家予算の2倍以上の額でした。この巨額の支援金を使い、政府が産業育成を主導し、「漢江の奇跡」を達成します

また、朴は1964年、アメリカの要請で、ベトナム戦争へ韓国軍を派兵しました。ベトナム戦争の戦時特需が韓国経済にさらなる追い風を吹かせます。

こうした状況の中で、「現代(ヒュンダイ)」のような財閥が台頭するのです。政府と財閥との癒着構造の中で、財閥は横断的なカルテルを結成し、中小企業、単純企業を不利な状況に追い込み、それらを吸収していきます。政府は財閥に有利な税制・補助金制度を拡充し、その権益を認めました。

満州国軍時代の「日本人上司」も尽力

日韓基本条約締結後、日本の支援は金銭面のみにとどまらず、技術面でも多岐にわたりました。多くの優秀な日本の技術者が韓国に渡り、惜しみなく、技術指導を行いました。

日本企業の技術者派遣のプログラムの詳細を取り仕切ったのが瀬島龍三でした。瀬島は戦前、関東軍作戦参謀をつとめ、満州方面の陸軍を指揮したエリートで、満州国軍時代の朴正熙の上官にあたります(陸軍士官学校では朴正熙の1期先輩でした)。

朴は大統領になってから、日本との関係構築を進める際には瀬島を頼りました。当時、瀬島龍三は伊藤忠商事の取締役でした(1978年、同社会長に就任)。瀬島は技術支援など、多くの日本企業を韓国と積極的に関わらせる役割を果たします。

経済成長はさまざまな社会矛盾を吸収していきました。成長は格差を拡大させましたが、韓国国民は飢えに苦しむような極貧の状況から解放され、ようやく腹を満たせるようになりました。そのような目の前の民衆の満足が、独占資本たる財閥の肥大化、強権的な軍事政権の独裁化という深刻な社会病理の進行を見えなくさせていたのです。

韓国で、朴正熙、全斗煥、盧泰愚の三代の大統領に渡る軍事政権(1963~93年)が30年続きますが、こうした強権支配が長く続いた理由は何でしょうか。それは、財閥と軍事政権との癒着にあります。財閥との癒着によって、政権や与党は豊富な資金を獲得していた一方で、金泳三や金大中ら民主化を求める野党勢力は常に資金に欠乏していました。

また、財閥の各グループはその下部組織である関連会社も含めると、膨大な数の従業員を擁しており、選挙の際には、政権側の強力な集票組織となったのです。軍事政権が安泰であれば、従業員たちも安泰でした。「軍事政権時代に国民は苦しめられた」という一般的な論評は物事の一面に過ぎず、軍事政権によって、利益を享受した韓国国民も少なからずいたのです。

軍事政権の負の遺産

朴正熙が築き上げた財界との癒着構造は、その後の軍事政権にも一貫して受け継がれていきました。朴正熙の後継者の全斗煥大統領は財閥に、自らの私的な財団である「日海(イルヘ)財団」への献金を求めました。進んで多額の献金をした財閥は多くの特権を与えられ、献金を渋った財閥は制裁を加えられました。

全斗煥は自らの意向に従わなかった「国際グループ」を解体しています。「国際グループ」は釜山に本拠を置く企業でした。この企業は1985年の国会議員選挙で、与党を支援せず、与党候補者が釜山地域で金泳三派に大敗します。全斗煥は怒り、選挙後すぐに「国際グループ」への融資を銀行にストップさせて、これを解体させました。

「10大財閥」が韓国経済の大半を担う現在の状況は、「漢江の奇跡」以来の軍事政権が残した負の遺産とも言えます。朴槿恵元大統領を辞任に追い込んだ「崔順実(チェ・スンシル)事件」では、崔氏が財閥の資金を政権に渡す窓口になっていたと報道されています。

冒頭に挙げた過酷な受験競争もさることながら、韓国の政治・経済の健全な発展のために、財閥が抱える前時代的な組織体制とそれを取り巻く社会制度の旧弊を抜本的に見直す時期が今、やって来ているように思います。

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宇山卓栄(うやま・たくえい)
著作家。1975年、大阪生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。おもな著書に、『世界一おもしろい世界史の授業』(KADOKAWA)、『経済を読み解くための宗教史』(KADOKAWA)、『世界史は99%、経済でつくられる』(育鵬社)、『“しくじり”から学ぶ世界史』 (三笠書房) などがある。

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(著作家 宇山 卓栄 写真=AFLO)

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