「女性は2番手」の世界で東大教授になる

プレジデントオンライン / 2017年11月21日 9時15分

高井まどか●1990年、早稲田大学理工学部を卒業後、東芝に入社。91年より大学に戻り、早稲田大学大学院理工学研究科で修士・博士課程(応用化学)修了。2001年に東京大学大学院工学系研究科の助手に。講師、准教授を経て11年より現職。

企業のエンジニアから、自由に研究できる環境を求めて大学に再入学。だが理系の職場は「男性優位」で、キャリアアップは簡単ではない。孤軍奮闘する彼女を支えた、ある女性研究者の言葉とは──。

東京大学本郷キャンパスの西側・工学部5号館に、高井まどかさんの研究室はある。細胞の培養や分析など、さまざまな実験が行われており、その日も助教や学生たちが作業をしていた。

彼女たちの専攻は「バイオエンジニアリング」。医療と工学を組み合わせた比較的新しい研究領域で、ここでは主に医療用センサーに使う新素材を扱っている。「たとえば、血液中の微量な成分を分析するバイオセンサー。それをがんの予防や診断に活用したり、治療技術の確立に役立てるのが、私たちの大きなテーマです」

そう語る高井さんは、工学系の学部では数少ない女性教授だ。

Essential Item●ウェルプレート(手前左)、マイクロピペッター(手前右)、細胞培養用の栄養液(奥)は実験に不可欠。

1990年、早稲田大学理工学部の応用化学科を卒業後、東芝の半導体事業部に就職。男女雇用機会均等法の施行から5年目、工学系の女子学生の総合職への就職はまだまだ少なかった。

「当時は女子学生に大学に残って研究者になるよう勧める風潮はなく、自分の力を発揮するなら企業に就職するのがいいと思いました。でも、与えられたテーマに沿って研究開発する中で、やはり自分で研究テーマを決められる研究職に魅力を感じるようになって」

そこで、母校の教授に相談し、博士の学位を取得するため再び大学に入る計画を立てたのだが、父親は大反対だったという。

■反対する父を説得して理系の研究職の道へ

「大学の理系の職場には女性がほとんどいないので、心配だったようです。『どれだけ頑張れるのか、覚悟を見せてみなさい』と言われ、お給料から2年分の学費を貯め、やっと納得してもらいました。母には『お父さんも頑固だけど、あなたも相当だったわよ』と今も言われます(笑)」

(上)高井研究室は工学部の中では女子比率が高め。多様なメンバーが集う。(下)自分のやりたいテーマに取り組み、研究を楽しむ高井さんの姿勢が、学生たちによい影響を与えている。

早大の大学院に入り、ハードディスクの磁気ヘッドの研究を始めた頃には、父親も「途中で諦めるな。どうせなら教授になれ」と応援してくれるようになった。

「私が教授になる少し前に、父は亡くなってしまいました。でも、約束を果たせて、墓前に報告できたときはほっとしましたね」

思えば、自分には幼い頃から、理系の道に進む素地があったのかもしれない、と彼女は言う。

静岡県にある実家の敷地の一角に、祖父の作った小さな金型工場がある。油の匂いのする屋内には切削機やプレス機が並び、自動車のバンパーの金型を作っていた。製図版に向かう父親の姿も胸に焼き付いている。

「工場は私の遊び場でした。鉄くず集めや掃除をすると、お小遣いをもらえるのも嬉しかったし、何より動く機械を見るのが好きでした。誕生日のプレゼントも、妹はぬいぐるみを欲しがるのに、私は編み物の機械をねだるような子どもでした」

病弱で医者にかかることが多かったため、漠然と薬剤師になろうと考えていたが、高校の進路指導の教師から「医師の処方箋通りに調剤する仕事より、工学系の学部に進んだほうが活躍できるのでは」と助言された。それが理工学部へ進むきっかけになった。

早大で博士号を取得した後は、国立の研究所(現・産業技術総合研究所)に勤務し、東大の工学系研究科に入って研究を続けてきた。工学系の女性研究者としてキャリアを積んでいくうえで励まされたのは、「ロールモデルに出会ったこと」だったと高井さんは話す。

■「もっと気楽に」と言われ肩の荷が下りた

助手時代に、応用物理学会の男女共同参画をテーマにした委員会に参加したとき、委員会のリーダーを務めていた応用物理学者の小舘香椎子さんが、高井さんにこんな言葉をかけたのだ。

「すべて男性と同じように働く必要はない。もっと気楽に考えて、生活も楽しめばいい」

それを聞いて、肩の荷が下りたと彼女は話す。

「それまでの私は、男性以上に頑張らないと認めてもらえないと、がむしゃらになっていました。当時は『女性は2番手』と考える先生が多かったからです。でも、研究者として業績を出し、認められている小舘先生の言葉で、ようやく気持ちを切り替えられました」

とはいえ、女性の働き方は、男性の働き方と社会の価値観に大きく左右されるとも感じている。

「昔は結婚や出産で離職するリスクが高い女性採用は嫌がられる傾向にありましたが、近年はダイバーシティの価値が受け入れられ、女性が活躍できる社会がつくられつつあると言えるでしょう。ただ、仕事と家庭の両立はパートナー次第。今の女子学生にアドバイスできるとしたら、生活スタイルを理解してくれるパートナーを探すことですね」

今は東大で研究を行う一方で、教養学部の1、2年生への講義や後進の育成にも力を入れている。「私が大学の教員という職業を選んだ理由に、学生への研究教育があります。研究に注力して優れた成果を出すことに100パーセントの価値を置くのであれば、企業や研究所で働くのがいいと思います。でも、私は研究を通した教育にも価値を見いだしています。学生を研究者として育てることが楽しいんです。30代後半から40代前半の女性研究者は、これから自分の研究室を持とうという時期。彼女たちには、女性でも気負いなく教員を続けられるということを、私自身が見せていきたいです」

(ノンフィクション作家 稲泉 連 撮影=市来朋久)

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