受験生殺到"医学部バブル"が弾けない理由
プレジデントオンライン / 2017年11月21日 9時15分
※本稿は河本敏浩氏の新著『医学部バブル 最高倍率30倍の裏側』(光文社新書)の第1章「医学部熱の正体」を再編集したものです。
■勉学努力へのリターンが圧倒的に安定
医学部熱が高まっている。なぜ子供たちは医師になりたがるのか。高校生・受験生の内面を推測するに、医師に対する就業欲求が生じる3つの要因が存在する。
第1点目は、報酬と称賛の絶対的安定性である。いくら医師が激務と言っても、働く場所や環境を調整すれば、納得できる報酬を得ることが、他の職業に比べて圧倒的に容易である。この点は、子供とは言っても高校生受験生も理解できている。しかし報酬面の安定性と並んで、あるいはそれ以上に、医師という職業によって得られる尊敬の念が、医師を目指す高校生受験生にとっては重要なのではないだろうか。
一般的に称賛を得られる仕事というのは、プロ野球選手であれ、将棋の棋士であれ、弁護士であれ、キャリア官僚であれ、入り口で厳しいふるいにかけられるか、就業してからふるいにかけられ続けるかのいずれかである。プロ野球選手や棋士は、そもそもその仕事に就ける確率が極めて低い。弁護士やキャリア官僚は、大学受験を経た後、改めて厳しい選抜試験に臨まなければならない。
その点、医師は医学部に入学することだけが、最大の関門である。もちろん医師国家試験や大学の単位認定は非常に厳しいが、司法試験や国家一種試験ほどの難しさがあるわけではない。医学部生として標準的な勉強をしていれば、ほぼ医師になれるという現実は、社会的な称賛を得られる職業に就くハードルとしては破格に低い。
いや、それでも入学試験は熾烈を極めるではないか、という反論もあろう。そういう反論に対しては、次のような再反論を試みたい。
最も受験者が多い河合塾の全統マーク模試で偏差値65に到達する者は、上位7%前後である(標準偏差の違いなどで変動するが)。もちろん、偏差値が65なら自動的に医学部に合格するわけではなく、あくまで目安に過ぎないが、それでも偏差値が65に到達すれば、私立医学部の合格圏内に入っていると判断することはできる。
河合塾の全統マーク模試は、勉強のできる受験生もできない受験生も受ける一般的な模擬試験である。こういう一般的な競争で上位7%に入りさえすれば、参入チケットが高い確率で手に入る仕事は、医師をおいて他に存在しない。少なくとも勉強に近い場所で生きてきた高校生受験生にとっては、この点は極めて魅力的なのではないか。繰り返しになるが、医学部に入って以降、医師になるための「選抜試験」は存在しないのである。
そして、医師になった自分を、家族や友人や教師たちは間違いなく称賛するはずだ。これは医学部に入学するだけで、ほぼ確実に実現する光景である。医師は、他の勉強や試験を要する職業に比して、必死に勉強したリターンが圧倒的に安定しているのだ。
■地元志向の理系高校生にとっては最高の選択肢
第2点目は局所的な要因だが、地元指向の理系の高校生・受験生にとって、医師という仕事は、生まれ育った場所での安定的な仕事として最高のものである、ということだ。
意外なことかもしれないが、地方の高校生受験生は、決して都市への移住を切望しているわけではない。むしろ地元に残ることを優先したい層は相当数存在する。しかし、過疎地域には絶望的に仕事がない。そういう中で、医師という職業は、勉強に邁進した高校生受験生が納得できる、数少ない職業の一つなのである。
民間理系研究の仕事は、都市型の仕事であり、その道に進むと、地元に残って生きることはほぼ断念せざるを得ない。それに対して、過疎の進む地域における魅力的な理系職業は、技官系の公務員、教師、そして医師のみと言ってよい。公務員、教員は大学を経て、さらに厳しい採用試験が控えており、本当にその仕事に就けるかどうか確証はない。となれば、進路選択の際に、優秀な層ほど医学部を選択しがちになるだろう。
また、地方で人口が減少し、経済が衰退すればするほど、地元で人生を完結させることができるだろうほぼ唯一の学部、医学部への進学欲求が高まることは必然である。
■花盛りのキャリア教育も医学部志向の一因?
さらに第3点目。以下では、医師という仕事の社会的な評価について考えたい。一般的に医師は、「立派な仕事をしている」「社会に貢献している」と尊敬の目で見られることが多いのではないか。それは、医療は基本的に営利事業ではなく、社会に資する仕事であるという前提で、多くの人が医師を見るからだろう。つまり医師という仕事は、利益追求事業ではなく、社会貢献事業の側面が強いと言える。そしてこれが、高校生・受験生にとって大きな魅力になる。
現在の学校、特に高校は、教育メニューが非常に多彩になっている。中でも注目したいのは、キャリア教育の存在だ。キャリア教育の厳密な定義はさておき、ここでは進路選択、職業選択を支援するプログラムとして考える。現在はキャリア教育花盛りである。高校2年生の段階で、オープンキャンパスに参加することを夏の宿題にする高校が一気に増え、進路に対する意識の向上そのものを狙った課題や企画が、時節に合わせて次々と繰り出される。
加えて、ITや人工知能の発展により、20年後には現在の職業の大半が消失するという未来予測が、広く人口に膾炙(かいしゃ)している。サラリーマンの賃金は頭打ちで、リストラという言葉が社会的に定着しているように、安定した雇用自体がすでに危ういものとなっている。
今の職業の多くが消失し、雇用が危ういならば、進路について考えること自体馬鹿らしいことになるが、それでも考えろと、教師たちは次々と抑圧してくる。これが、現在の高校生が置かれた状況である。
■「世襲」と「新規参入」の両方が促される
この人生の選択に関与する「キャリア教育」は、深めていけばいくほど世襲が起こりやすくなってしまう。選択肢が多様になればなるほど、実感の伴った選択は困難になり、唯一リアリティのある仕事が、親の職業ということになるからだ。
進路選択を子供と母親に任せ、どんな選択でも尊重しようと身構えている父親(医師)を前に、子供が医学部志望を表明して驚かせる、という構図は、おそらく珍しいものではないだろう。どんな職業であれ、子供が親と同じ職業を目指すという構図は、親にとってみれば自分の人生に対する最大の承認であり、これを喜ばない親はまずいない。
こうして、まず(勤務医であれ、開業医であれ)医師が家庭にいる子供が、医学部入学を熱望することになる。たとえ子供の志望が私立医学部で、学費が数千万円かかろうが、親はとことん支援する態勢作りに邁進することになる。
さらにまだある。現代の教育体制では、子供たちに対して、勉強さえできれば医師になりたいと考えることを促すメカニズムが働いている。
例えば、高校の授業に「公共」という科目が新設されようとしているのをご存じだろうか(2022年度を予定)。先のキャリア教育は高校生を中心になされるが、そこに公共心を養う教育プログラムが投入される状況にある。
公共教育の一例としてわかりやすいのは、環境教育である。環境教育は一時の流行ではなく、学校現場にすっかり定着した学習プログラムと化している。とかく本音と建前が交錯する日本社会の中で、学校教育は差しさわりのない範囲で正論を掲げ、事実、その教育は効果を上げ始めている。環境教育が、多くの人々の環境保全に対する意識を変化させたように、公共教育は公共意識、社会貢献への欲求を醸成する。
営利を目的とする一般企業の就職面接において、社会貢献を前面に掲げ、営利はどこへ行った、と面接官をとまどわせる学生は多いと聞く。これもまたこういった教育の影響であると言える。
■医学部人気の過熱は必然である
結局、キャリア教育は、不確かな未来における複雑な「選択」を当然のこととして位置づけるようになった。しかし、その「選択」は極めて難しい。一方、公共教育は利益追求には言及せず、社会貢献の尊さを一心に訴えかける。
「選択」は難しい。しかし社会貢献はしたい……。こうした思いに応えてくれる職業は何であろうか。
ここに、親が医師ではない家庭の子供が医療現場に参入する契機がある。医療現場と縁のない家庭であっても、息子・娘が医学部を目指したいと言い出したならば、親はどう反応するだろうか。私立大学は莫大な学費がかかるから無理だ、と言う家庭が圧倒的だろうが、生前贈与を促す法改正(編集部注:教育資金の贈与は1500万円まで非課税にできる)の存在を知ればどうだろう、各所で家族会議、親族会議が開かれるであろうことは想像に難くない。
以上の文脈を踏まえれば、医師志望の高校生・受験生が激増することは、やはり自然な流れととらえることができる。弱者救済の仕事であり、公共心が満たされる仕事であり、かつその中でも相対的に高額な報酬が保証されている職業こそが医師である。
勉強のできる高校生・受験生が医師を目指す要因が複合的に存在することで、持続的に高まってきた医学部進学熱が、ここ数年でさらに異常な過熱を呈する状況は、当然のことながら一つの必然である。
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医学部予備校 The Independent代表、学研「MyGAK」統括リーダー、映像講義「学研医学部ゼミ・スタンダード」統括リーダー、保護者対象講座担当。同志社大学法学部政治学科を経て、同志社大学文学研究科新聞学専攻修士課程修了。大学在学中から現代文講師として活躍し、1994年から2012年まで東進ハイスクール講師(2000~2001年、河合塾講師兼任)。主な著書に『名ばかり大学生』(光文社新書)、『誰がバカをつくるのか?』(ブックマン社)。
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(医学部予備校 The Independent代表 河本 敏浩)
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