なでしこジャパンがW杯で優勝できる条件
プレジデントオンライン / 2018年1月19日 9時15分
■怪我でサッカーを断念し、医師を目指す
【三宅義和・イーオン社長】山藤賢先生は、女子サッカー日本代表なでしこジャパンのチームドクターとして活躍されていました。現在、臨床医としては東京都サッカー協会の医学委員長として2020年の東京オリンピックパラリンピックにも関わるお立場ですが、本業は、医療法人の理事長として複数の医療機関を経営されていると同時に、昭和医療技術専門学校長として臨床検査技師を目指す学生たちの教育にも携わっておられます。実は、私と山藤先生は心身統一合氣道会の同門でもあります。
最初に山藤先生とサッカーとの出合いについてお聞きしたいのですが、山藤先生がサッカーに興味を持ったきっかけは何だったのでしょうか。Jリーグ発足は1992年で、それ以前、サッカーは決してメジャーな競技ではなかったと思うのですが。
【山藤賢・医療社団法人昭和育英会理事長・昭和医療技術専門学校校長・スポーツドクター】サッカーボールを蹴ったのは幼稚園の頃でした。野球が大好きで巨人ファンだったのですが、僕の入った暁星小学校は、フランス人宣教師が始めた学校だったので、サッカーが校技でした。そこで部活として本格的にサッカーを始めました。中学・高等部は全国大会の常連校でした。
【三宅】山藤先生も出場されたのですか。
【山藤】レギュラーとしては中学のときに東京都で優勝し、全国に出ました。ベスト16まで進みました。ポジションは、小学校のときはセンターフォワードでしたが、中学時代はミッドフィルダー、全国大会ではディフェンスの中央でしたかね……、だんだんポジションが下がっていく、上手ではない選手のパターンです(笑)。
【三宅】いやいや、ディフェンスの真ん中は重要ですよ。ところで、山藤先生は医学部に進学されるわけですが、サッカーと受験勉強の両立は大変だったのではないですか。
【山藤】全国ベスト4まで勝ち進んだ高校1年のときは控え選手でした。高校2年になるとレギュラークラスでプレーする機会も出てきましたが、怪我をきっかけにいろいろな葛藤があり、関東大会の出場も決まって、背番号もいただいていたのに、サッカーから離れてしまいました。
その時は、全国大会だけを目指してきたので目標を見失ってしまっていました。でもアスリートとしてではなく、自分が悩んだような怪我を診断し、治療できる医師になろうと決意しました。そしてプレーヤーとしては日の丸はつけれないけど、ドクターとして日の丸をつけてピッチに立つのを夢に、高校2年の夏頃から突然(笑)、受験勉強を開始しました。
【三宅】それで、医学部に進まれた。しかも、結果的に女子サッカーの代表チームのチームドクターとしてオリンピックやワールドカップに同行され夢も叶えられたわけですね。そんな山藤先生にとってサッカーの魅力は、スバリ何でしょうか。
【山藤】もちろん競技としての魅力は多分にありますが、実は個人的にはプレーヤーとして、僕が一番好きなプレーは、味方から受けたボールをゴール前に出す。そのパスを誰かが見事にシュートして得点することなんです。
【三宅】アシストですね。
【山藤】もちろん、みずから点を取るのも、相手からボールを奪うのもサッカーの醍醐味ですが、アシストをして、シュートを決めた仲間が喜んで僕のところに走ってきて、「いいボールをありがとう」と言ってくれるときが大好きでした(笑)。
【三宅】山藤先生らしいですね。
【山藤】ありがとうございます(笑)。今、振り返ると、誰かが預けてくれたものをまた誰かに渡すことによって達成できる繋ぐことの喜びみたいなものが好きだったんでしょうね。
■優勝に導いた佐々木監督のリーダーシップ
【三宅】チームプレーの素晴らしさですね。ところで、なでしこジャパンのチームドクターになられた経緯を教えてください。
【山藤】そうですね、駆け出しの頃はそれこそ無償でも毎週先輩にくっついてスポーツ現場に行っていました。おそらくそのような姿を評価いただき、その後Jリーグのチームドクターを務めたり、各世代の日本代表チームの同行なども依頼されるようになりました。そして、2005年に日本サッカー協会から「なでしこの面倒を見てくれないか」と声をかけられたのが女子は最初です。
【三宅】役割としては、試合中に怪我や故障をした選手の治療をされるのですか。
【山藤】よくテレビ中継で、怪我人が出るとピッチに行き、担架に乗せるシーンが映し出されます。もちろんそれが仕事なのですが、実は、あれ以外にもずっとチームに付き添い、食事やメンタルの管理も任されます。例えば、オリンピックでは40日間くらい、ずっとチームに同行しました。
とはいえ、なでしこに同行するときには毎晩、ミーティング後に、当時の佐々木則夫監督に呼ばれて、話相手をするのも僕の仕事みたいになっていました。「ちょっと聞いてよ……」といったサッカー以外の話にずっと耳を傾けているわけです。これも立派な監督のメンタルサポートと、のりさんには今でも言われていますよ(笑)。
【三宅】今でも、あの感動的ないくつものゴールが目に焼き付いていますが、なでしこジャパンは、2011年、ドイツで行われたFIFA女子ワールドカップで初優勝しました。とにかく、素晴らしい快挙で、東日本大震災で沈みがちだった日本人の多くに勇気を与えてくれました。試合や日常を間近でご覧になっていて、佐々木則夫前監督の采配の凄さや引退された澤穂希選手のリーダーシップについて印象に残っていることはありますか。
【山藤】代表監督は、普通、チームスタッフは自分で決めるものです。ところが、佐々木監督はコーチから監督になった際、空いたヘッドコーチだけ外から連れてきて、その人以外は前のチームのコーチ陣や選手をそのまま引き継いだのです。その当時、僕の目から見ても、決してチームがうまく機能しているとは思えなかったにもかかわらずです。
そこで僕は「のりさん、スタッフは一人も代えなくていいんですか」と正直に聞きました。すると、「あ、いいんだ。俺は一人ひとりに『俺が監督になるけど一緒にそのままやりたいか』と聞いたんだ。イエスと答えたやつは全部残した。そしたら全部残っちゃった(笑)。大丈夫、これで世界一を獲れるから」と言ったんです。
しかも、それまでの代表監督は戦略や作戦を自分がミーティングで話していましたが、のりさんは「じゃ、ゴールキーパー・コーチから守備の話があります」と個々のコーチに全て任せてしまう。そして「それでは最後に」とひと言だけ話すんです。僕はこれでは世界一なんて絶対になれないと心の底で思っていました(笑)。しかし、チームとしては、スタッフ個々の信頼関係も徐々に強くなっていきました。実に自然なんですよね。
■「みんなが苦しくなったときも私はずっと走り続ける」
【三宅】そういう姿勢というのは、コーチ陣だけでなくチーム全体に伝わっていくのでしょうね。
【山藤】はい、間違いないですね。澤選手がチームメイトに発した「苦しいときは、私の背中を見て」いう言葉が有名になりましたが、それも似ているかもしれません。ある国際試合のハーフタイムで僕の目の前で言ったのをよく覚えています。彼女は「私は最後まで全力でプレーする。言葉ではうまく伝えることができないんだけど、みんなが苦しくなったときも私はずっと走り続けるので、それを見て最後まで諦めずに全力でチームのためにプレーしてほしい」と、もう泣きながら語りかけていました。それはプレーする背中で語るという、もう素晴らしいリーダーシップです。
実は、澤選手は選手時代の身体能力だけでいうと、ほかの代表選手と比べて必ずしも高くはありませんでした。ダッシュのスピードも持久走もジャンプ力も筋力も全部平均値。彼女はいつも「すごくコンプレックスを感じる」と言っていたぐらいです。でも、試合中は、誰よりも走るし、当たりも強い。なにより、誰よりも負けず嫌いです。
【三宅】それはすごいですね。
【山藤】僕もずっと、あの強さは何かなと考えていたのですが、心身統一合氣道でいうところの「氣」が出ているということじゃないかと思います。
【三宅】私もいまの話を聞いていて、そう思いました。体力ではない。相手選手への当たりにしても、力対力でしたら、フィジカルの強い欧米選手に跳ね返されてしまいます。澤選手は、氣のエネルギーで相手に競り勝っていますよね。
【山藤】そういう視点で見ると、あのワールドカップでの澤選手のプレーもさることながら、チーム全体に「氣」がみなぎっていたと思います。1つひとつのプレーもそういう感じがしました。それはまた、のりさんの采配にも感じられたことです。
2016年の夏、のりさんと僕が毎年一緒に取り組んでいる小学生のサッカーキャンプに、なでしこジャパンでキャプテンを務めた宮間あや選手が手伝いに来てくれました。のりさんに頼まれて僕が司会で、3人で市民公開講座を開きました。
僕が壇上で、「あらためて今振り返ると、なぜ2011年のワールドカップは優勝できたと思いますか」と質問しました。そうしたら、2人が同時に「うーん、あれはやっぱり震災があった年だったから」と答えたんですよ。「日本中から目に見えないエネルギーと応援をいただいて、奇跡的な試合展開と奇跡的なゴールが生まれた。もちろん、作戦もフォーメーションも、いろんな要素があったけれども、実力的には日本チームが優勝できるレベルではなかったけれど、日本からのエネルギーは感じていた」と声を揃えて語っていました。
【三宅】やはり、目に見えないエネルギーはあるのですね。その時点ではわからなくても、振り返ると、それを感じるという。これもすごくいい話ですね。
【山藤】スポーツドクターの立場から言わせてもらうと、もちろん体力や筋力はアスリートには絶対に必要です。それを向上させるために、僕らプロフェッショナルもいるわけですし、実際にフィジカル面も強くなっているはずです。とはいえ、国際試合という極限状態にあっては、そうした合理を超えた無意識のうちに身体を動かし、ボールを蹴るということができるチームにこそ強さがあるのかもしれません。
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医療法人社団昭和育英会理事長・昭和医療技術専門学校学校長
1972年東京都生まれ。昭和大学医学部、同大学院医学研究科外科系整形外科学修了。医学博士。小学校から高校までは私立暁星学園サッカー部で活躍。現在は医療法人理事長として複数の医療機関を経営、また医療系専門学校の学校長として学生の育成にも関わる。なでしこジャパンのチームドクター(2008年 北京オリンピック等帯同)を務めるなど、スポーツドクターとしても活躍し、現在東京都サッカー協会医学委員長として2020年オリンピックパラリンピックにも備えている。著書に『社会人になるということ』がある。
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(イーオン代表取締役社長 三宅 義和 構成=岡村繁雄 撮影=澁谷高晴)
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