なぜ韓国の大統領は北朝鮮に"弱腰"なのか
プレジデントオンライン / 2018年1月16日 9時15分
■韓国政府と軍との30年にわたる確執
最近、韓国メディアが文在寅(ムン・ジェイン)大統領を批判しはじめました。大統領の対北朝鮮への外交姿勢はあまりに弱腰で、本当に危機に対応できるのかという懸念が国民の間で生じています。韓国の中央日報は社説で、「軍事オプションなしで、北朝鮮は対話に応じないだろう」との見解を表しています。
文在寅大統領は11月29日の北朝鮮のICBM(大陸間弾道ミサイル)発射後も、北朝鮮への人道支援を続ける意向で、国際世論の批判も浴びています。
文大統領は軍事オプションを否定しながらも、12月1日、金正恩を狙う「斬首部隊」である特殊任務旅団を結成させています。しかし、結成を公表すること自体、既にやる気がないのではないか、あるいは国内の批判派への懐柔策にすぎないのではないか、という声もあります。
韓国では、朴正熙、全斗煥、盧泰愚の三代にわたる軍人政権の後、文民政権は軍の勢力をどう抑えるかということを至上命令としてきました。北朝鮮との融和を目指す「太陽政策」を掲げ、「北の脅威」をかき消し、軍に出番を与えず、彼らをひたすら抑えたのです。
民政復帰後の韓国政治において、政権と軍との確執は常に少なからずあり、政府の外交姿勢に影響を及ぼしました。政権にとって、軍の存在は一種のトラウマのようなものです。
■軍内に秘密組織を作ってのし上がった全斗煥
そのトラウマの中でも、最も新しく、消すことのできない記憶が1979年の軍事クーデターから1980年の光州事件に至る出来事です。この一連の軍の暗躍と恐怖政治を主導した人物が全斗煥(チョン・ドゥファン)でした。
全斗煥は朴正熙の寵愛を受け、台頭した軍人です。1984年、戦後の韓国大統領として初めて日本を訪れました。全斗煥は陸軍士官学校での成績はあまり良くなく、実務にも疎く、頭の切れる人物ではありませんでしたが、朴への忠誠心だけは人一倍でした。
また、全斗煥はいわゆる「人たらし」型の性格の持ち主で、同僚や部下を大切にし、人心を掌握しました。陸軍士官学校の同期に盧泰愚(ノテウ 後の大統領)がいます。全斗煥は盧泰愚に対しても、一緒に手をつないで歩くというほどの親密ぶりでした。後に、光州事件の責任を問われ、裁判にかけられた時も、二人は手をつないで被告席に立っています。
若い頃からはげ上がり、中肉中背の平凡な容姿で地味でしたが、芯の強さが内面からにじみ出て、感情を表に出すことはなく、淡々としており、周囲から信頼されていました。
全斗煥は人を見る目があり、的確に人材を登用しました。全斗煥の周りに有能な人材が自然と集まるようになり、「ハナ会(ハナフェ・一心会)」と呼ばれる全斗煥の派閥の秘密組織が軍内部に形成されます。この「ハナ会」が中心となり、朴正熙暗殺後、「粛軍クーデター(12・12クーデター)」を起こします。
■民主化に理解を示した軍トップを拉致
1979年10月26日、朴正熙大統領が暗殺されると、民主化ムードが高まります。「ソウルの春」と呼ばれたこの時期、金泳三や金大中ら民主化勢力に注目が集まり、人々は新しい時代の到来を予感しました。崔圭夏(チェ・ギュハ)国務総理が大統領職を引き継ぎ、民主化の動きを歓迎し、後押しします。
ところが、こうした動きに危機を感じていた勢力がありました。朴正熙に近かった全斗煥ら軍人たちです。民主化勢力が政権を握るようなことになれば、旧朴派の軍人は暴政の責任を問われ、訴追される可能性が大いにありました。旧朴派にとっては生きるか死ぬかの瀬戸際だったのです。
全斗煥は当時、陸軍少将で、保安司令官を務めていました。保安司令部は軍の秘密警察と諜報機関の役割を担っていました。朴正熙暗殺後、公安関連の権限は保安司令部に集中し、全斗煥は巨大な権限を手中にしました。
しかし、軍内部には旧朴派とは異なる勢力もあり、全斗煥らと対立していました。その勢力とは、軍官僚エリートたちです。「清流派」と呼ばれる彼らは士官学校を優秀な成績で卒業し、軍の実務を取り仕切っており、朴正熙大統領とも距離を置いていました。この軍官僚エリートの首領が、参謀総長(制服組トップ)の鄭昇和(チョン・スンファ)大将でした。
全斗煥派(ハナ会)と鄭昇和派の二つの派閥は、激しく対立していました。鄭昇和は穏健な人物で、民主化に理解を示し、新大統領の崔圭夏とも協調していました。一方で、全斗煥のことは危険視し、彼を排除しようと考えていました。
ハナ会を中心とする軍人らはもはや一刻の猶予もないと考え、1979年12月12日、全斗煥を先頭にクーデターを決行します。この日の夕方、全斗煥の一派は鄭昇和のいる参謀総長公邸を襲撃し、鄭を捕らえます。その際、衛兵と激しい銃撃戦となり、首都警備兵や特殊部隊が現場に急行、大騒動となります。
一方、全斗煥本人はハナ会の幹部とともに大統領官邸に乗り込み、崔圭夏新大統領に鄭昇和の逮捕を容認するよう迫りました。崔大統領は拒みましたが、全斗煥らは大声を出し、大統領を恫喝します。
この間、鄭昇和の拉致を知った鄭派の軍人らは、全斗煥がクーデターを起こしたものと見なし、部隊を動員します。同じ韓国軍の部隊同士が、首都であわや激突という危機でした。全斗煥側は鄭派の部隊の動きを封じるため、偽情報を流して部隊を撹乱することに成功します。最終的に、この闘争を制したのは全斗煥でした。
■軍への不信が生む北朝鮮融和策
当時、軍人の多くは民主化に同調していましたが、クーデターが全斗煥ら「ハナ会」に有利に進むのを見て、手のひらを返して「ハナ会」に味方しはじめました。軍人たちはホンネでは、朴正熙時代から続く「軍人天下」を失いたくないと考えていたのです。これら軍人たちの手のひら返しも、「粛軍クーデター」が成功した大きな要因でした。
1979年の「粛軍クーデター」は、1961年の朴正熙らの起こした「5・16クーデター」に次ぐ二度目の軍事クーデターでした。民主化勢力にとって、この二度の軍事クーデターから導き出された教訓は「軍人に力を与えれば何をするかわからない」ということです。一部の軍人だけでなく大半の軍人が、自らの地位を守るためなら法や国のシステムを平気で踏みにじるような潜在的体質を持っていることを、骨身にしみて痛感したのです。
1987年の民政移行まで、韓国では法というものが軍に対して全く通用しない時代が長く続いてきました。その後の文民出身の大統領は、軍を去勢する方策を常に考える必要に迫られています。いかに法を振りかざそうとも軍は統轄できないという懸念を、常に抱えざるをえないからです。
現在のように「北朝鮮の脅威」が強まれば強まるほど軍の存在感は増し、かつての「軍暗躍の悪夢」が復活する可能性は高まります。それを封じ込めるためにも、韓国政府は北朝鮮との融和を必要以上に演出しなければならないのです。
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著作家。1975年、大阪生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。おもな著書に、『世界一おもしろい世界史の授業』(KADOKAWA)、『経済を読み解くための宗教史』(KADOKAWA)、『世界史は99%、経済でつくられる』(育鵬社)、『“しくじり”から学ぶ世界史』(三笠書房)などがある。
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(著作家 宇山 卓栄 写真=YONHAP NEWS/アフロ)
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