1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 経済
  4. ビジネス

なぜこの国には「定年」があるんだろうか

プレジデントオンライン / 2018年4月26日 9時15分

『定年入門』(髙橋秀実著・ポプラ社刊)

勤め人には必ず訪れる「定年」。『定年入門』(ポプラ社)で定年制度や定年を迎える人々を取材したノンフィクション作家の髙橋秀実氏は、「定年は明らかな年齢差別で、欧米ではありえない日本独自の慣習だ」と指摘する。そもそも定年とはなんなのか。生の声から分かった、私たちが受け入れている「現実」とは――。

※本稿は、髙橋秀実『定年入門』(ポプラ社)の一部を再編集したものです。

■なぜ年齢を理由に辞めなければいけないのか?

会社員でも公務員でもない私には「定年」がない。ビジネス書にはよく「人生に定年はない」などと書かれているが、言われるまでもなく「定年」はない。ないのだから、迎えることも備えることもないのである。

ずっとそう思ってきたのだが、このところ、共に仕事をしてきた人々が次々と定年退職をしていく。ついさっきまで熱心に仕事に取り組んでいたのに、ある日突然、「実は定年なんです」「定年なもんで」などと言い残し、私の前から消えていく。一緒に本をつくってきた担当者からも「これからは好きな本だけ読んでいきたい」などと晴れやかに宣言され、私は何やら取り残されていくような寂しさに襲われるのだ。

「定年」って何?

私は考えさせられた。彼らを連れ去る「定年」とは一体、何なのだろうか。

端的にいえば、定められた年齢に達すると退職するという制度なのだが、あらためて調べてみるとそのような制度を一般的に義務づけた法律などない。むしろ能力や経験にかかわらず年齢を理由にクビにするのは、明らかな「年齢差別」。法の下の平等や勤労の権利をうたった日本国憲法や労働基準法の趣旨にも違反するのではないだろうか。

実際、アメリカやイギリス、カナダ、オーストラリアなどではパイロットなど一部の職種を除いて「定年制」は禁止されている。フランスでも年金満額受給年齢のみに容認されている。ところが、日本の場合は年金を満額受給できない60歳で早くも「定年」。禁止どころか99.7%の企業(企業規模1000人以上/『平成27年就労条件総合調査』厚生労働省)で公然と行なわれており、世界的にも珍しい事例なのである。

■「定年」は最高裁で認められていた

ちなみに「定年制」は最高裁の判例でも認められていた。ある事件の判決の中で次のように認定している。

およそ停(定)年制は、一般に、老年労働者にあつては当該業種又は職種に要求される労働の適格性が逓減するにかかわらず、給与が却つて逓増するところから、人事の刷新・経営の改善等、企業の組織および運営の適正化のために行なわれるものであつて、一般的にいつて、不合理な制度ということはできず、……。
(「就業規則の改正無効確認請求」最高裁判所大法廷 昭和43年12月25日)

短い文章の中に2回も「一般」が出てくる。「一般に」歳をとると、給与ばかりが上がり、その割に「適格性」が減るので、「一般的に」不合理な制度とはいえない、と。

個々の能力を無視し、年齢という一般的基準で裁いているわけで、最高裁自体が年齢差別を推奨しているのである。

■養老律令の時代からあった

ところで、定年制はいつ頃からあるのだろうか。

歴史を遡ると、養老律令(757年)にこんな記述がある。

凡そ官人年七十以上にして、致仕聴す。
(『日本思想大系3 律令』岩波書店 1976年)

「致仕」とは辞職のこと。当時は70歳で辞職したということなのだが、あくまで「聴(ゆる)す」。辞職は任意で、クビになったわけではない。クビという観点からすると、定年は江戸時代の大奥で始まったらしいのである。

江戸風俗研究家の三田村鳶魚によると、大奥には「おしとね御斷り」という制度があった。30歳になると出産が難しくなるので、殿様の相手を辞退する。「若しそれをしなければ、表好であるとか、好女であるとかいふことで惡く云はれる。お妾にしたところが、その停年期に逹して猶勤續してゐることは、仲間内がなかなか面倒」(三田村玄龍著『江戸の女』早稻田大學出版部 昭和9年)になるから。つまり年齢差別は女性差別から始まっているのだ。

おかしいではないか。

私などはそう訴えたくなるのだが、それよりおかしいのは、「おかしい」と感じている人があまりいないことである。労働組合などが反対してもよさそうだが、歴史を遡ると組合側が「雇用保障」のために定年制を要求していたりする。世間でも定年制自体は議論になっていないし、誰に話しても「しょうがないんじゃないの」「そういうものなんだから」「だって定年なんだから」という答えが返ってくる。「定年」だから定年、というわけで、どうやら「定年」は公的な制度というより日本に根づいた慣習、いや超法規的な風習に思えてくるのである。

■定年は「学校と同じ」なのか

「学校と同じですよ」

さらりと解説してくれたのは斉藤和夫さん(55歳)だった。彼は都内のホテルに勤務する会社員。5年後、正確にいえば5年後の誕生日の月末に定年退職することになっている。

――学校なんですか?

私が訊き返すと、彼はすらすらと語った。

「小学校は6年、中学・高校はそれぞれ3年で、大学は4年。それで会社は60歳まで。『なんで小学校は6年なんだ?』と思う人はいないでしょ。それと同じで会社も60までなんです。そういうふうに体に染みついているんですよ」

小学校からすでに始まっている「定年」。会社を3年で辞めてしまった私などはさしずめ中退者ということなのだろうか。

「それに『定年』を意識するのは子供ができた時です。その子が大学を卒業する時に自分は何歳なのか、とね。ウチの場合は30歳の時に生まれたので、その子が順調に大学を卒業する時に私は52歳。『定年』まであと8年ある、という計算になるわけです。40歳の時に子供ができたりすると、大学卒業前に『定年』になっちゃうんで、これはヤバい。いずれにしても『定年』は子供の学校と連動して考えるんで、やっぱり学校なんですよ」

常に学校がベースになっており、年齢も「学年」のようなのである。

■昔は「停年」だった

実は昭和30年代まで「定年」は「停年」と表記されていた。勤務を停止する年齢ということでこちらのほうがわかりやすい。なぜ「定年」に変えられたのかと調べてみると、「停年」と呼ばれていた時代にも、それとは別に「定年」があったのである。

その意味は「昇給昇格の最低標準年限」(『ダイヤモンド實務知識』ダイヤモンド社 昭和22年)のこと。同書に掲載されている某会社の「定年表」によると、例えば「主事」や「技師長」は定年が「2年」で昇給額は「30圓以上」。その年限内に必ず昇給・昇格させるという制度で、やはり学校の進級に似ている。

いつの間にか「停年」はこの「定年」にすり替えられたのである。なぜなのだろうか。もしかすると「定年」とは「定められた年」。「定め」というくらいでどこか宿命のようなニュアンスが込められており、だから受け入れるしかないのかもしれない。

――出世とかは、どうなんでしょうか?

不躾ながら私はたずねた。学年で上がっていくなら、役職についてはどう考えるのだろうか。

「自分より下の者が上の役職に就いた時点で終わり。このレベルで自分は終わるんだ、と思うわけですよ」

――悔しい、とか思わないんですか?

「悔しいっていえば、悔しいですけどね。肩書も息子の結婚式の時に立派なほうがいいとは思いますけどね。でも、どうなんでしょうか。個人の能力なんてそんなに変わらないと思うんですよ」

彼はしみじみとそう語った。能力より学年ということか。

「だって、ひとりで仕事しているんじゃないですから」

――そうですね。

「チームでやっているわけで、誰かが抜ければ誰かが必ず穴埋めをする。この人がいないと会社が回っていかないと思っても、現実にはそんなことありません。いなくなっても回っていくんですよ。よく『伝説のバーテンダー』とかいうじゃないですか。お客さんたちはそのバーテンダーに会うために店に通っているとか。実際にそうなのかもしれませんが、そのバーテンダーが辞めてもお客さんは来るんです。お客さんは結局、人ではなく場所で来ているんですから」

■「自分がいなくても会社は困らない」と自覚すること

会社は組織。会社員は汎用性だと彼は力説した。「自分でないとできない」などと勘違いしてはいけない、と。定年の心得も「自分がいなくても会社は困らない」と自覚することだという。それを40年近くかけて学ぶのが会社らしい。

――でも、定年後も働きたいとは思わないんですか?

私がたずねると、彼は首を振った。

「会社勤めはもういいんじゃないですか」

――もういい?

「60になったら早く辞めたいです」

――辞めてどうされるんですか?

「定年になったらこれをやろう、っていうのは別にないですね。それがあったらあったで面白いのかもしれませんがね」

――これまでのキャリアを生かしたようなことをするとか。

「いやあ、自分はホテルに向いてないんじゃないかと思うんですよ」

――向いていない?

今更、何を言っているのか、と私は呆れた。

「『お客様の笑顔を見るのが好き』『ありがとうが何よりのよろこびです』とか、自分も広報的にはそんなことを言っていますが、私、やっぱり『自分がよければそれでいい』っていう人間なんです。これって、向いてない、ってことですよね」

訊かれても困るのだが、察するに、これが彼にとっての「定年」の準備なのだろう。向いていないから自らを過信することもなく勤続でき、自然に去れる。明治の頃、学校教育が「凡人」を育成する「凡人教育」とされていたように、会社もまた「凡人」であることを体得する期間なのかもしれない。

人口統計(『平成28年版高齢社会白書』内閣府)によると、すでに日本の人口の26.7%が65歳以上である。高齢化はますます進行し、2060年には2.5人に1人が65歳以上になるという。「私には定年がない」といっても、いずれまわりは定年後の人たちばかりになるわけで、遅まきながら私も準備することにしよう。

----------

髙橋秀実(たかはし・ひでみね)
ノンフィクション作家
1961年横浜市生まれ。東京外国語大学モンゴル語学科卒業。テレビ番組制作会社を経て、ノンフィクション作家に。『ご先祖様はどちら様』で第10回小林秀雄賞、『「弱くても勝てます」開成高校野球部のセオリー』で第23回ミズノ スポーツライター賞優秀賞を受賞。その他の著書に『TOKYO外国人裁判』『ゴングまであと30秒』『にせニッポン人探訪記』『素晴らしきラジオ体操』『からくり民主主義』『トラウマの国 ニッポン』『はい、泳げません』『趣味は何ですか?』『おすもうさん』『結論はまた来週』『男は邪魔! 「性差」をめぐる探究』『損したくないニッポン人』『不明解日本語辞典』『やせれば美人』『人生はマナーでできている』『日本男子♂余れるところ』など。

----------

(ノンフィクション作家 髙橋 秀実)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください