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サッカー日本代表に"部活出身"が多いワケ

プレジデントオンライン / 2018年5月30日 9時15分

本田圭佑は星稜高校サッカー部出身(写真=時事通信フォト)

サッカー選手がよく育つのは、学校の部活か、クラブチームの下部組織(ユース)か。練習環境はユースのほうが恵まれている。海外の一流選手はほとんどがユース出身だ。ところが日本代表最新メンバー27人のうち、ユース出身は13人で、残り14人は部活出身。日本ではいまだに部活出身が強いのはなぜか。スポーツライターの小宮良之氏は、「理不尽さ」を理由に挙げる――。

■世界ではクラブチームが育てるのが当たり前

「サッカー少年を育てる」

日本における、その育成環境は特殊だと言えよう。

欧州・南米で、サッカー選手はほとんど例外なくクラブチームの下部組織で育っている。リオネル・メッシも、クリスティアーノ・ロナウドも、下部組織からトップチームへの階段を上っていった。シャビ・アロンソのように、育成目的だけで存在するクラブ(アンティグオコ。スペイン・バスクのチームで、育成した選手を売ることで経営している)で育てられることもあるが、その場合も教えを受けるのはあくまでクラブチームだ。

一方、日本の主流は学校の部活動である。

Jリーグ創設以来、クラブチームはハード面で恵まれ、指導者もプロ契約をしている。環境は部活チーム以上に充実しており、必然的に地域の1、2番手の選手がクラブチームを選ぶ。にもかかわらず、いまだに有力選手が多く出るのは部活からだ。ロシアワールドカップの有力メンバー、長谷部誠、本田圭佑、長友佑都、岡崎慎司、大迫勇也、乾貴士、昌子源、大島僚太、川島永嗣、直前の招集から漏れたが、代表の常連だった森重真人、昨年のJリーグ得点王の小林悠、MVPの中村憲剛は、いずれも部活チーム出身だ。

なぜ、日本では部活チームから好選手が生まれるのか?

■「部活でメンタルは強くなった」

その昔、部活チームの練習は合理性を欠いていた。

多くの指導者は理不尽な鬼だった。その機嫌次第で、選手はグラウンドを何周も走らされることもあったという。もしチームが恥ずかしい負け方をしようものなら、タッチラインに選手を並べて片っ端からビンタを食らわせることもあった。

そして先輩の後輩に対するシゴキは、単なるストレスのはけ口になっていた。後輩は不条理なしごきに耐えることが、その競技を続ける条件だった。夜中、虫の居所が悪い先輩に板の間に正座をさせられ、膝の上に雑誌を積み上げられるような経験のあるサッカー部員も少なくないだろう。

信じられないことだが、90年代前半まではそんな関係がまかり通っていた。

そして当時の経験を笑い話にし、楽しそうに語る人がいる。実際、その状況から多くの優れたアスリートも出た。

「メンタルは強くなった」

そう漏らす選手も、実は多いのだ。

では、鬼監督や先輩のシゴキは、精神を強化したのだろうか?

■心を鍛えることは、考える力を手に入れること

人によっては、痛めつけられることでめげない心が鍛えられることはあり得る。例えば肉体を鍛えるときは、筋肉の質量を上げていくわけだが、心を鍛えるのも同じ作業。シゴかれることで鍛えられる、というのは事実なのだろう。

「あんなひどいシゴキを受けてもやってきた俺たちが、ここで負けるはずはない」

そう確信し、心を奮い立たせる。惰性で練習をしてきただけの選手たちと対戦したとき、力の差を見せつけられることもあるだろう。

ただし断言するが、それは歪(いびつ)な鍛え方である。

不必要な負荷がかけられている状態で、“質のいい心の筋肉”にはなっていない。“やらされている”という感覚では、肝心なとき、肉体は思うように動かなくなってしまう。心もまったく同じだ。

心を鍛えることは、考える力を手に入れることとほぼ同義なのである。

■日本と欧州「分かったか?」に対する返事の違い

「自分で考える」

そうすることで、自分に足りないものに向き合い、同時に心も鍛えられる。強い敵と対戦するたび、足りないものを考える。もっと言えば、勝つために逆算して練習に励むようになるのだ。

イビチャ・オシム監督が提唱したことで、「考えるサッカー」が一大ブームになった。それは、まさに理想的な状態だろう。ヨーロッパの選手たちは、子どもの頃からそういう習慣が身についている。

しかし、考える、ということについて、欧州と日本で捉え方はいささか異なる。

例えば、スペインでは指導者がレクチャーで子どもたちに「分かったか?」と聞くと、「分からない。どういうこと?」という質問タイムになる。自分たちが論理的に納得するまで、問いかけをやめない。しつこいほどで、隣で聞いているこちらがうんざりするほどだ。しかし、議論を活発にすることによって、本当に理解した子どもたちは、いざ実践してみると、意をくんだ動きができる。

一方、日本では子どもたちに説明をした後に、指導者が「分かったか?」と水を向けると、十中八九、「はい」という答えが返ってくる。ほとんど手間がかからない。しかし、実践すると動きはばらばら。まったく意図が通じていなかったことが分かる。そこから十分に説明をすることになる。彼らの「はい」は単なる返事であって、「理解した」というわけではない。

誤解を恐れずに言えば、日本人には「自ら考える」という習慣が身についていない部分がある。著しく従順なのだ。欧州や南米の指導者は、日本人について「指示に従いすぎる」という矛盾した感想を漏らすことがある。

■挫折を味わった人間の強さ

なにも、日本人が思考力に劣る、というわけではない。むしろ理解力は高いだろう。

しかしながら、集団の中で個人が突出するような存在が、まだ認められない社会である。出る杭(くい)は打たれる。まさにそういう文化がある。早い話、独自のアイデアを考え出すというのは、度胸がいる。日本代表の中心として活躍している本田などはまさにそのタイプだが、彼は子どもの頃から「変人扱い」をされてきた。

そこでひとつの仮説として、日本人は打たれることで初めて強くなる、と考えられないだろうか。言うまでもないが、それは指導者のシゴキでも、先輩の後輩いじめでもない。挫折を糧にする、ということだ。

刮目(かつもく)すべきは、日本代表で活躍するような選手の多くが、挫折から再起している点だろう。本田はガンバ大阪のジュニアユース出身(中学生まで)だが、ユースに昇格すらできていない。そのときの屈辱が、彼を強くした。長友、岡崎、小林悠、中村憲剛、大島もユース年代は全国的に無名に近い。長谷部もエリートのように扱われるが、ワールドユース(現在のU-20W杯)では年下選手にポジション争いで敗れ、メンバー外だった。

そういう選手の多くが、いずれも部活チームで育っている。これは見逃せない事実だろう。

■自分自身を見つめ直せるかどうか

現在、サッカー選手の育成はクラブユースが主流になっている。自由な雰囲気で、個人が尊重される。栄養面まで行き届いており、ライセンスを持った指導者がいて、施設面も充実。当然だが、昔ながらのシゴキなど無縁で、あらゆるトレーニングがロジカルに行われている。

ところが、結果が出ているとは言いがたい。

部活チームを超えられないのだ。

部活チームは今の時代、あからさまなシゴキは全面的に禁じられている。しかし、そこはかとない不条理を与える感覚は残っているだろう。例えば、水を飲ませない、はなくても、負けた罰でグラウンド10周、という慣例はなくなっていない。

これは必ずしも効果的トレーニングとはいえない。少なくとも必然性はないものだ。

しかし厳しい勝負の世界では、時に不条理が迫る。説明が付かない。そういう事態に対し、柔軟に応じられるか。結局のところ、そこが勝敗を分けるのだ。

部活チームでは、施設面も足りないことが多いだけに、強くなるには全員が自発的に考えることになる。また、クラブチームから落ちた選手は見返すため、自分に向き合わざるをえない。なにが足りないのか、どうすれば上達できるのか。そのために、血眼になって日々を生きる。部活チーム出身者がタフな理由だ。

理不尽さ。

それは日本サッカー育成のキーワードかもしれない。

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小宮良之(こみや・よしゆき)
スポーツライター。1972年、横浜生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。著書に『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)、『エル・クラシコ』(河出書房)、『おれは最後に笑う』『ラ・リーガ劇場』(東邦出版)などがある。近著は小学校のサッカーチームを題材にした小説『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)。

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(スポーツライター 小宮 良之 写真=時事通信フォト)

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