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老いた父と未婚の娘は、どう折り合えるか

プレジデントオンライン / 2018年6月5日 9時15分

聞き手の矢部万紀子さん(左)とジェーン・スーさん(右)(撮影=プレジデントオンライン編集部)

自称「未婚のプロ」。東京都文京区生まれの45歳。ジェーン・スーさんは、いま最も勢いのあるラジオパーソナリティだ。2011年に初めてラジオで話して以来、どんどんファンが増え、2年前からTBSラジオで自身の名前を冠した番組を月曜日から金曜日まで毎日放送している。そんな彼女が「父と娘」をテーマにしたエッセイ集を出した。個性の強い老父と独女は、過去とどうやって折り合いをつけていったのか――。(第1回、全3回)/聞き手・構成=矢部万紀子

■私は母の「母」以外の横顔を知らなかった

――最新刊『生きるとか死ぬとか父親とか』は、2016年の元旦、スーさんとお父様の墓参りのシーンから始まります。お墓に入っているのは18年前に64歳で亡くなったお母様。本を書き始めた当時、お父様は77歳、スーさんは42歳。赤いブルゾンが似合い、今も女性に人気のお父様は、幅広くビジネスを展開し、株で損をして「スッカラカンになった」そうですね。波乱万丈なお父様のことを書こうと思ったのは、どうしてですか。

昔から、父の小さなエピソードを話すといろんな人が面白がってくれました。そういう「面白コンテンツ」だという自覚はありました。ですが実際に書こうと思ったのは、この人のことを何も知らないまま終わってしまうのはちょっと切ないと思ったからです。

母が亡くなり、父も年をとりました。私は母の「母」以外の横顔を知らないことを悔いていて、父では、そういう後悔をしたくないと思ったのです。

ただ普通に話を聞いても、お互い喧嘩になったりして長続きしないだろうなと思ったので、連載という形を取り、記録していくことにしました。実際に話を聞き始めてみると、一番近い肉親のはずなんですけど、こんなに知らない人だったのかという発見がありましたね。戦争の話も初めてきちんと聞きましたし、仕事の心がけ方などを聞いて、私の仕事の仕方も知らないうちにこの人に影響されてるんだなと思いました。

■基本的にセンチメンタルな感じがあまり得意ではない

――「ほんの十年前まで、父は全盛期の石原慎太郎とナベツネを足して二で割らないような男だった」と表現されています。可愛い暴君ぶりが明るく綴られる一方で、「この男にひどく傷つけられたこともあったではないか。もう忘れたのか」といった厳しい表現も折に触れ出てきます。緩急織り交ぜた筆致は、意識したのでしょうか?

特に作戦があったわけではないですね。基本的にセンチメンタルな感じがあまり得意ではないというか、それよりも人生って、笑えないことほどおかしいじゃないですか。

父の疎開先、沼津での空襲の話が象徴的ですよね。小学校1年で終戦を迎えた父は、私が「終戦」と言うと「敗戦」と訂正します。家だけでなく、庭に植えていた茄子までも焼けた、でもその茄子を家族で食べたと父は空襲の翌日のことを笑って語り、聞きながら私も笑いました。現実にはとても笑える話ではないですが、笑えるのは、生命力だと思うんです。我が家の力だと思いますね。父はいまだに焼き茄子、大好きですしね。

■父ではなく「うんと年の離れたお兄さん」

――空襲の夜、家族で逃げる途中でリヤカーに乗せたおばあさんを松林に置き去りにする話には驚きました。掛けていた白い布が敵機から見えて危ないと言う人がいたのですね。

その話も、ケラケラ笑いながらしてましたね。でもぽろっと、「ああいう非常時にはガタイが良くて声の大きい奴が主導権を握るから気をつけろ」とか、「みんな一方向に逃げていたけど、そっちの方向が正しいかどうかは誰もわからないんだ」なんて言うんですよ。現代にも通じる言葉ですし、覚えておこうと思いました。そういう言葉をたまにくれる人なんです。

ジェーン・スー『生きるとか死ぬとか父親とか』(新潮社)

同時に私の中で父に関して、触れられたら非常に痛いというか生々しいところもあって、それが時々厳しい感じの文となって顔を出す、そんな感じだと思います。

――「我が家にはお父さんは居ないの。うんと年の離れたお兄さんと、あなたと、お母さんの三人家族よ」という生前のお母様の言葉があります。真面目半分、ふざけ半分で言っていた、と書かれていますが、この辺りも生々しい部分でしょうか?

物理的に父親は存在するのですが、威厳ある父親的な存在については、子供の頃からずっーと不在感を持っていました。父は「年の離れた稼ぎ手のお兄さん」って言われるのが一番しっくりくるぐらいのポップさでしたね。

「家族とは没交渉で蚊帳の外のお父さん」とは全く違うんです。コミュニケーションは取ってました。でも「父の役割」と世の中で設定されているものがある中で、それも時代によって変わるでしょうが、あの頃の父は「ちゃんと稼いでお金を入れる」ということ以外、あまり役割を果たしていなかったと思うんです。それはあくまで私の記憶してる限りですが、母から聞いたエピソードを思い出しても、真剣に父親、家族をやってはいなかったと思うんですよね。

それでも父は、母に対して「お父さんは、お母さんが大好きだ」みたいなことをよく言っていました。今回、父の話を聞きながら、2人の間に愛情があったとして、それはどんな愛情だったのだろうか。そんなことも考えましたね。

■父親の不貞行為を書いた「怪文書」

――お父様の不貞行為を書いた「怪文書」が取引先に送られた話が出てくる章が印象的です。スーさんは「誇張はあるが、事実」と明るく認めますが、同じ章で「我が家のどん底」というものに触れながら、「いつか書かなければならないが、いまは気力が足りない」とだけ書いています。

実家を撤収した2008年の夏のことです。思い出すと砂を噛むようなって言うんでしょうか、苦虫を噛み潰したって言うんでしょうか、とにかく非常に苦しい気持ちになるので、えいやと取り掛かるまでに時間と覚悟が必要だったんです。連載時にはそこまでの気力がわかず、あの章でああいうふうに触れるのが精一杯でした。

だいぶ原稿が揃ってしまい、本にまとめるには書くしかないというところまで来て、やっと書きました。

母の死後、私も会社を辞めて父のビジネスを手伝いましたが、どうにもならず、小石川にあった自宅兼会社を手離すことにしました。その時のことです。30代後半の父が建てた4階建てレンガ作りのビルでした。私が幼稚園の年長から住んでいた家を撤収するために膨大な荷物を片付けた日々は、魂が吸い取られるようでした。

ジェーン・スーさん(撮影=プレジデントオンライン編集部)

■100万円を超すミンクのコートまであった

――「小石川の家」とタイトルがついた章に、その夏のことが書かれています。スーさんとお父様、亡きお母様の人生が交錯し圧巻でした。お母様の衣装ケースから正札のついたままの大量の洋服が出てき、100万円を超すミンクのコートまであったという描写には息をのみました。

なんやかんや言って我が家はうまくいってると思いたかったのですが、やっぱり正札がついたまんまの洋服がいっぱい出でくると、さすがにそうは問屋が卸さなかったというか、ハッハッハという感じではありますね。母が気を紛らわせなければやっていられないほどの寂しさを感じた時もあったというのは、私自身認めたくなかったことではあります。

それについて書いたこと、母に申し訳なかったという気持ちも多少あります。知られたくなかっただろうし、亭主が外で何をやってようが、大きく構えた人と思われたいというプライドもあったと思いますから。

母はおしゃれが大好きなひとでした。服はたくさん持ってたんですよ。だけど、押し入れから出てきた服はすべて、正札が付いたままでした。必要な服ではなかったんだと思います。浪費を好む人ではなかったので、ショックでした。レベルは全然違いますけど、仕事の後にすごく疲れて駅について、コンビニでいつもは絶対買わないプリンを2個買った、そういうのの大きな金額バージョンだと思います、あれは。「買う」ことで紛らわせたというか。

■テーマは「過去との折り合いのつけ方」

――ご友人と一緒に片付けていたスーさんは、それを見て「ああうちお金あったんだね」と反応します。「おばちゃん、寂しかったんだね」というスーさんの友人の言葉に胸を突かれました。

服が出てきた瞬間、私は事態がうまく咀嚼ができませんでした。あまりよろしくないぞというニュアンスを自分の中で持ったところで思考停止してしまって。お母さんは寂しかったんだとは、すぐには理解したくなかったんでしょうね。

友からの言葉は後日のことです。薄々そう感じていたけれど、気づかないようにしていたのだと思います。

――「過去との折り合いのつけ方」がテーマの本だと思いました。誰にもある過去と、どう折り合いをつけていくか。それを考えさせられました。

40代半ばぐらいになると、家族のことでも自分自身の人生のことでも、ひずみとか経年劣化とかが出てくると思うんですよね。それまで我慢していたものが、その年になって噴出するというようなことは、誰にでもあると思うんです。

私の場合、それを自分の中にためておいたら、内側から錆びてしまったと思うんですが、幸い書くことで外に出せました。だいぶ「お焚き上げ」はできたかなという感じはします。

ただ過去のことではあっても、その延長線上に現在があり、未来がある。そういう過去ではあるので、現在ここでうまくお焚き上がったとしても、私と父親がこれから骨肉の争いをする可能性はゼロとは言えませんし、現実はもろいとも思っています。

――書いたことで、一件落着になってないと?

そうですね。とりあえず中間報告、中間決算ですね。人生の「3末」(サンマツ、3月末の決算最終日の意)がいつなのか全然わからないですね。

父が亡くなっても、それが3末になるかどうかわかりません。どこかから、きょうだいが現れたりしないかなんて思ってます。特に分けるものもないので、どっちでもいいんですけどね。亡くなった後がまた面白いだろうなと思ってます。(続く)

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ジェーン・スー
作詞家、コラムニスト、ラジオパーソナリティ
1973年、東京生まれの日本人。現在、TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」のMCを務める。『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』(幻冬舎文庫)で第31回講談社エッセイ賞を受賞。著書に『私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな』(ポプラ文庫)、『女の甲冑、着たり脱いだり毎日が戦なり。』(文藝春秋)、『今夜もカネで解決だ』(朝日新聞出版)などがある。

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(作詞家、コラムニスト、ラジオパーソナリティ ジェーン・スー 聞き手・構成=矢部万紀子 撮影=プレジデントオンライン編集部)

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