51年目の「ドライブイン」閉店する理由
プレジデントオンライン / 2018年6月15日 9時15分
■国道2号線が舗装されていなかった頃
そのお店は名前通りの場所に立っていた。錦帯橋で有名な山口県岩国市を出て西に走ってゆくと、次第に建物が消え、山へと続く上り坂になる。廿木峠にさしかかったところで、突如として一軒の建物が姿をあらわす。「ドライブイン峠」だ。最寄り駅からだと山道を30分歩かなければならず、クルマで移動しなければお店の存在に気づくこともなかったかもしれない。
ドライブインというのは、ドライバーが立ち寄って休憩するためのレストランや土産物店のこと。サービスエリアや道の駅も同じ役割を担っているが、サービスエリアは高速道路にあり、道の駅は自治体が運営に携わり国土交通省が認定したものをさす。それに対して、ドライブインは一般道路沿いにあり、多くの場合ご家族が経営されている。「どうしてこんなところに?」という立地であることも多いが、その成り立ちを振り返ってみると、そこには必然性がある。
こんな山の中に「ドライブイン峠」が創業されたのは、国道2号線が走っているからだ。国道2号線というのは日本の大動脈であるのだが、実際に走ってみると片側一車線の区間も多く、どこか頼りない感じがする。歴史を振り返ってみても、山陽地方には穏やかな瀬戸内海が広がっており、長距離の移動には陸路よりも海路が重宝されてきた。そのため山陽路は険しく、その状況は明治維新を迎えても改善されていなかった。
現在の国道2号線は大正8年に制定された道路法によって路線が定められたが、自動車がスムーズに通行できるような道路ではなかった。1947年に刊行された「道路」(公益社団法人日本道路協会)という雑誌の中で、鳥取県土木課長(当時)の早田英夫は「山陽道は改修遅々として実に寒心に堪えない状況にある」と論じている。その中でも特に改良が必要とされ、「路幅狭隘、屈曲鋭光にして到底近代的交通に適応し得ない」と酷評されているのが「ドライブイン峠」が建つ一帯である。
ロードサイドを走ると、廃墟になってしまった店を含めて、数多くのドライブインが存在する。これほど多くのお店が「ドライブイン」という看板を掲げて商売を始めた時代があったのかと驚かされるが、一軒、また一軒と閉店しつつある。「ドライブイン峠」もその一つだ。
「私が小学生の頃はね、このあたりの道路はまだアスファルトで舗装されてなかったですよ」。そう語るのは、「ドライブイン峠」の2代目店主・西村泰和さんだ。泰和さんが生まれた1949年の段階では、山口県を走る国道2号線の舗装率はまだ2割にも満たなかった。
「車が通るとほこりが舞い上がるんで、少しでもほこりがたたんように、朝夕には水撒きするのが仕事みたいな感じでしたね。あの頃はまだそんなに車が通ってなかったですけど、近所の人が皆水を撒きよったのをおぼえてます」
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1982年生まれの私にとって、泰和さんは親と同じ世代。親世代がこどもだった頃にはまだ今のような道路網が存在せず、自家用車もほとんど普及していなかったのだと思うと不思議な感じがする。
国道2号線は日本の道路の舗装が進められるのは昭和30年代に入ってからのこと。改良が進むにつれて交通量は飛躍的に伸び、物流をトラックが担うようになる。そうした時代の潮流の中で、1967年、「ドライブイン峠」が創業する。お店を始めたのは泰和さんの父・茂生さんと母・ヤヤ子さんだ。
「ドライブインを始める前から、母は岩国の街場のほうで料理屋をやりよったんです。料理屋といってもうどん屋のような大衆食堂で、知り合いとふたりで店をやってましたね。父は働きに出てたんですけど、仕事を辞めることになって、今度は夫婦で店をやってみようかという話になった。その時期というのはちょうど国道2号線の交通量が増え出した時期だったんで、『今度は街場じゃなくて、ちょっと離れたあたりでドライブインをやってみようか』ということで創業したみたいです」
■夫婦で引き継ぐドライブイン
廿木峠でドライブインを始める――その噂を聞きつけた地元の人たちの中には「こんな田舎で店を始めて流行るのか」といぶかしがる人もいた。だが、「ドライブイン峠」は創業当時から大盛況だった。
「当時は国道2号線しか道路がなかったですから、ものすごく賑わいました。特にお盆や正月になると、帰省客が次から次へやってくる。うちは24時間営業だったもんですから、『トイレを貸してくれ』と入ってくるお客さんもおれば、『団体だけど入れますか』というお客さんもおって、深夜でも賑わってましたね。みかんなんかを袋詰めしただけでも、棚に並べたらすぐに売れるような状態でした」
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創業時、泰和さんは高校2年生だった。高校を卒業したあとは地元を離れ、広島の東洋工業(現在のマツダ)で働いていた泰和さんがお店を継ぐきっかけになったのは、母・ヤヤ子さんが倒れたことだった。
「あんまり忙しかったもんですから、母が体調を崩して入院してしまったんです。それまでも実家に帰ったときは手伝ったりしていて、一生懸命やっとる親の姿は見てたんですよ。私は長男だということもあるし、せっかくお店が波に乗ってきたところなんだから手助けしてやらんにゃあと思って、仕事を辞めてこっちに帰ってきて、店を手伝いだしたんです。それが22歳の頃ですね」
ドライブインで働き始めて10年がたとうとする頃、泰和さんに縁談が舞い込んだ。「商売に向いた子がおる」と紹介された相手は、自分よりひとまわり若い京子さんという女性だった。彼女は岩国出身で、当時は広島で働いていた。まだ23歳だった京子さんは、もう少し広島で仕事を続けたいという気持ちもあったけれど、お見合いを経て結婚を決める。
「やっぱり、最初は心細かったですよ」。京子さんはそう振り返る。
ほどなくして子宝にも恵まれたが、お店は相変わらず大忙しだった。定休日は月に一日だけ。二人は毎日のように早朝まで働いた。
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■なぜドライブインを記録するのか
かつては多くのお客さんで賑わった「ドライブイン峠」だが、ここ数年はすっかりお客さんが減ってしまっていた。これは「ドライブイン峠」に限らず、日本各地のドライブインで同じような話を耳にする。「ドライブイン」という存在を知らない世代も少しずつ増えているだろう。
休日に家族でドライブに出かける。ドライブインはそうしたお客さんにも利用される場所だった。だが、昭和50年代に入ると日本全国にファミリーレストランやハンバーガーチェーンがオープンしてゆく。昭和57年生まれの私にとって、家族で出かけた思い出があるのはファミリーレストランとハンバーガーチェーンであり、ドライブインを利用したことは一度もなかった。
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そんな私がドライブインの存在に気づいたのは、原付で日本全国を旅していたときのこと。原付が走れるのは一般道路だけで、ひたすら下道を走っていると、何十軒、何百軒と「ドライブイン」という看板を見かけた。こんなに点在しているということは、かつてドライブインの時代があったはずだ。
お店が消えても、建物や写真は残るだろう。ただ、営業しているうちに取材しておかなければ、そこに流れていた時間や、お店を支えてきた人たちの声というのは消え去ってしまう。そこに存在していたはずの歴史は、なかったことになってしまう。それはとても寂しいことだ。そこで私は「声を聞き取れるうちに記録しなければ」と日本各地のドライブインを取材し、昨年の春に『月刊ドライブイン』というリトルプレスを創刊した。
「ドライブイン峠」を取材することに決めたのも、お店が今年の4月30日で閉店すると知ったことがきっかけだった。
■2人が閉店を決めたとき
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「数年前から体調が悪くて、常連客には『そろそろ辞めようと思う』と伝えてはおったんです。去年大きな怪我をしたこともあって、店を続けるのがしんどくなって。去年のうちには閉店を決めてたんですけど、閉店するにも色々準備があるんで、4月30日にしようと。いろんなことがありましたけど、終われば皆、良い思い出ですよね」。
お店で働いてきた数十年を振り返り、京子さんはそう語る。「たしかに、悩みは多かったけど、楽しさもあったね」と泰和さんも口を揃える。
「自分たちの店ですから、ある程度融通を効かせられますよね。一人では続けてこれなかったと思うけど、女房も明るいし、手助けになってくれたおかげで続けられたところはあると思います」
4月に入ってからというもの、毎週土曜日になると、常連客が声をかけあってお店に遊びにきた。かつてはヤンチャだった常連客も、大人になって家庭を築き、こどもを連れてやってきた。営業最終日にも常連客が大勢やってきて、西村さんご夫婦も輪に加わり、昔話に花を咲かせた。惜しまれつつ店を閉じた「ドライブイン峠」の玄関には、「準備中」の札がかけられたままになっている。
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ライター
1982年、東広島市生まれ。ライター。構成・ドキュメント担当。17年4月より「月刊ドライブイン」を刊行。18年6月にリトルプレス「不忍界隈」を創刊。<http://hstm.hatenablog.com/>
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(ライター 橋本 倫史)
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