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19歳畑岡奈紗は「苦しいときこそ笑う」

プレジデントオンライン / 2018年6月29日 9時15分

時事通信フォト=写真

畑岡奈紗がまた記録を更新した。2016年日本女子オープンゴルフ選手権でアマチュアとして史上初のメジャー制覇。翌年、プロ転向し、同大会を連覇。そして今年6月。念願の米ツアー初制覇を達成した。19歳での優勝は日本人最年少だ。雑誌「プレジデント」では、米ツアー初制覇の直前、畑岡本人とその周囲に取材したルポルタージュを掲載していた。今回、特別にその内容をお届けしよう――。

※本稿は、雑誌「プレジデント」(6月25日発売号)の掲載記事を再編集したものです。

■「私は、苦しいときこそ笑っていたい」

「これからは私たちの世代が日本を引っ張っていくべきだと思うので、この優勝は意義ある優勝だったと思います」

2017年日本女子オープンの優勝インタビューで、畑岡奈紗はこう語った。メジャーチャンピオンの座を2年連続で射止めたとはいえ、当時はまだプロ1年目の18歳。ルーキーらしからぬ「肚の据わった」コメントが印象的だった。

18年、彼女が日本に一時帰国の際に取材を実施。「自分に言い聞かせていることは?」と聞くと、少し考えて口を開いた。

「どうしても苦しいときは笑っていられないと、普通は思うのでしょうが、そういうときこそ笑っていたい。難しいことだとは思うんですけどね」

どこまでも前向きな強さはどのようにしてつくられたのか。

■仲間を気遣い、冷たいおしぼりを率先して配る

畑岡が初めてゴルフクラブを握ったのは7歳のとき。自宅近くの「宍戸ヒルズカントリークラブ(CC)」(茨城県笠間市)で予約担当の社員として働いていた母の勧めだった。ただし、いわゆる英才教育ではない。奈紗の幼少期から畑岡親子を知る、同クラブの総支配人・草野通朗はこう語る。

(左)浅見英次●畑岡選手が小学生の頃に所属した笠間市の少年野球チームの元監督。今も畑岡選手が帰省の際は相談に乗ったりと親交が深い。(右)草野通朗●畑岡選手の母の勤務先である宍戸ヒルズカントリークラブの総支配人。小学生の頃から畑岡選手がゴルフに親しむ姿を目の当たりにしてきた。

「お父さんは学生時代、走り高跳びの選手で、彼女を陸上競技の選手にしたかったようです。お母さんは元バレーボール部でゴルフも得意。ドライバーショットで220ヤードは飛ばす腕前です。時に奈紗ちゃんのキャディーも務めますが、プレー中は後ろでニコニコ見守るだけ。決してスパルタ指導ではありません。奈紗ちゃんが小さい頃はピクニックみたいな感じでお母さんと一緒に来て、いつもニコニコしながら、ボールを遠くへ飛ばそうと頑張っていた。とにかく楽しそうにゴルフをしていた印象がありますね」

そんな畑岡が、本格的にゴルフの試合に出場し始めたのは11歳の頃。約2年後には「茨城県ジュニアオープンゴルフ選手権」で優勝する腕前にまで成長する。また、小学校時代は地元の野球チームで活躍し、笠間市立岩間中学校では陸上部に所属。200メートル走で県大会7位という俊足の持ち主だった。地元野球チームで監督を務めた浅見英次は、当時をこう振り返る。

「小学校の地区対抗リレーで、観客の度肝を抜く走りを見せる女の子がいたんです。それが奈紗でした。その運動センスを眠らせておいてはもったいないと野球チームへの入部を勧めたんです。野球の実力はもちろんですが、夏場の試合で、守備を終えてベンチに戻ってきたチームメートに、率先して冷たいおしぼりを配るような、細かな気配りが印象に残っています」

そして12年、畑岡が中学2年のとき、日本ゴルフ界のレジェンド・中嶋常幸が主宰する「ヒルズゴルフ トミーアカデミー」が開講した。同アカデミー創設の背景には、森ビル元会長の故・森稔と中嶋の「次世代の日本のゴルフ界を担う選手を育成したい」という共通の願いがある。対象となるのは小学校5年生から高校2年生の男女。2年に1度実施される選考テストに合格した者だけがアカデミー生となることができる。

畑岡は、その第1期生として応募した。6月に実施された先行テストには全国から96名の選手が参加。厳しい選考の結果、24名の中高生が第1期生に選出。畑岡もその一員となったのだ。

■「この人は自分に大切な話をしてくれている」と理解できる子

中嶋は、13歳の畑岡奈紗と初めて会ったときの印象を、今も鮮明に憶えている。

中嶋常幸●ヒルズゴルフ トミーアカデミー主宰。畑岡選手13歳の頃より育成に携わる。ライバルの青木功、尾崎将司とともに「AON時代」を築いた。

「目がキラキラしている子だな。それが第一印象でした。僕がレッスンしているときや経験談を話すとき、彼女は一言も聞き逃すまいと、目で聴いているんです。人の話を、相手の目を見て聴くことができて『今、この人は自分に大切な話をしてくれている』と理解できる子は、成長のスピードが違う。ぜひ自分の手で育ててみたいと感じました」

畑岡の強さの秘訣を詳しく聞こうとすると、中嶋からは予期せぬ言葉が返ってきた。

「僕は“メンタルが強い人”なんていないと思っているんです」

中嶋はこう続ける。

「タイガー・ウッズを見てください。『タイガーほど精神力が強い選手はいない』と言われた彼でさえ、ひとつのきっかけでどん底まで転落してしまうんですよ。だから、よく『精神力』と言い換えられるような意味でのメンタルは、誰でも同じだと思います。僕自身は、『メンタルの強さ』を『目標意識の明確さ』ととらえています。目標を明確に見定め、その目標に向かって努力する人が『あの人はメンタルが強い』と評価されているんじゃないでしょうか。自分の意志で、心の底から達成したいと思う目標を持っている人は、『どうやったら強くなるか』『どうやったら結果が出るか』について常に考え続けています。これに対し、目標が明確でない人は往々にして“できない理由”を羅列するんです。両者の差は明らかでしょう」

最強のメンタルは、「目標を見定め、目標への道筋をイメージする力」を養うことでつくられると中嶋は言う。そして畑岡は、この点において類いまれな能力を備えていると評価する。

「たとえば、この弱点を克服するには、こんな練習が必要だな。練習量は今日は300球にしておこう、明日は1000球打とうと。自分のコンディションと相談しながらプランニングしていく……畑岡はその能力がきわめて高いということですね」

ジュニア時代から畑岡のクラブセッティングを担当する「ダンロップ」(住友ゴム)の引地顕之は、中嶋の評価を裏付けるようなエピソードを語ってくれた。

「畑岡選手のアマチュア時代、使うクラブの選定をしているときのことです。畑岡選手は何度かスイングしてみて『今はこのクラブ、ちょっと重いと感じるんですけど、半年後にはもっと筋力アップして体幹がしっかりすると思うから、このセッティングでOKです』と言うんです。まだ高校生なのに、半年後の自分の姿をはっきりとイメージできていることに驚きました」

■A4紙6枚 畑岡のレポートに驚愕した

トミーアカデミーでは、選手たちにレポートの提出を義務づけている。その理由について、中嶋はこう説明する。

「レポートを書かせることで、その子の咀嚼能力、つまり、教わったことを咀嚼して、自らの栄養にする能力がどれぐらいあるかがわかります。彼女のレポートは、教えることの本当の意味、教えたことのその先にあるものまでを察してというか、想像できるというところはありましたね。だから最初のレポートを読んだ瞬間から、ああ、この子はすごく賢いなと思いました」

今回特別に、畑岡が合宿終了後に書いたレポートを見せてもらった。タイトルは「今回の合宿で学んだこと」。A4のレポート用紙6枚に、几帳面な文字が整然と並んでいる。

「他のスポーツの方と一緒にトレーニングする機会があった時には『このトレーニングは自分に必要なのか』『体が硬くなり動きにくくなるようなトレーニングではないか』判断をしていかなくてはいけないと思いました。なので、シャープさ(俊敏性、柔軟性)がなくなってしまわないように注意していこうと思いました」

林 祐樹●森ビル リゾート事業推進室兼宍戸国際ゴルフ倶楽部取締役。ヒルズゴルフトミーアカデミー時代より畑岡の育成に携わり、2018年1月より畑岡のマネジャーを務める。

畑岡のレポートからは、教わったことを鵜呑みにすることなく、自分の目標から逆算して自分の頭で考え、そのトレーニングの必要性を見極めたいという強い意志が窺える。畑岡の所属する森ビルのリゾート事業推進室所属で、18年1月より畑岡のマネジャーを務める林祐樹はこう語る。

「試合前のルーティンを見ていると、ストレッチひとつとっても、チューブを使って負荷をかけながら行うなど、その時々で少しずつ変化しているんです。自分のコンディションを敏感に感じながら、自分に必要なこと、必要でないことを常に峻別しているんでしょうね」

トミーアカデミーと同様、「書く」ことを重視したコーチングを行っているのが、日本ゴルフ協会(JGA)のナショナルチームだ。畑岡がナショナルチームの一員となった15年末から、オーストラリア人のガレス・ジョーンズをヘッドコーチに招き、世界水準の強化プログラムに取り組んでいる。JGAの専務理事・山中博史はこう語る。

「書くことを通じて、自分の長所・短所を把握し、記憶することが目的です。たとえばその日ラウンドした18ホールについて、自分のショットを振り返り、どんなミスをして、結果どうなったか、そのミスは何が原因で起こったのか、などについて詳細にレポートさせます。畑岡選手だけは、他の選手の2倍ぐらいの密度で詳細に書いてくる。おそらく、この課題をこなすだけで数時間かかっているはずです」

■自分の感性を信じ抜いて、決断が下せるか

ゴルフに限らず、アスリートには「自分の感覚や能力を信じる力」が求められる。

時事通信フォト=写真

ダンロップの引地は、畑岡の繊細な感覚と、その感覚を信じる力に舌を巻いた。

「17年9月、ミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープンでのこと。開幕前にドライバーのバランス調整のため、ヘッドに1グラムの鉛を貼りました。結果は優勝だったのですが、畑岡選手は『ちょっと捕まりが良くなかった』というので、翌週の日本女子オープンでは新たに用意したクラブに変更したのです」

その結果が、通算20アンダーという大会最少スコアでの連覇達成だった。

「一般に、優勝した翌週の試合でドライバーを替えるというのは、なかなかできることではありません。その点、彼女は感覚が鋭いうえに、自分の感覚を信じる力が強い。優柔不断な選手は、私たちに『どっちがいいですか』と判断を委ねるケースも多いんですけど、畑岡選手は違います。私たちが提案したクラブのデータを丹念に比較し、さらに自分のフィーリングとすり合わせて、必ず自分の判断で決めています」

自らの感覚を研ぎ澄ますためには、良い感覚を体に染み込ませるプロセスが必要となる。宍戸ヒルズCCの草野は、納得がいくまで練習をやめない畑岡の姿を、何度も目にしてきた。

「奈紗ちゃんが中学生のとき、宍戸ヒルズCCでジュニアの大会が開催されていました。その大会で、奈紗ちゃんが18ホールを終えた後、ものすごく悔しそうな顔をして歩いてくるのを見かけました。それで表彰式までの間、会場を見渡してみても奈紗ちゃんの姿が見当たらない」

草野があちこち探し回った揚げ句、練習場へ行ってみると、雨の中、1人で白い息を吐きながら黙々とパターの練習をする畑岡の姿があった。

「たしか、その日のスコアは決して悪くなかったはずですが、本人は納得できなかったんでしょうね。私が『奈紗ちゃん、風邪ひくよ』と声をかけたら、いつもどおりの笑顔を返してくれました。驚いたことに、彼女は雨が降っていることに気がついてなかったんです」

■「ミスを恐れず、攻める気持ちを忘れない」

初めて米ツアーに参戦した17年。畑岡は、慣れない環境、コースへの適応に苦しんだ。19試合に出場し、予選落ち11回(棄権1回)。と不本意なシーズンに終わった。

一時帰国の際、畑岡に今シーズンのテーマを聞くと「ミスを恐れず、攻める気持ちを忘れない」という言葉が返ってきた。

「アメリカではピンポジション(グリーン上のカップの位置)が難しいので、たとえば池を避けてグリーンを狙うと、仮にグリーンに乗っても、その後のパットでピンチに陥るようなケースが多いんです。ミスを恐れず果敢に攻めていく気持ちがなければ勝負にならない。逃げている場合じゃない。そのことを、17年の経験から学びました」

淡々とした口調の中に、昨シーズンの悔しさと、リベンジに向けた闘志が伝わってくる。その言葉を裏づけるように、今シーズンのLPGAツアーでは4月末のメディヒール選手権で7位タイ、5月下旬のキングスミル選手権ではプレーオフで敗れたものの2位タイ、5月末のボルヴィック選手権では10位タイ。そして6月頭に開かれた初出場の全米女子オープンでも10位タイと4戦連続でトップ10入りを果たし、日本選手の中で先頭を走り続けた。メジャー初制覇を期待させる成績を残している。

プロ転向を発表する会見の席で、畑岡は「2年以内に米ツアー優勝」「5年以内に海外メジャー制覇」という目標を掲げた。さらに取材時には、「東京五輪で金メダル獲得」という大きな目標も明言した。

「世界一」――これほど明確な目標はない。恩師・中嶋常幸の言葉どおり、この目標への道筋をはっきりと見つめ、ムダのない努力を積み重ねているからこそ、畑岡奈紗の姿は自信にあふれて見えるのだろう。(文中敬称略)

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▼畑岡奈紗選手の歩み
1999年1月
茨城県笠間市で出生。アメリカ航空宇宙局「NASA」にちなみ、「前人未到のことをするように」という想いで“奈紗”と命名される。
2007年4月
小学3年時、岩間第二小学校時代に地元の野球チームに加入。セカンドを務める
2009年3月
茨城県・宍戸ヒルズカントリークラブに勤務する母親の影響でゴルフを始める
8月
小学5年時、野球チームを辞める
2011年4月
笠間市立岩間中学校に入学。陸上部に所属する
2012年4月
中嶋常幸プロの主宰するヒルズゴルフ トミーアカデミーに入会する
2013年10月
陸上競技200m走で県大会入賞
2014年4月
翔洋学園高校入学
12月
ナショナルチーム候補選手に選出
2016年4月
ルネサンス高校へ3年時に転入学
7月
世界ジュニアゴルフ選手権連覇
10月
日本女子オープンで史上最年少&史上初のアマチュア優勝史上最年少でプロ転向を表明
12月
米女子ツアー出場権獲得。渡米
2017年1月
森ビルと所属契約を結ぶ米女子ツアーを主戦場としてプレー
9月
ミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープンゴルフトーナメントでプロ転向後初優勝
10月
日本女子オープン連覇
2018年1月
2年連続での米女子ツアー参戦
4月
米メデイヒール選手権で7位タイ
5月
米キングスミル選手権で2位タイ、米ボルヴィック選手権で10位タイ
6月
全米女子オープンで米メジャー自己最高記録の10位タイ

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(梅澤 聡 撮影=小田駿一、研壁秀俊 写真=時事通信フォト、共同通信)

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