張本勲氏の"非科学的"な「喝!」こそ喝だ
プレジデントオンライン / 2018年7月1日 11時15分
■「喝!」でおなじみ、張さんの「走り込みが足りない」は本当か?
米メジャーリーグで投手と打者の二刀流で大活躍を続けてきた大谷翔平(ロサンゼルス・エンゼルス)が6月上旬、右ひじの不調により故障者リスト入りした。そんな大谷に対して、野球解説者の張本勲は「サンデーモーニング」(TBS系)のスポーツコーナー「週刊御意見番」で、以前から「喝!」を入れていた。
例えば、こうだ。4月28日の試合で内野ゴロを打った大谷が一塁ベースに駆け込んだ際、ベースの角を踏んで左足首を捻挫した。この件について、張本は番組内で、「練習不足なんですよ。走り込んでいないから。走り込まないと、これからもっと(ケガが)出ますよ」とコメントしていた。
こうした張本の「喝!」が的中したのだろうか。大谷は6月6日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦に投手として出場した際、右ひじの張りを訴え、病院で検査した結果、損傷の程度は3段階のうち中程度の「グレード2」との診断を受けた。故障者リストに入り、3週間はボールを投げずに調整するという。再検査を受けてから今後の方針を決めるため、靭帯再建手術(通称トミー・ジョン手術)の可能性もあると報じられている。
はたして投手に「走り込み」は必要なのか。日本スポーツ界の伝統的な「努力のかたち」の是非について考えてみたい。
▼「投手=走り込みが大切」ならマラソン選手は良い投手になれるはず
筆者は、投手が「走り込む」ことに以前から違和感を抱いていた。その理由は、投手が「ボールを投げる」という動きと、「走る」という動きはまったく違うからだ。
ピッチングの下半身の動きは筋トレの「ランジ」(立った状態で片足を前に出して着地と同時に、上体を落として下半身に負荷をかける)に近い。一方、走るときには、下半身を深く沈みこませるような動きはしない。どんなに走り込んだところで、投手に必要な「下半身の筋力」が効率的に強化できることはないだろう。
「投手=走り込みが大切」という図式が成り立つなら、マラソンランナーは良い投手になれるはずだ。しかしながら、長距離ランナーは、瞬発的なパワーを発揮するのが得意ではない。その一方で、投手の動きに似ているやり投げの選手には、時速140kmを超えるようなボールを投げる者もいる。「走り込み」という言葉には違和感しかない。
■野球界の恐るべき「走って下半身を鍛えろ」至上主義
野球に詳しいスポーツライターA氏は、5月に張本を取材して、「走り込み」について聞いている。そのとき張本が主張したのは、こういう理屈だった。
↓
「下半身ができてない(投球時に下半身が沈まない)」
↓
「(下半身の踏ん張りがなく)上半身の力に任せて投げる」
↓
「(ボールを投げる腕の肘や肩などを)ケガをするリスクが高くなる」
中学・高校と野球部で投手経験もあるA氏は、「張本さんの意見も『間違い』とは言い切れないのかなと思いましたね」と話す。
「400勝投手の金田正一も『走る派』でしたけど、『走ると下半身ができる』というのが日本の野球界では疑問を持たないくらい浸透しています。野球というスポーツにおいて、投手は最も運動量が多いポジションなので、スタミナをつけなきゃいけない。走り込むことでそのスタミナに加え、メンタル的な自信もつく。また走り込むと下半身の粘りが出るので、投げるボールの初速と終速の差がなくなると言われています」
▼走り込みで芝生に轍ができた「桑田ロード」
投手の走り込みについて考えたとき、筆者がすぐに思い浮かべたのは「桑田ロード」だ。
元読売ジャイアンツ投手の桑田真澄は1995年にマウンド前にあがった小フライを捕ろうとして、ダイビングして右肘を強打。後の検査で、右肘側副靭帯断裂の重傷を負っていたことが判明して、米国でトミー・ジョン手術を受けている。
桑田は、「ボールは投げられなくても下半身は鍛えられる」と練習グラウンドの外野の芝生を走り続けた。何度も往復して走ったため、芝生には「桑田ロード」と呼ばれる“轍(わだち)”ができたのだ。そして、1997年4月、661日ぶりにカムバックを果たすと、そのシーズンに10勝を挙げた。もちろん復活を遂げたこと自体は素晴らしい。だが、科学的なアプローチとしてはクエスチョンだ。
阪神タイガースや楽天イーグルスを優勝に導いた元監督・野村克也も、現役時代に南海ホークスの鶴岡一人監督から、手にマメをつくったときだけ例外的に褒められたために、「マメを作るためにバットを振っていた」と自著で回顧している。
時間、回数、距離など、日本人は目に見える「努力」に弱い。野村の話もそうだが、日本のスポーツ界には、本来なら手段にすぎない行為が、目的になっている場合が少なくない。
たとえば、余裕で100回できる腹筋運動よりも、10回できるかどうかの腹筋運動を3セットこなしたほうが、筋力向上には効果的だ。しかし、指導者も選手も、「100回」という回数のほうに重みを感じてしまいやすい。
■たくさん投げて走って結果を出した選手が偉い
NPB(日本プロ野球機構)の12球団でトレーナーを務めたことがあるB氏は、「日本野球界のトレーニングは旧態依然で何も変わらない」とこぼす。
B氏らトレーナー陣が、運動生理学に基づいたトレーニングメニューを提案しても、元プロ野球選手である1軍のコーチに断られてしまうのだという。B氏は「言葉が通じないくらい。彼らの中では勝手な理論が完結しているんです」と憤る。
「日本のプロ野球界には、たくさん投げて、たくさん走る。その中で結果を出した選手が偉いという文化があるように感じます。彼らは自分たちがやってきたものと同じことをやらせたがる。だから、トレーニングが昔からあまり変わらないんです。そして、スパイクを履いてダッシュすると、スパイクの歯が地面に引っかかることにより、ガッと踏ん張るので、ガツンとパワーがつくと心底信じている。ただ、長い時間の練習では脚が疲れるので、アップ(準備運動)のランニングは歯が地面をさほど噛まないサッカーのスパイクでやる選手もいるんです」
野球の「走り込み」は、扇形の外野の右翼ポールと左翼ポールを走るメニューが中心だ。6~7割のスピードで、PP(ポールからポール)なら10~12本、PC(ポールからセンター)なら20本ほど。他にも10m置きにコーンを置いて、10mの往復、20mの往復、30mの往復、40mの往復ダッシュなどをこなすという。
▼専門家「投げ込みと走り込みをやめて、ウエイトトレするほうがいい」
こうしたトレーニングがピッチングに本当に役立つのだろうか。B氏は、「日本の野球界は投げ込みと走り込みをやめて、専門家にプログラムを立ててもらって、ウエイトトレーニングをするほうがいい」と話す。
「投手がボールを投げる時間は、脚を上げてから1秒ほどです。それなのに、走るメニューは明らかに運動時間が長い。科学的に考えても、エネルギー代謝のメカニズムが違いますし、トレーニングの整合性はありません。投手に有効なのはウエイトトレーニングです。ピッチングに必要な筋力をつけることで球速がアップしますし、故障の予防にもつながるはずです」
■「あっぱれ!」「喝!」は最新スポーツ科学を踏まえよ
プロ野球ではさすがにないが、高校野球の練習では、「100mダッシュ×100本」のような、何をしたいのかわからない謎のメニューをこなす強豪チームがある。
断言してもいいが、「全力」でやっていたら、絶対にこなすことのできないメニューだ。手を抜くからこそこなせるメニューであるし、どんな「能力」が身につくのか、論理的に説明できる指導者がいるのだろうか。
投げ込んだから、走り込んだから、きつい練習をしたから。
そういう行為は「これだけやったんだから」という根拠の薄い自信をつけるには有効かもしれない。だが、それを指導者が選手に押し付けるのは間違っている。ましてやスポーツは「神事」ではないし、トレーニングは「修行」ではない。苦しいことをしないと結果は出ない(出てはいけない)。そんな考えが日本人には刷り込まれているような気がするのは筆者だけだろうか。
▼日本のアスリートは「努力のかたち」を見直すべき
スポーツは「楽しい」ことで、トレーニングは「うまくなる、強くなる」ために行うものだ。苦しいことを乗り切ったから結果が出ると信じているとすれば、そうしたアスリートは「努力のかたち」を見直してほしい。
スポーツサイエンスの世界は日進月歩だ。野球の投手は、大昔は「常に肩を冷やすな」だったが(夏にプールに入るのを避けていた選手もいた)、現在では投球直後に肩をアイシングすることが常識になっている。「水を飲むな」も、「こまめに水分補給をしろ」に変わった。知識を常にアップデートしていかないと、世界レベルからは引き離されていく。
番組で「あっぱれ!」「喝!」と叫ぶのはテレビ上の演出だろう。また張本が自身の経験に基づいて持論を展開することがあってもいい。しかし、有識者として意見を述べるのであれば、最新のスポーツ科学の知識を踏まえるべきだ。
依然としてテレビ報道は大きな影響力をもっている。トレーニングはキツさより中身が重要であるし、スポーツはキツいものではなく楽しいものだ。無責任な発言で「努力のかたち」をゆがめることがあってはいけない。(文中一部敬称略)
(スポーツライター 酒井 政人 写真=iStock.com)
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