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"ガンの見落し"を招く大病院の腐敗の構造

プレジデントオンライン / 2018年7月6日 9時15分

2018年6月25日、コンピューター断層撮影(CT)の検査結果が院内で適切に共有されていなかったとして、謝罪する横浜市立大学付属病院の相原道子病院長(左から3人目)ら(写真=時事通信フォト)

■「白い巨塔」といわれた大病院ゆえの腐敗の構造

病院の「がん見落とし」という医療ミスが続いている。今年6月だけでも千葉大病院、兵庫県立がんセンター、横浜市立大の2病院のあわせて4カ所で発覚した。

その原因の多くは、画像診断の専門医による報告書の記載を主治医が見落としたものだった。本来救えるはずの命を救えなかった病院の責任は大きい。

どうしてこんな医療ミスがたて続けに起きているのだろうか。

病院側の説明などによると、医療の専門化が進むなかで、情報の共有化ができていないところに問題があるという。

沙鴎一歩の取材経験からは、根底に病院に潜む深刻な組織の問題が横たわっている気がしてならない。かつて「白い巨塔」といわれた大病院ゆえの腐敗の構造が、まだ存在している。

■患者の命をどう考えているのか

千葉大病院は6月8日、CT(コンピューター断層撮影装置)検査を受けた患者9人の画像診断などにミスが見つかり、うち4人の治療に影響があり、2人が死亡した、と発表した。

一方、横浜市立大付属病院は6月25日、横浜市の60代の男性がやはりCT検査で「腎臓がんの可能性」と診断されながら院内で情報が共有されず、検査から5年半後に死亡した、と発表した。

横浜市立大ではこの死亡事例以外にも、CT検査で「がんの疑い」などが指摘され、情報の共有不足から後になってがんと判明したケースが10件もあったという。

横浜市立大では、付属市民総合医療センターで昨年10月、70代男性がCT検査で「膵臓がんの疑い」と診断されながら院内で情報が共有されずに死亡したことが発覚し、同じような医療ミスがないか調査を進めていた。

その結果が計11件の同様の医療ミスである。開いた口がふさがらない。「患者の命をどう考えているのだろうか」と非難されても仕方がない。

CT画像診断に関するミスが治療に影響したケースは、昨年1月に東京慈恵会医大病院で、同年10月に名古屋大病院でも発覚している。

■医師同士の意思疎通がない

「特定の臓器や病気だけではなく、患者の全身を診て必要な手当てをする。そんな医師としての当然の務めをないがしろにする行いと言わざるを得ない」

こう書き出すのは、6月24日付の朝日新聞の社説である。

「千葉大病院が、この約5年間に9人の患者のCT検査の結果を見落としていたと公表した。うち5人については、画像を診断した放射線科の医師ががんの疑いなどの異常に気づき、報告書で指摘したのに、受け取った肝心の主治医が見逃した。自分の専門部位にだけ注意を払っていたのが原因だという」

放射線科の医師と主治医の間で意思疎通ができていない。朝日社説に書いてあるように、自分自身の専門領域にだけ着目して診断していたのだろう。

■名医ほど「複眼」を持っている

患者の命を預かる医師にとって大切なのは、タカの目とアリの目で患者を診ることだ。空を飛ぶタカは客観的に物事を判断できる。土をはうアリは目の前の物事に着実に対処できる。タカだけでもアリだけでもいけない。周りばかり見ていると、足元がおろそかになる。逆に足元ばかり見ていると、周りが見えなくなるからだ。

それなのに机上のパソコンばかり見て患者の顔も見ない若い医師が増えている。もちろん検査データの数値から患者の病状を判断することは重要だ。しかし数値だけでは目の前の患者の病状を深く判断することは難しい。

名医ほど複眼を持っているといわれる。複眼は医学・医療の知識や経験だけでなく、人としての生き方や哲学までを包括する。そこらの手術手技などは、そうした複眼と比べて何の役にも立たないこともある。

■「報告書に目を通していないケースも複数あった」

さらに朝日社説は指摘していく。

「医療事故の分析にあたる日本医療機能評価機構によると、約1千の病院を対象にした調査で、15年1月から18年3月末までに、画像報告書の所見見落としなどが計37件報告された」
「機構は先月、全国に注意を喚起した。昨秋、同趣旨の通知を出した厚生労働省も、対策の徹底を再度求めた。各病院はいま一度、足元を点検してほしい」
「機構によると、主治医が画像をみて自ら診断し、報告書に目を通していないケースも複数あったという。過信は禁物だ」
「技術の進歩により、想定外の部位で病変が見つかることはよくある。主治医は報告書に謙虚に向きあい、画像を診断した医師は、異常や兆候を見つけたら確実に主治医に伝える。この連携を徹底する必要がある」

「画像報告書の見落としが37件」という多さには驚かされる。「足元の点検」「過信は禁物」「主治医と画像診断医の連携の徹底」。どれも重要なことである。

■どうしたら「がんの見落とし」を防げるのか

どうしたら「がんの見落とし」という医療ミスを防げるのだろうか。これに対する朝日社説の答えを簡単にまとめると次のようになる。

(1)CT検査などの画像を読む医師数を増やし、彼らの技術向上も図る
(2)電子カルテにIT(情報技術)を活用し、未読の報告書を警告するシステムを導入する
(3)診断時に患者に直接、報告書を渡す

どれも重要なことだ。最後に朝日社説は「医療の細分化・専門化が進むいま、患者も交えた幅広い情報の共有は、事故防止の観点からもその必要性を増している」と指摘する。「患者も交えた幅広い情報の共有」は重要だ。患者なしに医療は存在しえないからだ。

医療はだれのためにあるのか。医師や病院のためにあるのではない。患者のために医療は存在する。この基本を忘れてしまうから医療過誤が起きる。

■産経社説は見出しもいまいちだ

産経新聞も7月2日付社説で取り上げている。だが朝日社説をなぞるようなところがあり、その主張もどこか重みがない。見出しも「画像診断の『価値』共有を」といまいちである。

そんな産経社説はこう書いている。

「救えるはずの命が救えなかったことを、関係者は猛省すべきだ。他の医療機関でも、同様の事態が起きていないか検証してもらいたい」

病院はその規模が大きくなればなるほど閉鎖的になりがちだ。他の医療機関に対して検証を呼びかけるのはいいことだが、問題は閉鎖的な病院をどう動かすかである。新聞社の社説としては、そこを主張しなければ意味がない。

「命をあずかる仕事である。連絡を取り、声を掛け合う慣行が医療現場にはないというのだろうか。これでは、報告書は紙切れになってしまう」

大半の医療過誤は基本的な診療行為が、おろそかにされるところから起きる。

声を掛け合うという慣行が医療現場にないのではなく、病院という組織が肥大化し、複雑になっていく過程で、声を掛け合って確認する当然の行為の自覚があらためて必要になってきているのだ。画像診断の報告書が未読にされるような事態が多発している以上、各医療現場のトップが「声を掛け合う」ことをあえて指導していくことが求められる。

■かつて医療ミスは「起きて当然」だった

冒頭部分で「根底に大病院に潜む深刻な組織の問題が横たわっている」などと書いたが、筆を置く前にその点について再度触れたい。

沙鴎一歩が医療現場で右往左往しながら取材に追われていた20~30年前は、自ら医療ミスを公表する病院は皆無だった。

政治家や財界人、芸能人などいわゆる著名人が多く入院するような病院になればなるほど、医療過誤を隠そうとした。

信用を失いたくないからだ。世間の目が怖かったのだろう。

いまと違って医療過誤を自ら明らかにしたうえで外部の力を借りて検証し、再発防止を目指すような考えは微塵もなかった。病院にとって医療ミスは「起きて当然」と考えられていた。それが当たり前だった。医療過誤は合併症のひとつだった。患者の立場も弱かった。

しかし患者側からマスコミに情報の提供が行われ、ニュースになることがわかると、他の患者周辺も情報を提供するようになり、病院の医療ミスが芋づる式に次々と明らかにされていった。その流れが広がり、病院がいち早く医療ミスを公表するようになった。

医療過誤が表に出ることなく、検証もされずに内在していくと、病院という組織そのものが腐敗していく。

病院は患者の命を救う組織である。腐敗すると、結局は患者が大きな被害に遭う。その前に芽を摘み取る必要がある。

(ジャーナリスト 沙鴎 一歩 写真=時事通信フォト)

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