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日本が「極東の小国」に落ちぶれる現実度

プレジデントオンライン / 2018年7月11日 9時15分

北欧のベニスとも呼ばれるストックホルム。滞在したホテルからの対岸(エステルマルム地域)の眺望(筆者撮影)

日本はこれからどうなるのか。日本総研の山田久主席研究員は、「過去の蓄積とそれなりの規模の経済であることに安住しているが、このままでは『極東の小国』に落ちぶれるだろう」と指摘する。参考になるのは北欧のスウェーデンだ。「われわれにはグローバル化を所与とする国民的コンセンサスがある」。その覚悟で進めてきた改革の中身とは――。

■リーマンショック以降も高い経済パフォーマンス

ストックホルムは「北欧のベニス」とたたえられ特に5月から6月にはからっとした晴天に恵まれる日が多く、街並みがきらきらと水面に映えて美しい。「われわれにはグローバル化を所与とする国民的コンセンサスがある」――。本稿を書きながら、約十年来の知己であり今回訪問時にもヒアリングに応じてくれたフレドリック・ヘイマン氏の言葉を思い出した。

私は労働市場改革を中心に据えた日本経済の再生をテーマに調査提言活動を行っているが、約10年前に北欧モデルのユニークさを知ってから、すっかりそのファンになっている。とりわけ、リーマンショック以降のスウェーデンの経済・雇用のパフォーマンスは傑出しており、実はこのところ、多くの「ユニコーン企業」を輩出していることでも注目されている。

今回現地調査の目的の一つも、そうした同国の産業活動の高パフォーマンスの秘密を探ることにあった。ここで興味深いのは、実はそのスウェーデンも1990年代から2000年代前半にかけて厳しい経済状況に苦しみ、さまざまな構造改革に取り組んできた経験を持つことだ。それは、アベノミクスにより脱デフレ・経済好循環のきっかけをつかみつつあるわが国経済が、今後構造改革の本格化を通じて真の経済再生の途をひらくために何が必要かについて、有益なヒントを与えてくれるであろう。そうした観点から本稿では、産業面に焦点を当ててスウェーデン経済再生の軌跡と秘密を紹介する。

■90年代の初めには3年連続のマイナス成長を経験

まず、スウェーデン経済の戦後の変遷を簡単に振り返っておこう。第2次世界大戦で基本的に国土が戦地にならなかったこともあり、スウェーデン経済は欧州各国向け輸出をけん引役に1950~60年代には高成長と完全雇用を達成し、同国のトレードマークである「高福祉高負担」モデルも形成された。しかし、70年代のオイルショック以降インフレ体質が定着し、80年代後半には未曽有の不動産バブルを経験した。その結果、90年代の初めにはバブル崩壊に直面。3年連続のマイナス成長を経験するとともに、80年代まではおおむね2~3%台であった失業率が10%を超えるまでに急上昇した。

そうした状況のもとで1991年には、長らく政権の座にあったスウェーデン社会民主労働党(社民党)が下野し、中道右派連合政権が誕生し、包括的な規制緩和を軸とする経済改革に着手する。もっとも、それらの多くの改革は、80年代後半に社民党が方向付けし、着手し始めていたものであり、「インサイダー・アウトサイダー理論」(※1)の創始者として著名な経済学者リンドベックを座長とする政府委員会が立ち上げられ、1993年に包括的な改革案が提示された。

これらの改革は1990年代を通じて実行に移され、スウェーデン経済は見事な再生を遂げる。90年代後半以降、生産性上昇率は大きく回復し、失業率も低下した。インフレ率も安定し、とりわけ2008年のリーマンショック以降は、世界の先進国では最も良好なパフォーマンスを示している。

特筆すべきは、スウェーデンは今や欧州でも有数のハイテク企業の集積地となり、いわゆる「ユニコーン企業」(企業価値10億円以上のスタートアップ企業)の人口当たりの輩出数では世界2位にランクされるようになったことである(※2)。さらに、いまやスウェーデンは米国よりも起業活動に対して促進的だとの研究もみられようになっている(※3)

※1 労働市場における既存労働者である「インサイダー」が、失業者や新規就労者である「アウトサイダー」に比べて良い雇用機会や労働条件を享受できる理由を、採用、解雇、教育訓練といった労働者の入れ替えに伴って必要になるコストの存在に求めたもの(A.Lindbeck and D.J.Snower(2001)“Insiders and Outsiders” Journal of Economic Perspectives Vol.15, No.1)。
※2 John McKenna “Why does Sweden produce so many startups?” (https://www.weforum.org/agenda/2017/10/why-does-sweden-produce-so-many-startups/)
※3 Fredrik Heyman, Pehr-Johan Norbäck, Lars Persson and Fredrik Andersson “Large Scope Business Sector Reforms: Has the Swedish Business Sector Become More Entrepreneurial than the U.S. Business Sector?” IFN Working Paper No. 1147, 2016.

■高コスト体質を是正した新たな賃金決定

では、こうしたスウェーデンの産業再生の成功の理由は何か。前出のフレドリック・ヘイマン氏が共著者である論文(※4)に基づき、筆者なりの考えも踏まえて整理してみよう。

第1は、全般的かつ包括的な規制緩和が実施されたことである。1980年代、社民党政権のもとで航空、電力、郵便などの規制緩和の必要性の調査は十分に行われており、政府白書にもその概要は示されていた。加えて、先にふれたリンドベック委員会の提案を受けて1991年に政権を奪取した中道右派連合政府は、徹底した規制緩和路線にかじを切る。その結果、OECDが算出している「サービス・公益部門の規制により製造業部門に追加的に発生しているコスト」の大きさは、90年代に入って劇的に低下し、90年代末から2000年代にかけては、米国を下回るまでになった。

第2は、労働市場改革である。1974年の雇用保護法の制定による解雇コストの上昇や、1980年代の賃金決定方式の産業別分権化に伴う賃上げ圧力の高まりにより、スウェーデンの労働市場は高コスト体質になっていた。しかし、1992年には人材派遣や有期雇用に対する規制緩和が行われ、1997年には国際競争力を考慮に入れた賃金決定に関する新たな労使合意が締結され、高コスト体質は是正されていった。とりわけ、新たに形成された賃金決定の仕組みは、国際競争力に配慮しつつ賃金上昇率を生産性向上率に連動させる巧みな仕組みである。2008年のリーマンショック以降、多くの先進国で労働分配率の低下がみられ、生産性が低迷するなか、ひとりスウェーデンが労働分配率を安定させて、生産性向上と賃上げの好循環を維持できていることにつながっている。

第3は、コーポレートガバナンス改革である。戦後のスウェーデンの経済は、既存産業と社民党、そしてブルーカラー労働組合による「鉄のトライアングル」によって支配される状態が続き、徐々にダイナミズムを失っていた。しかし、1990年代には、政権交代がこの「鉄のトライアングル」に楔を打ち込んだほか、コーポレートガバナンス改革が行われ、スウェーデン企業の株式保有に占める外国人投資家の割合は、1989年の7%から10年後には40%にまで跳ね上がった。

そうしたもとで、法人税率の思い切った引き下げもあり(日本の実効税率29.74%に対して、スウェーデンは22%)、対内直接投資が急増する。その過程で外国資本は多くの国内企業を買収し、米国企業を中心とした効率的な経営手法が導入され、地方企業も含め、この間にスウェーデン企業の生産性は大きく上昇した。

(※4)Fredrik Heyman, Pehr-Johan Norbäck and Lars Persson, “The Turnaround of Swedish Industry: Firm Diversity and Job and Productivity Dynamics” IFN Working Paper No. 1079, 2015. Fredrik Heyman, Pehr-Johan Norbäck and Lars Persson, “The Turnaround of the Swedish Economy: Lessons from Business Sector Reforms” IFN Policy Paper No. 73, 2015.

■変化に適応しようとする個人を支援

以上の3点はヘイマン氏らの論文が指摘していることに基づくが、それは経済学の考え方に忠実にさまざまな改革を着実に実行に移したことが成功の理由であることを物語る。しかし、海外がそのスウェーデンに学ぶ際、スウェーデンの研究者が当然と考えている、同国特有の社会の在り方や考え方にも同時に学ぶ必要がある。それを4つ目以降の項目として加えれば以下の通りである。

第4に、個人の変化への適応を支えるさまざまな仕組みの存在である。スウェーデンは、最初に積極的労働市場政策を本格的に導入した国として知られるが、そのコンセプトは小国が生き残るには時代に合った不断の産業構造転換が不可欠であるとの認識に基づく。その過程で、衰退産業部門から成長産業部門に人材をシフトさせる必要が出てくるが、それを職業訓練で手厚く支援するというのが積極的労働市場政策の意味合いである。

実は、その具体的な内容は時代の変遷に応じてかなり大胆に変容してきているのだが、そうした面にもこの国の変化適応力の強さがうかがわれる。「救うべきは仕事や事業ではなく、個人である」とはスウェーデン人が好んで使うフレーズだが、今回の訪問ではデジタル変革時代にふさわしい次のフレーズを聞いて感銘を受けた――「われわれが恐れるのは新しい技術ではなく、古い技術である」。変化を恐れて時代の潮流に背を向けるのではなく、時代に取り残されることを恐れて変化を積極的に受け入れる、という意味だ。戦前は貧しい農業国であったスウェーデンが、わずか数世代の期間に世界で最も豊かで先進的な国のひとつへと発展できた秘密が、この言葉に集約されている。

第5に、異なる経済主体間が立場を超えて話し合い、協力する文化である。スウェーデンの政治体制は、コーポラティズムやトリパティズムと呼ばれ、産業界、労働組合、そして政府が密に連携し、時代に合った形で経済社会のシステムをトータルに改革してきたところに特徴がある。その連携は密接かつ柔軟で、今回もそれを垣間見ることのできた事例を聞いた。

スウェーデンは2000年代に入り、ユルケスホーグスコーラと呼ばれる高等職業教育の仕組みを導入した。これはまさに産官学の密な共同連携によるもので、実践的な即戦力人材を育成し、着実な経済成長を人材面で支える役割を果たしている。

国家予算を使いつつ、全体の運営は地方自治体が担うが、企業のニーズに沿った産業・職業分野に重点をおいたプログラムが柔軟に実施される。教育実施機関の多くは生涯学習のための職業専門学校であり、企業が実習コースとして学生を受け入れるプログラムも組み込まれ、実践的なスキルが身に付くようになっている。

今回ヒアリングに応じてくれた産業団体幹部は次のように語ってくれた。「われわれは企業へのヒアリングを通じて、現在および将来不足する職業をマッピングし、そのニーズに焦点を当てたプログラム開発を柔軟に行っています」。その結果、卒業生の就職率は9割を超え、学生の過半がそのまま実習企業に就職しているという。政労使および産官学の積極的な連携のもとでの、データに基づく企業ニーズの取り込みと柔軟なプログラムの改変―わが国でいま必要性が議論される職業教育・リカレント教育を、成功させるための秘訣はここにある。

■両国のパフォーマンスの差はどこから生まれたか

第6に、社会の在り方の大枠についての国民全体の共通意識に裏付けられた、政策の大方針の一貫性である。実は日本とスウェーデンは、1980年代まで、低失業社会で所得分配が公平、さらには政治が利益誘導的になっていた点で、多くの共通点を持っていた。90年代初めにバブル崩壊を経験し、政権交代も起こったという点でも類似点がある。

しかし、現在、その経済パフォーマンスは対称的である。その差を分けた一つの重要な要因は、政策の大方針の一貫性であろう。わが国では民主党への政権交代により、それまでの政策との連続性が断ち切られ、政権運営は機能不全に陥った。さらに自民党が返り咲いてからは、消費増税を含む社会保障税一体改革についての3党合意という、数少ない民主党政権の成果がなし崩し状態となった。

これに対しスウェーデンでは、グローバル化への前向きな姿勢や受益と負担のリンケージ(結びつき)を強めて財政健全化に取り組むという基本路線について、政党の立場を超えて共通認識があり、経済合理性を尊重した政策の大方針にぶれはなかった。

こうしてみれば、1項目から3項目はこれまで日本でも取り組まれてきたこと、あるいは、まさに現在取り組んでいるものである。しかし、実はそれを成し遂げるには、4項目から6項目までが重要だということである。それなしに、さまざまな政策を講じても、長期的にみて成果の上がる本物の改革につながらない。4項目から6項目の底流にあるのは、結局、スウェーデンは歴史的に東にロシア、南にドイツという大国・強国の脅威にさらされてきた、人口1000万人余りの小国であるとの危機意識である。それは、過去の蓄積とそれなりの規模の経済であることに安住している国とは異なる。

米国政治の混迷と中国の大国主義への傾斜という世界情勢の激変のもとで、人口減少も相まってわが国が「極東の小国」に落ちぶれるリスクにさらされている現実から、われわれは目を背けるべきではない。北欧の利点を説くとき、小さい国だから特殊だとあしらう声がよく聞かれるが、その小国ゆえにある健全な危機意識こそわが国が真に学ぶべき点である。

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山田久(やまだ・ひさし)
日本総合研究所 理事/主席研究員
1987年京都大学経済学部卒業後、住友銀行(現三井住友銀行)入行。93年4月より日本総合研究所に出向。2011年、調査部長、チーフエコノミスト。2017年7月より現職。15年京都大学博士(経済学)。法政大学大学院イノベーションマネジメント研究科兼任講師。主な著書に『失業なき雇用流動化』(慶應義塾大学出版会)

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(日本総合研究所 主席研究員 山田 久)

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