なぜ金正恩は中国を"千年の宿敵"と呼ぶか
プレジデントオンライン / 2018年7月13日 9時15分
■「依存」と「不信」の交錯した感情
金正恩・朝鮮労働党委員長はもともと、中国を憎み、「千年の宿敵」と呼んでいました。しかし、トランプ政権が誕生し、アメリカの圧力が強まるなか、北朝鮮は中国に接近。米朝首脳会談の前に2度、会談のすぐ後にさらにもう一度、金委員長は訪中し、習近平国家主席と会談しています。
3度目の訪中の際、金委員長は習主席との会談で、習主席を「偉大なる指導者」と呼び、持ち上げたようです。米朝会談の会場となったシンガポールに行くための飛行機を中国に借り、会談後早々に習主席に状況報告をするとは、過去69年の中朝交流の歴史でも類のない蜜月ぶりです。
とはいえ、「千年の宿敵」と「偉大なる指導者」という、金委員長の相反する2つの言葉には、北朝鮮が中国に対して抱く、「依存」と「不信」の交錯した感情がよく表れています。国際社会から経済制裁や武力行使の脅しをかけられている現状は、北朝鮮から主観的に見れば「国難」的状況といえます。その国難の中で北朝鮮は、長い半島史のなかで彼らの父祖が抱いた中国への複雑な思いを再体験しているかもしれません。
その歴史的記憶の一つが他ならぬ、北朝鮮でいう「壬申祖国戦争」、つまり日本の豊臣秀吉による文禄・慶長の役での、中国(当時は明)の対応です。
■李舜臣を抜擢した男
秀吉の軍勢が朝鮮に侵攻した際、絶妙なバランス感覚で国難を救った朝鮮王朝の宰相がいました。この宰相の名を柳成龍(リュ・ソンニョン)と言います。藤堂高虎たちが率いた日本側の水軍に打撃を与えたことでよく知られている、李舜臣(イ・スンシン)を将軍に抜擢したのは柳成龍です。
秀吉の命を受けた小西行長や加藤清正は、朝鮮半島に上陸後、破竹の勢いで進軍。開戦からたったの21日で都の漢城(ソウル)を落とし、さらに北上して平壌(ピョンヤン)も落とします。
第14代朝鮮王の宣祖(ソンジョ)は民を捨てて、漢城から平壌へ逃げ、さらに平壌から中朝国境の義州へ逃げました。その義州も安全ではないことがわかると、宣祖は中国の明(みん)へ亡命しようとします。しかし、ここで宰相の柳成龍は、「今、朝鮮を一歩離れれば、朝鮮を失ってしまいます」と反対しました。
柳成龍は明に援軍を要請する一方、王が明に逃げてしまえば、明の傀儡(かいらい)に堕すると警戒したのです。明の属国であった朝鮮は、秀吉軍の襲来という大きな国難を前に、宗主国の明に頼らざるを得ませでした。しかし、「王が中国に身を預けるようなことをすれば、朝鮮王朝は終わってしまう」と柳成龍は考えたのです。属国なりの矜持といえるでしょう。
■「支援」とは名ばかりの明の援軍
朝鮮半島に侵攻した秀吉軍は16万でした。柳成龍らの要請に応え、宗主国であった明は援軍を派遣しましたが、その数はたったの5万でした。しかも、派遣軍の兵糧の負担は朝鮮側持ちというケチぶりです。
明軍はケチな上に悪辣でした。朝鮮は飢えに苦しんでおり、明の莫大な兵糧の要請に応えられませんでした。そのため、明軍は兵糧調達と称して、現地で手当たり次第の略奪に出ます。さらに明の将軍の李如松(り・じょしょう)は、朝鮮側が兵糧提供の義務を果たさないことを「約束が違う」と激怒し、柳成龍ら朝鮮の大臣を呼び出し、ひざまずかせ、怒鳴り上げました。柳成龍たちは泣きながら、李如松に許しを請ったといいます。これが明の「支援」の実態でした。
結局、朝鮮は民衆から食糧を強制徴収する羽目になりました。餓死寸前に追い込まれた民衆は各地で反乱を起こし、日本軍もそれに巻き込まれました。
柳成龍のような朝鮮の指導者は、中国からどんな仕打ちを受けようとも、ひたすら我慢し、中国に依存しました。依存せざるを得ないが、信用はできない。朝鮮にとって中国とは、大昔からそういう存在だったのです。
■「中国には気を付けろ」という父の遺言
こうした「依存と不信」の交錯する感情は、今日の北朝鮮にも受け継がれています。金委員長ら北朝鮮の首脳部は、柳成龍たちが味わった属国としての悲哀を思い起こし、中国を「千年の宿敵」と呼び、これを歴史の教訓としているのです。金委員長の父である金正日は、死の間際に「中国には気を付けろ」と言い残したそうです。
「中国憎し」の感情は、金委員長の「アメリカ抱き付き作戦」の背景にもなっています。中国とアメリカに二股外交を仕掛け、中国の後ろ盾を得つつ、アメリカを利用して中国の介入をコントロールするという絶妙なバランスを取ることに、北朝鮮は成功しています。
いずれにしても、金委員長ら北朝鮮の首脳部が真に意識しているのはアメリカではなく、中国です。習主席の恐ろしさと比べれば、「トランプなんてちょろいもの」と思っているでしょう。米朝首脳会談で金正恩とトランプが見せた親密ぶりから、北朝鮮への中国の影響力が弱まったと見る向きもありますが、実際にはそうではありません。ちなみに、韓国の文在寅大統領については、金委員長は「使いやすいコマ」くらいにしか見ていないでしょう。
中国外務省の耿爽(こう・そう)副報道局長は、3回めの中朝首脳会談を受け、「友好的な隣国として国際的な(北朝鮮への制裁)義務に違反しない前提で、正常な交流と協力を保持する」と表明しました。中国側は北朝鮮に対し、独自の支援をすることを示唆しており、もし、これが実行されれば、対北朝鮮制裁の包囲網は事実上、効果を失います。
北朝鮮は中国の支援を得る可能性が高まっています。ただし、いかに支援を受けたとしても、北朝鮮は中国に屈服する必要はありません。今やトランプ大統領が事実上の後見人になってくれているからです。こうした状況を作り上げることが、北朝鮮の本来の狙いだったのでしょう。
■「中朝蜜月」は単純すぎる見方
秀吉軍の侵攻の際、明の援軍はろくに日本軍と戦わず、彼らが朝鮮で行ったことといえば、略奪と民衆の虐待に過ぎませんでした。しかし、当時の朝鮮王朝は、滅亡の危機を明に救ってもらったとして、明の恩を「再造の恩」(再び造られた恩の意)と呼び、変わらぬ忠誠を誓い(あるいは誓わされ)ました。ここまで来れば、属国というよりは「隷属国」というべきです。
今日、北朝鮮にはかつてのトラウマがよみがえっています。北朝鮮にとって、中国の支援は下心丸だしの見え透いたもので、支援してもらうにしてもそれが隷属につながるようなものであってはならないという、強い拒絶反応があるのです。
「北朝鮮と中国が蜜月関係にある」とする一般的な捉え方がありますが、北朝鮮は「千年の宿敵」の仇を忘れてはいません。かつての国難において、彼らの父祖たちが中国から受けた屈辱は、体の奥に染み付いた記憶として受け継がれています。
金委員長と習主席が表面上、どれほど蜜月を演じようとも、歴史の桎梏(しっこく)を簡単に乗り越えることなどできません。アメリカや日本は外交上、中朝のすきま風をよく見極めて、次の一手を繰り出していくことが必要です。
参考文献:柳成竜(著)、朴鐘鳴(翻訳)『懲ヒ録(ちょうひろく、ヒは上に比、下に必)』(平凡社東洋文庫、1979年)
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著作家。1975年、大阪生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。おもな著書に、『世界一おもしろい世界史の授業』(KADOKAWA)、『経済を読み解くための宗教史』(KADOKAWA)、『世界史は99%、経済でつくられる』(育鵬社)、『「民族」で読み解く世界史』(日本実業出版社)などがある。
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(著作家 宇山 卓栄 写真=GRANGER.COM/アフロ)
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