失敗や成功より「現在の正解」に向き合え
プレジデントオンライン / 2018年8月9日 9時15分
※本稿は、細川晋輔『人生に信念はいらない』(新潮新書)の第7章「『心の柱』を打ち立てる――考える禅」を再編集したものです。
■しなやかにたわむ「心柱」の強さ
みなさんは五重塔をご存じでしょうか。日本には、明治維新以前の五重塔が22基現存しています。古くは飛鳥時代に建立されたものもありますが、五重塔は高層建築にもかかわらず、建立後これまで、焼失の場合は別として、どれ一つとして倒壊していないそうです。
それは、塔の中心に「心柱」と呼ばれる柱があるからだと言われています。心柱とは、地面に置かれた礎石から塔の頂点までを貫く中央の一本の柱です。
建築の専門家ではないので詳しいことはわかりませんが、心柱というものは、礎石の上に載せられるだけであり、固定されていないそうです。そのため、地震や強風があった際、振り子のように、塔自体の揺れを柔らかく抑え、倒壊を防ぐことのできるのです。
東京スカイツリーは634メートルもの高さがあるわけですが、その耐震構造として、日本に古くから伝わる五重塔の技術が用いられているそうです。現代の最新技術と伝統的構法が出会い、心柱と外周部の塔体とを構造的に分離することによって免震するという新しい制震システムが用いられて、634メートルという超高層タワーが建築されたそうです。
この心柱は、どういう柱なのでしょう。大きな特徴としては、頑なに揺れない柱ではないそうです。揺れに対して、素直にたわむことができる柱です。それによって五重塔が、地震の揺れに強いと言われているのです。
■「心の柱」を確立すること=禅の悟り
この心の柱を、禅の言葉に結びつけて考えていきましょう。
「応無所住而生其心」――応に住する所無くして、その心を生ずべし。
という禅語があります。これは、『金剛経』というお経の眼目、つまりは一番大事なところです。
お釈迦様が十大弟子の一人である須菩提に、「人生を軽快に生きるためのコツ」を説かれた句であり、また中国の名僧である六祖慧能禅師の禅門に入るきっかけとなった句でもあります。
「住する」とは心がとらわれること、執着することを意味しています。つまり「住するところが無い」とは「心は自由自在に働きながら、それでいて停滞する所が無い」ということになります。
人間は生きている以上、目で見るもの、耳で聞くもの、鼻で嗅ぐもの、舌で味わうもの、身体で感じるもの、心に思うもの、それらに惑わされてしまうことは仕方のないことと考えるのが仏教です。
かといって、惑わされないように真っ暗な部屋で目隠しをして、誰とも会わずに生活をしてみたらどうでしょう。確かに、惑わされるものは少なくなるかもしれません。ですが、何も見ない、何も聞かない、何も思わない人生にどんな意味があるでしょうか。
つまり、人生を豊かにするために大切なことは、入ってきた情報を拒絶することではないのです。しっかりと受け止めた上で、執着して停滞することの無いようにすることこそ大事なのです。
私たちは、人生を歩む中で、いつ「地震」や「強風」のごとき苦悩に遭うか分かりません。それが、人生の厳しさです。自分の心が折れそうになるほど、大きく動揺することもあるでしょう。そんな時、その苦悩による心の振動を柔らかく抑え、元のポジションに戻してくれるのが、「心の柱」なのです。
私は、この「心の柱」を自分の中に探していき、見つけて、そして確立することこそ、禅の悟りではないかと思うのです。自分と向き合って、自分の中から「心の柱」を見つけることができれば、囚われて止まることはありません。
例えば、嬉しいときは嬉しいほうへ、悲しいときは悲しいほうへと、いくらでも傾いてもかまいません。心の柱は柔軟にたわむことができるのです。
柱の振れ幅は、人生の豊かさに他なりません。ぜひ皆さんも本当の自分と向き合っていただいて、心の柱を探して下さい。
■人生に信念はいらない
私たちの人生に確固たる信念はいらない、と言ったら大袈裟でしょうか。
どうしても、人生の目標であったり、生まれてきた意義であったりと、強固で頑なな柱に憧れを持ってしまうかもしれません。
強固すぎる柱は、たしかに揺れに対して強いかもしれません。しかし、想定外の揺れに対しては、意外ともろいものです。折れた柱を元に戻すのは、容易ではありません。それに対して、柔軟にたわむことのできるしなやかな柱なら、そうそう折れてしまうことはないのです。
みなさんがそれぞれに「心の柱」を見いだして、自由自在にはたらくことができるようになる――それはまさに、禅でいうところの「無心」に他なりません。
千本の手をお持ちの千手観音は、その中のただ一つの手に気を取られてしまうと、残りの九九九本の手は使えなくなると言われています。
無心になるにはどうすればいいか。
その場その場で自分の目の前のことに、成りきるしかないのです。心に思うものを後に引きずらない。失敗にも成功にも囚われない。余念を交えず、精一杯に努める。そうすれば自分の行為に正解、真実を見いだし、生きがいを感じて生きていくことができるのです。
■あなたにとって「幸せ」とは何ですか
人によって何に幸せを感じるかは、千差万別です。100人いれば100通りの幸せがあります。
しかし子どもはそんなことお構いなしで、「何が幸せか」と質問をしてみると、次から次へと手を挙げて発表してくれます。「アイスクリームを食べている時」「自転車に乗っている時」「お友だちと遊んでいる時」などなど。おそらく一番印象に残っている楽しかった思い出を、言葉にしているのだと思います。
『白隠禅師和讃』に「当所即ち蓮華国」というものがあります。
今まさにこの場所を、蓮華国つまり「極楽」だと思うことができたなら、人生は「幸せに満ちあふれる」という意味の言葉です。つまり、「当処即ち蓮華国」とは、自分の足もとをしっかり見なさいという意味でもあります。
私たちはどうしても、「隣の芝生は青く」見えてしまいがちです。「もっといい家に生まれていれば」「もっと頭がよければ」「もっといい容姿をしていたら」「もっと健康だったら」「もっといい仕事に恵まれていれば」……求めて、求めて、得られないことに苦しみを感じてしまいます。
その苦しみから逃れるために必要なことは、「今ここ、目の前のこと」としっかり向き合い、それが最高で最良でベストであると心から思うことしかないのです。
「無事是貴人(ぶじこれきにん)」という禅語があります。禅語における「無事」の意味は、「平穏無事」「何事も無い」など、一般に使われるものとは違い、「外や他に救いを求めない心の状態」という意味です。また、貴人とは「貴ぶべき人」すなわち悟りに達した人を指しています。
戦国時代の武家と禅宗の結びつきは深いものがあります。その理由は、武家の暮らしの傍らに、いつも「死」というものがあったからでしょう。「いつ死んでもおかしくない」という彼らが禅に共感したところは、いつ死ぬかわからないこそ、「今をしっかり生きる」というところでしょう。いつ死んでもいいように、今を充実して生きたいという彼らの願いに、仏教や禅の教えが応えていたに違いありません。
「無事是貴人」という言葉は、まさにそのような心境をよくあらわした言葉であると思います。
臨済宗を開かれた臨済禅師は、「求心歇む(やむ)処、即ち無事」と言い切られています。
求める心があるうちは「無事」ではなく、求めるところがなくなったところが「無事」であり、そうすればそのまま「貴人」であるというのです。
■「当たり前のことを当たり前に行う」
「無事是貴人」に続けて臨済禅師は説かれます。
「当たり前のことを造作なく当然におこなうことが、平常であり、無事ということである」
「造作なく」とは、「面倒くさい」「難しい」の反対語となります。どんな状況に置かれようとも、目の前のことをあるがままに、当たり前のことを当たり前に、すべてを造作なく行う人こそ、「無事是貴人」であると言うことができるのです。
日本の俳人であり脊椎カリエスにより34歳で早逝した正岡子規は、『病牀六尺』の中で、禅について次のような言葉を残しています。
「余は今まで禅宗のいはゆる悟りといふ事を誤解して居た。悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思って居たのは間違ひで、悟りという事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であった」
同年代の友人たちが活躍しているのを目の当たりにしながら、正岡子規は迫りくる死というものをどのように受け止めていたのでしょうか。やりたいことは数え切れないくらいあったはずです。
それでも狭い病床で、正岡子規は「今」だけを見つめていたに違いありません。なぜなら、この言葉からは、マイナスな思考は一切感じられないからです。
人間はどうしてもいつか訪れる「死」というものに、恐れおののいて、ついには心を奪われてしまうのです。
「死」があるからこそ、「生」があると考えることによって、「生」の充実こそが「死」の充実に繋がっていくと信じることができるのです。いかなる時も、いかなる場面も、平気に当たり前に生きていく。
簡単なようで、実はこれが本当に難しく、人生にとってまさに大切なことと言えるのではないでしょうか。
中国に雲門和尚という高僧がおられました。ある日修行僧に云います。
「十五日已前は汝に問わず、十五日已後、一句を道いもち来たれ」
「十五日已前」とは「過去」を意味しています。現代語訳するとしたら、「今日までの過去はあなたに問わない。今日以後について自分の思うところを、一つの言葉にして持って来なさい」と、雲門和商は修行僧に問いかけています。
2015年のラグビーワールドカップで善戦し、大きな話題を呼んだラグビー日本代表。その中心選手の五郎丸歩選手を支えていた言葉は、「今を変えなければ、未来は変わらない」というものであったと新聞記事にありました。
その前の大会の時、メンバー入りがかなわなかった五郎丸選手は、ある日のミーティングでジョン・カーワンヘッドコーチ(当時)に「過去は変えられるか?」と問われ、「変えられません」と答えた。続いて「未来は変えられるか?」と聞かれ、今度は「変えられます」と答える。するとカーワン前ヘッドコーチは次のように言ったのです。
「違う。お前が変えないといけないのは、今だ。今を変えなければ、未来は変えられない」
■「日日是好日」が意味するところ
過去や未来ではなく、今を見なければならないのは、何もスポーツ選手だけではありません。お釈迦さまも「過ぎ去ったことをいつまでも悩んだり、未だ来ていない未来を心配したりするなら、人間は枯れ草のようになるだろう」と示されています。それでも私たちは、どうしても過去に囚われ、未来を憂えてしまうのです。
誰も答えない修行僧に変わって雲門和尚は云われます。
「日日是好日(にちにちこれこうじつ)」
簡単に訳するなら、「毎日は幸せにあふれた連続」となるでしょうか。
しかし、私たちの人生は本当にそうでしょうか? 大事な人が亡くなったり、かわいがっていたペットが死んでしまったり、仕事で失敗したり、家族や恋人とケンカしたり……。考えてみると毎日が幸せどころか、辛いことの方が多いのが人生といえます。
では、「未来」を幸せなものにするためにはどうしたらいいか。それは、過ぎ去ってどうしようもない「過去」を嘆くことでもなく、未だ来ぬ未来を心配することでもありません。「即今目前」、つまりまさに今、目の前のことを、「人生を好日にするチャンス」にするしかないのです。
日常生活の中にある辛いことや悲しいことに意味と価値を見出し、それを「未来を幸せにするためのチャンス」と認識することができたならば、今日という一日は「好日」と呼ぶにふさわしいものとなるはずです。
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禅僧 龍雲寺住職
1979年、東京生まれ。佛教大学卒業後、京都にある臨済宗妙心寺の専門道場にて9年間の修行生活をおくる。2013年より現職。祖父は名僧・松原泰道。
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(禅僧 龍雲寺住職 細川 晋輔 写真=iStock.com)
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