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"54歳から弁護士になった人"の人生設計

プレジデントオンライン / 2018年10月3日 9時15分

弁護士 植田 統氏

四十にして惑わず――。格言とは裏腹に、40代で人生に悩む者は多い。そこで新しい道を模索し、難関資格の勉強を始めて資格を取得した豪傑もいる。諦めるのはまだ早い。「51歳で司法試験に合格」「41歳で医学部合格」という2人の実例を紹介しよう――。

■社長がコソコソ勉強、51歳で司法試験に合格

28.8歳。これは司法試験合格者(2017年)の平均年齢である。それを上回ること20歳以上の51歳で合格したのが、弁護士として活躍する植田統氏だ。

学生時代、植田氏は1年留年して司法試験に挑戦するも、「当時は10年勉強している司法浪人がゴロゴロいて、これは受からないだろうと志望を切り替えました」(植田氏)。

銀行に就職し、その後はMBA留学を経て外資系コンサルに転職。転職人生を歩んだが、「外資系はいつクビになってもおかしくない世界。50歳を超えたら仕事がないぞ」という危機感を抱いていた。

そして2000年代前半、司法制度改革でロースクールが大量にできることになり、日本でも弁護士人口の増加が予想されたことから、植田氏は外資系の法律データベース会社の社長として雇われた。

「すると毎日のように弁護士や法学部の教授に会うようになり、弁護士になるという夢を思い出したんですね。当時、ロースクール修了者の70%が新司法試験に受かると喧伝されていたこともあり、行けば受かると思いました。そこで、働きながら勉強ができる、夜間ロースクールに入学したんです」(同)

■「1日3時間の勉強でも受かる」と信じていた

通勤電車で判例集を読み、出社前には職場近くの喫茶店で1時間勉強。授業に間に合うよう17時半に退社することもあった。しかし、日中は従来通りの仕事をしていたため、社内の誰も通学していることに気づかなかったという。「学校へ行かなくなると、勉強しなくなる。受験のチャンスは卒業した年の1回だけ」と決めていた植田氏は、合格する勉強法を求めて、2年目は土曜日に予備校へも通った。

「昼間のクラスの学生は1日15時間勉強できますが、私の場合、多くても平日で2、3時間程度。短時間で結果を出すため、勉強の範囲を絞りました。ある先生が話していた『新司法試験は旧司法試験のように学説を覚える必要はない。条文と最高裁の判例を読んで、答案を書く練習をすればいい』という意見が正しいと思ったので、その方法だけをやりましたね。

若い学生に比べて、衰えや不利を感じることは全くなかったです。『自分のほうが社会経験を積んでいるんだから、1日3時間の勉強でも受かる』と信じていましたから。『年をとるとやっぱりダメだな』という言い訳をしてしまう人は、もう受からないと思います」(同)

植田氏は2年コースのロースクールを卒業した年、晴れて一発で司法試験に合格。その後、司法研修生とコンサル勤務を経て、54歳で弁護士として独立したが、ここからが正念場だったという。直前まで勤めていたコンサルでは大企業の案件を担当していたが、弁護士1年生は大企業からは絶対に相手にしてもらえないと考えていた。そこで過去の人脈に頼らず、一から中小企業や個人の人脈を開拓していくことを決意。商工会議所の交流会に顔を出し、何とか仕事を立ち上げることができた。

「周囲を見ていると、私のように中年になってから司法試験に合格した人がいました。でも、ほとんどの人は弁護士として独立することには躊躇しています。定年になったら始めようと考えているのでしょうけど、世の中そんなに甘くはありません。資格を取った後、仕事として立ち上げられるかどうかが本当の勝負。仕事にならなければ、資格なんて宝の持ち腐れです」(同)

■普通の小学校教諭が41歳で医学部合格

短期間で自分を追い込んで成功した植田氏に対し、「定年までに受かればいいと考えていた」というスタンスで難関試験を突破したのが、鹿島記念病院院長の木村勤氏だ。

医師 木村 勤氏

母が看護師で、子どもの頃の愛読書がシュバイツァーの伝記。医師に憧れて医大を受験したが、一浪中に関心が変わり、大学は社会福祉学科を選んだ。さらに学童保育のボランティアを通して教師になりたいと思い、公立小学校に就職。転機が訪れたのは38歳で、「教頭試験を受けないか」と打診されたときだった。

「学級担任として子どもと関わり続けたかったので、教頭になるのは転職するような気がして断りました。そのとき、教頭試験に充てる勉強時間を使って、医師を目指したらどうなるんだろうと思ったんです」(木村氏)

自分の気持ちを確かめるため、試しに英語の勉強を始めてみると、3日、3週間と続いた。問題集を1冊ずつ増やしていき、3カ月目には5教科すべてが揃い、医師を目指す気持ちが本格的に固まった。

勉強時間は1日、約3時間。片道30分ある車での通勤時間には、録音した暗記事項を聞きながら運転をした。息抜きのサウナに行くときも、参考書を読みながら歩き、サウナの中で反芻し、休憩室でも勉強した。少しの時間があれば勉強に充てる一方、健康を維持するため、毎日7時間の睡眠時間を確保。また唯一の楽しみである、寝る前の30分の読書だけは欠かさなかった。そして勉強開始から3年後、医大に合格する。

「教師だったので、『あと何年で合格しないといけない』というプレッシャーがなかったことがよかったのかもしれません。若い頃は悩みや雑念が多くて、なかなか勉強に集中できなかった。年をとってからのほうが能率がよかった気がします」(同)

■49歳から内科医として離島勤務を開始

41歳で医大生になった木村氏。国立のため授業料は年間30万円程度だったが、退職金はわずかだったので、家庭教師のアルバイトで学費を捻出する予定だった。しかし2年目から授業料免除になり、家族の援助もあって、学業に専念できた。

「若くないことのデメリットは感じました。胃カメラや手術など、技術の習得の速さは若い人には敵いません。年の功は後になって気づきましたね。医師は頭のよさや若さだけではなく、人生経験がプラスになる職業。患者さんに信頼してもらいやすいメリットもあります」(同)

その後、47歳で医師国家試験に合格。研修医を経て、49歳から内科医として離島勤務を始めた。精神疾患を持つ患者とふれあう中で、精神科に転科することを決めた。

木村氏は、「もっと早く医者になっておけばよかった、という気持ちはありません」と語る。「教師をしていた17年間は、生徒たちと一緒に喜んだり感動したり、たくさんの思い出が詰まっている。もし最初から医者だったら、2つの人生を味わえていなかった」からだ。

では年をとって難関資格を取れば、誰もが新しい人生を謳歌できるのだろうか。その質問に、木村氏は首を横に小さく振った。

「今やっている仕事がうまくいかない、つまらないという理由で、次の道に進もうとしても難しいのではないでしょうか。そのときに置かれている環境でやれることをやりきって、必要とされる存在になってから辞める。それができた人が、資格を活かしてもうひとつの人生を歩めるような気がします」(同)

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植田 統(うえだ・おさむ)
弁護士
青山東京法律事務所代表。1957年生まれ。81年、東京大学法学部卒業。東京銀行(現・三菱UFJ銀行)に入行。米国ダートマス大学MBA取得。ブーズ・アレン・アンド・ハミルトン(現PWCストラテジー)、野村アセットマネジメントを経て、法律データベース会社・レクシスネクシス・ジャパンの日本支社長に就任。2010年に弁護士登録。14年6月に青山東京法律事務所を開業。
 

木村 勤(きむら・つとむ)
医師
鹿島記念病院院長。1949年生まれ。74年、明治学院大学社会学部卒業。91年3月まで、埼玉県で小学校教諭を務め、同年4月、宮崎医科大学(現・宮崎大学医学部)入学。96年、医師国家試験に合格。内科医として長崎県五島列島の奈留病院に勤務。その後、精神科医として経験を積み、宮城県石巻市の恵愛病院の院長に着任。2012年3月より現職。
 

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(小野 ヒデコ 撮影=小野ヒデコ、桜井義孝)

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