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茂木健一郎「"原節子"が僕を成長させた」

プレジデントオンライン / 2018年9月2日 11時15分

秋葉原に「会いに行けるアイドル」AKB48の劇場やカフェ、ショップがある。(AFLO=写真)

■心の中にいる「あこがれの異性」が自分を成長させる

思春期においては、誰でも「あこがれの異性」という存在を持つものだと思う。それは、アイドルかもしれないし、映画のスターや歌手かもしれない。あるいは、最近では、アニメのキャラクターということもあるかもしれない。

「あこがれの異性」は、どんな意味を持つのか。

大好きなアイドルに、ファンだったら、お近づきになりたいと思うかもしれないし、うまくすれば、お付き合いしたいと思うかもしれない。

しかし、そのような「恋愛対象」としてのあこがれの異性のあり方には限界もある。アイドルとお付き合いできるファンは、いたとしても「宝くじ」に当たるようなものだし、そんな奇跡の出会いに期待して生活を組み立てても、多くの場合は失望に終わる。

アイドルは、実際に恋愛するときの1つのモデルケース、心の練習と見ることもできる。それでも、実際にお付き合いする相手が、あこがれのアイドルと似たタイプがいいかというと、どこか違う気がする。アイドルのコンサートに行ったり、グッズを買ったりするためにがんばるという説明も、十分ではないと感じる。

人間の脳の働きからアイドルのようなあこがれの異性を説明する際にヒントになる概念がある。それは、現代に至るまで大きな影響を与え続けている分析心理学の創始者、カール・ユングの唱えた「アニマ」や「アニムス」の考え方である。

ユングは、人間の深層心理には、「影の自分」があると考えた。そして、「影の自分」の中に、いわば理想化された異性が存在すると考えて、それを「アニマ」(理想化された女性)、「アニムス」(理想化された男性)と呼んだ。

人間は成長するために、アニマやアニムスを必要とする。理想の異性像は、現実にお付き合いするという対象ではなく、むしろ、自分自身の反映なのである。

■「赤毛のアン」「原節子」がいたから今の自分がある

私は、小学校のときにカナダのプリンス・エドワード島を舞台にした小説『赤毛のアン』に出合って、夢中になった。シリーズを全作読んで、高校では原書ですべて読み直した。振り返ってみると、主人公のアン・シャーリーは、私にとってお付き合いする異性のイメージというよりは、自分自身の中にある女性の理想像だったと思う。

好奇心に満ちて、現実を想像力で補い、どんなときもひたむきに学び、行動していく。そんなアンの姿に、私は自分のあるべき理想を投影していたと思う。『赤毛のアン』を読むことで、成長することができたのである。

小津安二郎監督の映画に出てくる原節子さんにあこがれたのも、似たような部分があったと感じる。原さんの、日本の文化に根ざした凛とした言葉遣いや立ち居振る舞いが、自分自身がどう生きていくかという課題に1つの答えを示していた。

自分の無意識の部分に、アン・シャーリーや原節子さんがいて、理想化された女性像=「アニマ」として成長を支えてくれたということを、振り返って確信する。

アニマやアニムスは、脳の働きから言えば、鏡のように自分と他人を映し合う「ミラーニューロン」と関係する。異性が自分の鏡となり、学びを促すのである。

読者のみなさんにとっての「アニマ」や「アニムス」は、誰なのだろうか? 見つめ直すことで、成長のきっかけがつかめるかもしれない。

(脳科学者 茂木 健一郎 写真=AFLO)

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