がん患者に「よかったですね」と話すワケ
プレジデントオンライン / 2018年9月29日 11時15分
■「まあいっか、で誤魔化しましょう」
60代の方に勧めたい教養といったら、「宗教学」です。60代は、多くの方が定年退職という人生の節目を迎える時期。それは、会社員生活を卒業し、本当にやりたかったことに邁進できる楽しい人生の始まりでもあります。それなのに過去に執着し、考えを切り替えられない人も多いのではないでしょうか。
宗教学はそんなときに役立ちます。キリスト教でもいいですが、仏教なら約1500年前に伝来していますから、日本人にはDNAレベルで染み付いています。
私は59歳のときに高野山大学の大学院に通い、仏教や密教を学びました。きっかけは、33年間の精神科で培った精神医学の知識をがん患者とその家族に応用しようと考えた際、自分に確固たる死生観がないことに気づいたからです。学びの中で空海と出会い、「マインドフルネス瞑想」にも通じる「今、ここ」を大切にする考え方を知ったことが、がん患者をカウンセリングする場面でとても役立っています。
がんが発見され泣いている患者さんは「あのとき検診を受けていたら」等々、悔やんでばかりいます。でも過去は変えられません。未来もわからない。心を楽にするには「今、ここ」に集中するしかない。そのために患者さんにいろんな言葉を投げかけますよ。「まあいっか、で誤魔化しましょう」「これまでのことはリセットしましょう」。
60歳以降の人生を元気に過ごそうと思うなら、ぜひ「今、ここ」を学んでほしい。60歳を過ぎるとあちこちガタがきて、将来に不安を感じやすくなります。混沌とした時代でも、過去を悔やまず未来を恐れず、元気に生きていくため「今、ここ」に目を向けるのです。
そのうえで「新しい山」を探してみてください。
■小さくてもいいから、登れる「山」をつくる
私は57歳で精神科医から精神腫瘍科医に“転職”し、59歳で大学院に。その後、聖路加国際病院を定年退職したのを機に現在のクリニックを開業しました。
定年後、顧問などの形で聖路加に残る、年金生活を送るといった選択肢もあったかもしれません。でも60歳前後になると、先の見通しがたつようになります。山頂から下のほうを見下ろしている感じ。見えている道を下っていくだけではつまらない。小さくてもいいから新しい山をつくり、もう1度登る喜びがあってもいいじゃないですか。
それこそ、そば打ちでもピアノ演奏でもいいと思います。あるいは、若い頃あきらめたことをやり直してみる。60歳を過ぎてから新しい山に登るのは、スリリングで骨が折れることのように思われるかもしれませんが、こうしたワクワクやドキドキこそ、若さを保つ秘訣です。
ヒヤヒヤを全部ワクワク・ドキドキに変えてしまう方法があります。人生にはさまざまなイベントが発生します。ネガティブなイベントもある。でも、ある方向からはネガティブでも、別の方向から見るとポジティブに見えてくる。こっちから見るとヒヤヒヤ、あっちから見るとドキドキ・ワクワク。ひとつの事象を別の視座から眺められれば、いつでもドキドキ・ワクワクしていられるのです。
異動になって理想のキャリアパスから外れた。一見ガッカリすることかもしれない。でも、これを「新しいチャンスを与えられた」と見ることができれば、ドキドキ・ワクワクに変わります。
■「よかったですね、がんになって」と話す理由
カウンセリングの現場で、がん患者に「よかったですね、がんになって」と話すことがあります。「一休みして生き方を改めろという意味かもしれませんよ」「あのままなら忙しくて脳卒中で死んでいたかも」。患者さんにはない見方ですから、すぐに信じられなくて当然です。「そうはいっても」と言いながら帰っていきます。
でもしばらくすると本当に「がんになってよかった」と思えてくるのです。終末期にある患者さんもほとんどすべての人が「がんになってよかった」と口にします。「がんになってからの人生のほうが味わい深かった」「人にも優しくなれた。弱い人の気持ちもわかるようになった」。ものの見方というものは、これほど人の気持ちを変えうるのです。
こうした知見は心理学の領域。60歳を過ぎて、人間や人生を考えるにあたって、心理学、特に認知療法を学ぶのも面白いかもしれません。
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「今、ここ」という考え方もワクワク・ドキドキをつくり出す助けになります。元気に働けない人は、仕事が変わった、収入が減ったという事実を、単に「喪失感」として受け止めています。
そういう人は定年を迎えても「私は聖路加にいた保坂と申します」「○○商事で部長をしていた○○です」と自己紹介してしまう。「昔はこうだった、ああだった」と過去を引きずり、肩書を捨てられないのです。過去は過去として忘れ、「今、ここ」に向かえるかどうか。元気な老後は、肩書のない人生を始められるかにかかっています。
定年後の「仕事」とは、50代、60代の方が考えていた「仕事」とは違うものになるかもしれません。最近、クリニックの一室を患者さんに貸し出すことがあります。というのも、がんを克服した患者さんは後輩のために何かしてあげようという気持ちになるんですね。
■「よいことをすればよい報いがある」
あるときは、アロマセラピーに詳しい元患者さんがワークショップを開いて後輩のがん患者さんに教えていました。その様子を見てわかるのは「人のために」というモチベーションの強さです。私も、読者がいなかったらブログの更新すら続けられません。会社で「人のために」働く実感が持てないなら、ボランティアに参加するのも副業を持つのもいいと思います。
「人のために」働くと元気になる。それは医学的にも正しいことです。「人のために」働くとオキシトシンという「愛情ホルモン」が分泌され、幸せを感じたり、健康維持や免疫を高める効果があることがわかっているのです。
仏教に「因果応報」という言葉があります。よく知られているのは「悪い行いをすると悪い報いがある」という意味。しかし反対に「よいことをすればよい報いがある」というのも、また事実。人のために働くことは、自分のために働くことでもあるのです。
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保坂氏は59歳のとき、高野山大学大学院で空海について研究し、「マインドフルネス瞑想」のうつ病や心の不安に対する有効性を知った。
●空海
「空海はうつ病で、その克服にマインドフルネス瞑想が有効だった」と保坂氏は推測する。
●マインドフルネス瞑想
「今、この瞬間」の体験に意識的に目を向けることで脳を休めるストレス対処法。「瞑想」などを通じて体現できる。一時的に脳の機能を停止させることができ、脳の疲れを取る。その結果、「集中力アップ」や「パフォーマンスの向上」にもつながる。
「あきらめていたこと」を書き出し、「小さな山」をつくる
シンガーソングライターになることが夢だったという保坂氏。現在は診療室にピアノを置き、もう1度夢を追いかけ始めた。
「心理学」を学び、物事を別方向から見る訓練をする
例えば「リストラ」。「今までの仕事ができなくなる」という面もあるが、見方を変えると「好きな仕事に就ける時間ができた」と捉えられる。ものの見方をいい方向に変えられるようになるには、心理学が有効。
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![](https://president.jp/mwimgs/7/5/80/img_754ff430a0dbe75979ad1b71de36faa89497.jpg)
精神科医
1977年、慶應義塾大学医学部卒業。東海大学医学部精神科学教授、聖路加国際病院リエゾンセンター長を経て、2017年から保坂サイコオンコロジー・クリニック院長。聖路加国際病院診療教育アドバイザーも兼務。『空海に出会った精神科医』など著書多数。近著に『図解 50歳からの人生が楽しくなる生き方』がある。
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(精神科医 保坂 隆 構成=東 雄介 写真=PIXTA)
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