森田健作 知事になっても実践"先礼必勝"

プレジデントオンライン / 2018年9月12日 15時15分

森田氏35歳ごろ、母・ぬい子さんとのツーショット。「私には反抗期というものがありませんでした。ここまで大きく育ててくれた親に反抗する理由なんてありませんよね。両親には感謝の言葉しかありません」

千葉県知事の森田健作さん。父は警視庁の刑事。大変なときほど家にいませんでしたが、そんなとき母に守ってもらったといいます。母から学んだことは「先礼必勝」。とにかく、元気よく挨拶する。その重要さを教えてくれたといいます――。

※本稿は「プレジデントウーマン」(2018年7月号)の連載「母の肖像」を再編集したものです。

■やる気をなくした私を立ち直らせた母の言葉

私は、1949年生まれで団塊の世代。子どもの数が多いから、必然的に競争率が高くなり、受験も大変。高校受験を前に、中学2年生になるとみんな家庭教師をつけたり、塾に通い始めたり……。うちはお金に余裕がなかったから、自力で勉強するんですが、思うように伸びない。先生からは、「このままでは就職するしかないぞ」なんて言われる始末。自分なりにがんばっているのに、結果を出せない悔しさから、だんだんふてくされるようになってね。「俺はバカでいいんだ」なんて、自暴自棄になってきたんですよ。ある夏の日、私が縁側でスイカを食べていると、母が「最近、元気がないじゃないか」と話しかけてきたんです。私の本名は“鈴木栄治(すずきえいじ)”というんですが、母は「栄治、人間はみんな必要があって生まれてきた。おまえにも良い部分が必ずある。それを見つけてがんばれ」と言うんです。でも、自分のいいところと言われてもわからないじゃないですか。続けて母は、「通信簿の備考欄にいつも『毎朝、元気に挨拶ができる』と書かれているのに、最近のおまえは暗くて声が出ていないし、声にハリもない。それじゃ、おまえのいいところが何も生かせていないということじゃないか」と言うんです。そのときは聞き流していたのですが、1カ月ほど経って、自分でも「そうだよな、俺は剣道をやったらいちばん強いしな。運動会で応援団の団長をやって、いちばんみんなを盛り上げるのは俺だ」と、思えるようになったんです。「勉強ができなくてもいいや、剣道を一生懸命やろう。元気なのが俺のいいところなんだから、いつもの自分に戻ろう」と、気持ちを切り替えることができたんです。すると、不思議なことに先生に褒められることも多くなってね。「鈴木はホームルームの時間、活発に提案をしてくれるから頼りになる」「剣道の試合で鈴木がまた勝ったそうだ、すごいな」とかね。褒められると気持ちがいいから、勉強も一生懸命やるようになるんですよ。すると、成績も伸びてきて……。でも、これには裏話があって、私が30歳を過ぎたころ、母が「実はあのとき……」と話してくれたのが、当時、やる気をなくしている私を見かねた父と母が話し合い、先生を巻き込んで、私をその気にさせるよう仕向けたというんです。芸能界に入っても、政治の世界に入っても、この“自分のいいところ”をいちばん大切にしてきたからこそ、今の自分があることを考えると、この出来事が私のすべての出発点。きっかけをつくってくれた母には感謝してもしきれません。

森田氏35歳ごろ、母・ぬい子さんとのツーショット。「私には反抗期というものがありませんでした。ここまで大きく育ててくれた親に反抗する理由なんてありませんよね。両親には感謝の言葉しかありません」

■挨拶の大切さを教えてくれた父と母

母・ぬい子は、埼玉県出身で大正7(1918)年生まれ、父・亀男は福島県出身の明治42(1909)年生まれ。父は警視庁の刑事だったので、ほとんど家にいませんでした。しかも、台風が来るなど大変なときに限って家にいませんから、その間、家を守ってきたのは母です。時々、知らないおじさんがやってきては世間話をしていくんですが、誰かと思いきや、父が捕まえた泥棒が刑期を終えて、挨拶に来たとのこと。それを母は快くもてなしていました。だから、家族でどこかに出かけるなんてことはまったくなく、休み明けに友人たちから「どこに行った?」と聞かれるのがすごくイヤでしたね。それを母に言うと、「何を言ってるんだい。お父さんが守ってくれているからこそ、おまえの友だちは安心して遊んでいられるんだよ」と。そう言われると「そうか、そうだよなぁ」と釈然としませんが、納得せざるを得ませんでしたね。

森田氏5歳(前列左から2人目)、七五三の家族写真。「もともと5人兄弟でしたが、長兄が4歳で病没。私も幼いころは病弱だったので、母は心配で仕方がなかったようです」。

父が刑事だったので、厳格な家庭だと思われることもありますが、そういう雰囲気はまったくなく、明治・大正生まれの夫婦ですから、頑固な一面もありましたが、子どもたちを押さえ付けることはありませんでした。ただ、両親からいつも言われていたのは、「大きい声で挨拶しろ」ということ。「おはよう」「こんにちは」は、大きな声ではきはきと。感謝の気持ちはちゃんと声を出して言わないと伝わらないのだと、よく言われていました。父も母も普段からよく「ありがとう」を口にする人でした。昔は、“言わなくてもわかるだろう”という人も多かったと思うんですが、2人は違いましたね。だから、私も学生時代から「先手必勝」をもじって、「先礼必勝」を掲げているんですよ。学校では教室に入ってまず大きな声で挨拶をする。県知事になった今も、人から挨拶される前に自分から挨拶をする。これってどの世界で生きていても、自分のためになる行動なんですね。それが両親から教わったいちばんのことです。

■芸能界でも政治の世界でも、生かされた両親の教え

私が芸能界に入ったのは、歌手・黛(まゆずみ)ジュン主演映画の相手役募集のオーディションを受けたのがきっかけ。このオーディションのときも、「君の元気さがいい。いちばん声にハリがあっていい。君こそ、松竹が望んでいた男だ!」と言われて合格したんです。またもや私の“いいところ”が認められたんですね。でも、オーディションを受けたのは芸能人になりたかったからではなく、優勝賞金の50万円が欲しかったから。当時、大学受験に失敗して浪人していて、ある晩ふと目を覚ますと、母がまだ起きているんです。何をしているのかと思ったら、ラジオの部品をつくる内職でした。それを見て、これ以上苦労を掛けちゃいけないと。高卒の給料が約2万円の時代ですから、50万円は大金です。おかげで、優勝賞金を手にし、2度目の挑戦で大学に合格できました。

森田氏38歳ごろ(右端)、ファンクラブとのハワイ旅行にご両親が同行したことも。父・亀男さんは、森田氏の芸能界入りに強く反対したが、入ってからは応援してくれていた。

そのときは、長く俳優業を続けるつもりはなかったのですが、ある日サンミュージックプロダクション初代社長の相さん(相澤秀禎氏/2013年没)に、「何かうまいものを食おう、何が食べたい?」と聞かれ、「ハンバーグが食べたい」と答えると、ハンバーグの有名店に連れて行ってくれました。すると、相さんに「芸能界に入ったら、うまいものが毎日食べられるんだぞ」と説得されて、今の自分があるんですね。そこで食べたハンバーグはすごくおいしくて、自分が今まで食べてきたものと色も形もまったく違う。そのとき初めて、母にハンバーグだと言われて食べていたのが、実は“メンチカツ”だったことが判明。母が芸能界入りのきっかけになったと言えなくもないですね(笑)。

その後、芸能界で「青春」をキーワードに走り続けるのですが、年齢を重ねていくと徐々に「いい年をして何してるんだ」という目で見られるようになってきたんです。だからといって、人の真似をしても自分らしさは出せません。その後も「青春だ!」と走り続けていたら、「森田健作=青春の巨匠」と言われるように。無理をするより、自分の持ち味を生かすほうが大切。それこそ母の教えですよ。私が政治の世界に身を投じたのも、今までお世話になった「青春」に恩返しをしようと思ってのこと。母は、芸能界入りのときと同様に、「おまえの人生なんだから、好きにしなさい。体だけはいといなさいよ」と背中を押してくれました。

父は07年に98歳で、母は17年、同じく98歳で亡くなりました。母が亡くなったのは、千葉県知事3期目の選挙告示日の前日。私の当選を知らずに旅立ったので、母の棺に当選を報じた新聞を納めました。人生、何がきっかけでどう転ぶかわからない。私の人生においては、あの夏の日、母が私に掛けてくれたあの言葉がなければ、今の私はいなかったということだけは確かです。

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森田健作(もりた・けんさく)
千葉県知事
1949年生まれ、東京都出身。20歳のとき、松竹映画『夕月』でデビュー。22歳でドラマ「おれは男だ!」が大ヒットし、一躍人気スターに。その後、43歳で政治の世界へ。参議院議員、衆議院議員を経て、60歳で千葉県知事に。現在3期目。

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(千葉県知事 森田 健作 構成=江藤誌惠 撮影=国府田利光)

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