酒も飲まず"夜の銀座"に半世紀通った理由
プレジデントオンライン / 2018年9月15日 10時45分
■情報の宝庫「夜の銀座」に通う
1990年代にバブルが崩壊するまで、東京・銀座の夜は、様々な人で賑わった。高所得の医師や弁護士、外交官、大企業の創業家の御曹司、文壇を代表する作家、そして政治家の秘書。取り巻きも続く。そんな世界だから、虚実が混ざった「情報の宝庫」だった。
その銀座へ、ひんぱんに足を向けた。くつろぐためではない。大事なお客をもてなすと同時に、会話と情報の渦のなかから、世の中の次の姿をつかむヒントを得るためだ。酒は、ほぼ飲まない。バブルの崩壊は、部長時代の四十代だ。
博覧会のパビリオンや自動車ショーなどの飾り付けから、百貨店の内装、店頭での「POP」と呼ぶ広告や仕掛けまで、ディスプレー業界の国内市場は、いま2兆円に迫る。創業1892年の乃村工藝社は、最大手だ。
乃村には、大学時代からアルバイトに通い、POPづくりに参加した。一方で、様々なアルバイトで貯めた資金で喫茶店を持ち、その収入で初めて銀座のクラブへいったのが二十歳。父は酒類店を営み、酒はすぐそばにふんだんにあったが、家族は商品に手は伸ばさない。入社したとき、職場で「居酒屋にはいかない」と宣言した。アルバイト時代、居酒屋で愚痴をこぼし、人事の話ばかりをしているサラリーマンたちをみて、「ああは、なりたくない」と決めていた。銀座通いも、最初は自腹。でも、仕事ぶりが認められ、2年目から交際費が使えるようになる。
入社して38歳直前で部長になるまで、主に電機メーカーを担当。その2年目だ。販促品で、シボというしわ付きのものをつくるはずが、工場で余分に加熱して平らになって届く。それが1万個。お客に持っていってみせたとき、風邪で40度の熱があった。「何だ、これは」と怒られながら、倒れてしまう。上司が呼ばれ、薬を飲まされ、自宅へ連れて帰ってくれた。
後日、ワインを手に、お客に謝りにいく。相手は「もうしょうがない、これでいい」と言って、そのまま納品できた。自分の職場のように毎日通い、相手の胸の内を聞き出して、銀座などで仕込んだ情報を織り交ぜて提案する。その積み重ねが、若くして認めてもらえた基盤を、築いていたようだ。
優しい応対ばかりではない。これは、入社5、6年目だ。販売店向けに、オーディオ機器の陳列ラックをつくった。厚い板に穴を開け、パイプを通し、5枚つないで棚にする。材料に、ブームが過ぎて閉鎖したボウリング場で床に使われていた硬いパイン材を入手。棚がずれると危ないので、手づくりで精度を上げる。無論、実際につくったのは、家具メーカーだ。
好評で商品化が決まり、5000台を受注した。だが、相手の部長が交代し、上司と一緒に呼ばれて「こんなもの、発注しない。おたくの設計屋は、何を考えているのか」などと、ぼろくそに言われた。相手の課長が「いや、私が発注しました」とかばってくれても、部長は「関係ない、納入は無用。訴えるなら訴えろ」とまで言った。
帰りに思わず涙が出て、上司に「なぜ、こんなことまで言われなければいけないのか。もう、意地でもやってやる」と訴えた。相手の部長にも「ちゃんとやります」と宣言し、上司と部下が家具メーカーに張り付き、自分は電機メーカーで席をもらい、電話で「何台できた?」「検品しよう」と数カ月、やりとりを続ける。それが相手の部長に高く評価され、受注は数万台規模に膨らんだ。
かばってくれた課長とは、連日のように昼食をとりながら情報を交換し、気持ちが通じていた。午後は帰社して部下と打ち合わせ。夕食に出前をとって仕事の手配をすると、夜は「渡辺流を変えるわけにもいかない」と銀座へ。日々の仕事は徐々に部下に渡していったが、銀座や六本木の夜は自分でこなす。そんなだから、会って10年が過ぎても、お客からの電話は「ナベちゃん、いる?」だった。
「愛爵禄百金、不知敵之情者、不仁之至也」(爵禄百金を愛みて敵の情を知らざる者は、不仁の至りなり)――間諜に爵位や俸禄、わずかなお金を与えることを惜しんで敵情を知ろうとしない者は、兵を無駄に死なせる配慮のない人間だ、との意味だ。中国の古典『孫子』にある言葉で、「情報収集に金を惜しむな」と説く。ビジネスでも同様、多様な情報が集まる銀座に着目し、自腹も含めて通った渡辺流は、この教えに重なる。
■無遅刻無欠勤、物事はきちんと
1947年2月、東京・南千住で生まれる、両親と兄3人、姉2人の8人家族。地元の小中学校から都立忍岡高校へ進み、絵が好きで、3年のときに絵画部に入ってスケッチなどを楽しんだ。1浪後に獨協大学経済学部へ入学、十数種のアルバイトを経験し、小遣いは自ら稼いだ。絵画部の先輩がいた乃村では、冒頭で触れたようにPOPを2年ほど手伝った。
いろいろな体験のなかで、結局はPOPづくりが一番面白く、就職先に選ぶ。70年春に入社、POP広告部へ配属され、電機メーカーの営業を担当した。始業は朝9時半。でも、大半が10時半ごろまで出てこない。そんななか、1年間、無遅刻無欠勤で表彰された。時間には正確で、物事はきちんとやらないと気がすまないほうだ。
商談では、100万円単位の販促品の制作なら、30項目くらいの経費を、何円何銭まで細かく出した見積書をつくる。若いときは、いつも、その計算係。子どものころ、実家の酒屋が筆で書いた漢数字の伝票から売り上げを計算していたためか、父母は子どもたちに習字か算盤を習わせた。自分は算盤塾へいき、小学校6年で珠算1級をとり、暗算が得意だった。
やがて、商談を聞いているうちに、それにはどんな経費がいくらかかり、収益はどうなるか、頭で暗算するようになる。当然、「収益重視」も身についていく。それに気づいた上司に以降、見積もりはすべて任された。お客への日参と「爵禄百金」を惜しまぬ情報収集、それに暗算力がかみ合って、電機メーカーとの取引額は数年で6倍になった。
四十代半ばは交通事故に遭い、アキレス腱を切って3カ月もギプスをはめて出社するなど、嫌なこともあった。でも、これは、誰にでも大なり小なりある波だろう。同じ時期、自分でも「あれは、でかかった」と胸を張れる仕事も、やり遂げた。ある自動車メーカーの国内販売網の刷新に、企業理念や行動指針などを示すコーポレート・アイデンティティー(CI)の展開を受注。全国600店の看板を取り換え、うち480店の内装を新調した。模様替えは91年2月から8カ月半かかり、準備期間も含めて指揮を執る。年間に約70憶円もの売り上げになる大型プロジェクトだから、商談にもときどき同行し、相手の役員や大きな販売店の社長たちへの対応も、引き受けた。もちろん、夜の部もだ。
2007年5月、社長に就任。翌年秋にはリーマンショック、4年目には東日本大震災が起きて、逆風が吹きつけた。でも、次号で触れるが、震災復興やスカイツリーの開業など、前向きな舵取りもできた。そんななか、銀座通いも続く。かつてのような会話や情報はもう望めないが、古き友を訪ねるような気持ち。酒を飲まないからこそ、半世紀も続いている。
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1947年、東京都生まれ。70年獨協大学経済学部卒業後、乃村工藝社入社。93年取締役、97年常務、2003年専務、07年社長。15年5月より現職。
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(乃村工藝社 会長 渡辺 勝 書き手=街風隆雄 撮影=門間新弥)
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