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稼ぎ頭の司令官を"逆風下"へ投入した成果

プレジデントオンライン / 2018年9月15日 11時0分

乃村工藝社 会長 渡辺 勝

■黒板に絵を描いて、営業の心得を説く

1994年1月下旬の経営会議のときだ。社長が突然、「渡辺君、次は商環境事業部だ」と言った。驚いた。四十六歳。入社以来、というよりもアルバイトにきていたときから、電機や自動車などの新商品の発売から巨大なショーの展示まで、メーカーの販促活動をひと筋に手がけてきた。その司令塔のMC事業部長になっていた。

商環境事業部は、百貨店や量販店、複合商業施設などの内装や販促品を受け持つ部隊で、メーカー担当の世界とはノウハウもコツも違う。だから、社内の異動はMCならMC、商環境なら商環境と、同じ部門内を縦に動くだけで、「別世界」へいく例はなかった。

だが、商環境部門は、バブル崩壊の打撃を、強く受けていた。消費の低迷で百貨店は新規の出店をやめ、派手なイベントも消え、百貨店・量販店向けの売り上げは90年度の216億円から94年度には69億円と、3分の1に急減した。その再建に、稼ぎ頭で全社を支えていたMC事業部の司令官を、投入する。思い切った選択だ。

ビジネスパーソンのかなりの人が、経験していることだろう。予想もしていなかった人事異動が、突然、やってくる。しかも、行き先がよく知らない分野だったり、逆風下で苦しんでいる部門だったりして、歩んでいくことになる道の先も、みえない。でも、指導者になる人は、そんな場合でも「嫌です」とは、決して言わない。

商環境事業部長は、下に部長級が15人いて、営業、制作、デザイナーの3チームがあり、営業部は5部まであった。初めて足を踏み入れる人間に、それだけの世帯を切り盛りできるのか。人事部が心配したのだろう、「誰か好きな部下を連れてっていいですよ」と言ってきた。でも、「いや、MCの部下を連れていっても何もわからないから、要らない」と断る。

94年2月16日、着任すると全員を集め、個々の役割の明確化を求めた。ところが、それまでそんなことを言う上司はいなかったようで、みんな、ピンときていない。これはダメだ、と思い、勉強会へ切り替えた。人によって、蓄えたノウハウや勘どころも違うから、一堂に集めて説くことはしない。まず営業部隊を少人数のチームに分け、黒板に絵を描きながら、お客へのプレゼンテーションの仕方から教えた。営業の心得も、それぞれに話す。勉強会は毎週やり、テーマは相手の進度に合わせ、個々の部員がのみ込むまで重ねた。

部長たちにも、教えた。15人もいれば、1人1人に教えるべきことは同じではないから、会議で各自の考えを発表させ、指導のポイントをつかむ。予算などあってなきような状態で、未達成でも気にしない雰囲気だったので、上からしっかり管理させなければいけないと、部長教育は毎朝やった。

加えて、抜本的に変えさせたのが、出社時間だ。午前9時半が始業なのに、ルーズな部員が多く、10時半まで揃わない。「お客さんが8時半や9時には会社に出ているのに、こちらがきていないのはおかしい。3回遅刻をしたらクビだ」と叱った。でも、「朝は9時半までにくる」というだけでも、徹底には時間がかかる。しばらく様子をみた後、9時半になったら部屋の鍵をかけ、遅刻者は入れないことにした。このひと押しで、さすがに職場は一変する。

2年間は、こうした1人1人への教育と意識改革で、過ぎた。3年目、ついに業績が上向く。一連の渡辺流が、ぬるま湯に浸っていた組織を活性化させた。部下たちは、強き集団に変身していく。

「汎汎楊舟、載沈載浮」(汎汎たる楊舟、沈むを載せ浮かぶを載す)──柳の木でつくった丈夫な舟は、重い荷物でも軽い荷物でもやすやすと載せていくとの意味で、中国最古の詩篇『詩経』にある言葉だ。立派な教育者は、よい学生でもそうでない学生でも、それぞれに教育していくことの喩えで、商環境事業部でみせた渡辺流は、この喩えに通じる。

■「危機感」をどう共有させるか

もう1つ、商環境の業績を回復させたのが、輸入ブランド品向けの受注だ。事業部長に着任して挨拶回りをするなかで、米国の高級衣料品ブランドの日本法人社長と知り合った。乃村も何件か仕事を任されたことはあるが、誰も特段の付き合いはない。でも、前号で触れた「様々な情報に触れたい」との意欲が、その社長との縁を大切にさせ、機会をみつけては話し込む。四十代が終わるとき、それが、思わぬ果実をもたらした。

相手は97年に高級ブランド「グッチ」の日本法人社長へ転じ、東京・渋谷の百貨店で展開する「グッチ・レディース・ショップ」の改装を打診された。高品質で工期は短く低コストで、との要請だ。「全力で応えよう」と、ポルトガルで大理石の原石を山ごと買い付けるなど、様々に工夫を凝らす。高い評価を受け、グッチの指定業者にもなれた。輸入ブランド向け取引は利益率が高く、ほかにも広げ、収益の回復を支えた。

2007年5月に社長に就任。12月には、東京・台場に新本社ビルが完成する。2つの事業部で鍛えてきた集団に、蓄積した企画力やデザイン力を前面に出す提案型営業を展開させ、乃村グループの年間売上高を初の1千億円の大台に乗せた。ところが、2年目の秋にリーマンショックが勃発する。

だが、社員たちは漠然と「会社はつぶれない」と思っていた。経費の使い方も緩んでいた。でも、売り上げは、あっという間に消えた。「意識改革をしなければいけない」との思いが蘇り、四十代で商環境部門で演じた役を、今度はグループ全体に示す。子会社も含めて何チームかに分け、「うちもつぶれるぞ」との危機感を、繰り返して説く。殿様商売に陥り、お客に頭を下げることも忘れていた社員たちが、怒られ、変わっていく。その手応えを感じ始めたときに、東日本大震災が起きた。

災害対策本部長になると、被災者・被災地向け応援・支援プログラム「みんな つながろう!」をスタートさせる。リーマンショック後の再教育があったから、もう「載沈載浮」は要らない。社員たちが危機感を共有し、それぞれが何を果たすべきかを考えて動く。

岩手県陸前高田市の海岸で津波に耐えた「奇跡の一本松」の保存業務を受託し、技術集団が総力を挙げて防腐処置を施し、元の場所に戻す。2012年5月に開業した東京スカイツリータウンでは、高さ634メートル、自立式電波塔としては世界一のスカイツリーの足元に広がる商業施設や水族館、プラネタリウムなどを企画し、デザインや内装を手がけた。

本社の応接フロアに、「奇跡の一本松」のDNAを持つ松が飾られている。1階には、創業期の東京・両国国技館での「菊人形」の大仕掛けの模型も置いてある。見所だった「段返し」の説明に「できない」とは言いたくないから引き受けた、とある。企業理念をまとめた「ノムラウエイ」にも「逃げない」「諦めない」を記した。

事業が拡大するにつれ、中途採用者が増えている。異業種からも多く、それぞれの価値観もある。それにはいいものも悪いものもあり、乃村の企業文化に合うものなら、採り入れたい。ただ、「逃げない」「諦めない」の精神に欠けては、困る。2015年5月に会長になっても、このDNAを説く役は続いている。

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乃村工藝社 会長 渡辺 勝(わたなべ・まさる)
1947年、東京都生まれ。70年獨協大学経済学部卒業後、乃村工藝社入社。93年取締役、97年常務、2003年専務、07年社長。15年5月より現職。
 

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(乃村工藝社 会長 渡辺 勝 書き手=街風隆雄 撮影=門間新弥)

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