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夏時間導入なら"古いスマホ"に深刻な影響

プレジデントオンライン / 2018年9月10日 9時15分

環境省が作成したサマータイムを啓発するパンフレットの一部

2020年の東京五輪・パラリンピックに向けて、サマータイム導入の是非が問われている。導入に対して楽観的な見方もあるが、IT技術者はシステム改修の費用や期間を理由に強く反対している。国際大学グローバルコミュニケーションセンター客員研究員の楠正憲氏は「数兆円の経済被害が発生するという試算もある。たとえば保証期間を過ぎた古いスマートフォンでは、データを失う恐れがある」と指摘する――。

■噛み合わないサマータイム導入の「お値段」

サマータイム導入の可否を検討する上で、導入に必要な費用と期間の話は避けて通れない。環境庁(当時)が1999に発表した試算は、信号などのシステム改修費用が1000億円。航空機の運行スケジュールなどの調整に2年かかるというものだった。2011年、東日本大震災の際に民主党政権もサマータイムを検討したが、初期の設備投資に1兆円の資金が必要となり、導入を見送った。

立命館大学の上原哲太郎教授が8月10日に公開した資料では、サマータイム対応に係る重要インフラのシステム改修に約3000億円の費用と4~5年の期間、それとは別に機器の買い換えなどが必要となって数兆円の経済被害が発生するとしている。

それでも楽観的な意見は根強い。衆議院議員の船田元氏は8月13日「サマータイムについて」というブログを公開し「コンピュータなどの時間設定の変更は、律儀で真面目な国民ならば十分乗り切れるはずだ」と書いて、批判を集めた。

また環境省がサマータイム啓発のために作成したパンフレットでは、「最近では自動修正タイプの時計が増えている」といった記載がある。だが、システム改修の費用や期間などの課題などには触れられていない。

サマータイムの導入に対し、なぜ現状認識にこれほど差が出てしまうのか。それは課題について正確に理解されていないからだろう。ひとつずつ考えてみたい。

■機種によってサマータイムの「解釈」が異なる電波時計

まずは時計だ。いくつかの電波時計はすでにサマータイムに対応している。だが、これがかえって厄介な問題を引き起こす。

現在日本で検討されている「2時間前倒し」のサマータイムを導入する場合、電波時計では2つの実現方法がある。標準電波の仕様通りに「日本標準時+夏時間フラグ」を立てる方法と、送出する時間そのものを2時間前倒しする方法だ。

夏時間のフラグを立てた場合、電波時計は機種によって3種類の時刻を示す可能性がある。サマータイム未対応の時計はフラグを無視して日本標準時を示し、かつて議論されていた「1時間前倒し」を想定した機種は海外のサマータイム導入国のように1時間先の時刻を示す。つまり正確な時刻を示すことができるのは、「2時間前倒し」のサマータイム導入が決まったあとに設計された最新機種だけだ。

一方、送出する標準電波そのものを2時間前倒しとした場合、全ての電波時計が2時間前倒しの時刻を表示できる。ところが電波時計は標準電波の時刻を「日本標準時」だと判断するので、世界の国と地域の現時刻を表示する「世界時計」の機能を使った場合には、各国の時刻を2時間進めて表示してしまう。

サマータイムに起因する問題は、機器がサマータイムに対応しているかどうかだけでなく、機器ごとに異なるサマータイムの解釈や内部的な扱いでも生じるのである。スマートウォッチを除くと、時計の多くはファームウェアの更新に対応していないため、買い換える必要が生じると考えられる。

■実はもう時計やパソコンに組み込まれている夏時間対応

さらに厄介なのはテレビやデジカメ、コンピュータでの対応だ。昔のコンピュータは単純に現地時間で動いていた。だが21世紀に入ってからは、パソコンなどの民生機器も含めてタイムゾーンやサマータイムに正しく対応できるよう、内部的には世界標準時で動くようになっている。

世界標準時を正しく現地時間に読み替えるために、コンピュータの多くは各国の時間と世界標準時との関係を記述した「tz database」と呼ぶデータベースを内蔵している。新たに日本でサマータイムを実施する場合には、このデータベースを更新した上で、タイムゾーンを扱う全ての機器のOSを更新する必要がある。

しかしながら医療機器や工場の生産ラインなど継続稼働が重要な領域では、安定運用を優先してOSの更新を忌避したり、メーカーが勝手な更新を禁止したりしているケースも少なくない。これらが独立して動作している場合は運用で対応できるが、ネットワークで他の機器と通信している場合は対応に苦慮することになるだろう。

■古いAndroid端末はサマータイムに対応できない

またスマートフォンも大きな影響を受ける。スマートフォンは携帯電話網やGPSから正確な標準時間を受け取って現地時間に変換しているので、夏時間に対応するためにはOSの更新が必要だ。

このときiPhoneは夏時間に正しく対応できると考えられる。iPhoneは常にアップルが最新のOSを提供しており、その提供期間も十分に長い。執筆点で最新のOSである「iOS11」は、2013年9月発売の「iPhone 5s」までをサポートしている。アップルが長期間にわたって最新のOSを提供できるのは、ソフトウェア全体を自社で管理して、機種の数を絞り込んでいるからだ。

問題はキャリアブランドやメーカーブランドで販売されているアンドロイド(Android)の端末だ。これらは機種の数が多い上にキャリア毎に細かくカスタマイズされているためOS更新の提供時期がバラバラで、提供終了までの時間が短い。

夏時間に対応していないアンドロイド端末は、夏時間導入後も日本標準時で時刻を表示し続ける。無理に端末の時刻を2時間進めた場合、その端末から送られた電子メールは“2時間先の未来”から送られてきたことになって周囲に迷惑をかけてしまう。またスケジュールやファイルを管理するアプリでは、想定しない更新や上書き処理が行われてデータを失う可能性もある。

グーグルは2011年5月、18カ月間のOSアップデートを保証すると発表。シャープも今年5月に2年間の保証を発表した。しかし、いずれにしても5年近くOS更新を提供しているアップルとの差は大きい。キャリアやメーカーがOSを更新しないと、「tz database」を更新できないのでサマータイムに対応できない。

■数兆円規模の費用と5年の期間を要する基幹システムの対応

通信や金融、流通、交通管制など、あらゆる分野の情報システムが時間を扱っている。サマータイムの対応には、あらゆる技術者が研修を受け、サマータイムへの移行や標準時への戻しといったテストを実施し、さらに不具合を修正した上で、システム連携テストを行うといった作業が必要になる。

日本銀行のレポート「コンピューター 2000年問題に関するわが国金融界の対応状況」の一部。金融機関の「2000年問題」対応費用は4552億円に上る

サマータイムと同様に時間の扱いを見直す必要のあった「2000年問題」は数年かけて計画的に対応した。日本銀行が1999年8月に発表したレポート「コンピューター 2000年問題に関するわが国金融界の対応状況」によると、その費用は金融機関だけで4552億円に上ったという。サマータイムの対応には全産業セクターで兆単位の費用と、最低でも4~5年の期間がかかると予想される。

2000年問題は業界が改修費用を負担したが、政府のサマータイム導入によって改修費用が発生する場合、産業界は時計やデジタル機器の買い換え、システムの改修費用に対する補助金や税制優遇など、国による費用の補助を求めることになるだろう。対応が間に合わずサマータイムに起因する事故が起こった場合には、リスクを承知で拙速にサマータイムを推進した政府も責任を問われることも考えられる。

■当初の目的に立ち返って本当に必要な施策を見極めるべき

かつてサマータイムを検討してきた背景には省エネと地球温暖化対策があったはずだ。だが今では五輪開催時の猛暑対策の話にすり替っている。猛暑対策としてサマータイムを導入するのは巨額の費用と期間を要する一方、効果が不確実だ。サマータイムにかかる費用があれば、国立競技場だけでなく、あらゆる会場にクーラーを入れることもできる。

個々人がライフスタイルを見直すことでエネルギー消費を抑制し、もっと心地良い環境で生活を送る方法は、時間を動かすだけではない。サマータイムを古くから実施してきた欧州も近年は時差ボケによる健康被害や交通事故の増加といった指摘を踏まえて、サマータイムを見直す動きがある。EUのユンケル欧州委員長は8月31日(現地時間)、ドイツの公共テレビZDFとのインタビューで制度の廃止を目指す意向を表明している。

早寝早起きで日中を有効に使うことには価値があるが、早起きを全ての国民に押し付けて睡眠不足で健康を害したり、交通事故を誘発したりしてしまっては本末転倒だ。数兆円の費用と数年の期間をかける取り組みをするのであれば、個々人のワークスタイルの多様化を支えられるような、持続可能な社会システムを構築するべきではないか。それもまた五輪のレガシーとして後世に活かしていけるはずだ。

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楠 正憲(くすのき・まさのり)
国際大学グローバルコミュニケーションセンター 客員研究員
インターネット総合研究所、マイクロソフト、ヤフーなどを経て、現在は銀行系FinTech企業でCTOを務める。2011年から内閣官房の補佐官としてマイナンバー制度を支える情報システムの構築に従事。ISO/TC307 国内委員会 委員長としてブロックチェーン技術の国際標準化に携わる。

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(国際大学グローバルコミュニケーションセンター 客員研究員 楠 正憲)

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