敏腕女性役員"次世代エンジニアの育て方"

プレジデントオンライン / 2018年9月21日 15時15分

金谷美春●1968年、長野県生まれ。90年、信州大学理学部を卒業後、入社。主にインクジェットプリンター用インク開発と商品化に携わる。97年に主任昇格。2002年に主事昇格。17年より現職。

1つの課題で100回を超える実験と検証を繰り返すインクの開発現場で活躍し、今は30人以上の部下を束ねる。金谷さんが後輩たちに繰り返し伝えていることとは――。

■セイコーエプソン部長「かつて昇進の打診を断った理由」

セイコーエプソン広丘事業所(長野県塩尻市)に勤務する金谷美春さんは、上司から課長昇進の打診を受けた際、しばらく悩んだ末に断った経験がある。

「せっかくのお話ですが、今はまだ考えられません……」

入社12年目、今から15年ほど前のことだ。当時、インクジェットプリンター用のインク開発を担当していた彼女は、エンジニアとして研究を続けることに未練を感じていた。管理職になるよりも、1人の研究者として現場にいたい――。だが、昇進の打診を断るのは男女を問わず異例のことで、上司は少し面食らったようだった。

「あの頃はまだ、仕事に対する視野が狭かったのかもしれません。技術職で入った自分にマネジメントが務まるのだろうか、という不安もありました」

そのときの気持ちが甦るのだろう、そう語るとき、彼女はいかにも懐かしそうな表情を浮かべる。

「事業を俯瞰(ふかん)して見られるようになった今なら、昇進して次のステップに進むことで初めて見えてくる仕事の面白さもあるとわかります。でも、そのときはどうしても、そうは思えなくて……」

長野県安曇野市に生まれた彼女は信州大学を卒業後、地元に本社を置く同社に就職した。

業務用・家庭用双方のカラープリンターが、ちょうど世の中に普及し始める頃。配属されたインク開発の部署では30代半ばの女性がリーダーを務めており、新しい製品を世に出そうという部署の雰囲気は、いつも活気にあふれていた。

■帰宅時に手が真っ青になっていることに気づいた

「会社名も日本ではまだほとんど知られていなくて、インク開発の材料を取り寄せようとすると、電話口で石油会社のエクソンと間違えられたりもしました(笑)」

(上)出社したらすぐにPCを立ち上げてメールチェック。優先順位をつけて素早く処理する。(下)部下の7割は男性だが、技術の話に性差はない。お互いに遠慮せず自由に意見を交わす。

彼女自身、最初はプリンターにほとんど興味はなく、液晶の開発部門を志望していた。だが、入社した90年からの十数年間は、プリンターの売り上げが右肩上がりで推移していく。開発チームの規模も着実に拡大し、「やったことがすべて成果になっていく面白さがありました」と彼女は振り返る。

「たくさんのお客さまから『写真のような画質』『印刷が速くて助かる』といった反響をいただいて、自分の手がけた研究が社会に広がっていく喜びを実感しました」

研究所では、目的に応じたインクをひたすら試作し、評価機で実際に印刷して評価する作業が続く。時には全く色が濃くならなかったり、インクがうまく吐出(としゅつ)されず、線や印字が途切れてしまうこともあった。

そんなときは、「開発のコンセプトとストーリー」を振り返りながら、仲間とともに実験計画を立て、地道に試行錯誤を繰り返した。「開発のコンセプト」は特許や学術論文を読み込んで得られることもあれば、化粧品や洗剤といった日用品の材料からヒントを得ることもあった。思い描いた仮説がぴったりと当たったときは、エンジニアとしての醍醐味(だいごみ)を感じた。

「作業に熱中するあまり、手袋に穴が開いているのに気づかなくて、帰宅時に手が真っ青になっていることもよくありました」

開発は長いもので5年以上の期間が費やされ、実験回数が3桁になることも多かった。インクの匂いのする研究室で作業着を汚しながら仕事を続けた日々は、彼女のキャリアの原風景となっている。

それから約20年が経ち、事業をめぐる環境も自らの立場も変わった。1度は断った課長職に再び推薦され、覚悟を決めたのは翌年のこと。さらに2年後には部長となり、同社のインク開発の全体を統括するようになった。

入社5年目にエンジニアの同僚と結婚したが、面白いことに夫のほうはプリンターのヘッド開発部門の部長だという。子どもを持たなかった2人は、社内のキャリアをほぼ同じペースで歩んできた。「会議で意見が割れると、家で議論の延長戦になってしまうこともある」そうだ。

■「技術に失敗はない」と、後輩たちの心を支える

30人以上の部下をもつ彼女にとって、大きな課題の1つは次世代のエンジニアを育成することだ。

Essential Item●革の小物入れ(右)にスマホや名刺入れ(左)などを収納。指示棒(中)は印刷物の色味チェック用。

「私が研究していた時代にくらべると、写真印刷の需要は激減しました。スマートフォンで写真を撮っても、印刷はしないという人も多いでしょう。一方でインクジェットプリントの技術は一段も二段も高いレベルが求められています。やったことがすぐに成果につながる時代ではもうない。そのなかで、いかに若い研究者たちのモチベーションを喚起すればいいかには、いつも気を配っていますね」

たとえば、技術上の目標を明確に定め、「このレベルの技術が開発できれば、こうした商品を展開できる」と具体的に示すこと。また、目標に届かなかったときも、「技術には失敗というものがなく、その蓄積が次につながる」と、後輩たちに繰り返し語ってきた。

「マネジメントする立場になってからも、『自分で実験したい』と思うことがたまにあります。ただ、現場を部下たちに任せ、成長させていくのも私の役割。そうするうちに、これまでの仕事とは違った面白さ、やりがいを感じるようになっていきました。チャンスは誰にでも与えられるわけではありません。声がかかったら、たとえ不安でも一歩前に踏み出してみて、と言いたいですね」

----------

▼金谷さんの1日のスケジュール
(6:00~7:30)起床、家事、身支度
(7:30~8:15)通勤(自動車)
(8:30~9:30)始業、メールチェック
(9:30~10:00)部課長朝会
(10:00~12:00)資料作成、管理業務など
(12:00~13:00)昼食
(13:00~18:00)社内打ち合わせ
(18:00~18:45)退社、帰宅(自動車)

(19:00~20:30)夕飯、家事
(20:30~0:30)入浴、テレビ、読書など
(0:30)就寝

----------

(プレジデント ウーマン編集部 撮影=伊藤菜々子)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング