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UIJターン就職"祭り・集会参加はマスト"

プレジデントオンライン / 2018年10月1日 9時15分

写真=iStock.com/metamorworks

仕事の着地点を意識する50代。しかしその年代で、首都圏から地方に転職しようとする者たちがいる。なぜ新天地を目指すのか? その実情に迫った。

■故郷へ戻ることに、もはやマイナスイメージはない!

住む場所も仕事も替え、美しい自然のなかで人生の後半を過ごす。年を重ねると、新しいスタートを夢見るものだ。近頃、そんな自由な生き方が比較的簡単にできるようになりつつある。

「この10年間で、地方移住の相談は右肩上がりで増えています」と語るのは、ふるさと回帰支援センターの高橋公理事長。同センターに相談を寄せた人数は、2008年は約2500人だったのが、17年には3万3000人を超え、大幅に増えている。

高橋氏によれば、潮目が変わったのは14年。政府が地方活性化を目的とした「まち・ひと・しごと創生本部」をつくり、地方創生推進交付金を出すようになった。この交付金をもとに、各自治体は、住居の斡旋、第2子以降の保育園の無料化、介護施設の充実など、移住者への優遇政策を打ち出し、積極的にわが町への移住を呼びかけるようになった。

「10年くらい前までは、東京から地方に戻ってくると、『都会で一旗揚げるつもりが、尻尾を巻いて逃げ帰ってきた』と見られるようなマイナスのイメージもありました。しかし最近は若い層を中心に、首都圏から地方に移住するのは特別なことではなくなっています」(高橋氏)

また、14年には内閣府の主導で「プロフェッショナル人材戦略拠点事業」が始まった。都会からは見えにくい地方の中小企業の求人情報を可視化し、首都圏在住者や人材会社につなげるための組織だ。転職サイトを運営するビズリーチの地域活性推進事業部・加瀬澤良年チーフプロデューサーは、「この事業が始まったことで、明らかに人材の流動性が高まりました。成功例も生まれて、よいスパイラルが回り始めたといっていいでしょう」と説明する。

「数年前まで、Iターン・Uターン転職の主役として期待されていたのは若者でした。多くの地方企業では採用するとき、中途ではなく新卒を採用する文化があったからです。しかし30代以上のIターン・Uターンの事例が蓄積するにつれ、企業側もそれぞれの年代に応じた人材の活用法を把握してきました。シニア層をターゲットとした求人は多くはありませんが、経験を重視する求人は増えています」

一般的に求められるシニア層は、大企業出身者が多い。地方の中小企業では、大手で培った知見やノウハウをほしがっており、なかでも製造業の品質管理や工場管理など、元管理部門職の採用が目立つという。また大企業には転勤する機会が多く、家族も移住に慣れているため、反対が少ないという事情もある。

▼人気の移住希望地は?
1位:長野県 2位:山梨県 3位:静岡県 4位:広島県 5位:新潟県
6位:福岡県 7位:岡山県 8位:福島県 9位:宮崎県 10位:富山県

出典:ふるさと回帰支援センター(東京)「移住希望地域ランキング」(2017年)

■移住する者が気をつけておくべきこと

Iターン・Uターン・Jターン就職では中小企業に就職するケースが多い。そこで避けられないのが、年収ダウンの問題だ。調査では課題のトップを占め、過半数が減収になるという。

しかし、高給の職業も一部に存在する。最近注目されるのが、マーケティングや経営戦略の策定などを担当する、地域振興のプロデューサーである。最近、山形県小国町が年収1000万円の条件で募集すると、全国から369名の応募があり、約半数が50代以上だった。また経営者や管理職を経験したシニアのセカンドキャリアとして、「継業」への関心も高まっている。

「昔からその土地でやってきた商売が、後継ぎがいないために続けられなくなることが増えています。そこで事業を継いでくれる人を他の地域から一般募集する。経済産業省などが補助金を出し、これを支援するしくみができつつあります」(高橋氏)

継業のメリットは、ゼロから起業するよりもリスクが低いこと。デメリットは自由度が低いことだ。しかし素人や移住者だからこそ、斬新な発想でイノベーションを起こす可能性も大きい。事業者と移住者がうまくマッチすれば、地方経済を活性化するしくみとして期待できるかもしれない。

継業にせよ転職にせよ、移住をともなう以上、通常の転職よりも慎重さが求められることは間違いない。地方に転職する際、何に気をつけるべきか、アドバイスをもらった。

「地方の会社の社長は、首都圏のそれよりも大きな力を持っていることが多い。社長が後ろ盾になってくれないと、社内で協力を得られないという可能性もでてきます。社長や経営陣とミスマッチを起こさないため、人柄や経営方針を、面接で納得いくまで確認したほうがいいでしょう」(加瀬澤氏)

「地方では会社とプライベートがそれほど厳密に分かれておらず、会社の人と休日に顔を合わせることもあります。うまくやっていくには、お祭りや集会に参加するなどして、自ら地域に溶け込む努力が必要です。もし不安なら、『お試し移住』の制度がある自治体も多いので、利用してその土地の雰囲気を確かめてください」(高橋氏)

▼経験者が語る「成功の秘訣」

首都圏の大企業勤務から離れ、地方の中小企業を選んだ者たち。彼らはなぜそこに至り、何を目指すのか。その声に耳を傾けよう。
50代でUターン
東京→栃木

■定年までに、わが家へ戻ろうと転職活動を開始

「今までの転職は事後報告だったんです。今回はさすがに最後になると思って、妻に転職してもいいか聞きました。そうしたら『好きにすれば?』って」

中村信之●1962年生まれ。国内大手電機メーカーで医療機器の設計、外資系メーカー2社で医療機器のサービス、マネジメントを経て、2018年2月、生検針・特殊針メーカーのタスクに入社。開発部長を務める。

笑って振り返る中村信之氏は55歳。これが3度目の転職だった。

大学院を卒業して大手電機メーカーに入社し、栃木県で医療機器の設計・開発に従事。その後、30代後半で会社を移り、2社目、3社目は東京に勤務するが、いつかは栃木に帰ろうという思いがあった。それは最初の会社に勤務中、栃木に家を建てていたからだ。

「2社目以降、私は埼玉や東京の賃貸から通って、16年ほど持ち家の暮らしから離れていました。でもゆくゆくは戻るつもりだったので、定年までの体力と気力があるうちに、新しい仕事を見つけたかった。それで地元の転職エージェントに、打診していたんです」

条件は家から通える範囲で、これまで携わってきた医療機器関連企業であること。見つからなければ都内に残る道も検討していたなか、紹介されたのが、地元の中小企業・タスクの開発部長職だった。

タスクは生検針・特殊針の製造メーカーで、ここ数年で売上高が倍になるなど、事業が拡大中。人事総務部長の佐野稔氏によれば、「会社が大きくなるにつれて、足りない要素がだんだん顕在化してきました。そこで改めて基盤を構築しようと、要職を募集したんです。シニア層を探したわけではなく、求めていた能力を備えていたのが中村さんだったわけです」。

収入は前職よりやや下がったが、躊躇はなかった。ひとつは自己負担だった賃貸料と、2人の子どもが就職して教育費がかからなくなったため、大きな影響を受けなかったこと。もうひとつは、開発業務の魅力だった。前職は外資系の日本法人だったので、輸入した装置を販売・サービスする業務が中心。もの作りから離れる寂しさを感じていた。それが開発担当なら、ゼロから新しいものを作り出す仕事に携われる。

「また、タスクが成長中の企業だったことにも背中を押されました。最初の転職は、外資系企業が日本で新しい事業を立ち上げるところでの入社。会社が人を入れて伸びていく時期はダイナミックで面白いし、何より自分のやりたいことができるので」

そして地方に戻ってきたことで、何より楽しみにしていることがある。それは趣味のオートバイだ。東京に引っ越した頃は置く場所がなくて、一時期手放していたが、次第に熱が戻って再び乗るようになった。今所持しているのは1800ccの大型バイクだ。

「東京では専用のガレージを借りていたんですが、そこまで自転車で移動するのがストレスでした。都内のマンションと比べて地方の一戸建ては、好きなときにオートバイにふれられるのが嬉しい。栃木は走るところがいっぱいありますから、日頃は仕事に集中して、休日のツーリングでストレスを発散しています」

重いバイクのUターンは転倒しやすく、勇気がいるといわれる。思い切ってハンドルを切った中村氏は、これからも新しいステージで走り続ける気概に満ちていた。

60代でIターン
神奈川→富山

■平日は猛烈に働き、休日は地方生活を満喫する

3.47平方キロメートル。日本で一番面積が小さい村・富山県舟橋村に、従業員数約400名の電子部品メーカー・ファインネクスは本社を構える。そこに大都市・横浜からやって来たのが、細見章夫氏だ。

細見章夫●1956年生まれ。アルプス電気などを経て、2014年、国上精機工業の社長に就任。17年、ファインネクスに入社。18年6月から専務取締役、技術本部長を務める。

細見氏は長年、電子部品メーカー・アルプス電気で自動車関連業務に従事。アメリカに6年、イギリスに4年、中国に4年と、世界を転々とした。そして58歳で製造メーカー・国上精機工業の社長に就任。2年ほどで次の経営者に事業を承継した。

「60歳であがるにはまだ早いなと思い、知り合いのヘッドハンターに『辞めたんだけど、自分が役に立つような企業はない?』と聞いて回ったんです。そこで紹介されたのが、ファインネクスでした」

富山県にゆかりはなかった。しかし「人生の岐路に立ったとき、今の延長線上ではない選択肢を選ぶ」を信条とする細見氏は、「むしろ住んだことのないところのほうが興味がありました」と、未知の土地へ迷わず向かった。

待遇は、技術本部の副部長職(現・本部長)。取引先に自社の技術を売り込み、開発して、立ち上げる要職だ。今も平日は深夜1時に寝て朝5時に起きる多忙な日々を送る。しかし休日は、近くにあるゴルフコースに繰り出し、晴れた日には立山連峰を横目にオープンカーやバイクでドライブするなど、地方生活を満喫する。

「生活のゆとりが地方にはありますよね。ITやアマゾンも普及して、デメリットはほとんど感じません。都会から来たことにやっかみを覚える人も中にはいるのかもしれませんが、それより親切な人が多い印象です。出身地は変えようと思っても変えられるわけではない。『今同じ場所にいたら、一緒に行動する』のはどの地方でも、どの国でも同じだと思いますよ」

地方で働いて気づいたことがある。それは一人一人が優秀で、都会の人材と差がないということだ。一方で、地方の中小企業には幅広い経験をした人が少なく、リーダーが足りないという現実も感じた。

「大企業で経験を積んだビジネスマンは、地方の優秀な若手にノウハウを伝えられるはずです。実力があるのに失敗して埋もれている人や、先が見えて閉塞感がある人は、活躍の場を求めて地方を目指せばいいのではないでしょうか」

今後の人生設計について訊ねると、「富山は好きなのでこのままいてもいいし、海外に工場を建てることになったらそこに赴任してもいい」という答えが返ってきた。

「故郷は大好きだし、妻が住む大阪の家には月1のペースで帰ってます。でも子どもは自立していきますし、自宅がすべてでもないかなと。ここから先は、お役に立てるところ、求められるところならどこでも行きます。死に場所はどこでもいいですよ」

細見氏は60代という年齢に不安を感じていないという。最近、ジムに通って鍛えるうち、落ちた筋肉が戻る経験をした。「仕事も経験を積んで、できることが増えている」と語る氏は、たとえどこで働くことになっても、当分リタイヤすることはないだろう。

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高橋 公
1947年生まれ。自治労本部入職、連合出向、社会政策局長。菅内閣新しい公共推進会議などの有識者委員を歴任。現在、認定NPO法人ふるさと回帰支援センター理事長。
 

加瀬澤良年
2000年、明治大学卒業後、リクルートグループを経て、11年、ビズリーチに入社。各地の企業・自治体の採用コンサルティングや地方創生プロジェクトを行う。
 

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(ライター&エディター 長山 清子、プレジデント編集部 鈴木 工 撮影=金子山 取材協力=リージョナルスタイル 写真=iStock.com)

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