スロットで万札溶かした男の弁護人の情熱
プレジデントオンライン / 2018年10月1日 9時15分
■退屈な法廷の空気を一変させた弁護士の「弁論」
たくさんの裁判を傍聴すれば、被告人だけではなく、弁護人も数多く見ることになる。裁判では検察は原告、弁護人は被告の代理人。両者の違いは、弁護人のそばには被告人がいることだ。そのため、ときとして被告人と弁護人は共に戦うチームメイトのような一体感をかもしだす場合がある。
これ、事件の大小とは関係がない。映画やドラマのように、有能な弁護人の奮闘によって無罪判決が下される場面に遭遇することは稀だし、そういう事件には実績のあるベテラン弁護人がつくものだ。彼らベテランの弁論は練りに練られたスキのないもので聞きごたえ十分。いかにもプロの仕事人という感じで、うまくハマったときは裁判員や傍聴人の心を動かし、法廷全体が揺れるような感動を巻き起こす力を持っている。
もっとも、前述のようにほとんどは、被告人が有罪を認めるか、無理のある否認をするかである。そのため、検察の冒頭陳述から弁護人の最終弁論まで、淡々と流れて判決に至る。弁護人にできることと言えば、執行猶予に持ち込むか、刑期を少しでも短くするかくらいだ。
■全財産2万円をスロットなどに費やし万引きした23歳
しかし、そういう平凡な裁判の中にも、ときにはグッとくる裁判がある。いまでも忘れられないのは、10年近く前に見たこんな裁判だ。
窃盗などの前歴3件を持つ23歳の男が起こした万引事件だった。4年前に家出をし、マンガ喫茶で寝泊まりした後、建設現場で働いていた被告人は、事件当日、全財産の2万円を持って都心に向かった。所持金で服を買い、スロットで溶かし、気づけば財布の中にはたった2円しか残っていない。これでは電車にも乗れないので、万引きでピンチをしのごうと、秋葉原でゲームソフト4本(1万6420円相当)の防犯タグを外し、手提げ袋に入れて店外へ持ち出そうとしたところを、不審に思った警備員に見とがめられ、御用となった。
小さな事件である。罪も認め、有罪は確実。争点もないので、裁判長は「即決裁判手続で行います」と早々に宣言を出した。初公判で一気に判決まで行くという意味だ。すでに結論は出ていて、判決文まで仕上がっているのである。裁判長、検察、弁護人にとってはルーティンワークの極み。力の入れようがない。見せ場もなさそうなので、傍聴人もあらかた出ていってしまった。
しかし、おそらく30代前半の若い弁護人だけは張り切っていた。
「○○君(被告人)は家出してから家族と会ったことはあるのですか」
「ありました。弟とケンカして親父になじられて出たのですが、おばあちゃんには会いに行ったことがあります」
「おばあちゃんに、今回の事件のことは知らせた?」
「知らせていません。心配かけるし、高齢だから証人に呼ぶのもかわいそうだから」
■なぜ弁護人は何度も拘置所に足を運び、被告人に面会したのか
親しみをもたせる狙いか、弁護人は被告人を君づけで呼びながら質問を繰り出す。実家から家出した事情をていねいに聞き出し、中学卒業後、実家の建築業を4年間手伝って、基礎的なスキルがあることを確認した。裁判長も検察も一切興味のなさそうな話だが、予定時間が1時間あるし、検察の尋問はすぐ終わるだろうから放っておく構えだ。
「無職ということですが、事件のときは建築会社の寮に住み込みで働いていたんですよね」
「そうです。親方にはけっこうかわいがってもらっていて。申し訳ない気持ちです」
「うんうん、そうだよね。万引きは、あってはならないことだからね。それで、荷物はどうしましたか」
「まだ寮にあります」
弁護人は会社の社長にも会ってきて、荷物がキープされていることを確認していた。部屋はそのままで、判決次第では、再雇用も考えているらしい。この事件は執行猶予付判決になることが濃厚だから、そうなったときの仕事のあてがあると言いたいのだ。また、高齢のおばあちゃんについて語らせたのは、情状証人がきていないことの理由付けをするためだろう。
他にもわかったことがある。この裁判のために、弁護人は何度も拘置所に足を運び、被告人との面会をしてきたというのだ。被告人の表情から、弁護人を信頼していることが見て取れた。質問と答えのテンポも息が合っている。
犯行内容が平凡で、傍聴人もあまりいない事件。弁護人がさっさと終わらせようとすれば判決まで30分もかからないだろうが、時間をギリギリまで使い、被告人の事情や反省ぶりをていねいに積み重ねていく。弁護人のテンションは高いけれど、それは自分のパフォーマンスに酔ってのことではなく、全力で仕事に取り組む姿勢から生じたものだ。その熱が、23歳の若い被告人にも伝わり、バカなことをしたという後悔と、なんとか立ち直りたいという前向きな気持ちを、うまく言葉にして引き出している。
「社会に戻ったら、二度と万引きなどしないようにしたい。家族にも会いに行き、親に謝りたい」
■裁判長・検察も弁護人の“仕事”を認めた
ありふれた反省の弁が、血の通った心からの言葉に聞こえてくるのだ。なかなかやるな、この弁護人。そう思ったのは筆者だけではなかった。検察は尋問そっちのけで、諭すように語りかける。
「いいかい。人のものに手を出すってことは悪いことなの。寮に戻ったとき、頭を下げて雇ってもらう覚悟はできているの?」
裁判長もこの雰囲気に同調した。
「誰もあなたを刑務所に入れたくてここに立たせているんじゃないですよ」
そして、筆者がそれまで聞いたことのない言葉まで飛び出す。
「弁護人も一所懸命にあなたを心配していますよ」
大きくうなずき、被告人にほほ笑みかける弁護人。うーん、グッジョブ!
■被告人に血の通った生きた言葉をしゃべらせるための弁論
判決は求刑通りの1年に、3年間の執行猶予がついた。弁護人が頑張らなくても結果は同じだろうが、被告人が前向きな気持ちで判決を聞いたことは、再犯防止の効果が大きいだろう。裁判長の評価も高かったはずだ。弁護人が拘置所に通い、被告人と気持ちを通じ合わせたことは、すべてこのためだったのだ。
この若い弁護人は、金にならず、やりがいもないため、大御所が見向きもしないような事件でも、経験を積むために国選弁護人を引き受けたのだろう。
仕事の少ない若手ががんばるのは当たり前の話だ。地味な仕事に手を抜かないのは立派だが、やろうと思えば誰でもできる。社会人が求められるのは結果であって、失敗したけど努力したから許されるのは、心優しい上司や同僚に恵まれた人だけだろう。
筆者がこの弁護人を見ていて感心したのは、たいした役割を与えられず、目立った活躍はできないとわかったとき、それでも自分のためになる仕事をしようとしたように思えたからである。わかりきっている判決の軽減を狙うのではなく、弁護のテクニックを披露するのでもなく、被告人に生きた言葉をしゃべらせるための弁論を組み立てていた。
たまたま、この日は検察と裁判長がそれを認めて反応したが、うまくいかないこともあっただろう。でも、とうとううまくいった。成功経験は何よりの栄養となるので、次回以降の弁論にも活きてくる。
ビジネスシーンでも、似たようなことはあると思う。チャンスはいきなりやってはこない。簡単な仕事Aを与えられたとき、ただこなすのではなく、ひと味加えて仕上げる。と、それより少し難易度の高い仕事Bを命じられ、またひと味加える。いい意味で予想を裏切るのだ。
人の目は節穴じゃないので、誰かが気づく。評価はそうやって一歩ずつ高まり、ある地点に到達し、チャレンジングな仕事Cを成功させたとき固まるのではないか。
(コラムニスト 北尾 トロ 写真=iStock.com)
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