人は50歳で人生を受け入れ"天命"を知る
プレジデントオンライン / 2018年10月4日 9時15分
※本稿は『会社員人生、五十路の壁』(PHP新書)を再編集したものです。
■日本振興銀行の社外取締役になったわけ
私は1997年の第一勧業銀行時代、戦後最大規模の金融スキャンダル「総会屋利益供与事件」を経験し、これまでも多くの場所でその経験を語ってきた。
私にはその事件以外に、もうひとつ忘れられない出来事がある。
日本振興銀行事件だ。
銀行を50歳直前に退職し、作家やコメンテーターとしての仕事も順調だった時、朝日新聞の友人を通じて金融庁顧問である木村剛さんが作った日本振興銀行を助けてほしいと頼まれた。
中小零細企業を支援する銀行だと言う。当時は、貸し渋り、貸しはがしで中小零細企業が苦しんでいた。
私は銀行員時代の経験から、中小零細企業への支援の必要性を痛感していたので引き受けた。社外取締役として、木村さんへのアドバイスができれば――そう考えた。
木村さんは、1985年の日本銀行入行後、華々しいキャリアを重ねた銀行界のスーパーエリート。彼が中心となって作成したと言われる金融庁の検査マニュアルで私たち銀行員は指導を受けていた。実際、私は彼の検査マニュアルの講義を大勢の行員たちに交じって遠くから拝聴した経験もあった。
私は、自民党の平将明さんらとともに社外役員になった。
木村さんに何度も言ったのは、「銀行はストック商売で焦ると、腐りやすいからね、中小零細企業とは対面融資が原則だよ」などということだ。
木村さんは私たち社外役員のアドバイスを傾聴してくれていたように思った。
彼は、私の目からはぜいたくするような人に見えなかったし、真面目に取り組んでいた。
■刑事事件のあとに引き受けた「役割」
しかし、成果に焦っていたのだろう。株主からの圧力もあったのではないか。
また当時の金融庁をひどく敵対視していて「金融庁につぶされる」と警戒していた。その理由は私には分からない。なぜそれほどまで金融庁と敵対するのか、彼は理由を明確にしなかった。
日本振興銀行は中小零細企業のための銀行としてスタートしたこともあって、不良債権も多かった。創業者の木村さんの考えもあって、金融庁の方針に従いつつも、あまり従順ではなかった。
金融庁が検査に入った時、検査忌避や検査妨害の疑いをかけられてしまった。そのため、金融庁に告発され、ついに警察が強制捜査に入り、刑事事件化してしまった。
私も取り調べの対象となり、検事から「社外役員の方はかわいそうでしたね」と同情された。私たち社外役員には、経営の真の実態が報告されていなかったのだ。それを見抜くのが社外役員だろうと言われれば、反論のしようがないので、これ以上は言うまい。
私は、刑事事件後、金融庁から依頼されて、記者会見に臨んだ。「あなたが前面に出ないと収まらない」と言われたからだ。
覚悟を決めて記者会見に臨んだ。その時、会場にいた日経新聞の記者(彼は、私の銀行員時代からの知り合いだ)から「小畠(江上の本名)さんは、銀行員時代も不祥事の矢面に立ち、今回もそうなりましたが、ご自分で数奇な運命だと思われますか」と質問を受けた。
なるほど、と私は思った。銀行員時代は東京地検、日本振興銀行の社外役員では警視庁と人生で強制捜査を二回も受けることになった。こんな経験をした者は、そういないだろう。
「運がいいとか悪いとかということではなく、私に役割があるならそれを誠実に果たしたいと思います」
私は答えた。
■二度目の知人の自殺
その日から、怒濤(どとう)の日々になった。木村さんに代わり社長になってしまった。友人は、火中の栗を拾ったと同情してくれたが、ここで逃げ出すわけにはいかないと思ったのだ。
社外役員の平将明さん、弁護士のT・Aさん、公認会計士(ベテランで業界の重鎮)S・Mさん、経済評論家(業界の重鎮)A・Mさんの全員が問題を正面から受け止め、誰も逃げ出すことはしなかった。なんとか再建しようと奔走した。
しかし木村さんや他の執行役員が逮捕されるなど、混乱は続いた。そして業務内容の調査をすればするほど、その内容に唖然(あぜん)とせざるを得なかった。金融庁からは厳しく追及され、破綻処理がすでに予定されているような気がした。
木村さんは、我欲のためにこの銀行を作ったわけじゃない。集まった社員たちも同じだ。なんとか中小零細企業を支援したいと思っていた。社外役員も同じだ。この銀行をつぶしてはならない。そう思って昼夜、努力した。
そんな中、平成22年7月末、社外役員の弁護士T・Aさんが自殺した。
ショックだった。
彼は、私が一番頼りにしていた人だった。
自殺前日まで業務内容の調査をし、弁護士事務所で打ち合わせをし、深夜、レストランで関係者と食事をした。その中にT・Aさんもいた。
T・Aさんは、まだ若く、食欲旺盛だった。
私は海鮮スパゲティを頼んだ。彼は、あっと言う間に自分のスパゲティを食べ終え、どういうわけか私のも食べた。私は、もう一皿、海鮮スパゲティを頼んだ。彼は、他の人と話していた。その時だ。スパゲティを食べている私の耳に「いずれ僕の覚悟が分かりますよ」と聞こえてきた。
同席して彼と直接話していた者に聞いたところ、「彼はそんなことは言わなかった」と言っていたので、私の空耳ということになる。しかし、私ははっきりとその声を聞いた。もしかしたら彼の心の声だったのかもしれない。
私たちは、明日も頑張ろうと言って別れた。彼は、翌日の朝、自宅で首を吊った。
■そして、破綻
なぜ? 私にはわけが分からなかった。ショックだった。どうしてもっと話し込んでいなかったのかと後悔した。
自殺──。第一勧銀事件の際の、宮崎邦次相談役に続いて二人目だ。私こそ、自殺したいほど落ち込んでいた。
彼の自殺の2カ月後の9月、日本振興銀行は破綻した。
破綻の決議は、早朝、顧問弁護士事務所で極秘に行い、私はマスコミに見つからないように金融庁に届け出た。
不幸は続く。社外役員のA・Mさんが急死された。私は憤死だと思った。彼は、木村さんと親しかった。だから信頼もしていた。弁護士のT・Aさんも同じだろうが、裏切られたという憤りが命を縮めたのだろうと思う。
私は、日本振興銀行の社長を解任された。
これで終わったと思った。毎日、記者に囲まれ、頭を下げる日々がようやく終わった。近所の人たちから白い目で見られることもなくなる。そう思っていた。
■さらなる不幸――50億円の賠償で訴訟され、自宅差し押さえ
ところが、さらに不幸が待っていた。
平成23年の8月のある日、妻が玄関のドアを開け、転がるように飛び込んできて「お父ちゃん、預金がない!」と叫んだ。
事態が飲み込めない。私は、銀行に電話をした。なんと差し押さえをされているという。
「えっ」
絶句した。
私や平さん、公認会計士S・Mさんは木村さんたちと一緒に、日本振興銀行の債権回収に当たっている整理回収機構から訴えられたのだ。訴訟金額はなんと50億円!
自宅も預金も差し押さえられてしまった。
私は、謝罪会見などをしたためにテレビや講演などの仕事はすべてキャンセルになっていた。仕方がない。幸い原稿の仕事だけはキャンセルされなかったのは、ありがたかった(それでも出版社に文句を言う人がいた)。
世の中というのは、頭を下げたら、みんな悪人扱いなのだとよく分かった。
妻には迷惑をかけたので、さあ、これから頑張るぞ、という時に訴訟と差し押さえだ。
普通に生きている人がこんな目にあうことはないだろう。
弁護士の奥野善彦さんは、整理回収機構の代表を務めたこともある大物だが、「ひどいことをする」と憤った。世の中には多くの社外役員がいる。倒産した会社にもいる。しかし善管注意義務違反で訴えられたことはない。初めてのケースだ。ましてや差し押さえなど……。
金融庁の幹部も、内々で「申し訳ない」と言った。ペイオフが混乱なく実施できたのは、私たち社外役員がまとまっていたからだと感謝してくれていたから、余計に申し訳ないと思ってくれたのだろう。
■「のに病」から立ち直り再スタートを切る
私は「のに病」に陥りそうだった。私は57歳だ。それまで真面目にやってきた「のに」、仕事は無くなり、預金も自宅も差し押さえられ、もし裁判に負けたら、「破産」するしかない。57歳からどうやって再起すればいいんだ。
人助けだと思ってやった「のに」、火中の栗を拾った「のに」……。頭の中に「のに、のに、のに」が渦巻いた。
しかし受け入れざるを得ないと諦めた。幸い奥野さんの紹介で梶谷綜合法律事務所の有力な弁護士の方々の応援を得て、訴訟に立ち向かった。
社外役員で生き残っているのは私と平さんとS・Mさんの3人だけだ。この3人が訴えられたわけだ。破綻に責任はある。社外役員が機能しなかったと言われれば、結果を見ればその通りだ。しかしやるべき経営監視は怠ってはいなかったと思っている。それでも結果が悪ければ駄目だと分かっている。それに私欲を図ったことはない。どうしてこんな目にあうのだろう。事態を受け入れたのだが、悔しさは募った。
平成27年7月に裁判長から3人で6000万円支払い、和解するよう勧告された。私にとっては大変な金額だが、3人で相談し、和解勧告に応じることにした。その理由は、S・Mさんがストレスから健康を害されたことと、平さんも私も早くすっきりさせて新しく出発したかったことだ。
裁判は終わった。
■「人生に無駄なし」
こうやってつらつらと思い出を書くと、ひどい人生だ、しくじり人生だと思うだろう。
でも私が得た結論は、「人生に無駄なし」ということ。
日本振興銀行の問題のおかげで弁護士の奥野さんをはじめ、多くの有力な弁護士先生と友人になれた。今でも親しくお付き合いさせていただいている。
平将明自民党議員とは戦友になれた。
金融庁の幹部たちとも親しくなり、今も情報交換をし、いろいろなことを教えてもらう。
一緒に苦労したスタッフは、皆、多方面で活躍していて、今でも連絡を取り合う。
確かに金銭的、精神的な被害は受けたが、それ以上に得たものは多い。そう思わないとやってられないけどね。でも本当だ。できればトラブルに巻き込まれないほうが幸せだが、巻き込まれた以上はそれを受け止めて、誠実に対処するしかない。
■50歳にして天命を知る
さて「天命」だが、諦観(ていかん)と言おうか、何と言おうか、自分が選んだ人生を受け入れることなのではないだろうか。
人生って自分が選んだわけじゃないだろう。兄姉の死なんかは私が選べるものではない。その通りなのだが、兄姉に早く死なれた後、両親にこれ以上、つらい思いをさせないようにしたいと思うのは私の選択だ。
人生は、目の前にいろいろな道が並ぶ。それを瞬時に自分で選択している。後から考えると、後悔することや安堵(あんど)することも多いけれど、結局のところ自分で選んだ道なのだ。
自分で選んだ道なら、他の人を恨んでも仕方がない。自分で引き受け、選んだ道を歩くしかない。止まれば、その時に死ぬしかないのだから、歩み続けるしかない。
人生はマラソンに似ている。そうかもしれない。ゴール(死)を目指して走るしかない。しかし、そのコースは主催者が決めたのではない。自分が決めたのだ。
50歳っていうのは、そういうことが腹にすとんと落ちる年齢なのではないか。それが「天命」を知るということだろう。
まだまだこれから先の時間が、私に残されているのかどうかは分からない。しかし50代を過ぎ、60代に突入した今、それほど長い時間が残されているとは思わない。いろいろなことを受け止め、受け流しながら、無事に歩んでいきたいと思う。何事も為さないことが、何事も為すことになるのだと信じて……。
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作家。1954年、兵庫県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。77年、第一勧業銀行(現・みずほ銀行)入行。人事、広報等を経て、築地支店長時代の2002年に『非情銀行』(新潮社)で作家デビュー。03年、49歳で同行を退職し、執筆生活に入る。その後、日本振興銀行の社長就任、破綻処理など波乱万丈な50代を過ごす。現在は作家、コメンテーターとしても活躍。最新刊に『一緒にお墓に入ろう』(扶桑社)。
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(作家 江上 剛)
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