企業トップが掃除の女性に声をかける理由
プレジデントオンライン / 2018年10月20日 11時0分
■少数の改革派vs多数の守旧派
1997年9月、ニューヨークのマンハッタンで、短期滞在者用のアパートを借りた。住友銀行(現・三井住友銀行)の証券企画部次長のときで、「銀行の証券業務をどうするか、グローバルにどう展開すべきか」について、分析を依頼した米コンサルタントと議論を重ねるためだ。ここで四十四歳になり、暮れまで3カ月いた。
ニューヨーク駐在の常務をトップに、総勢は8人ほど。通常業務から離れ、議論を集約した方向はこうなった。「将来、銀行が強みを発揮できる証券業務分野は、デリバティブ(金融派生商品)や各種の証券化、M&Aなど、投資銀行に近い業務だ。それを実行する部署を新設し、加えて、どこかの時点で株式の売買もやるべきだ。ただ、自社単独では、難しい」
これを受け、米国駐在常務は、ある米投資銀行と組んで証券子会社をつくる案を推した。日本にある証券子会社は、債券取引が中心で、議論の方向にそぐわないとの判断だ。だが、途中で何度か日本に帰って会議で報告すると、反対者が多い。友好関係にある大和証券や系列証券との関係を重視し、外国勢との展開案を「きみらは何を考えているのだ」と非難した。
少数の改革派と多数の守旧派。ヘッジファンドへの投資と、似た構図だ。結局は改革派の新頭取が主導し、新たな挑戦は実現していくが、その前に、打破しなければいけないことが続き、板挟みとなることも多かった。でも、議論は、丁寧に進める。
98年初め、経営陣へ提出した最終報告書には、組むべき相手として日米の証券会社の名はない。ただ、チームでまとめた方向性は、強く醸し出す。提出後、何人かが「久保さんは、本当に誠実に対応した」と言ってくれた。
曲がったことは嫌いで「違う」と思うことには、真っ向から反対する。生まれ育った薩摩の風土を受け、普通は引き下がらない。でも、1つの目標へ向かって、議論を深め、まとめていく事務局長の役であれば、対立する双方の言いたいことに耳を傾ける。そのうえで「自分は、こうあるべきだと思うが」と示す。当然なことをしただけなのに、「誠実」と受け止めてもらい、ありがたい。
98年7月、報告書に沿って新しい部ができて、初代部長に就く。ここで、ヘッジファンドへの投資も指揮するはずだった。だが、その前にもう1つ、大きな課題を背負う。金融界に、バブル時代の後遺症と言える不良債権が膨らみ、「金融危機」が襲った。大手証券や大銀行でさえ経営危機に陥るところが出て、大和証券も態勢立て直しに、春過ぎに住友銀行に連携を求めてきた。その交渉の事務局長役も、舞い込んだ。
法人向け証券業務で、合弁会社をつくろうというところまでは、交渉は順調だった。夏には、基本合意も発表した。だが、秋に、対立が深刻化する。大和は、自社の法人向け業務を合弁新社へ現物出資のように切り出し、その業務の評価額が出資額となる。対立は、評価額を巡って始まった。住友は大和の株式の時価総額のなかで、価値をはじく。一方、大和は時価総額を上回る評価額を主張する。当時、日本の株価は下落し、大和の個人向け株式業務は停滞中。その評価をマイナスとして、法人向け業務はその分だけ時価総額に上乗せした額になる、との理屈だ。
続いて出資比率でも対立した。住友は「大和の苦境を支援するのだから、こちらが過半数を持っておかしくない。譲るとしても、せめて半々だ」と要求し、大和は新会社は自社の法人向け業務を基盤にするのだからと、6割の出資比率を求めた。交渉は暗礁に乗り上げ、1カ月、凍りつく。
対立下でも、胸中は「これは、ぜひともまとめよう。大和証券のためにも、住友銀行のためにも、決裂は避けねばならない」との思いで、定まっていた。長く友好関係にあった大和の苦境を助けることもできなければ、経済界における住友銀行の信用も傷つく。ただ「誠実に」話し合うのみ、頭取の心中も同じだ、と踏んでいた。
■全国拠点巡りで「一体感」を醸成
板挟みも、今度は自分1人ではない。大和側の事務局長役も、同様だった。交渉が止まっても、2人だけで会い、打開策を練る。そんななか、国会が金融危機打開へと動き、想定外だった大和の株価回復が起きた。2人の思いが通じてか、頭取が「住友4割、大和6割でいこう。また、見直す機会もくるだろう」と決断、法人向け業務の評価額でも歩み寄る。「戦友」とも呼ぶ大和の事務局長役とは、ともに別の会社で働くようになったいまも、信頼関係が続く。
「至誠無息」(至誠は息むこと無し)――きわめて誠実であるということに終わりなどはなく、このうえもなく大きなものだ、との意味だ。中国の古典『中庸』にある言葉で、誠実さは永遠でなければいけない、と説く。どんな議論や交渉にも、ただ「誠実に」を貫いて周囲の人々を1つの解へ導いた久保流は、この指摘に通じる。
大和との合弁会社ができて10年後、さくら銀行と合併していた現・三井住友銀行は、米シティグループ傘下にあった日興コーディアル証券(現・SMBC日興証券)を、一部の業務を除いて買収。大和との合弁は解消された。その間、2年近くやった香港支店長時代に四十代を終え、国際部門の統括執行役員となり、ニューヨーク駐在常務もやった。ようやく、歩みたかった国際畑へ戻ったが、「証券」との縁は切れない。
副頭取を務めた後、2013年4月にSMBC日興証券の社長に就任、ついに証券会社のトップにもなる。すぐに、2つのことに力を入れた。1つが陣容の強化。社内を点検すると、国内株式の海外販売が弱い。「海外へも打って出ないと、成長はできない。他の大手証券と競うにも、株式本部長にグローバルな運営ができる人材が不可欠だ」と判断し、外資系証券で株式本部長を務めていた米国人を招く。海外のお客を開拓させる一方、社内では自分が「株だ、株だ」と言い続け、応援した。新規分野への挑戦や意識改革は、リーダーが本気で旗を振り続けなければ、力は結集できない。
もう1つ力を入れたのが、タウンホールミーティング。グローバル企業なら、どこのトップも、拠点の掃除の女性にまで声をかけている。自分も、ニューヨーク時代にやった。一体感は「誠実」にとともに、重要だ。旭川から那覇まで2年間に124カ所、店の面々と対話した。小さな拠点も区別なく回り、率直な声に答え、店の大事なお客に挨拶に回るには、それなりの強い意志と体力を要する。社長を務めた3年のうち、2年まで、そこに傾けた。「至誠無息」だから、不思議ではない。
夢は、日本株の海外販売の強化に続き、海外の資本市場で日本企業が資金を調達する手伝い、いわゆる引き受け業務の展開だ。三井住友銀行には膨大なお客がいて、海外へも広がっている。ここで銀行と連携を強め、お客のニーズに応えたい。後継社長も、銀行の副頭取からきた。夢は、同じだ。
会長になっても、築いた人脈を大切に、国内外を回っている。離別した形となった大和証券の関係者とも、笑顔で語らう。一方で、海外の著名な投資家も、訪ねてきてくれる。夢へ向かって、手応えは、日に日に強くなっている。
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1953年、鹿児島県生まれ。76年京都大学法学部卒業後、住友銀行(現・三井住友銀行)入行。98年キャピタルマーケット部長、2011年、SMBC日興証券取締役、三井住友銀行副頭取、三井住友フィナンシャルグループ取締役、13年SMBC日興証券社長。16年4月より現職。
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(SMBC日興証券 会長 久保 哲也 書き手=街風隆雄 撮影=門間新弥)
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