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女優・生稲晃子「娘を残して死ねない」

プレジデントオンライン / 2018年10月18日 15時15分

絶望と向き合いながら、闘病生活を送る日々。そんな状況だからこそ、「一番大切なもの」がわかったといいます。3人の女性に、闘病の過去と現在について聞きました。第1回は女優の生稲晃子さんです――。(全3回)

※本稿は、「プレジデントウーマン」(2018年7月号)の掲載記事を再編集したものです。

いつも受けている自治体の乳がん検診を忘れてしまった――。2010年の暮れ、あまりにも多忙だったので、すでに無料検診を受けられる期間は終わっていました。でもなんとなく気にかかるので、その話を友人の医師にしたところ「ついでに人間ドックを受けたほうがいいよ」とアドバイスされ、胸だけでなく全身を検査することになりました。

その結果は、なんと乳がんのみ「再検査」。右胸の乳頭あたりに小さながんが潜んでいたことが、細胞診の結果わかりました。私が42歳のときです。人生に「たら、れば」はないというけれど、そのとき人間ドックを受けていなかったら自分はどうなっていたのだろうと、背筋が寒くなることがあります。

腫瘍が小さかったので、しこりとその周囲の組織だけを取る「乳房温存手術(部分切除術)」を受けることになりました。リンパ節への転移もなかったので、2時間ほどの手術が終わって目覚めたとき、「これで元気になれる!」と明るい気持ちになったのを、昨日のことのように鮮明に思い出します。でも、「小さくてもがんはがん。侮れません」という主治医の先生の言葉が、後になって、ボディーブローのようにきいてくるのです。

■仕事関係者に病気を公表できない苦しさ

手術中に採取したがん細胞の病理検査の結果、「浸潤性乳頭腺管がん」という病名が確定。転移を起こす可能性が大きいので“取って終わり”ではなく、長い治療の始まりだったのです。

(下)幼かった娘からもらった手紙。「娘を残して死ねない」という気持ちも励みに。

放射線治療後しばらくして再発してまた手術、そして45歳のとき、もっと胸の奥の部分に再再発。結局右胸を全摘出して、その後再建手術を受けることになりました。再発、再再発を告知されたときは、その前の告知よりもっと打ちのめされました。また同じことを繰り返すのかと思うと頭がおかしくなりそうで。そんな私の心の支えとなったのがふだんと変わらず接してくれた小さかった娘と夫、そして仕事です。

がんがわかったとき、仕事関係の方には公表しませんでした。テレビの健康番組に出演していたので「自分はがんです」とはとても言えない。番組が続く限り、病名を明かさないほうがいいと決めたのです。

でも、隠し通すのはかなり大変です。再発の手術の翌日の収録時に健康器具を紹介するシーンがあったのに、うまく腕が上がらない。「四十肩で腕がいうことをきかなくって」などとごまかすしかなく……。全摘した後に出演した旅番組の温泉シーンでは、バスタオルを全身に巻いて挑みましたが、随分とモタモタした記憶があります。

でも、忙しく仕事をしていたせいか、余計なことを考える暇がなく、がんの恐怖から逃れることができました。私の仕事に期待をしてくれている方がいることも支えになったのです。

私は17年まで、政府の「働き方改革実現会議」の民間議員を担当。がん患者さんの治療と仕事の両立を支援するには、主治医、会社、産業心理カウンセラーの「トライアングル型」のサポートが重要だと提言しました。治療と仕事の両立は、生半可なことではありません。本来は周囲の理解を得て、体の状況に合わせた業務にシフトしていくことがベスト。いつか完全復帰することを夢見て生きていく。それが理想かなと思うのです。

衣装=Yukiko Hanai メイク=外河有美子

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生稲晃子(いくいな・あきこ)
女優
歌手、タレント。1968年生まれ。コメンテーターのほか、2017年まで働き方改革実現会議の民間議員も務めた。著書に『右胸にありがとう そして さようなら 5度の手術と乳房再建1800日』(光文社)。

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(女優 生稲 晃子 構成=東野りか 撮影=キッチンミノル)

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