スタバが「携帯アプリ」を客に勧める理由
プレジデントオンライン / 2018年10月18日 9時15分
米コーヒーチェーンのスターバックスもパーソナライゼーションに踏み出した。スターバックスコーヒージャパンも昨年9月、日本国内向けにパーソナライゼーションが可能な「スターバックス リワード」というプログラムを開始した。写真はスターバックスコーヒージャパンのHPより。
■ROIがゼロから800%のブレがある現実
デジタル広告市場は一貫して拡大を続けているが、広告が目に触れる機会が多いほど商品やサービスが売れるわけではないだろう。そこで注目されている最新のマーケティング手法が、「パーソナライゼーション」だ。
マーケティングの本質は、消費者に働きかけて何らかの行動をとってもらう行動変容にある。人間の行動を変えるには、それに合った「ツボ」を押さなくてはならない。適切な相手に、適切なタイミングで、適切なツボを押し、消費行動を促すこと──。それがすなわち「パーソナライゼーション」である。
実は、個人の興味・関心・行動に合わせてサービスを最適化しようという考え方そのものは、以前からあった。BCG(ボストン コンサルティング グループ)のシニア・パートナー&マネージング・ディレクターで、マーケティング分野の経験が豊富なリチャード・ハッチンソン氏がコンサルタントとして働き始めた25年前、それは「セグメント・オブ・ワン(一人ずつのセグメント)」と呼ばれていた。
「ただし、それを実行できる人は誰もいませんでした。技術がマーケティングの理論に追いついていなかったからです」(同氏)。
何十年にもわたりマーケティングといえばセグメントをする──富裕層か低所得層か、どの地域に住んでいるか、消費パターンはどうかなどを区分けし、区分けした集団に向けて広告を打つこと──だった。それが一気に顧客を中心に据えた形へと変化しようとしている。
では、25年前と今日では、いったい何が変わったのだろうか。
「圧倒的に違うのは、個人のデータを収集できるデバイスの多様化と、情報分析技術の発達でしょう。テクノロジーを使えば、企業は個人の属性を正確に把握できるばかりではなく、リアルタイムの興味や関心、行動を把握しながら、それに合ったモノやサービスを提供できます。理論はあっても技術が追いつかないために実践することが難しかったマーケティングの手法が、近年、ようやく実現可能なレベルになってきたということです」(ハッチンソン氏)。
また、厳密には「デジタル・マーケティング」と「パーソナライゼーション」は違うものだと言う。
「デジタル・マーケティングとは、顧客と接点を持たないケースにおいて、非常に高度なカスタマイズされたマーケティングを行うことを指します。例えば、小売店などを介して商品を販売している消費財のメーカーが、SNSを使って一種のコミュニティを形成し、そのコミュニティを通じて匿名性の高い顧客にアプローチすることなどが、それに該当します。
一方で、ホテルや航空会社、レストランなど顧客との接点を持ち、すでに濃密な関係性を築いている企業が、その関係性を最大限に活かしながら、つながりをより深めてサービスを最適化しようとするのが『パーソナライゼーション』だと言えます」(ハッチンソン氏)。
パーソナライゼーションは、個人の興味や嗜好、行動パターンに加え、その時々の天候や気温にも臨機応変に対応した、リアルタイムの最適化を目的としている。とはいえ、「これを実践できている企業はまだ、そう多くない」と、ハッチンソン氏は指摘する。
実践企業の大半は、もともと電子商取引(Eコマース)をやっていて、オンラインで成長してきた会社だ。「だからこそ反対に、リアル店舗を中心に発達してきた企業が乗り出せば、チャンスは大きく膨らむ」と同氏は続ける。
「われわれの比較調査では、もともとデジタル・ネイティブではない企業がパーソナライゼーションに乗り出した場合、売り上げが6~10%伸びています。ただし、企業ごとの差も非常に激しい。従来のマーケティング手法を使った場合、企業のROI(return on investment、投資した資本に対して得られた利益)は85%から120%の間に収まっていますが、デジタル・マーケティングあるいはパーソナライゼーションに関して言うと、ROIがゼロ%から800%とブレが大きいのも特徴です」(ハッチンソン氏)。
この結果は、多くの企業がデジタルをうまく活用することができず、リターンがゼロでお金を無駄にしてしまっている一方で、成功している企業は従来のマーケティングよりも、はるかに高い成果を得ていることを意味している。
■ミルクシェークが好きなお客に何をすすめるべきか
では、具体的にどんな場面でパーソナライゼーションは力を発揮できるのだろうか。ハッチンソン氏によれば、次のようなケースが考えられるという。
「仮にある飲食店が、お客を店舗に呼び込むためにプロモーションをかけるとしましょう。その際、食事を注文したお客にサービスとしてミルクシェークを提供するとします。これだと、いつもミルクシェークを注文してくれる客にも、そうではないお客にも、同じ商品をすすめすることになってしまい、得策とは言えません」。
いつもミルクシェークを買ってくれる顧客に、なじみの商品をプロモーションしても心に響かないばかりか、企業としては、かけたプロモーションのコストがその分、無駄になってしまうからだ。いつもミルクシェークを注文してくれる顧客には、むしろ、ヘルシーなサイドメニューをプロモーションした方が心に響くかもしれないし、新規の購買に結びつく可能性は高くなる。また、こんなケースも考えられる。
「5月か、6月のある日のこと、いつもなら晴れているはずなのに、たまたま雨が降り、気温が下がってしまいました。この場合、ミルクシェークではなく、もっと温かい飲み物を提供した方が喜ばれるかもしれません。しかも、今日では、そのような予測や判断は人間ではなく、AI(人工知能)が行うことが可能になっているのです」(ハッチンソン氏)。
■一歩踏み出したスターバックスのケース
実際、実店舗が中心であるにもかかわらず、このようなきめ細かなマーケティングを展開することで、より効率的に購買へとつなげていこうと、パーソナライゼーションに踏み出した企業もある。筆者が注目しているのは、米コーヒーチェーンのスターバックスだ。
スターバックスコーヒージャパンは昨年9月、日本国内向けに、来店頻度の高い顧客向けの「スターバックス リワード」というプログラムをリリースした。これは一種のポイント制度で、以前からあったプリペイドカードにモバイルアプリケーションを組み合わせることで、パーソナライゼーションを可能にしている。
利用者はまず、専用のプリペイドカード「スターバックスカード」を店舗で入手し、ウェブ上で会員登録を済ませた後、カードを登録する。その上で公式のモバイルアプリケーションをダウンロード。カードと公式アプリを使って商品を購入すると、金額ごとに「スター」と呼ばれるポイントが付く仕組みだ。アプリにクレジットカードを登録すれば、自動的にプリペイドカードに入金することもできる。
これにより会員情報と購買行動が紐付けられ、一定数のスターを集めると、ユーザーは新商品の先行購入や限定商品の購入、イベントの先行予約などの特典を得られる。一方のスターバックス側も、このプログラムを通じて得られたデータを活用・分析することで、より個々の顧客に寄り添ったマーケティングを展開することが可能になる。
パーソナライゼーションという観点から見ると、スターバックスのサービスは四つの大きな要素で構成されている。
一つはプリペイドカードと公式アプリの組み合わせにより、購買に至るまでの個々の行動をより詳細に把握し、「カスタマー・ジャーニー」(顧客の消費・購買行動)をつかんだ点。二つ目は積極的かつ戦略的にデータを収集している点。三つ目がテクノロジーを使いこなしているという点。具体的にはAI(人工知能)による機械学習や高度な分析ツールの活用に加え、それを適切なチャネルに接続し、顧客に必要な商品やサービスをレコメンド(おすすめ)している。
パーソナライゼーションを展開するにあたり、最も重要で難しい課題の一つが、顧客とつながる際のチャネルの選択である。電子メールか、モバイルアプリケーションか、あるいは販売のスタッフを通じて店頭で直接つながるべきか──。
さまざまな選択肢が考えられるなか、適切なチャネルを選び、それに合わせて必要なプログラムを開発している点が、スタバのケースの四つ目の要素である。
■盲点になりがちな法務関連のチェック
パーソナライゼーションに乗り出すことを検討している企業に対して、ハッチンソン氏は次のようにアドバイスする。
一つ目が「小さく始めよ」である。
「マーケティング担当者やブランドマネージャーなどだけでなく、データサイエンティストやエンジニアなど、データとテクノロジーのエキスパートを含む少数精鋭のチームを組み、まずは開発に着手します。それを小規模にリリースし、実際、顧客に使ってもらいながら、改善・改良を加えて大きく育てていくのです。
最初から完璧を求めると、プログラムの開発に何年もかかってしまい、結局は満足のいかないものができてしまいます」(ハッチンソン氏)。
デジタルの分野においては何ごとも小さく産んで、大きく育てていくことが成功の秘訣だ。
もう一つ、重要だが盲点になりがちなのが、法務的観点からのチェックである。従来のマーケティングならば、1種類のプロモーションをすべての顧客に適用するため、その内容を一度法務部に確認し、承認をとってしまえば事が済んだ。だが、パーソナライゼーションでは、極端な場合、100人の顧客がいれば100通りのプロモーションが存在することになると言う。その場合、「1つひとつのクオリティチェックを厳密にできるかという点も、課題になってきます」(ハッチンソン氏)。
企業が収集する個人データに関しては、EU一般データ保護規則(General Data protection Regulation:GDPR)が導入され、日本でも個人情報保護への関心が高まっている。「消費者はより個人に寄り添った便利なサービス、つまりパーソナライゼーションを望む一方で、収集した個人データを第三者に販売するようなことは企業にしてほしくないと思っています」(ハッチンソン氏)。
企業は、矛盾し相反する二つのトレンドに向き合っていかなくてはならない。個人情報が無制限に収集される状況は望ましいことではなく、法律がある種の番犬的な役割を担って取り締まるのも必要なことだという。ただし、「規制が厳しくなったとしても、個人がより快適なサービスを望む限り、パーソナライズ化の流れは止まらない」とハッチンソン氏は、予想している。
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ジャーナリスト
1970年福島県生まれ。大手経済新聞記者を経てフリーに。経済・経営誌や女性誌を中心に、インタビューやルポルタージュ、マネジメントに関する記事などを執筆。近著に『メディア・モンスター:誰が黒川紀章を殺したのか?』(草思社)がある。
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(ジャーナリスト 曲沼 美恵)
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