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私たちが"村上春樹の小説"を愛読する理由

プレジデントオンライン / 2018年11月12日 9時15分

ファーストリテイリングの柳井正会長兼社長と京都大学の山中伸弥教授。時代を代表する経営者と科学者にはさまざまな共通点がある。そのひとつが「村上春樹の小説を愛読している」という点だ。2人はどんなところに惹かれているのか。そしていま何を考えているのか。5つの論点で語り合った。貴重な初対談の内容をお届けしよう――。

※本稿は、「プレジデント」(2018年7月16日号)の掲載記事を再編集したものです。

■【1】変化と普遍について

──山中先生のご専門である生命科学をはじめ、人工知能(AI)などさまざまな分野で技術の猛烈な進化が起きています。それによってビジネスは、生活はどうなるのか。迷い悩んでいる人は多いと思います。お二人はこうした「変化」について、どうとらえていますか。

【柳井】どんな変化が起きるのかわかっていたらこれほど面白くないことはないですし、誰にも変化は予測できません。そもそも世の中のほとんどのことはまだ解明されていませんよね。人体でも宇宙でも、何でもそうでしょう。AIがブームになって何か万能のように言われているけど、本当にそうなのかなと思います。

【山中】同感です。私が医学部を卒業したのは1987年です。そのころガンに関する画期的な発見が相次いでいて、「2000年にはガンが克服されているだろう」という未来予測が信じられていました。

しかし、30年経ったいまでもガンは克服されていない。予想は完全にはずれです。かたや、iPS細胞の技術やゲノムの解析技術が急速に進んで、誰も予想していなかった成果もあがっています。ですから、よくも悪くも10年後、20年後の変化はわからないだろうと思います。

そうした前提に立つと、大切なのは、未来を決めてかからずに、どんなことが起きても対応できるように、「受け皿」を用意しておくことじゃないでしょうか。僕たちの世界でいうと、アメリカでは変化にぱっと飛びついて機敏に取り入れる人と、もうちょっと慎重にやろうという人が半々です。一方、日本は様子見をする人が圧倒的に多い。結果、後手に回ることが多いので、日本でも飛びつき型の人が増えるといいなと思うんです。

【柳井】うーん。飛びつくことには僕は反対なんです。というのは、僕は2018年に69歳になりましたが、いまだに自分自身のことも、自分のビジネスのこともよくわからない。いまのような立場で仕事をしている理由も本当にはわからない。ただ、僕はこれまで「変化に飛びつく」ということをしてきたわけではなく、世の中がどうなろうともやっていけるように、人間としての普遍的な能力を高めたほうがいいだろうという考え方でやってきました。

変化があれば、それなりに困難なことも起きるでしょう。でも、そんなに大変なことではないはずです。そもそも困難に挑むのは楽しいことじゃないですか。自分の能力を高めて変化を楽しむ、困難を楽しむ。そういう精神が特に日本人には必要だと思います。

【山中】楽しむことは大事ですね。研究者は実験が仕事ですが、ある意味、自分の人生についても実験をしているんです。だから僕は、新しいことをなるべく試すようにしています。ときには失敗が見えていることもあります。でも、失敗したらどうなるのかを見てみたい気持ちがある。別に命まではかかっていないのだから、それも含めて楽しもうという気持ちです。

ファーストリテイリングが2010年に大阪市にオープンした国内初のグローバル旗艦店「ユニクロ 心斎橋店」。(読売新聞/AFLO=写真)

僕は30代のころ、さまざまな壁にぶち当たって悩んでいました。そのときに出合ったのが『仕事は楽しいかね?』(デイル・ドーテン著)という本です。ここには、コカ・コーラもリーバイスのジーンズも、実はほかのものを作ろうとして失敗した結果生まれたものなんだと書かれていました。それを読んで、ああ、実験や人生も同じなんだと思うことができました。成功するとか失敗するとかに関係なく、まず動く。そうしないと、次につながる何かは生まれないんです。

【柳井】僕たちの仕事も失敗だらけです。最近ようやく黒字になりましたが、バングラデシュに進出したときもそうです。テレビ番組に取り上げられたこともあり、当初は「調査不足だから失敗するんだ」と悪口を言われました(笑)。

でも、調査ばかりしているうちに、現地ではどんどん環境が変わっていきます。目の前のビジネスを動かすには、不十分な準備しかできなくても今日やれることをやるしかない。ビジネスの世界にも、そのことをわかっていない人が多すぎると思いますね。

【山中】研究でも、最初に調べすぎるのはよくないんです。調べすぎると、iPS細胞を作ったときのようなリスクの高いことができなくなってしまいます。場合によっては、調べれば調べるほど成功の確率が低いとわかる。そして研究を続けることが怖くなります。それよりも、リスクをとって進むことが大事なときがあるんです。

■【2】「際」のない世界で

【柳井】やってみなくちゃわからないということが多いですね。僕はそもそも商売に向いた性格ではありませんでした。内向的で引っ込み思案だから、人前で話すのも得意ではなかった。でも、商売を続けるなかで、やっぱり自分はこの仕事に向いているという発見があった。いま振り返ると、むしろ自分を発見するためにいままでやってきたんだなと思うこともあります。

自分を発見するには、失敗してもいいからやり続ける以外にないんです。僕は『一勝九敗』という本を書いたけど、本当は1勝99敗、いや999敗。でも、その過程を楽しんで続けてきたから、自分を発見できたんです。

【山中】先ほど柳井さんがおっしゃいましたが、人体について真実が100としたら、いまわかっているのは1くらい。いまの医学はその1を前提にしていますから、臨床のお医者さんは1に基づいた治療をしなくてはならない。しかし研究者なら、その前提をがらりと変えることができるかもしれない。そう考えると、研究者をやっているのは楽しいですよ。

iPS細胞の作成によりノーベル生理学・医学賞を受賞した山中伸弥教授。2012年12月の授賞式に臨む。(AFLO=写真)

【柳井】やっぱり永遠の謎に永遠に挑んでいく。そういう姿勢が大切ですよ。ビジネスだってまだ何も解明されていないから面白い。僕はビジネスのノウハウ本が大嫌いでしてね。読めば3日でできるようになるとか、そんなアホなことあるわけない(笑)。一直線で成功できるわけはありません。

こういう方向だと思って行ってみても、壁にぶつかり、よじ登ったり、地を這ったりして進んでいく。たぶんこれは山中さんのような天才だって同じでしょう。エジソンは「99%の汗と1%のひらめき」と言ったけど、99%の汗なしに、ひらめきは生まれない。

【山中】努力ということでは、アメリカのグラッドストーン研究所に留学していたころ、当時の所長のロバート・メーリー先生から「研究者として成功する秘訣はVWだ」と言われたことが心に残っています。

VWとは「Vision」と「Work hard」。汗をかき一生懸命働くことと同時に、長期的目標を持つことが大事だという教えです。言葉を換えれば、何のために働くのか。柳井さんのビジョンは何ですか?

【柳井】ビジョンは何かと考えると、「あなたはなぜ生きているんですか」という最終的な問いに行き着きますよね。その問いには最期まで答えられないかもしれないけど、たくさん努力しながら問い続けることで、自分は成長するし、まわりの人たちも成長する。問いが大きすぎるなら、「なぜこの仕事を選んだのか」でもいい。仕事することも生きることも同じようなものですからね。そう問いながら日々の仕事をしたら、すごくよくなると思います。

そういう問いかけを続けると、変化に対して受け身ではなくなり、むしろ自分から変化を起こすようになるはずです。僕たちのコーポレートステートメントは、「服を変え、常識を変え、世界を変えていく」。そういう変化を自分で起こすと思えば、楽しいですよ。

世界に自分が支配されているのではなく、一人ひとりが自由自在に仕事をする。同時に、ビジネスも研究も団体戦ですから、それぞれ専門分野の「際(きわ)」を超えてチームとして協力していく。そういうやり方をしないと、成果は出ないと思います。

──「際」というのは?

【柳井】部署の際、会社の際、それから国境の際、製造と流通、研究開発といったビジネスの際。みんなあると思っているようですが、全部ないと思いますね。本当は昔からなかったし、これからはますます際がなくなる。それが時代の流れです。そういう大きな流れには逆らえないと知ることが、一番大事なことではないでしょうか。

人生なんて一瞬です。明日死ぬかもしれないからです。昔は僕も、時代の大きな流れとは関係なしに、いろいろなことをじくじく考えていましたが、考えても解決できないことを考えても仕方がないんです。それより今日一日何ができるのか、さらに1週間、1カ月、1年と広げていって、結局、自分は人生で何をしたいのかと考える。

【山中】「人生が一瞬」というのはよくわかる考え方です。僕が研修医になったころ父が58歳で亡くなったので、自分もそれくらいまでしか生きられないんじゃないかと、ぼんやり思っていました。

40代で知り合った平尾誠二氏と山中氏は無二の親友に。著書『友情』に詳しい。(日刊スポーツ/AFLO=写真)

それより大きなショックだったのは、親友だった平尾誠二さん(元ラグビー日本代表)が2年前に53歳の若さで亡くなってしまったことです。大人になってからできた親友というのは格別です。それだけに、そういう相手を亡くすと本当にこたえます。

僕自身、10年後、20年後に生きているかどうかわかりません。そう思うと、先延ばしするのはやめて、いまできることにはとにかく手をつけようという思いがありますね。

■【3】リーダーとは

【山中】変化について考えるとき、僕はある名門ゴルフコースを思い浮かべます。ゴルフ場は名門であればあるほど、メンバーの人たちから「変えるな」「そのままがいい」と言われます。だから変えないのがふつうですよね。でも、そのゴルフ場の支配人は、自らの手でコースの改善を繰り返していました。

名門と言われていても、現状に満足せず常に変わろうとする姿勢は尊敬に値します。そのコースに行くたびに、自分も負けずに変わらなくてはと思いました。もっとも、いまは支配人が代わってコースに変化がなくなってしまったんですが。

【柳井】その支配人の話はよくわかります。組織はリーダーしだいです。どんなに悪い条件のもとでも、リーダーしだいで状況を変えることはできるんです。ただ、厄介なのは、リーダーの人間性も変わってしまうことです。この人なら大丈夫と思っていても、地位や名誉を手にしたら舞い上がってしまうんでしょうね。

【山中】実は謙虚であり続けられるかどうかは、研究者にとっても大事なことなんです。研究が成功するかどうかはかなりの程度、運に左右されます。言ってみればじゃんけんと同じような部分もあって、すごい研究成果は、じゃんけんで偶然10連勝したようなものだと思っています。それだけなのに、「この人はじゃんけんの天才に違いない」とまわりが言い出す。すると本人もその気になって、しまいには『いかにしてじゃんけんに勝つか』という本まで出してしまう(笑)。というのは冗談ですが、それに近い状態に陥ることもあるんですよ。

【柳井】研究は1人や小チームでやることが多いから、そうした誤解が起こりやすいかもしれないですね。

【山中】はい。そういう懸念もありましたから、iPS細胞研究所を設立するときには、研究室間に壁がなく研究者が自由に意見交換できる「オープンラボ」というスタイルを採用しました。新しい挑戦をするといっても、アイデアがないと挑戦できないし、新しいアイデアは違う分野の人と話すことで生まれる場合が多いですから。

【柳井】ああ、それはいいですね。ビジネスの場合は、実行することが大事です。アイデアを出して、設計図を書いて、工場で作って、運んで、販売する。実行に多くの人が関わるから、チームワークというか、お互いのベクトルを合わせることがとても重要になります。その点、研究ではどうですか。

山中氏が設計段階から関与した京都大学iPS細胞研究所の内部。留学先だった米グラッドストーン研究所にならい、研究室間の壁を取り払った「オープンラボ」形式になっている。(読売新聞/AFLO=写真)

【山中】幸い、私たちの研究所はiPS細胞の医療応用という明確な目標があるので、みんなを同じベクトルに向けるのにそれほど苦労はありません。むしろ苦心するのは、モチベーションの維持ですね。医療の研究開発は、一般的に、アイデアから承認まで20~30年かかると言われているので、その間、どうやってモチベーションを保ってもらうか。こちらのほうが大変なんです。

■【4】幸福論と失敗論

【柳井】わかります。僕らの仕事でも実際はそうなんですよ。僕は表面的なデザインとかトレンドはどうでもいい。それより大事なのは、あなたにとって服はどういう意味を持っていますかという本質的な問いかけです。

その問いへの答えになるような服を僕らは「LifeWear(ライフウエア)」と呼んでいますが、それを世界中の人々に提供しようと思えば、やはり長い研究開発期間が必要になる。モチベーションを維持してもらうには、そもそもそういう考えに共鳴してくれる人に会社に入ってもらい一緒に働くことしかない気がしますね。

【山中】国際的な意識調査によると、日本の高校生はアメリカや中国、韓国の高校生と比べて「高い社会的地位につきたい」という子が非常に少なく、一方で過半数が「のんびりと暮らしていきたい」という生活意識を持っているとされています。柳井さんはこのことについてどうお考えですか。

【柳井】「のんびりと暮らしていきたい」というのは「いまのままでいい」ということでしょう。だとしたら、幸せになりたいと考えていても反対に幸せになれないと思いますね。

家も車もいらない、結婚もしたくない、ゴルフもやらない。それは引きこもりの感覚です。いまは親が子供に対して、引きこもってもいいような環境を与えている。もっと言えば、子供の世話を焼きすぎて、子供を壊しているんじゃないでしょうか。それでいて、ひと様に迷惑をかけてはいけないとか、基本的なしつけもできていない。

【山中】柳井家は厳しかったですか。

【柳井】はい、すぐゲンコツ(笑)。うちは商店街の1階に店舗があって、僕ら家族は従業員と一緒に2階に住んでいました。朝9時に開店して、夜は8時まで。休みは月1回で、休日はみんなで映画を見に行く。炭鉱町だったから、全国からたくさんの人が集まってきていました。あのころはごくふつうの風景でしたが、そういうことをみんな忘れてしまっている。

現状維持がいいというなら、それもいいでしょう。でも、「あなたの人生は何だったんですか」と聞かれたときに、「自分の人生はこうだった。一生かけてこれをやった」と言えるようになりたいじゃないですか。

もちろん一生かけてといっても、来年、再来年からやるというのでは話になりません。やるなら今日やらないと。どんな分野でも、偉業を成し遂げた人は今日の仕事をおろそかにしていません。研究者もそうでしょう?

【山中】はい。学生の面接で私が見ているのは、「実験が好きか」ということです。実験は失敗することがほとんどなんです。ですから、失敗することを含めて目の前の実験を楽しめる人でないと研究者は続きません。

実験で予想とは違う結果が出たときに、ただ失敗だと嘆くのではなく、実は面白いことが起こっているんじゃないかと思えるかどうか。予想とは違うという意味では失敗であっても、きちんと記録に残してのちに検証できるようにしておけるかどうか。

もし実験が嫌いだとか、失敗することがイヤだというなら、どれだけ頭がよくても、入試の成績がよくても、研究者には向いていません。客観的に評論する仕事は上手にできると思うのですが。

【柳井】まったく同感です。僕も頭のいい人が「評論家」になるのをどれだけ見てきたことか(笑)。

ビジネスとは実践です。毎日実践して、毎日失敗する。そうして新しい仕組みとか、新しい人の使い方とか、そういうことを自分で研究しながら自分でブラッシュアップする。それによって自分の地位もブラッシュアップして将来に向けて進んでいく。そういう気構えがないと、ビジネスはうまくいかないんですよ。

ほとんどの人が失敗を悲しいことだと考えますが、それは違います。僕は失敗するたびに、この失敗のなかには成功の芽があって、失敗はその芽を発見できるように僕に与えられたものじゃないかと考えます。山中さんがおっしゃったように、成功とは結果的には運かもしれない。しかし、失敗を本当に吟味して深く考えた人が成功するんだと思います。

さらに言うと、成功は失敗の原因になる。僕たちもフリースブームの後にガタッと業績が落ちたように「成功の復讐」を何度か経験しています。一直線に成長するのではなく、成功と失敗を繰り返して成長するんです。

【山中】失敗をどう考えるかですよね。ジュニアを教えているプロゴルファーから聞いたことがあります。その方によると、ミスショットをした後の反応で、伸びる子かどうかがわかるそうです。失敗すると、頭にきてクラブを投げつける子がいる一方で、失敗の原因を探るためにクラブヘッドを見てボールの当たりどころを調べたり、素振りをしてチェックをする子もいる。もちろん伸びるのは後者です。いい結果を得るには、「失敗の流儀」を身につけることが大事なのだと思います。

■【5】過去から学ぶ、未来へ託す

【山中】私は村上春樹さんの小説が大好きで、完璧に「ハルキスト」です。柳井さんも春樹さんの小説がお好きだそうですね。

柳井氏と山中氏はともに村上春樹氏のファン。日本の作家として希有な点とは?(AFLO=写真)

【柳井】そうなんです。彼とは同い年で、通った大学も一緒、ジャズが好き。ユニクロという業態を考案したのが1984年で、ご承知のとおり村上さんには『1Q84』という作品があります。いろいろと共通点が多い(笑)。だから彼の気持ちはよくわかるつもりです。

たとえば村上さんは、アメリカの大学で教えたり研究したりしていますよね。あれはいったん外国へ出て、アメリカ文学との対照で自分の文学を見つめ直しているんじゃないかと思うんです。ところが彼以外の日本の文学者は、あまり外へ出て行きません。このままでは日本文学は廃れてしまうのではないかと心配です。

日本文学というのは、日本人がこうやって生きてきたという証しです。それを日本人が海外に向かって発信しなくなってしまった。その代わり日本の文学研究者は、村上春樹なら村上春樹の研究だけを深掘りする、というように狭いほうへ狭いほうへ向かっている。

山中さんが「新しいアイデアは違う分野の人と話すことで生まれることが多い」とおっしゃいましたが、その問題と同じですよ。狭い分野に閉じこもっていては、新しいことは発見できません。これは現代日本の閉塞感そのものだと思います。

【山中】春樹さんの小説は、日本語で聴く以上に英語で聴くほうがすーっと頭に入ってきます。私はマラソンが好きで、iPS細胞研究所の基金のPRも兼ねて、よく出場しています。練習で2~3時間走ることもあるんですが、その間、春樹さんの小説の英語版のオーディオブックを聴くことがあります。すると非常によく頭に入ってくる。

【柳井】それは面白いですね。僕はビジネスを起こした人の伝記を読むのも好きなんです。それは「これ、僕がやったことと同じだ」「ああ、だから自分も失敗したのか」と気づくことがあるからです。みなさん、もっと経営者の伝記を読んでみたらいいと思います。

といっても、勉強になるのは現代の人たちの話じゃありません。明治維新や敗戦後といった、国家的な危機や混乱のなかから立ち上がってきた人たちを扱った本です。

もし現代の人から学べることがあるとしたら、新興国や新しい産業の担い手からだと思います。主に若い人たちですね。

【山中】わかります。若い人から刺激を受けることは多いですね。僕は毎月サンフランシスコに行っていますが、その理由の1つは、サンフランシスコはボストンと並んでライフサイエンスの研究者が集まっているからです。僕よりはるか年下の20~30代のものすごい人たちと話すのは刺激になりますね。

東京・有明のUNIQLOCITY TOKYOで対談する柳井氏と山中氏。共通の趣味のゴルフや村上春樹氏の小説にも論が及び、和やかな雰囲気。

【柳井】僕は個人的に、アメリカの大学へ留学する子に奨学金を出しています。それで日本の高校生と面接するんですが、本当に優秀な子がいるんですよ。ある生徒は大学へ進学する前から、アメリカの大学院の先生と一緒に蚊の研究をしているそうです。すばらしい感性の持ち主はいるんです。

ただ、それを存分に伸ばすためには、広い世界へ出て、異文化の人と過ごすことで、自分は何者なのかということをまず知らなければいけない。留学するかしないかは別として、大事なことは、広い世界や異文化を自分から求めていく姿勢だと思います。

(構成=村上 敬 撮影=若杉憲司 写真=読売新聞、日刊スポーツ/AFLO)

山中教授が所長を務める京大iPS細胞研究所では、安定的な研究環境のため皆様からのご寄付を募っています。1円分からのTポイント寄付も可能です。詳細は「iPS基金」でご検索ください。

▼柳井 正 年表
1949年:山口県宇部市生まれ
1967年:山口県立宇部高校卒業
1971年:早稲田大学政治経済学部を卒業、ジャスコ(現イオン)に入社
1972年:家業の小郡商事に入社
1984年:「ユニクロ」1号店を広島市に開店、社長に就任
1991年:商号を「ファーストリテイリング」に変更
1994年:広島証券取引所に株式を上場
1997年:東京証券取引所2部に株式を上場
1998年:フリースブーム、東京・原宿に首都圏初の都心型店舗を出店
1999年:東京証券取引所1部に指定替え
2000年:東京本部を開設
2001年:初の海外店をロンドンに出店
2002年:玉塚元一氏に社長を譲り、会長に就任
2005年:会長兼社長
2010年:国内初のユニクロのグローバル旗艦店「心斎橋店」をオープン

▼山中伸弥 年表
1962年:大阪市生まれ
1981年:大阪教育大学附属高校天王寺校舎卒業(中高の同級生に世耕弘成経済産業大臣)
1987年:神戸大学医学部を卒業、国立大阪病院に勤務(整形外科)
1989年:大阪市立大学大学院に入学(93年に博士号)
1993年:米国グラッドストーン研究所へ留学、のちのiPS細胞につながる研究を開始
1996年:大阪市立大学薬理学教室助手
1999年:奈良先端科学技術大学院大学助教授
2003年:同教授
2004年:京都大学再生医科学研究所教授
2006年:科学誌「セル」に、マウスのiPS細胞に関する論文を発表
2007年:同誌にヒトiPS細胞に関する論文を発表、注目を集める
2008年:京都大学iPS細胞研究センターセンター長
2010年:京都大学iPS細胞研究所所長
2012年:ノーベル生理学・医学賞受賞 

(ファーストリテイリング代表取締役会長兼社長 柳井 正、京都大学iPS細胞研究所 所長・教授 山中 伸弥)

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