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人類の歴史は"世界征服の意思"で作られた

プレジデントオンライン / 2018年10月29日 9時15分

「自分たちの歴史をこそ世界史にするのだという意志」――。紀元前331年10月1日、アレクサンドロスが率いるマケドニア軍がペルシア軍を破った「ガウガメラの戦い」を描いた版画(写真=iStock.com/ZU_09)

世界史を学ぶとき、あなたはどうするか。教科書にある膨大な事項を覚えようとする人もいるだろう。だが、西洋歴史小説の第一人者である直木賞作家の佐藤賢一氏は、「人が主役でない歴史は物足りない。アレクサンドロス大王のような代々の『世界征服の意思』を知るのがいいのではないか」と提案する――。

※本稿は、佐藤賢一『学校では教えてくれない世界史の授業』(PHP研究所)の「はじめに」と第一章「アレクサンドロス大王こそ世界史の出発点」の一部を再編集したものです。

■どうすれば世界史を語れるのか

世界史を語るというのは、本当に大変な作業です。世界史なんて、全体どうやったら語ることができるんだろうと、のっけから頭を抱えてしまいます。

世界史といったからには、世界の歴史、世界中の全ての国や地域の歴史を余さず網羅しなければならない。そう求められても、なかなか厳しいものがありますね。なんといっても、情報量が膨大になります。わけがわからなくなってしまいます。

世界史─―まさしく学校で教えられる科目ですが、高校の教科書なんか本当に網羅的に、こんなの高校生が覚えるのは無理だろうというぐらい、それは網羅的に詰めこんでいます。日本の歴史教育、大学受験教育というべきかもしれませんが、とにかく恐るべしですね。

ひとつは西洋史の流れ、もうひとつは東洋史の流れと、ふたつ並行的に語っていくというのが、古典的なスタイルでしょうか。もう、ふたつです。覚えることが多いですね。それなのに、西洋史と東洋史では足りないと批判があるわけです。

■気候変動、火山活動、DNAから世界史はわかる?

科学的なデータを使う方法が、ひとつあるかと思います。自然史から人間の歴史を理解する、気候変動から歴史を読み解くなんていうのは、よくある手法ですね。

例えば長野県の諏訪大社、諏訪湖の辺の諏訪神社です。湖に張る氷の厚さを毎年記録していて、それが千年分以上もあるそうなんですが、これが世界屈指の貴重な史料だというんですね。氷が厚い年は寒い、薄い年は暖かいわけですから、地球の気候変動がつぶさにわかって、そこから、この時代は世界的に凶作だった、世界的に暴動が多発した、世界的に政変が起きている等々と論じていけるんです。

同じように、火山活動の資料も使えます。火山が大規模な噴火を起こすと、大気中にエアロゾルが充満して、太陽の光が地表に届かなくなって、寒くなるんですね。それで、やっぱり飢饉、暴動、政変と誘発する。1789年にフランス革命が起きたのは、1783年にアイスランドのラキ火山が大噴火を起こしたからだ、なんて説もあります。

こうした手法からなら、世界史の流れを読み取ることも可能ですね。しかし、なんだか淋しい。これだと主役は自然であって、人間が脇役という感じです。

人間が主役の世界史はできないかと探すと、DNAの研究なんかも使えそうですね。今生きている人のDNAから、先祖がどこから来たのか明らかになる、通じて人間の移動や活動がみえてくるというわけです。例えば、アメリカ先住民ですね。アジアからベーリング海峡を渡って、アメリカ大陸に入った黄色人種とされてきましたが、どうも北欧系のDNAも入っているようだと。

いわゆるヴァイキングですね。活発な海洋活動で有名ですが、この人たちがコロンブスより遥か以前にアメリカに到達していて、アジアから渡ってきた人たちと混血したんじゃないかというんですね。DNAの調査が進めば、いたるところで歴史が書き替えられてしまう気もしますが、さておき、これもどうでしょうか。

確かに人間が主役ですし、人間の世界史も描けるのかもしれませんが、人間というより動物、霊長類ヒト科ホモ・サピエンスの世界史ですね。実際のところ、目下のDNA研究の主軸は、クロマニョン人とかネアンデルタール人のほうですしね。

■茶、砂糖、金……、「○×の世界史」で事足りるのか?

やっぱり、王道の歴史で行きます。

比較的やりやすいのが、経済史ですね。古くはマルクスの『資本論』ですが、これを歴史というには、あまりに観念的ですか。それでも経済、交易とか流通ですね、その変遷から世界史を叙述するという方法は可能です。経済活動というのは国境を越える、国境どころか大陸を渡り、海を越えることが、ままあるわけです。

香辛料とか茶とか砂糖とか、あるいは金とか銀とか通貨とか、「○×の世界史」というのは、よくありますね。これ、とても面白いんですが、なんというか、主役は微妙に人じゃないんですね。物だったり、システムだったりして、やはり少し物足りない。

統計分析を用いた歴史もあります。人口統計学なんかで解釈すると、ああ、確かに世界史の流れがみえてくるなと、とても感心させられることがあります。この場合、もちろん主役は人なんですが、なんというか、人というより数字です。私は本業が作家だからなんでしょうか、やっぱり満足できないんですね。

結局のところ、歴史は歴史でやるしかない。つまり、誰がどうした、このときああしたというような、人間の事績ですね。経済、文化、宗教、政治、戦争にわたる混沌たる人間活動、それを追いかけることから、世界史の流れを読み取っていく。

ここで最初に戻りますね。それが難しいと。世界史なものだから、いくつも流れがあると。世界は広いものだから、ひとつの流れにはならないと。

■「ユニヴァーサル・ヒストリー」で歴史を見る

世界史を例えば英語に訳せというと、大半の人は「ワールド・ヒストリー」と訳すと思います。間違いではありません。世界史はワールド・ヒストリーです。けれど、ワールドといってしまうから、ワールドを洩れなく取りこもうとする憾みはありますね。その結果が沢山の歴史を並列する世界史になっているわけです。

しかし、です。英語で世界史という場合、もうひとつ「ユニヴァーサル・ヒストリー」と訳すこともできるんですね。「ユニヴァーサル」という言葉ですが、辞書を引くと「世界的」という意味の他にも、「普遍的」とか、「宇宙的」とかの意味も出てきます。「ユニヴァーサル・ヒストリー」というと、むしろ「普遍史」と訳されるほうが一般的でしょうか。

ここで考えたいのは「ユニヴァーサル」、これは形容詞ですから、あるいは名詞の「ユニヴァース」のほうが適当かもしれませんが、この言葉のもともとの意味なんですね。

元がラテン語の「ウニウェルススuniversus」です。これを分解してみますと、まず「ウニuni」の部分ですね。原型は「ウヌスunus」、イタリア語やスペイン語では「ウノuno」、フランス語では「アンun」(全て男性名詞)になる通り、いずれも意味は「一」です。後半の「ウェルススversus」ですが、これは「向かうverso」という動詞から派生していて、名詞で取れば「方向」、形容詞で取れば「向けられた」ということになります。合わせた「ウニウェルスス」は「一つの方向」とか、「一つに向けられた」とかの意ですね。

ユニヴァーサル・ヒストリーは「一方向の歴史」、もしくは「一つに向けられている歴史」ということになります。

ワールド・ヒストリーなら、いくつかの歴史が並行していても、仕方ないのかもしれません。しかし、ユニヴァーサル・ヒストリーでは駄目なんですね。ユニヴァーサル・ヒストリーは、一つでなければならない。一方向にだけ進んでいく歴史でなければならない。

こんな歴史がみつかれば、楽ですよね。簡単にいってしまえば、世界統一を遂げた国とか勢力とかがあれば、その歴史はユニヴァーサル・ヒストリーになります。

他の全てを征服して、どこまでも一元的に支配して、自分以外のものを認めない。世界は自分にのみ従え。そう声高に主張できる者の歴史なら、それはユニヴァーサル・ヒストリーになるでしょう。イコールでワールド・ヒストリーにもなりますが、しかし、現実に世界統一を遂げた国なんかないわけです。ないから、悩んでいるわけです。

やっぱり世界史なんか語りようがないかとも落胆しますが、もう少し広く解釈しますと、それは「一方向の歴史」、「一つに向けられている歴史」であって、必ずしも結果でなくてもいい、未だ途上にある歴史でもいいわけです。世界統一は果たしていないけれど、ゆくゆくは世界統一を果たしたい。いつか果たせるはずだし、きっと果たせると信じている。そういう世界観、そういう歴史観を持つ歴史なら、ユニヴァーサル・ヒストリーと呼んでいいと思うわけです。

自ら世界史になろうとしている歴史、そうしたユニヴァーサル・ヒストリーを軸に歴史の流れをまとめていくと、ワールド・ヒストリーの流れもそれほど煩瑣にならずに、すっきりみえてくるんじゃないか。明かせば、それが私の着想です。

■歴史はどこから始まったか

歴史の始まりというと、古代の四大文明ですね。メソポタミア文明、エジプト文明、インダス文明、黄河文明で、それぞれの地域に国が生まれ、また興亡を繰り返します。ときに別な地域に伝播して、さらに別な文明を派生させ、そこで国が興り、また滅びと歴史は積み重なっていくわけですが、しばらくの間は─―しばらくの間といっても、数え方によっては千年とか、二千年になるわけですが、まだ世界史を論じられる状況にはなりません。

ワールド・ヒストリーは無論のこと、ユニヴァーサル・ヒストリーの徴候も認められない。あるいは、その文明や、その勢力や、その国家の歴史には認められても、なかなか続かない。1回きりで後に受け継がれていかない。つまりは歴史の流れとして、現代まで辿りつかない。

■アレクサンドロス大王こそ世界史の出発点

それでは、どこが始まりか──私が考えているのは、古代ギリシアとアレクサンドロス大王です。大王の国としてはマケドニアですけども、古代ギリシア世界ですね。この有数の文明に育まれたアレクサンドロス大王といえば、大東征、世界征服の試みで知られています。

佐藤賢一『学校では教えてくれない世界史の授業』(PHP研究所)

アレクサンドロス大王は、前323年6月、ペルシアのバビロンで熱病にかかり、そのまま死んでしまいます。32歳と11カ月、もう少しで33歳、まだそんな歳にしかなっていませんでした。あまりに劇的な人生というか、太く短くの典型ですね。歴史の流れからすると、ほんの一瞬にしかすぎません。それでも、その一瞬に世界征服の意志、自分たちの勢力範囲を広げるんだという以上に、世界を征服してやる、世界をひとつにする、自分たちの歴史をこそ世界史にするのだという意志が、人類史上初めて明らかにされたわけです。

このアレクサンドロス大王こそ世界史、つまりユニヴァーサル・ヒストリーの出発点なのです。アレクサンドロス大王のあとにはきちんと歴史の流れができるからです。その覇権の歴史から、世界史の流れが見えてくるのです。

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佐藤賢一(さとう・けんいち)
作家
1968年山形県生まれ。山形大学教育学部卒業後、東北大学大学院文学研究科で西洋史学を専攻。99年『王妃の離婚』で直木賞を、2014年に『小説フランス革命』で毎日出版文化賞特別賞を受賞。著書に、『ハンニバル戦争』『遺訓』『ラ・ミッション 軍事顧問ブリュネ』『テンプル騎士団』『ヴァロワ朝 フランス王朝史2』(以上、講談社現代新書)など多数。

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(作家 佐藤 賢一 写真=iStock.com)

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