定年間近56歳が"通帳横流し"の切ない事情
プレジデントオンライン / 2018年10月25日 9時15分
■1500万円返済のため詐欺の片棒を担いだ男が守る「最後の一線」
10月上旬、ぶらりと行った東京地方裁判所。午前11時から開廷する初公判を探すと「覚せい剤」、「暴力行為」、そして「詐欺、犯罪による収益の移転防止に関する法律違反」の3件が順にヒットした。
見慣れない罪状が気になり3番目にヒットした法廷へ向かうと、弁護人と一緒に被告人がすでにいた。保釈中ということだ。痩せて顔色が悪いのはもともとなのか、それとも起こした事件の心労のせいなのか。
「詐欺、犯罪による収益の移転防止に関する法律違反」とは、詐欺+犯罪による収益の移転防止に関する法律違反、の2つの罪に問われているという意味。後者の罪は聞き慣れない人もいると思うが、以下のような犯罪である。
犯罪による収益が、組織犯罪を助長し、健全な経済活動に重大な悪影響を与えることから、そうした収益の移転を防止するための措置を講じることを定めた法律。金融機関・不動産業者・貴金属商・弁護士などの特定事業者に対して、顧客等の本人確認、取引記録等の保存、疑わしい取引の届け出などを義務付けている。平成20年(2008)施行。(デジタル大辞泉)
■定年まであと4年の56歳営業マンが犯した罪とは
勤務先から大金を横領でもしでかしたのかと思ったら、銀行で通帳とキャッシュカードを作っただけだった。それのどこが犯罪かといえば……被告人の発言を元に、順を追って説明しよう。
被告人は営業職のビジネスマン。定年まで4年に迫った56歳の大ベテランだが、マイホームのローンと子供の教育ローンを抱えて経済的に楽ではない。まだ1500万円も残金があるが、退職金でローン返済を終わらせ、老後に備える人生設計を立てていた。
しかし、ダブルのローン返済はきついのだろう。贅沢せずに支払いを続けてきたが、子どもの学費を払ったタイミングで支払いするだけの蓄えが底を突き、携帯電話料金の口座引落ができないなど経済状態が逼迫する。被告人が言うには、それとタイミングを合わせるように、複数の知らない業者からケータイにメールがきたのだそうだ。
「無担保で200万円まで融資が受けられる、というものです。正直、怪しいと思いましたが、生活費が足りない状態でしたので飛びついてしまいました」
公判では触れられなかったが、一般的なカードローンはすでに限度額まで借りていたのだと思う。金欠で焦っていた被告人がA社に60万円の融資を申し込むと、新規で携帯電話の契約をして電話機を送れば貸すという条件が出された。とにかく現金がほしい被告人は申し込みに行ったが、支払いの滞納があったため新規契約ができない。と、新たなる条件が提示された。
「私(被告人)名義の銀行の通帳とキャッシュカードを3行分、上野にある業者の私書箱まで送れば、融資する60万円を3行に分けて入金し、通帳などは送り返すという話でした」
■結局、目当ての60万円は手にできず逮捕された
どんなに甘く考えてみても、まともな金融会社でないことは誰だってわかる。しかし、わらにもすがる思いの被告人はそれに応じる。
手持ちの2行分では足りないので、某銀行で新たな通帳を作った。通帳を作る際には、「本人以外は使ってはならない」と説明を受けるが、被告人は最初から他者に渡すつもりで作った。この部分が、銀行に対する詐欺に当たる。そして、怪しいと知りつつ通帳やカードを送り、それが悪用されたことが、犯罪による収益の移転防止に関する法律違反となる。
もっとも、この事件で被告人は一切利益は得ておらず、被害者の側面もある。金融業者は60万円を融資するどころか、通帳などを入手するとすぐさま悪用。それがバレたことから、被告人宛てに銀行から「不審な入金があった」と連絡が入った。もちろん入金された金は業者によって即降ろされており、聴取に応じた被告人は罪を認めたという。
![](https://president.jp/mwimgs/f/4/-/img_f428a8e9e2c4d22cd829e0d0da9e2098155843.jpg)
借金(ローン)返済に追われた男が、行き詰まった揚げ句、悪徳金融業者に引っかかったこの事件。すぐに発覚したから良かったが、そうでなければ被告人の通帳を使ってさまざまな犯罪が行われていたことだろう。軽い気持ちで通帳の横流しなどしたらとんでもないことになる。
審理はサクサク進み、検察の求刑は1年6カ月。前科前歴がないことから執行猶予付きの判決になるのは確実だが、罪を犯した代償はそれなりに大きいことだろう。せっかくこの年までコツコツやってきたんだろうになあ……。
■裁判長が不満の色で被告人を問い詰める異例の展開
さて、そろそろ帰ろうか。
ところがこの裁判、ここから先があったのだ。終わるかに思えたそのとき、裁判長が不満の色をにじませながら、被告人を問い詰め始めたのである。
「あなた、家族に今回の件を言っていないそうですね。裁判所から通知が送られたはずですが、それを見せていない?」
「はい。妻が受け取ったのですが、ごまかしました」
情状証人が出廷していないのは、知らせていないからなのだ。
「会社にもこの話はしていないんですか?」
「はい。知らせていません」
「定年まであと4年で、退職金が欲しいから、ということですか。ローンは払っているんですか?」
「生活費を切り詰めて、なんとか払っています」
「被告人になっていることを、家族に言わないままでいいのか。よく考えたほうがいいんじゃないですか。話さないのは疑問です」
うなだれたまま黙り込む被告人。表情に余裕はなく、肩をすぼめて小さくなっている。
■“通帳横流し”をした56歳を誰もマヌケと呼べない
裁判長の言うことは正しい。被告人は送った通帳やキャッシュカードが犯罪に使われるであろうことを知っていたに決まっている。そんなことはどうでもいいから60万円貸してほしいと考えていたのだ。送付先に私書箱を指定する相手が、約束通り60万円融資してくれるはずはないのだが……。
![](https://president.jp/mwimgs/c/3/-/img_c31b7a09eb9d4cd857438a17e9b723db41876.jpg)
しかし、それはマヌケというより、そこまで頭がまわらないほど必死だったと考えることもできる。60万円は遊びに使いたくて借りようとしたのではない。生活費を補充し、ローンの返済をすみやかに行うためである。
ローン返済が滞ればどうなるか。最悪、マイホームを取り上げられたり、子供の教育に支障をきたすようになる。被告人はなんとかしてそれを防ごうとしたのだ。
やったことは悪い。法律に反した行為だった。自分勝手な行動で、多くの人に被害を与える可能性もあった。しっかりしろよ、と僕も言いたい。が、だからといって裁判長の正論にうなずく気にもなれないのだ。
営業マンとして数十年間も働いてきた被告人には、守りたいものがある。せっかく建てた家であり、家庭の安定だ。手段は間違えたけれど、今回の事件もそのために起こしたようなものなのだ。もしも60万円借りられていたら、被告人は昼食代を節約し、妻にバレないような言い訳をしてボーナスの一部を使い、きっちり返そうとしただろう。
家族に知られれば、家庭は大混乱になる。離婚されるとか、子どもから軽蔑されるとか、いいことは何もない。お父さんは私たちのためにそこまでやってくれたんだ、なんて思ってはもらえない。
会社だってそうだ。知られたら問題になるのは必至だし、同僚からはさげすまれ、高い確率で首が飛ぶ。そうなれば当てにしている退職金にも響き、ローン返済がいよいよ苦しくなってしまう。家や家庭を守れない。定年まで勤め上げるのを前提とした人生設計の被告人にとってそれだけは避けたいことだったのだ。
■世の中は理屈だけで動いているのではないのだ
今回、いくつかの幸運が重なり、家族や会社に知られることなく裁判当日を迎えることができた。守りたいものが崩壊しかねないところだったが、最後の一線で踏みとどまれている。被告人は薄氷を踏む思いで普段と変わらぬ風を装い、今日を迎えたのだ。いまさら知らせるはずないでしょう。
裁判長は、重大な秘密を抱えて生きていくのは、家族への裏切り行為じゃないかと言いたかったのかもしれない。「あんたは卑怯者だよ」と。あるいは、「正直に話せば家族は理解してくれるんじゃないですか」と。
甘いな。理屈はそうかもしれないが、世の中は理屈だけで動いているのではないのだ。
被告人にとって、いまは人生最大のピンチだ。あと4年、歯を食いしばって働くと決めている。ローンを終えるまで、家族にも会社にも今回の件は内緒だと決めているのだ。逃げ回っているのとは少し違う。
人生で最も苦しい4年間になるだろうが、被告人は耐えるはずだ。節約に励み、スーツも新調しない。二度と犯罪には加担しない。それが被告人なりのけじめの付け方なのではないだろうか。それは正しくないかもしれない。でも僕はその考えを否定したくない。
(コラムニスト 北尾 トロ 写真=iStock.com)
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