1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 経済
  4. ビジネス

私が"継がなくてもいい家業"を継いだ理由

プレジデントオンライン / 2018年10月30日 9時15分

苦境に陥った家業を、そのまま見捨てていいのだろうか。岐阜県羽島市の生地メーカー・三星毛糸は、下請け構造に苦しみ、従業員数はピーク時の10分の1以下に減っていた。5代目の岩田真吾社長は父親に頼まれてもいないのに、家業を再建のために帰郷した。就任から8年、自社ブランドを立ち上げ、業績は好転している。再生のポイントは何だったのか。早稲田大学ビジネススクールの入山章栄准教授が解説する――。

■なぜ“わずか数年”で会社を飛躍させられたのか

私はいま、ファミリービジネスで後を継いだ2代目・3代目などが、従来の技術に新たな経営視点を取り込み、事業承継を契機に革新を起こす企業に注目しています。今回紹介するのが、岐阜・羽島で毛織物の企画生産・仕上げ加工を行っている三星毛糸です。

2010年に5代目となる岩田真吾氏が社長に就任以来、生地の直販、東京・代官山への出店、そして自社ブランド「MITSUBOSHI 1887」の立ち上げと次々に改革を進めています。さらに同社の生地は世界最高峰の伊スーツブランドである「エルメネジルド・ゼニア」にも採用されているのです。

とはいえ、日本の繊維産業が全般的に斜陽になっているのも事実です。だとすれば、なぜ岩田さんは事業を承継してわずか数年で、会社を飛躍させることができているのでしょうか。岩田さんへの取材を通じて、私は経営学者として大きく3つのポイントに注目しました。

第一のポイントは、「知の探索」です。自分の眼の前ではなく、遠くの世界を見て知見を得、経験をしていくことを指します。「知の探索」は世界の経営学ではイノベーションを起こす必須条件とされており、第二創業で成功する事業承継者の多くも「知の探索」を行っていることは、本連載でも解説してきました。岩田さんの場合、それは「いきなり事業を継ぐのではなく、その前に多様な経験をしてきたこと」が該当します。

実際、岩田さんは高校を卒業して慶應義塾大学に入学したのですが、そこでまずは法曹界を目指して法律関係のサークルに入ったそうです。しかし、ほかの優秀な同級生を見て自分が弁護士・検事になることを断念。代わりに、サークルの代表として組織を取り仕切ることに専念しました。そこで組織を動かす面白さを知った、と言います。

■「真吾君っていつまでサラリーマンをやっているのかな」

さらに岩田さんは大学を卒業後、三菱商事に就職します。「三菱商事に入社したときには、親父は僕がもう戻ってこないだろうと思ったでしょうね」と当時を振り返ります。

三星グループ 代表取締役社長 岩田真吾氏

実際、岩田さんは三菱商事に2年間勤めると、今度はボストン コンサルティング グループ(BCG)に転職し、そこで3年働きます。このように、大手商社と外資系コンサルティング企業で働き、マクロな視点でビジネスを見られたことは、岩田さんの大きな糧になっているはずです。まさに「知の探索」です。

そして27歳のとき、岩田さんはいよいよ家業を継ぐことを決意します。その決断のきっかけを与えたのは、奥様の一言だったそうです。

「僕が27歳のときに、妻から『このあいだうちのパパが、真吾君っていつまでサラリーマンをやっているのかな、って言ってたよ』と聞かされたんです。妻も経営者の娘なので、それは何気ない日常会話の1つだったのですが、ハッとしました。僕もどこかでサラリーマンのまま30歳になったらダメだと思っていたので、『何かチャレンジするには3年かかる。今がちょうどそのときだな』と思ったんです」

■斜陽といわれる産業に入ることは怖くなかったのか

しかし、当時の三星毛糸の経営状況は、全盛期からは大きく後退していました。同社は1887年の創業から130年の歴史を持ち、ピーク時には従業員が1000人いたそうです。しかし、バブル崩壊を期に繊維産業全体は大きく衰退し、同社も00年以降は撤退と集約の歴史になります。現在の同社グループの社員のうち、繊維関連の従業員は70人ほど。その規模は10分の1以下になっています。東京での華々しいキャリアを捨て、斜陽といわれる産業に入ることは、怖くはなかったのでしょうか。

「親父に『戻ってこい』と言われて従うのではなく、自分で決意することが大事だと思ったんです。繊維は素人ですから、会社の技術も優位性も、何もわからない。まずはもう入ってみないとわからないという“ドタ勘”でした。でも、周囲で同業他社が次々と倒れていく中で、会社を縮小しても残してきた親父のことを信頼していたし、この時代に生き残っているのだから、この会社にはおそらく輝く何かがあるはず、と思っていました」と岩田さんは言います。

実際、そのドタ勘通りでした。三星毛糸には高い経営資源があったのです。その1つが、最高の布を織ることができる織り機械と、それを操る職人の高い技術力、そして、もう1つが、高い品質を支える濃尾平野の木曽川の豊かな水環境です。

大量の水が使用される生地の加工工場。濃尾平野を流れる木曽川などから引かれる地下水をくみ上げ、使用できる環境だからこそ、「尾州」で毛織物産業が発展した。

「世界のあらゆる繊維産地は水の豊かな地域にあります。“生地の聖地”ともいわれるイタリアのビエラも水が豊かだし、シルクの産地コモは、澄み切った美しい湖のほとりにあります。布というのは織って終わりではなく、揉んだり、洗ったりすることで、生地の風合いが引き立ちます。そして糸・布を染めるのには大量の水が必要です。いい水は、いい風合いを引き出せるのです」

■親父が残した、従業員との信頼関係

イノベーションは「何かと何かの新しい組み合わせ」で起きます。しかし人の認知には限界があるので、その組み合わせはやがて尽きます。だからこそ、眼の前ではなく遠くの知見を得て異なる経験をする「知の探索」が重要なのです。ただ、地方の伝統産業に引きこもっているとなかなかそれができません。三星毛糸の場合、非常に質の高い毛織物加工技術と、それを生かす豊かな水があり、そこに東京で知の探索をして戻ってきた岩田さんの経験が「新しく組み合わさる」ことで、ここから革新が起きていくのです。

第二のポイントは、三星毛糸にはそもそも、従業員や経営陣の間に、高い信頼関係が築かれていたことです。経営学では、この信頼関係を総称してソーシャルキャピタルと呼びます。時には技術力や人材の能力以上に、企業経営に重要な「経営資源」ともいわれています。

三星毛糸は、このソーシャキャピタルに恵まれていました。まず、岩田さんと先代のお父様の関係です。お父様は岩田さんが入社して1年後には社長を譲り、会長となって事実上経営を退きました。同族企業には珍しい、綺麗な交代劇です。

「入社して10カ月で、親父が僕に、『社長になれ』と言ったんです。『まだ早いだろ』と答えたら、親父は『若いから稚拙だというデメリットもあるが、動けるというメリットもある。失敗してもリカバリーできる』と言ったんです」

現会長であるお父様が出勤するのは週に1日だけで、会計周りを見て助けてくれていると言います。基本的に経営戦略は岩田さんに任せて、口を出さないそうです。

さらに言えば、岩田さんと職人さんの間のソーシャキャピタルも豊かです。岩田さんは、父親世代の職人を残したまま、自分と年の近い若い社員を経営幹部に据えました。その職人さんの技術を信頼し、生産には口を出さないと言います。「自分は技術は素人、だから職人さんを信頼し、自分は経営に専念する」という方針なのです。慶應大学時代の法曹サークルでも、勉強は同級生に任せて自分はサークル運営に専念したことと、まさに重なります。

■革新を起こす「バリューチェーン統合」

現在の岩田さんは、この「知の探索」と「ソーシャルキャピタル」を土台に、三星毛糸を、地方の下請け生地メーカーから名高いブランドに変えるべく、様々なチャレンジをしています。岩田さんの話を伺っていると、その大きな戦略は毛織物業界の「バリューチェーンの統合」にあると私は理解しました(図参照)。これが第三のポイントです。

米国の経営学者マイケル・E・ポーターが提唱した理論。三星毛糸は「テキスタイル」が本業だが羊毛・アパレルまで事業を拡大している

実は、この繊維・アパレル業界というのは、バリューチェーン上の分断が著しいのです。普段私たちがアパレル業界と接するのは、服を販売する「ブランド」だけです。しかし実際にはその前段階として洋服を縫製する洋服メーカーがあり、さらにそれらの会社が買い求める生地をつくる織物・加工会社があり、さらには糸をつくる紡績会社があります。一般の消費者は、お店で購入する服以外は接点がありません。

それに対して三星毛糸はいま、消費者と直に繋がり始めています。三星毛糸は服を売る会社ではありません。しかし、生地そのものを消費者に直接届けるという戦略を、岩田さんは選んだのです。まさにバリューチェーンの統合です。

■百貨店で大人気、“生地屋”のストール

この施策として、例えばクラウドファンディングを利用して東京・代官山に直営店をオープンしました。そこではたくさんの生地が売られています。訪れた客は、生地を直に触ってから買います。その生地を三星毛糸から紹介してもらうテーラーなどに持って行き、スーツを仕立ててもらうのです。

さらには12年、パリで行われる世界最高峰の生地見本市「プルミエール・ヴィジョン」に出展します。そこで三星毛糸のブースを訪れたブランドの一社が、世界中のVIPが愛用する最高峰のオーダースーツブランドとして知られるエルメネジルド・ゼニアでした。この出合いをきっかけに、ゼニア社は「MADE IN JAPAN」コレクションを始動し、三星の生地を採用したのです。

さらに三星は15年、自社の生地から商品化した自社ブランド「MITSUBOSHI 1887」をリリースします。

最高級ウールと起毛シルクなどを使ったストールを商品化し、直営店、新宿伊勢丹などの百貨店で販売しています。ストールは3万円以上するラインもありますが、ファッション誌にも取り上げられるなどヒット商品となっています。

さらに岩田さんがこれからチャレンジしていこうとしているのが、バリューチェーンにおける織物・繊維よりもさらに上流の「原毛の羊を育てる」段階から、アパレルの最終製品までを繋いでいくことなのです。

岩田さんは17年、最高の原毛を追い求め、オーストラリアのタスマニア島にあるウィントン牧場を訪れたそうです。そこで飼われているサクソンメリノ種の羊の毛が、世界最高峰なのだと現地で実感して帰国します。

三星生地のスーツを愛する人が、三星の生産現場を知りたくて尾州を訪れ、さらにはタスマニアへ、牧場を訪れる旅に出る。そんな“ウールツーリズム”を実現させる。そんな壮大な夢を叶えようと挑んでいるのです。

▼第二創業成功のポイント:息子が入社したいと思う「魅力ある職場」をつくる

会社概要【三星毛糸】
●三星グループ:三星毛糸・三星染整・三星ケミカル
●本社所在地:岐阜県羽島市正木町
●資本金:三星毛糸・三星染整2000万円、三星ケミカル1000万円
●売上高:23億円
●従業員数:150人
●沿革:1887年、岩田志まにより綿の艶つけ業として創業。1931年毛織物の染色整理加工をする三星染整合名会社(61年に三星染整に社名変更)を設立。48年には紡績を手掛ける三星毛糸を設立。

----------

入山章栄
早稲田大学ビジネススクール准教授
三菱総合研究所を経て、米ピッツバーグ大学経営大学院でPh.D.取得。2008年よりニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクールの助教授を務め、13年より現職。専門は経営戦略論および国際経営論。近著に『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』。
 

岩田真吾
三星グループ 代表取締役社長
1981年、愛知県生まれ。東海高校、慶應義塾大学法学部法律学科卒業。2003年に三菱商事、ボストン コンサルティング グループを経て、09年に三星グループに入社。10年より三星毛糸・三星染整の、15年より三星ケミカルの代表取締役社長に就任。
 

----------

(早稲田大学大学院経営管理研究科教授 入山 章栄 構成=嶺 竜一 撮影=研壁秀俊)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください