安田さんとネット民のどちらに分があるか
プレジデントオンライン / 2018年11月7日 15時15分
■「可能な限り説明するのが私の責任」
シリアで武装勢力に拘束され、3年4カ月ぶりに解放された44歳のフリージャーナリストの安田純平さんが11月2日、解放後初めての記者会見を行った。会場の日本記者クラブ(東京・内幸町)には約390人の報道陣が詰めかけ、テレビカメラだけで約40台が並んだ。
ブラックスーツに濃紺のネクタイを締めた安田さんは、少し痩せたように見えたが、「可能な限り説明するのが私の責任」と当時の模様を毅然と話した。
安田さんは冒頭、次のように述べて深々と頭を下げた。
「解放に向けてご尽力いただいた皆さん、ご心配いただいた皆さんにお詫びしますとともに、深く感謝申し上げたいと思います」
「私自身の行動によって、日本政府が当事者になってしまった点について、大変申し訳ないと思っています」
安田さんは会見中、言葉を選ぶように話し、その態度は終始、丁寧で謙虚だった。
■「もう駄目だ。殺してくれ」と叫んだこともあった
約2時間半にわたった記者会見の最後、安田さんが日本記者クラブのサイン帳に書いた「あきらめたら試合終了」という一言が紹介された。安田さんはこう説明した。
「何度も絶望して拘束された部屋の壁を蹴って『もう駄目だ。殺してくれ』と叫んだこともあったが、希望は最後まで捨てなかった」
「あきらめたら、精神的にも肉体的にも弱くなってしまう」
「いつかは帰れるとずっと考え続けた」
■生命力の強さとジャーナリスト魂には頭が下がる
いつ殺されてもおかしくない状況だった。そんななか、安田さんは「あきらめたら試合終了」の精神でよくがんばった。
もし自分が安田さんだったら、劣悪な環境での3年4カ月もの長い拘束に耐えられただろうか。いやできないだろう。舌を噛み切って自殺するか、そのまま狂い死んでいただろう。安田さんの生命力の強さとジャーナリスト魂には頭が下がる。
危険な紛争地取材について安田さんは「紛争地で何が起きているのか。それを見に行くジャーナリストの存在が必要だ」と語る。
当事国や関係国、関係者の発表だけでは真実が見えないことが多い。ましてや紛争や戦争となると、嘘の発表も横行する。
■「日本政府に金を要求する。人質だ」と告げられた
安田さんは過激派組織のイスラム国(IS)の情報を入手したことで、ISと対立する他の反体制組織が統治するシリアのイドリブで取材しようと考え、2015年6月22日の深夜にトルコからシリアに入ったが、途中でガイドとはぐれて拘束された。
「拘束は私の凡ミスだ」と言う。
当初はゲスト扱いでテレビを見ることもできたが、1カ月ほどたってから「日本政府に金を要求する。人質だ」と告げられた。ただノートを渡されメモを書くことは許された。
アパートの地下室、戸建ての民家、巨大収容施設など約10カ所で拘束され続け、ときには幅1メートル、奥行き2メートルほどの独房に入れられ、身動きや音を立てることを禁じられ、寝返りも許されない拷問を受けた。
イスラム教に改宗すれば、1日5回の礼拝が許され、体が動かせるということで、名前を「ウマル」と変えた。日本人と名乗ることは禁じられた。
■「批判があるのは当然だ。自業自得だと考えている」
「殺されても文句は言えない」
「政府にお尻を拭いてもらった」
安田さん解放のニュースに対して、ネット上では「自己責任ではないか」との批判が噴出した。テレビのワイドショーでもコメンテーターらが、危険を顧みず、国の制止を振り切って紛争地のシリアに入った取材の是非を問題視した。
こうした批判に対し、安田さんは「私自身に対して批判があるのは当然だ。紛争地に行くのは自己責任だと考えている。日本政府が紛争地から拘束された日本人を救い出すのは難しい。相応の準備をして自分の身に起きるものについては、自業自得だと考えている」と述べた。家族には「何もしないように。放置するように」とのメッセージを残したという。
こうした発言を聞き、自分の信念を持った男だと、沙鴎一歩は感じた。
安田さんは埼玉県の出身で一橋大を卒業後、1997年4月に信濃毎日新聞社に入った。2002年3月に休暇を取って米軍のアルカイダ掃討作戦が続くアフガニスタンを訪れた。同年12月には開戦前のイラクに10日間滞在した。翌2003年1月には信濃毎日新聞社を退職し、フリージャーナリスに転身した。
安田さんはこれまでもイラクで2回、身柄を拘束された経験があり、今回は3度目の拘束だった。
■「国は自国民の安全や保護に責任を持つ」と産経
さて新聞の社説はどう書いているのか。
10月25日付の産経新聞の社説(主張)は「両親らは『よく頑張った』などと涙ぐんだ。まず、安田さんの無事を喜びたい」と書き、自己責任の問題についてこう主張する。
「安田さんは2004年4月にもイラクで武装勢力に拉致され、3日後に解放されていた。今回の不明時は政府がシリア全土に『退避勧告』を出し、新たな渡航をやめるよう注意を呼びかけていた」
「危険を承知で現地に足を踏み入れたのだから自己責任であるとし、救出の必要性に疑問をはさむのは誤りである。理由の如何を問わず、国は自国民の安全や保護に責任を持つ」
納得できる主張である。政府には国民を守る責任と義務、そして使命がある。憲法は国民の生命と自由、財産を保障している。
■「国際社会との連携による解放は、一定の外交の成果」
産経社説はこうも書く。
「菅義偉官房長官は『官邸を司令塔とする“国際テロ情報収集ユニット”を中心にトルコやカタールなど関係国に働きかけた結果だ』と説明した」
「安田さんは、国際テロ組織アルカーイダ系の過激派『ヌスラ戦線』に拘束されていたとみられる。安田さん解放の情報は、ヌスラ戦線などに影響力を持つカタールからもたらされた」
「日本政府の要請を受けたカタールやトルコが、何らかの仲介役を務めたことは間違いあるまい。国際社会との連携による解放は、一定の外交の成果である」
産経社説が指摘するように外交の成果であることは間違いない。
■「身代金は支払わない」が原則だが……
しかし、次の産経社説の見解はいただけない。
「一方で菅氏は『身代金を払った事実はない』と強調した。テロリストを直接の交渉相手としない。身代金は払わない。これはテロと戦う大原則である」
「テロに屈すれば新たなテロを誘発する。身代金は次なるテロの資金となり、日本が脅迫に応じる国と周知されれば、日本人はまた次の誘拐の標的となる。原則は堅持されなくてはならない」
確かに「身代金は支払わない」というのが原則ではあるが、原則は原則にしか過ぎない。臨機応変に対応しなければ、人の命は守れない。国際社会の現実はそんなに甘くはない。日本政府もそこのところを十分に理解しているはずだ。ODA(政府開発援助)に潜り込ませて3億円が仲介国に渡ったという話もすでに流れている。
■大手メディアは記者を紛争地には送りたがらない
朝日新聞も社説(10月26日付)のテーマに取り上げ、ジャーナリストの仕事の一端をこう書く。
「紛争地に入り、そこに生きる人びとの声を報じるのはジャーナリストの重要な責務である。ミサイルや銃弾が飛び交い、子どもらまでもが傷つく戦争の悲惨な現実を、第三者の立場から公正に伝える。そのために、各国の記者は使命感をもって危険な取材にあたっている」
まさにその通りなのだが、朝日新聞をはじめとする大手メディアは自社の記者を危険な紛争地には送りたがらない。記者が負傷したり、命を落としたりした場合、報道局幹部の責任が問われるからだ。
■記者会見には出ず、ネット上で無責任に批判する
そのため大手メディアは安田さんのようなフリージャーナリストを臨時に雇って紛争地に派遣する。命を懸けるには極めて少ない報酬だが、フリージャーナリストもそれによって生活費を得ている。これがひとつの現実である。
その厳しい現実を知っているのか、知らないのか。ネット上では一方的に安田さんを批判する声が大きいようだ。おかしな話である。
安田さんを批判したいのであれば、記者会見に出席して正々堂々と自己責任について質問すればいいではないか。
■ジャーナリストの仕事をどう考えているのか
安田さんのようなフリージャーナリストの存在は欠かせない。なぜなら戦争や紛争では政権や反勢力はどうしても自らに都合の悪い情報を隠そうとするからだ。危険を承知で現地に入って実態を報道するジャーナリストの仕事があって初めて事実が明らかになり、国際世論が動く。
かつてベトナム戦争の時は多くの記者やカメラマンが現地に入った。そのなかにはフリーランスの人間もたくさんいた。沙鴎一歩が新聞記者になったのは、そんなジャーナリストたちの命を懸ける仕事ぶりに憧れたからだ。
あのころ自己責任論を使って彼らを批判する人はひとりもいなかった。いまネット上で批判を繰り返す人たちは、過去のジャーナリストたちの活躍の歴史を知らないのではないか。ジャーナリストの仕事をどう考えているのだろうか。
■ただし解明しなければならことは多い
安田さんは記者会見で拘束から解放に至る詳細を語ってくれた。しかし疑問点や解明しなければならないことも多い。
そもそも安田さんを拘束した武装勢力はどんな組織なのか。外務省や警察庁などが安田さんから話を聴いて調査や捜査を進めている。実態を解明することが、同様の拘束を防ぐことにつながるはずだ。
安田さんはシリア入りしてすぐに拘束された。安田さんはガイドを信頼したというが、まだ語れないこともあるのではないか。ぜひ安田さんの手で、拘束の経緯を詳報してもらいたい。
日本政府が否定する身代金の支払いについても実際はどうだったのか。記者クラブに加盟し、政権側から直接情報を取りやすい新聞社やテレビ局など大手メディアはその点をしっかり取材すべきだろう。
(ジャーナリスト 沙鴎 一歩 写真=時事通信フォト)
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