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名演と絶賛されたが…「シャブ山シャブ子」を信じてはいけない

プレジデントオンライン / 2018年11月12日 15時15分

「シャブ山シャブ子」を演じた江藤あやさんのInstagramより

テレビドラマ『相棒』に登場した薬物依存症の女性キャラクター「シャブ山シャブ子」が話題を集めている。迫真の演技という評価も多いが、国立精神・神経医療研究センターの松本俊彦医師は「啓発運動が繰り返してきた間違ったイメージを再現しており、本物の薬物依存症者とは異なる。差別を助長する恐れがある」と指摘する――。

■複数の医療関係者から「あのシーン、ヤバいよ」と連絡

この数日間、ネット上で「シャブ山シャブ子」なる奇妙な名前が話題となっています。これは、11月7日放送のテレビ朝日系ドラマ『相棒 Season17』の第4話に登場した中年女性の名前です。

その女性は、番組終盤、忽然と白昼の公園にあらわれ、手にしたハンマーでいきなり刑事を撲殺したのです。殺害後に奇声をあげて高笑いをする姿はあまりにも異様で、多くの視聴者に強烈なインパクトを与えました。

その後、警察の取調室で、その中年女性は場違いかつ年齢不相応な高いテンションで自らをこう名乗りました。「シャブ山シャブ子、17歳です!」。カメラは肘窩(ちゅうか)部にある注射痕を映し出し、彼女がシャブ(覚せい剤)の常習者であることを視聴者に知らせ、その間、彼女は、羽虫の幻覚でも見えているのか、しきりと目の前の何かを振り払うしぐさを繰り返していました。さらに次の場面では、取り調べを終えた刑事たちの立ち話のなかで、彼女に関する情報が明かされました――「重度の薬物依存症者」「責任能力を問えない可能性がある」と。

私はリアルタイムでこの番組を観ていたわけではありません。番組終了直後、複数の医療関係者から、「あのシーン、ヤバいよ」という連絡を受け、映像を確認しました。

■あんな「覚せい剤依存症患者」は実在しない

「これは薬物依存症者じゃなくて、ただのゾンビじゃないか」

それが率直な感想でした。登場時間はわずか1分あまりでしたが、放送直後からネットでは「マジ怖かった」「怖すぎて、物語に集中できなくなった」といった感想が書き込まれ、ちょっとした騒ぎになっていました。次第に「覚せい剤依存症者」を見事に演じた女優の江藤あやさんを称讃する声が数多く上がり、「シャブ山シャブ子」という言葉は、Twitterのトレンドワードに入るほど広がりました。

私は頭を抱えました。私は20年あまり薬物依存症の治療にかかわってきましたが、率直にいって、あんな覚せい剤依存症患者はいません。危険ドラッグやある種の幻覚薬を一緒に使用した場合、あるいは、他の精神障害を合併する複雑なケースならいざ知らず、少なくとも覚せい剤だけの影響でああいった状態を呈するのはまれです。

■理解不能な凶悪犯罪を「薬物」でかたづけたくなる

こういうと、必ず過去の覚せい剤常習者による凶悪犯罪のことをあげ、「そうはいっても、シャブをやってるやつは、いきなり人を殺すじゃないか」と反論する人もいます。確かにそういう事件があったのは事実ですが、細かく検討すると、薬物の影響がことさらに誇張されているケースが少なくありません。

たとえば、よく言及されるのは昭和56年に社会を震撼させた「深川通り魔殺人事件」です。犯人の川俣軍司がある時期覚せい剤を常用していたのは確かです。しかし、佐木隆三のルポ『深川通り魔殺人事件』(文藝春秋、1983)によれば、犯行に直接影響を与えた精神病症状である「電波」は、彼が覚せい剤に手を染める以前から存在し、覚せい剤使用の有無に関係なく、長期にわたって持続していたものでした。専門医の立場からみると、あの事件を覚せい剤の影響だけで論じるのは無理があると考えています。

思うに、世の人々は理解不能な凶悪犯罪が発生すると、未知が引き起こす不安・恐怖を軽減しようとして、できるだけその責を薬物という外在物に帰そうとする傾向があります。2012年に米国で発生した猟奇的傷害事件「マイアミ・ゾンビ事件」はそのよい例です。

この事件は、加害者が全裸で通行人の顔にかみつき、左目、鼻、顔の皮膚の大半を失う大けがを負わせたものです。加害者は駆けつけた警官が数発発砲しても被害者から離れなかったため、その場で射殺されました。事件直後、「被害者の顔を食いちぎる」というグロテスクな凶行は、加害者が摂取した危険ドラッグ「バスソルト」の影響だと報じられました。ところが捜査資料によれば、加害者の体内から危険ドラッグの成分は検出されず、危険ドラッグが事件の原因ではないことがわかっています。

■「覚せい剤やめますか、それとも人間やめますか」の功罪

なぜ多くの人は「シャブ山シャブ子」の演技、あるいは番組制作者の演出に、リアリティを感じてしまったのでしょうか。

海外の先進国に比べて、日本人の規制薬物の生涯経験率は驚くほど低く、日本は薬物に関してきわめてクリーンな国です。国民の大半は、一度も「本物の薬物依存症者」と直接出会うことなく生涯を終えます。会ったこともない人に対して、あのような偏見と差別意識に満ちたイメージを持っているのは、一体なぜなのでしょうか。

私は、約30年前、民放連が行った啓発キャンペーンのコピー、「覚せい剤やめますか、それとも人間やめますか」や、学校における薬物乱用防止教室の影響は無視できないと考えています。そうした啓発では、薬物依存症者はきまってゾンビのような姿で描かれています。

■女性の薬物依存症者を揶揄する言葉になる恐れ

このような偏見に満ちたイメージを人々に植えつけた結果、国内各地では、依存症リハビリ施設建設の反対運動が起きています。なにしろ、その施設に集まってくるのは、「人間をやめた人たち、ゾンビのような人たち」なのですから、地域住民が反対するのはあたりまえです。

「シャブ山シャブ子」は、わが国の啓発キャンペーンが作り出した不適切な薬物依存症者のイメージとぴったり当てはまったのでしょう。それだけに私は、今後、「シャブ山シャブ子」という名前が、女性の薬物依存症者を揶揄する言葉として流布されることを危惧しています。

こうした私の主張に対し、「たかがテレビドラマの話なんだから、そこまで目くじらを立てなくとも……」とお思いになる方もいるでしょう。

■薬物を規制することの弊害のほうが大きくなっている

想像してほしいのです。あのドラマで凶行に及んだ女性が薬物依存症ではなく、別の精神障害に罹患している設定だったら、どうだったでしょうか。おそらく障害者差別を助長するヘイト表現という批判が、当事者やその周辺から一気に噴出したはずです(うるさいことをいえば、「責任能力を問えない可能性がある」と登場人物にいわせている時点で、すでに心神喪失・耗弱に相当する精神障害を暗示してしまっているわけですが)。

ところが、薬物依存症だとなぜか許されてしまう――。私はそこに憤りを覚えるのです。薬物依存症もまた、他の精神障害と同様、精神保健福祉法や国際的な診断分類にも明記されたれっきとした精神障害であるにもかかわらず、わが国では依然として犯罪とする見方が優勢なのでしょう。

そうしたわが国の捉え方は時代遅れです。すでに諸外国では、薬物問題を犯罪としてではなく健康問題と捉えることが主流になっています。

かつては諸外国でも薬物問題を犯罪として扱い、薬物依存症者に対して厳罰をもって臨んできました。しかし、それにもかかわらず、薬物の生産量・消費量は上昇し、薬物の過量摂取で死亡する者と、不潔な注射器でHIVに感染する者が増加していきました。多くの薬物依存症者は、犯罪者として社会から排除されるのを恐れて、どこにも助けを求めることができないまま、ますます孤立を深めていました。つまり、薬物がもたらす弊害よりも、薬物を規制することの弊害のほうが大きくなっていったのです。

■薬物問題の改善には「差別」より「包摂」が必要

そのようななかで、オランダやスイス、カナダ、オーストラリア、ポルトガルといった国々は、刑罰によって薬物依存症者を社会から排除するのではなく、社会のなかに包摂し、居場所を与える政策を採用し、薬物問題を改善させるのに成功したわけです。今ではWHOや国連も、「薬物問題を非犯罪化し、健康問題として扱うべし」と各国に申し入れをしており、世界は確実にその方向へと進んでいます。

松本俊彦『薬物依存症』(ちくま新書)

かつて重篤な精神障害やハンセン病を抱える人たちが、社会からの隔離・排除の対象とされ、深刻な人権侵害が許容された不幸な時代がありました。そして、いまだそれと同じ扱いを受け続けているのが、まさに薬物依存症なのです。

具体的にどんな取り組みが必要なのか。その詳細については、近著『薬物依存症』(ちくま新書)にまとめています。いつの日か、こうした状況が変化すると信じています。関心のある方はぜひ一読ください。

最後にひと言。「相棒」シリーズのドラマはいずれも考え抜かれた、すばらしいエンターテインメントだと思っています。それだけに、番組制作にかかわるスタッフには、今回の指摘を今後の番組作りに生かしてほしいと願っています。

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松本俊彦(まつもと・としひこ)
精神科医
国立精神・神経医療研究センター 精神保健研究所 薬物依存研究部部長 兼 薬物依存症治療センターセンター長。医学博士。1967年生まれ。93年佐賀医科大学医学部卒業。横浜市立大学医学部附属病院などを経て、2015年より現職。近著に『薬物依存症』(ちくま新書)がある。

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(精神科医 松本 俊彦)

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