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イケメン選手をオジサンに売り込めたワケ

プレジデントオンライン / 2018年11月22日 9時15分

日本テレビ キャスター・解説委員 小西美穂氏(撮影=稲垣純也)

どんな人物も最初は無名だ。日本テレビの報道キャスター・小西美穂氏は、16年前、デビッド・ベッカム選手をいち早く日本に紹介した経験がある。いまでは世界的セレブだが、当時は日本ではほとんど知られていない数多のサッカー選手に過ぎなかった。なぜ彼女の売り込みに対し、テレビ局側はGOサインを出したのか。その背景には「小さな成果の準備」があった――。

※本稿は、小西美穂『小西美穂の七転び八起き デコボコ人生が教えてくれた 笑って前を向く歩き方』(日経BP社)第一章の一部を再編集したものです。

■“小さな成果”を準備する

読売テレビで記者をしていた小西美穂さんは、32歳のときに特派員としてロンドン赴任を命じられました。「国際報道の第一線に立つ」という願いを叶えるチャンスが巡ってこない日々のなかでも、順調にスタートを切れたカギは「準備」にあったそうです。

目をつけたのは、すぐに形になる“小さな成果”です。

いきなり「アフリカに出張して難民問題を取材します」といった重厚なテーマで大きな成果を出そうとしても、形になるまでには時間もコストもかかります。成果を出すまでは、誰にもよろこばれません。

それよりも、1日で取材が完結して、その日のうちに1分半くらいのリポートにまとめられる街ネタをたくさん小出しにするほうが、制作サイドも番組内で使いやすいのではないか。着任直後ならではのフレッシュな視点で現地の風景をとらえるリポートは、視聴者も楽しんでくれるのではないか。そう考えて、出発前から雑誌や新聞記事を取り寄せ、現地の街ネタの収集を始めていたのです。

そこで見つけたのが、ロンドンの有名な観光スポット「ビッグ・ベン」の時計を、古い1ペニーコインを使って調整している技師のおじいさんがいるという話。

「これなら取材準備のイメージも湧くし、面白いリポートになりそう」。ピンときて、到着後すぐに取材ができるように、段取りを進めていきました。そして、実際に着任後すぐにリポートをまとめて、本社に送ったのです。

結果的に、着任当日に北アイルランドで発生した事件を伝えたのが、私のロンドン初リポートとなりましたが、「ビッグ・ベンの仕事を既に用意してある」という気構えができたことで、精神的に余裕を持って、ロンドンでのスタートを切ることができました。

■異動で不安なときの“サプリメント”

その後も、とにかく街中の情報を収集して、イギリス王室やハリー・ポッターなどに関する、コンパクトで使いやすいリポートを積極的に日本に送っていきました。東京の本社とこまめにやりとりができて、ささやかでも成果を出して、よろこばれる。それは、私自身のやりがいにもつながりました。

この経験以降、私は異動を控える後輩にも、次のようにアドバイスをしています。「小さくてもいいから、手軽ですぐにできる仕事を自分で準備しておくといいよ」と。異動して1週間、2週間と経っても、「これが私の仕事です」と差し出せるものがなければ、誰だって焦ります。そして、その焦りが「もっと大きな成果を見せないと」と、ますますハードルを上げていく。

だから、小さな成果を準備しておく。

自分の心を安心させるサプリメントのように、よく効きます。

企画会議で1枚の提案書を出してみる、といったすぐにできることで十分です。

けれど、それがあるのとないのとでは大違い。

異動を控えて不安を感じる人は、ぜひ試してみてください。

■自分にしかできない仕事をつくる

もう一つ、チャンスを渇望していた時期に私が心がけていたのは、「かかってきた電話は必ず取る」ということでした。なにか突発的なニュースが飛び込んできた時、もしかしたら私の順番が回ってきて、電話が鳴るかもしれません。そんな時、すぐに「行けます!」と言えるように。

いつでも着信を逃さないよう、レストランで食事をする時は地下の店を選ばず、シャワールームにも電話を持ち込んでいました。もちろん、寝る時には枕元に置いて、電話を常に離さないよう心がけていたのです。

そして、諦めずに言い続けていました。「私を現場に行かせてください」と。

いざという時のために、いつでも動ける気構えを持ち続けた私ですが、一方で「そうはいっても、重大なニュースで私が最初に呼ばれるようになるなんて、そんなに簡単なことではない」ということも、よく分かっていました。

国際報道の第一線に立つのは、すぐには難しそうだ。

だとしたら、なんとかして「私にしかできない仕事」を見つけよう。

「小西さん、ぜひ行ってください!」「この仕事は、小西さんでないとダメなんです」。

そう言ってもらえる仕事を自分で見つけようと考えたのです。

けれど、それはどうやったら見つかるのか……。

「私にしかできない仕事」を探していたという(撮影=稲垣純也)

■あるイケメンとの出会い

焦燥を抱え、日課の情報収集として地元のタブロイド紙に目を通していたある日のことでした。毎日のように紙面を飾るイケメンがいることに気づきました。調べてみると、彼がプレミアリーグ3連覇を遂げた、名門サッカーチームの中心選手であること、結婚したパートナーは世界的に人気のある歌手で、かわいい子どもがいることが分かりました。

彼の名前は、デビッド・ベッカム。

時は日韓共同開催のワールドカップ前のこと。今ほど日本でサッカー人気が広がってはいない頃のことです。ベッカム選手の存在は、当時の日本では一般的に知られていませんでした。

私もサッカーをよく観ていたわけではなかったので、彼のことはこの時、初めて知りました。けれど、甘いマスクと豊富な話題性に「この人、日本でも人気が出るかも!」とピンときました。

先ほど書いた通り、私は「すぐにリポートできて、お茶の間受けしそうなネタ」を意識的に集めていました。ベッカム選手に関するリポート素材をまとめるため、週末を利用してはサッカーの試合に訪れて映像を撮ったり、彼の生い立ちを知れる本を読んでエピソードを集めたりして、準備を始めていきました。

「緊迫する国際報道の現場に立ちたい」という理想とはほど遠いと思われるでしょうか?

もちろん、その希望はずっと持ち続けていました。けれど、私は受け身で待つだけでは我慢できなかったのです。

とにかく、動く、動く、動く! 今できることを、自分で探して。

スポーツの中でも特定の選手にスポットを当てる「柔らかめのネタ」で成果を上げたとしても、ほかの誰かの実績を邪魔しないだろう、という推測も立ちました。

なによりその時、私はどんなテーマでもいいから、私にしかできない仕事を見つけたいと渇望していたのです。老若男女、いろんな人が集まるスタジアムに通うことで、リアルなイギリス社会の縮図を目の当たりにすることも多く、勉強にもなりました。

■ベッカム選手を日本に紹介

日本でベッカム選手の人気に火が付いたのは、時の巡り合わせでした。日韓ワールドカップがあった2002年4月、リーグ戦の試合中に、ベッカム選手が足を骨折するアクシデントが起こりました。

ちょうど私もその試合を観に行って、その様子を撮影していました。スター選手が担架で運ばれていく間、会場は騒然。翌朝のロンドンのタブロイド紙には、ベッカム選手の足型の写真が大きく掲載され、「彼がプレイできるように、みんなで祈ろう!」といった主旨の見出しが躍りました。

数週間後のワールドカップに彼が出場できるのか。ブレア首相(当時)までコメントして、イギリス中の注目を集めていました。彼のスター性にますます可能性を感じた私は、日本テレビの本社に電話をして、すぐにリポートできるネタとしてプレゼンしたのです。

ポイントはこの、「すぐにリポートできる」ということ。相手が物事をスピーディーに進めやすいように準備をしておくことが、機を逃さず、素早い判断を促します。私は、それまでコツコツと試合に通っては集めていた映像や、視聴者の興味を刺激しそうなエピソードが、もう十分にたまっていることを伝えました。

「それ、面白いね。すぐ出せる? じゃ、送って!」ということで、早速、素材を送ってみると大好評。放送中の視聴率もよかったようで、「また次の素材を送ってよ」といったリクエストが絶えず、出せば出すほど、さらに注目が高まるような状態になったのです。

■「私にしかできない仕事」をつくり出せた

小西美穂『小西美穂の七転び八起き デコボコ人生が教えてくれた 笑って前を向く歩き方』(日経BP社)

「ベッカム選手は視聴率が取れる」と判断した本社からは、レアル・マドリードへの移籍会見や、アジアツアーなどの大事なシーンの取材には「小西さん、行ってきて」と声がかかるようになりました。ほかの人が注目していなかったニッチなネタだからこそ、「私だけの仕事」になったのです。

その後も、ベッカム選手に関する自社のニュースは、ほぼすべて私が担当しましたし、「自称・ベッカム番」として8カ国の取材にも行かせてもらえました。そのうちの北京やバンコクには、同系列の支局があって特派員もいましたが、「ベッカム選手の取材だから」という理由だけで、ロンドンにいる私が指名されるようになったのです。

本流の仕事で順番が回ってこなくてくすぶっていたからこそ、練り出した苦肉の策によって、念願だった「私にしかできない仕事」をつくり出せました。

挑むことを止めずに行動し続けると、いつかチャンスが巡ってくる。

私はこの言葉を、きれいごとではなく、実体験として語れます。

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小西美穂(こにし・みほ)
日本テレビ キャスター・解説委員
1969年生まれ。兵庫県出身。関西学院大学文学部卒。1992年読売テレビに入社。報道記者として阪神・淡路大震災などを取材。2001年から3年間、ロンドン特派員。帰国後、政治部記者を経て、2006年日本テレビ入社。報道キャスターに。「ズームイン!!サタデー」「深層NEWS」などに出演。現在は夕方の報道番組「news every.」に出演中。著書に『3秒で心をつかみ 10分で信頼させる 聞き方・話し方』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)。インスタグラム mihokonisi69

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(日本テレビ キャスター・解説委員 小西 美穂)

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