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イオン"門外不出の書"はなぜ世に出たのか

プレジデントオンライン / 2018年11月16日 9時15分

イオングループには社員だけが読むことのできる本がある。筆者は創業者・岡田卓也の実姉で、グループの人事や組織経営のあり方を定めた小嶋千鶴子。日本最大の流通企業の秘密が書かれた本は、「門外不出の書」と言われてきた。それが今回、『イオンを創った女』(プレジデント社)として出版された。なぜ出版が可能になったのか――。

■まとまった著作物は過去には一切ない

地方の小さな呉服店であった家業的岡田屋からジャスコという企業へ、さらにはイオングループへと発展させた影の功労者・小嶋千鶴子。岡田卓也の実姉として弟卓也を育てあげ、社長となった岡田卓也を補佐し、数々の合併を成功させた。影の実力者である。

その小嶋千鶴子が現役を引いてから四十数年が過ぎようとしており、実際のところ小嶋千鶴子を知る人が少なくなってきた。「小嶋さんって誰?」、「聞いて知っているけど偉い人らしいね」という程度で、その人となりや業績については、イオン内部であっても伝説の物語になりつつある。

小嶋がこれまで世にほとんど知られなかった理由のひとつは自己宣伝を徹底的に嫌う姿勢がある。そのためか、小嶋を知るためのまとまった著作物は過去には一切ない。

古くは『商業界』の主幹を務めた倉本長治氏がその著書『あなたも成功できる』の中で、「弟を女の細腕にしっかりと抱き締めながら、老舗ののれんを如何に守るべきかに苦心したこの人の半生の物語は、別に私にも書く折があるだろう」として、若干のエピソードを紹介しているにとどまっており、その半生の物語は結局実現しなかった。

■どんな著名人の誘いも断った「影の実力者」

また、1995年に発刊された『創業者は七代目 ジャスコ会長、岡田卓也の生き方』のあとがきで、著者の辻原昇氏は「インタヴューのためお目にかかってほんとうにたのしかったのは小嶋千鶴子さんだ。七十九歳という年齢をいささかも感じさせず、歯切れのよい明解な語り口、機知とユーモアが壮快だった」と小嶋を紹介しているが、こちらもそこから先の話にはならない。

さらにはあの流通業界・フランチャイズビジネスの指導者のカリスマと知られる渥美俊一氏が、小嶋の側近のひとりであるA本部長を通じて、小嶋さんの本を書きたいが、とりなしてくれないかという打診があったが小嶋は固辞したほどである。

この種のトップ取材では取材する側もされる側もどうしても忖度や媚を売るようなことが起こるし、彼女にとっては、メディアに出ることによって自分で隙をつくることになりかねないから辞退したのではないかと思う。それと当時はまだ現役に近く、生の小嶋を披露するには時が早すぎると判断していたのではないかとも思う。

いずれにせよ、名だたる著名人からの出版の依頼を固辞するほどまでに自己宣伝を嫌った。小嶋の性格的なことでいえば、警戒心・猜疑心が強く、近づきすぎても離れすぎてもダメで、非常に「間」の取り方が難しい人ではある。

■幻の書『あしあと』が書かれた経緯

唯一、小嶋を知るための書として、小嶋千鶴子自身が81歳の時(1997年)に刊行した自伝が『あしあと』である。『あしあと』は一般には販売されていない。小嶋からのプレゼントとしてイオングループ現役社員に配布されるのみである。

『あしあと』は新入社員には必読書となっている。小嶋の文章は抑制がきき、平たい言葉で淡々とした記述であるため、その真意は当時の出来事を知る者でないと本当の理解はなかなか困難である。この本に対する私の理解・認識は、単なる自伝的なものではなく「経営書」に近い。「配布は幹部に限定したらどうか」と私は小嶋に提言したことがある。その『あしあと』に現代的解釈を加え、一般のビジネス書として世に問うたのが『イオンを創った女』なのである。

今回、小嶋の評伝を著すにあたって、あらためて小嶋の業績や人事に対する深い洞察・事柄が次代に継承されなかった理由を考えてみたが、それはひとつには小嶋は裏方・補佐役に徹していたということがある。もうひとつは小嶋があまりにも強い個性をもつがゆえに「小嶋さんだからできた」と属人的なものとして捉えられてしまうからである。

■50年前に「経営人事」「戦略人事」の概念を確立した

確かにそうであることは否めない。強すぎる個性は時としてトップやラインの長から忌避されることがある。経営の暴走を抑制する立場を往々にしてとるため、平たくいえば煙たい存在なのである(とはいえ、弟・岡田卓也と対立していたわけではない。それどころか、卓也はことあるごとに小嶋の功績をたたえ、感謝を述べている。それは『イオンを創った女』を読んでいただければよくわかるはずだ)。

だからこそ50年前に小嶋は労務管理人事とは一線を画し、今日でいうところの「経営人事」「戦略人事」の概念を確立し、CHRO(最高人事責任者)の役割を立派にやり遂げることができたのだ。

『イオンを創った女』は、イオンの影の功労者・実力者小嶋千鶴子に焦点をあてた「評伝」としている。しかし、これは姉と弟の物語でもある。また、トップと参謀の絶妙なコンビの姿でもある。

あれだけの傑物はどうして出来上がったのだろうという素直な疑問を解くため、生い立ちをたどりながら「小嶋千鶴子」を作り上げたもの、なしえた業績などを振り返った。

小嶋の生き方には一貫しているものがある。一口にいえば「凛」とした屹立した生き方である。よいものはよい、いけないことはダメ、ひとの意見や風潮に左右されない、まっすぐな生き方である。

■自分のことを話題にすることはほとんどない

また、小嶋の要求は特にビジネスにおいては下にはやさしいが上に厳しい。たとえ違う会社の役員であっても、業界や日本の将来を考え、ずけずけとものを言う。説教をする。

小嶋の経営に対する姿勢はまず「無私」であるから、いわば怖いものなしである。といって粗野・横暴・横柄ではもちろんない。

自宅を訪れる訪問客であっても「手土産」を一切受け取らない。それどころか帰りには、その辺にある本などを渡して、「これ、読んどき。ためになるから」とかえってお土産をわたすほどだ。

自分のことを話題にすることはほとんどなく、だから自己の売り込みや過去の功績をひけらかしたりもしない。ただひたすら、向上を求め、実践する。

102歳となった現在でも、新聞5紙と「エコノミスト」をたんたんと読んでいる。

■家訓「上げに儲けるな、下げに儲けよ」

自己宣伝をしないというのは、弟の岡田卓也(現イオン株式会社名誉会長)も同様だ。ふたりとも基本的スタンスとして、本業・実務に徹するという考え方がある。

小嶋が監査役時代にこんなことがあった。人事本部の私のデスクの前にきて「あのA君はどうしてる?」と聞くので、「財務本部の資金部にいます」と答えたところ、ここへ呼んでほしいという。

A君が来て小嶋が「いま何の仕事してんのや?」と聞くと、A君は得意げに「会社の資金に余裕があるので、その資金をつかって株などに運用しています。これまでに相当儲けることができました」と答えた。

すると小嶋は「あほか君は。誰の指示でそんな卑しい仕事をしているのや。本業で儲けんかい。私は君をそんなことのために育てたんと違う。今すぐ辞めさせる」と言って財務本部に血相を変えてとんでいった。そしてその部署はすぐ廃止となった。

小嶋と岡田はバブル時代、他社がゴルフ場経営だとか金融事業だと浮かれる中、全く他の分野には手を出さなかった。これは岡田家に伝わる家訓「上げに儲けるな、下げに儲けよ」という商人としての実践であったと岡田卓也は『岡田卓也の十章』で述べている。まさに、浮利を追わない堅実な経営姿勢をDNAとして持っているのだ。

■任期中のことだけを考え、自己保全に終始する経営者たち

現在、日本でも多くの企業が「大企業病」をわずらっている。

トップダウンに慣れ切った社員は考えるチカラをなくし、見ざる・聞かざる・言わざるを決め込み、頭を低くして耐えることに終始する。一人ひとりの仕事は狭く、考える人とそれを実施する人に分離して、工夫や発案など皆無で、ただ手続きに終始して、目の前の作業をこなすだけになっている。

経営者に限れば、自分の任期中のことだけを考え、自己保全に終始する。責任をとる覚悟すら見られない。一時頭を低くして嵐をすぎされば終わりという風潮すらある。

企業は変化する社会へ適応していかなければならない。それは単なる順応ではなく、「革新」を必要とする。未来の予測は難しいが「変化」があるというのは確実である。来るべき変化を予見して「手」を打つ必要がある。

打つ手はひとつには捨てるものを決めること。そして次代にかなうものを生み育てるしかない。モデルなき時代、トップを走る企業の苦悩がそこにある。

■「まず自分自身を変えることだ」と常に訴えていた

かつてイオンには、スクラップ&ビルドに対して躊躇しない果敢な行動原理があった。小嶋にも岡田卓也にしても、ダメなものを引きずらないある種非情とも思える勇気がある。岡田卓也に至っては、創るよりも壊すほうが好きと言わんばかりに喜々としてスクラップする。そうして一から種をまき、育成成長させるという比較的長いタームでの起業とも言うべき思想があった。

東海友和『イオンを創った女 評伝小嶋千鶴子』(プレジデント社)

前社長(二木英徳氏)は岡田卓也を評して「私は岡田さんのまねはできん。私は直近5年ぐらい見通せるが、岡田さんは10年20年先を見ている人や」といったほどだ。

それほど、先を見越した岡田卓也の経営においても対応できる人材を育成するよう「経営人事」「戦略人事」を行ったのが小嶋千鶴子だ。

その哲学を学び、実践していくことができれば、それは企業の持続的成長を可能にするはずだ。

小嶋の教えは、「いつの世も教育は常に人間の未来を拓く可能性を秘めている」というものだ。それは人間の可能性の追求であり、人間しかできない創造の世界であると教育の重要性を説いている。

「まず自分自身を変えることだ」と小嶋千鶴子は常に訴えていた。

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東海友和(とうかい・ともかず)
東和コンサルティング 代表
三重県生まれ。岡田屋(現イオン株式会社)にて人事教育を中心に総務・営業・店舗開発・新規事業・経営監査などを経て、創業者小嶋千鶴子氏の私設美術館の設立にかかわる。美術館の運営責任者として数々の企画展をプロデュース、後に公益財団法人岡田文化財団の事務局長を務める。その後独立して現在、株式会社東和コンサルティングの代表取締役、公益法人・一般企業のマネジメントと人と組織を中心にコンサル活動をしている。

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(東和コンサルティング会長 東海 友和)

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