電車内・飲食店でキレる老人の暴走脳みそ
プレジデントオンライン / 2018年11月27日 9時15分
■女性会社員を刺した71歳男性の「攻撃衝動」の要因
11月11日の未明、横浜市の商店街で女性会社員が刺され、重傷を負った事件で、神奈川県警は翌12日、71歳で無職の近江良兼(おうみ・よしかね)容疑者を強盗殺人未遂容疑で逮捕した。
71歳という年齢もさることながら、近江容疑者が脳梗塞を起こして入院してから仕事を辞め、ずっと杖をついていたということも衝撃的だった。実際、防犯カメラには、杖のような物を持って被害者の後ろを歩く男の姿が映っていて、逮捕の手がかりになったという。
しかも、被害者を刺した後、さらに追いかけて再び襲っていたらしく、攻撃衝動の強さがうかがわれる。杖を離せなかったのは、脳梗塞の後遺症で歩行障害があったせいだろうが、それでも刃物で何度も襲うほど攻撃衝動が強いのは一体なぜだろうか。
「脱抑制」の可能性
まず考えられるのは、近江容疑者が数年前に脳梗塞を患った影響で、感情や衝動を抑制できなくなる「脱抑制」に陥っていた可能性である。脳梗塞になると、脳の血管が詰まってその先の組織に酸素や栄養が届かず、脳神経細胞が死んでしまう。そのせいで感情や衝動を抑制できなくなるのだ。
その典型的な症状が、感情のコントロールができなくなる「感情失禁」で、些細なことですぐに涙ぐみ、泣き出す。田中角栄が脳梗塞で倒れた後、人前でも泣いていたのは、この「感情失禁」のせいだろう。
田中角栄は泣いていたが、逆に怒るケースもあり、ちょっとしたことで怒り出す。だから、いわゆる「キレる老人」が周囲にいたら、脳梗塞の後遺症で「脱抑制」に陥っているのではないかと疑うべきだ。
近江容疑者には、「キレる老人」という評判が立っていたわけではない。ただ、普段はおとなしい人柄なのに、酒癖が悪かったらしい。また、酒を妻に止められていたにもかかわらず、ときどき隠れて飲んでいたという証言もある。これは、飲みたいという衝動を抑制できなかったからだろう。その原因として、アルコール依存症の可能性も否定できないが、やはり脳梗塞の後遺症による「脱抑制」の影響が大きいと私は考える。
犯行動機について、近江容疑者は金目的と供述しているようだが、酒を買う金がほしかったのではないか。そのために刃物で刺して金を奪うのは反社会的行動である。だから、普通は犯行に走る前に理性で考えて歯止めをかける。しかし、「脱抑制」に陥っていると、ただ酒を飲みたい、そのための金がほしいということしか頭になく、短絡的に犯行に走る。しかも、攻撃衝動に歯止めをかけることもできないので、攻撃が必要以上に激しくなりやすい。
■前頭側頭型認知症で万引きや盗み食いなどの反社会的行動
「脱抑制」は認知症でも起こるケースがある
脳梗塞で脳の血管が詰まり、脳神経細胞が死ぬと、認知症になることもある。このタイプの認知症は血管性認知症と呼ばれる。血管性認知症は、脳梗塞だけでなく、脳の血管が破れる脳出血によっても引き起こされる。
他のタイプの認知症でも、「脱抑制」は起こりうる。とくに「脱抑制」が多いのは、前頭側頭型認知症である。前頭側頭型認知症では、その名の通り、主に前頭葉と側頭葉が萎縮する。その点で、大脳全体が萎縮するアルツハイマー型認知症とは違うのだが、問題は前頭葉の機能が低下して、抑制がきかなくなる「脱抑制」が起こりやすいことだ。
そのため、前頭側頭型認知症になると「脱抑制」のせいで社会的ルールを守れず、万引きや盗み食いなどの反社会的行動がしばしば出現する。困ったことに、こうした行動を周囲から注意されたり、制止されたりすると、本人は興奮する。ときには攻撃的になることもある。自分が病気であるという自覚、つまり病識がなく、悪いことをしたとは全然思っていないからである。
認知症になると怒りっぽくなる
前頭側頭型認知症に限らず、認知症になると怒りっぽくなることが少なくない。これは、主に2つの理由によると考えられる。まず、記憶障害のせいで大切な物をなくしたり、道に迷ったりすることが増え、不安になる。そのうえ、病識がないので、そういう自分をなかなか受け入れられず、イライラして怒りっぽくなる。
さらに、妄想が出現すると、一層怒りっぽくなる。妄想で多いのは、お金や財布などを「盗まれた」と訴える物取られ妄想である。この物取られ妄想は、記憶力が低下して、お金や財布をどこに置いたか忘れてしまい、探し回っても見つからないので、「(お金や財布が)ない」→「誰かが盗った」と短絡的に考えることによる。
このように認知症になると、しばしばイライラして怒りっぽくなり、それが「脱抑制」に拍車をかける。その結果、暴言や暴力などの攻撃的な言動が増えることもある。したがって、高齢者がイライラして怒りっぽくなったら、早めに病院に連れて行って頭部MRI検査や心理検査を受けさせることをお勧めする。
■ライブをドタキャンした歌手の沢田研二さんも「脱抑制」か
病気でなくても「脱抑制」は起こりうる
これまで取り上げたのは、れっきとした病気だが、必ずしも病気でなくても「脱抑制」は起こりうる。加齢によって脳の機能が低下するにつれて、感情や衝動を抑制するのが難しくなるからだ。もっとも、頭部MRI検査を受けても、ほとんどの場合異常は認められない。
この「脱抑制」のせいで感情をコントロールできなくなる高齢者は少なくない。今年10月にライブをドタキャンした歌手の沢田研二さんも、その1人のように私の目には映る。
沢田さんを高齢者扱いすると、ファンの方の反感を買うもしれない。しかし、もう70歳なのだから高齢者の範疇に入る。また、加齢による「脱抑制」が起こっても不思議ではない年齢である。だから、さいたまスーパーアリーナでの公演直前に、9000人の集客予定が7000人しか集まらないことを知って激怒したのは、「脱抑制」によって感情をコントロールできなかったからではないかと疑わずにはいられない。
沢田さんに限らず、「脱抑制」のせいで感情をコントロールできない高齢者はどこにでもいる。飲食店で若い女性店員に「その口のきき方は何だ!」と激怒したり、電車内で若者に「そこは年寄りの席だ。譲りなさい!」と声を荒らげたりする高齢者をしばしば見かける。周囲の人になだめられても、「なってないから注意しているだけ」「敬老精神を教えてやっているんだ」などと逆ギレする高齢者もいる。そのせいか、「キレる老人」がいても、見て見ぬふりをする人が増えているようだ。
このような「キレる老人」になるのは、もちろん従来の性格にもよるだろう。しかし、それだけでなく、加齢による「脱抑制」の影響も大きいのではないか。定年前までは穏やかで理性的にふるまっていたビジネスパーソンが、定年後は怒りっぽくなり、トラブルを起こすようになったという話をよく聞くからだ。
老い先短いのだから我慢なんかしたくない
こうした変化を引き起こすのは、「脱抑制」だけでない。定年退職による喪失感や孤独感も大きな影響を与えると考えられる。そして、何よりも無視できないのが、「老い先短いのだから我慢なんかしたくない」という気持ちである。
沢田さんは、記者会見で「僕の音楽人生にとってはもう後がない」と話した。この「もう後がない」という思いこそ、「我慢なんかしたくない」という気持ちに拍車をかける。しかも、年を取るにつれて強くなる。
脳梗塞や脳出血、あるいは認知症はひとごとと思っている読者の方も、加齢による「脱抑制」からは逃げられない。また、高齢になるほど「老い先短いのだから我慢なんかしたくない」という気持ちも強くなる。それを肝に銘じ、「暴走老人」にならぬよう今から気をつけるべきである。
(精神科医 片田 珠美 写真=iStock.com)
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