EU離脱を素朴に信じる英国強行派の短慮
プレジデントオンライン / 2018年11月29日 9時15分
■離脱協定に基づかない「無秩序な離脱」のリスク
膠着が続いていた英国の欧州連合(EU)からの離脱交渉にようやく前進が見られた。11月25日、EUはベルギーの首都ブリュッセルで臨時の首脳会議(サミット)を開催し、英国のEU離脱に関する協定案に関して正式合意に達した。同時に英国とEUの将来的な通商関係に関する政治宣言案に関しても双方で合意が成立した。
今後英国とEUは、それぞれの議会で離脱協定の承認を得る必要がある。多くの識者が指摘するように、最大のリスクは英国議会が協定を否認することにある。仮にそうなった場合、国民投票の再実施を含めた幾つかの展開が考えられるものの、いわゆる「合意に基づかない」形での離脱(ノーディール)に向かう可能性が高まる。
「合意に基づかない」形での離脱とは、離脱協定に基づかない無秩序な離脱を意味する。他方で今般合意に達した「合意に基づく」形での離脱のポイントは、現状をできるだけ維持することにある。特に重要なのが、最大の係争関係にあった北アイルランド国境問題の解決を21年7月まで先送りするということだ。
■「3月29日」までに合意に基づく離脱ができるか
英国の一部である北アイルランドの住民は98年のベルファスト合意以降、アイルランド国籍の選択が容認されている。英国は北アイルランドを英国として扱いたいが、一方で住民の中にはアイルランド国籍保持者もいる。アイルランドとの紛争を蒸し返しかねないため、その扱いは非常にナイーブであった。
さらに21年7月までに問題が解決しない場合、英国は最長で23年までEUの関税同盟にとどまることができる。つまり「合意に基づく」離脱が期限となるロンドン時間19年3月29日午後11時に実現すれば、英国とEUの通商関係は、少なくともモノの輸出入に関して現状の関係が当面の間は維持されることになる。
ただ英国の与党・保守党の中では、離脱強硬派と呼ばれる議員を中心に、こうした解決の先送りに対して批判的な意見が多い。また閣外協力関係にある北アイルランドの地域政党、民主統一党(DUP)も反対の立場を鮮明にしている。彼らのうちのどれだけが英国議会において反対に回るかで、事態は決すると言える。
■英国がEUから完全に離脱することは不可能
今般合意に達した離脱協定には、EUのみならず英国のメイ首相の意向が反映されている。メイ首相も現状維持という「問題の先送り」に合意したわけである。その背景には、英国が経済的にEUに強く依存していることがある。つまり、英国がEUから完全に離脱するということは不可能だという現実だ。
何より、英国の貿易の大半はEU向けに行われている。英国がEUの前身である欧州共同体(EC)に加盟したのが1973年。それ以降、英国はEUの関税同盟に参加しているため、EUとの間での貿易は無制限で行われている。ただ英国がEUから離脱すれば、その瞬間にEUとの貿易に関税が課されることになる。
![](https://president.jp/mwimgs/7/b/-/img_7b1f67db619fadf098ea1eae36b65c71111482.jpg)
英国の貿易の大半にいきなり関税が課されることになれば、その瞬間から企業は多額のコストを負う必要に迫られる。政府もこれまで40年にわたってEUとの間で行われた貿易に対して通関業務を行ってこなかったため、その再開に際して多額の費用が掛かることになる。
離脱強硬派はEUの関税同盟から離脱することで、英国が通商政策の主権を回復することができると主張する。ただ主権を回復したところで、英国貿易のEU依存という構造はすぐには変化しない。むしろEUとの貿易に通関業務のコストが圧し掛かることの悪影響が大きい。
■「ポンド安」は英国経済にとって悪影響が大きい
16年6月の国民投票で離脱派が勝利した際、英国の通貨ポンドは歴史的な下落を記録した。当時、このポンド安が輸出を勢いづけるため、英国経済はむしろ好調を取り戻すと見る識者もいた。だが現状までの推移を評価すれば、悪影響のほうが大きい。
製造業に強みがある経済であれば、為替安は輸出の増加や企業収益の改善を通じて景気を浮揚させる。ただ英国の場合、国際的な強みがあるのは金融を中心とするサービス業であり、製造業はむしろ弱い。貿易収支も恒常的に赤字であり、典型的な輸入超過の経済である。
確かにポンド安で輸出は勢いづいて生産は好調になったが、一方で輸入が足踏みして消費が低迷した。差し引けばポンド安による輸入と消費の悪化は、英国経済の重荷になっている。また離脱交渉の先行き不透明感から設備投資が増えないため、輸出の増加にも陰りが見える。仮にEUとの間で関税が導入されても、ポンド安が一段と進めばEU向けの輸出は競争力を保てるかもしれない。ただ英国は原材料や部品の多くを輸入に頼っている。輸出のために輸入せざるを得ない経済でもあり、ポンド安の好影響は限定的となる。
■「離脱強硬」は英国経済にとって最悪のシナリオ
離脱強硬派は、今般の離脱協定を認めるくらいならば「合意に基づかない」形での離脱のほうが望ましいと考えている。それは英国経済にとって最悪のシナリオだ。
「合意に基づかない」形で離脱が実現すれば、EUとの貿易に関税が課されるため、企業と政府は多くのコストを支払う必要がある。また英国経済の将来に悲観した投資家がポンドを売るため、ポンド安が進む。よって輸入が滞り、消費が悪化し、英国経済は非常に悪化する。
これまで英国の繁栄をもたらしてきたマネーも一気に流出することになる。当然、株価は急落する。英国をEU向けビジネスの拠点として使っていた日系を含む海外企業の大陸移転も加速する。悲観的なムードが漂う中で企業は投資を手控え、人員カットを進めるため、雇用情勢は悪化して失業者が急増する。
つまり、この見切り発車シナリオでは、英国は通商政策の主権を回復する代わりに、経済が大混乱に陥る。そのコストとパフォーマンスを天秤に諮った時、英国のメイ首相は交渉延期という現状維持を受け入れざるを得なかったのだろう。
問題は、こうした経済の理屈だけで交渉は動かないことだ。与党の保守党内に離脱強硬派が少なからずいるように、英国の中には英国がEUから完全に離脱することこそが望ましいと教条的に確信している有権者が数多く存在する。現実よりも信念が重要と考えるだけに、冷静な判断は下せない。
■保護貿易の熱に浮かれ、冷静さを失っている
そうした熱に浮かれた人々を鼓舞する離脱強硬派の政治家にも責任のある態度は見られない。離脱強硬派の中心人物であるリースモグ議員やジョンソン元外相は火中の栗を拾おうとはせず、有権者へのアピールを重視し、メイ首相の批判に終始している。
同じように人々が熱に浮かれ、冷静さを失っていく傾向は世界中に広がっている。筆頭が米国だ。トランプ大統領はグローバリズムを批判して保護貿易を唱えている。グローバリズムによるベネフィットを最大限享受してきたのが米国のはずだが、トランプ大統領の支持者はそうした冷静な見方ができない。
英国が来年3月29日に「合意に基づく」離脱を実現していれば、英国経済はソフトランディングを迎えることができる。他方で同日に「合意に基づかない」形での離脱となれば、英国経済はハードランディングを余儀なくされる。そのとき熱に浮かれた人々は、自分たちの深刻な過ちに気づくことになるだろう。
3月29日までに英国はどちらの選択を下すのだろうか。引き続き目が離せない。
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三菱UFJリサーチ&コンサルティング 調査部 研究員
1981年生まれ。2005年一橋大学経済学部、06年同大学院経済学研究科修了。浜銀総合研究所を経て、12年三菱UFJリサーチ&コンサルティング入社。現在、調査部にて欧州経済の分析を担当。
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(三菱UFJリサーチ&コンサルティング 調査部 研究員 土田 陽介 写真=AFP/時事通信フォト)
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