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サントリー山崎が1本3250万円もするワケ

プレジデントオンライン / 2018年12月3日 9時15分

山崎蒸溜所は天王山のふもとにある(撮影=熊谷武二)

今年1月、香港のオークションで、サントリーのウイスキー「山崎50年」が1本3250万円で落札された。なぜそんなに値が上がったのか。その背景には、国産のミズナラ樽から生まれる原酒を使った「山崎」の魅力が、世界で認められたことがある。一般的なホワイトオーク樽ではなくミズナラ樽を使うという英断には、同社の「やってみなはれ」の精神があった――。

■ハイボールの流行が再び

今年の1月27日、サザビーズが主催した香港のオークションで、サントリーのシングルモルトウイスキー「山崎50年」が1本、3250万円で落札された。オークションに出たジャパニーズウイスキーの落札額としては過去最高額だ。

サントリーのウイスキー出荷額はピークだった1983年が約3000万ケースで、現在は約1000万ケース。84年からは需要が下がり続け、いちばん少なかった2008年の出荷は約470万ケースにすぎない。やっと需要が回復してきたのは翌09年からだ。

需要が低迷していた間、同社は在庫を増やさないよう、生産調整をしなければならなかった。しかし、同社の努力もあり、ハイボールという飲み方が再び流行るようになった。その少し前から「山崎」「白州」「響」といった高級ウイスキーが世界の酒類コンペティションで入賞を続けた。さらに、14年、NHKの朝ドラ「マッサン」ではウイスキー造りの現場が舞台となり、世の中にウイスキーの魅力が伝わっていった。

■「まずはお客さまに飲んでいただく」

こうして、ウイスキーは国内、海外ともに人気が高まり、「山崎」をはじめとする高級ウイスキーは品薄状態になったのである。原酒を樽に詰めて長期間、熟成するウイスキーは人気に火が付いたからといって、すぐには増産できない。今、同社の山崎蒸溜所はフルに操業しているけれど、それでもすぐにウイスキーがマーケットに出てくるわけではない。

飲食店やバーはサントリーの高級ウイスキーを仕入れるのに非常な苦労をしている。様子を見た同社の社員は「まずはお客さまに飲んでいただく」姿勢をくずさない。商品が売れないのは企業にとって死活問題だが、売れすぎて、消費者が買うのに苦労する事態も決して喜ばしいことではない。

では、そんな人気商品の生産現場はどのような状況になっているのだろうか。どういった言葉を大切にして、ウイスキー造りに励んでいるのだろうか。

■ウイスキー造りを支えるブレンダーの舌と鼻

サントリーの創業者、鳥井信治郎がウイスキー造りの現場に選んだのは京都から南西にある山崎だ。天王山のふもとで、豊臣秀吉、明智光秀が天王山の戦いで相まみえた古戦場にも近い。信治郎が山崎に決めたのは周りの環境と水がいいからである。山に抱かれるような傾斜地だから、工場や住宅が周りにできることはない。周りが開発されることがないから、水の清冽さが保たれる。

わたしはウイスキーの本場、スコットランドのハイランド、あるいはアイラ島に行ったことがあるけれど、同地では蛇口をひねると透明ではなく茶色っぽい水が出てくる。それに比べたら、日本の水は無色透明だ。しかも豊富にある。なかでも山崎の水はなめらかな軟水の中でも比較的ミネラル分が多く、そのバランスがよい。だから特長のあるおいしいウイスキーができるのだろう。(※)

※初出時、「なかでも山崎の水はなめらかでミネラル分も多い。ウイスキーに限らず、豆腐を作ってもおいしいものができるだろう」としていましたが、表現を訂正します。(12月4日17時00分編集部追記)

ウイスキーの製造工程は仕込み、発酵、蒸溜、貯蔵である。砕いた麦芽(モルト)と水を仕込み槽に入れると麦芽に含まれる酵素の働きでデンプンが糖に変わる。仕込み水はむろん山崎の名水だ。仕込んだ麦汁(ワート)に酵母を加えると糖はアルコールと炭酸ガスに変わる。その段階の液体をウイスキー造りでは「もろみ」(ウォッシュ、発酵液)と呼ぶ。

もろみを二度、蒸溜(初溜、再溜)するとアルコール度数の高いニューポット(無色透明)ができる。ニューポットを樽に詰めて熟成させ、樽の香りや味がついたものが原酒だ。サントリー全体では120万樽の原酒があり、それを組み合わせて商品が完成する。

熟成した原酒をテイスティングして配合を決めるのがブレンダーだ。約100名が働く山崎蒸溜所の従業員のうち、この仕事をしているのは数名で、彼らは自分たちの舌と鼻でウイスキー造りを支えている。

■「お客さまが飲む状態で、おいしいウイスキーを造れ」

そのブレンダーに忘れられない現場の言葉を聞いてみよう。

チーフブレンダーの福與伸二氏(撮影=熊谷武二)

チーフブレンダーの福與伸二は現会長の佐治信忠から繰り返し同じ言葉を聞いた。

福與は思い出す。

「佐治信忠社長(当時)はいつも『製造時品質だけではなく飲用時品質が大事だ』と言い続けました。お客さまが飲む状態で、おいしいウイスキーを造れ、と。ですから、私たちは水割り、ハイボールでは、どういったふうにすると、いちばんおいしくなるかを研究したのです。

水割りはグラスに氷をたくさん入れて、ウイスキーと水の割合は1:2.5。ハイボールはウイスキーとソーダの割合が1:4。ホテルや町のバーではこういった話をするところはあるでしょう。しかし、ウイスキーメーカーのトップが飲用時の品質まで考えているところはそれほど多くはないと思います」

同社のブレンダーが「製品」を造る意識はもちろんのこと、お客さまに飲んでもらうことを頭に置いているのは、佐治がうるさいくらい、何度も「飲用時品質」に言及したからだ。

■戦禍と創業者の決断から生まれた奇跡の樽

同社のウイスキーの大きな特徴はふたつ。まずは水で、もうひとつは樽の材質や大きさなどの多彩さにある。一般にウイスキーではホワイトオーク製の樽を熟成に使うことが多い。内部を焼いて甘い香りをつける「チャー」という工程を経たものを使う。さらに、シェリーやワインの熟成に使った樽を使うこともある。

水と樽が同社のウイスキーの特徴だ(撮影=熊谷武二)

戦前にウイスキー造りを始めた信治郎もまた海外から輸入したホワイトオークの樽を使って原酒を熟成させていた。ところが第二次世界大戦が起こり、海外製の樽を輸入することができなくなった。担当者は国内で樽材を探す。そうして、ミズナラを見つけてきた。

担当者は信治郎に提案する。

「大将、いろいろ探しましたが、ミズナラで作った樽がええんやないかと思います」
「ミズナラ? そうか。それしかないか。ほなら、やってみなはれ」

この通り言ったかどうかは定かではない。しかし、信治郎はミズナラの樽を採用した。

ホワイトオークを使うことが多いウイスキー樽に仕方なくとはいえ、ミズナラを使ったことは大きな決断であり、イノベーションだった。だが、結果がすぐに出たわけではない。戦後、寿屋(サントリーの前身)のウイスキーは進駐軍の将校たちに引っ張りだこになり、信治郎は大いに儲けた。ただし、その頃はまだミズナラ樽の原酒は熟成中で、ウイスキーにはブレンドされていない。

■ジャパニーズウイスキーの象徴・ミズナラ樽の香り

ミズナラ樽の原酒を使う時期が来て、テイスティングしてみた。すると、当時のチーフブレンダーは「クセが強い」と言って、商品に加えようとしなかったのである。不評だったミズナラ樽の原酒はその後も眠り続け、熟成期間は20年以上にもなった。

久しぶりにテイスティングしてみたところ、ミズナラ樽の原酒は伽羅(きゃら)の香りとも白檀(びゃくだん)の香りともたとえられる独特の熟成香を放っていた。以後、生産量は非常に少ない割合ではあるが、ミズナラの原酒は同社のウイスキーに欠かせないものになったのである。

チーフブレンダーの福與は言う。

「いまでは、ミズナラの香りを気に入った世界各国のウイスキーメーカーから注目されるようになりました」

思うに、ミズナラ樽の香りはとろりとした味わいの日本の水だから調和する。他国の水に合うとは思えない。そして、ミズナラ樽の原酒ができたのは偶然による。信治郎は「やってみなはれ」と挑戦を後押ししただけだ。

ウイスキー造りの現場で必要なのは客を見る意識と新しいことに挑戦する意識だ。ふたつの言葉はふたつの意識を具体的に表現している。

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野地秩嘉(のじ・つねよし)
ノンフィクション作家
1957年、東京都生まれ。早稲田大学商学部卒、出版社勤務などを経て現職。人物ルポ、ビジネス、食など幅広い分野で活躍中。近著に、7年に及ぶ単独取材を行った『トヨタ物語』(日経BP社)がある。

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(ノンフィクション作家 野地 秩嘉)

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