なぜ学校は「体罰する教師」をかばうのか

プレジデントオンライン / 2018年12月12日 9時15分

※写真はイメージです(写真=iStock.com/maroke)

体罰は学校教育法で禁止されている。それにも関わらず、体罰をめぐる問題は後を絶たない。民間シンクタンクから熊本市教育長となった遠藤洋路氏は「体罰は“昭和の学校”の弊害だ。学校現場には『許してもらえたら体罰ではない』という甘い姿勢がある。教員には体罰に頼らない指導力とプライドを持ってほしい」と指摘する――。

■文科省から民間へ、そして教育長に

2010年に文部科学省を退職後、友人と政策シンクタンク「青山社中」を立ち上げ、議員や政党向けの政策づくりを仕事としていた。会社も7年目となった昨年始め、旧知である大西一史熊本市長から教育長就任の打診をいただいた。震災で傷付いた熊本の姿に心を痛めていただけに、私の経験が少しでも役に立つなら、との想いでお受けした。

熊本での教育の仕事は、これで3度目となる。最初は、文科省時代の熊本県教育委員会への出向。次に、青山社中時代に携わった熊本市の教育大綱(市長が定める教育の基本方針)策定のアドバイザー。そして今回である。ただ、今回はこれまでとは違い、期間限定でも非常勤でもなく、熊本に骨を埋める覚悟で来ている。

■「昭和の学校」の功罪

私がこれまでの経験から培った熊本の学校に対する印象は、一言で言えば「昭和」である。良くも悪くも、古い。学校環境、生徒指導、部活動、教員の意識など、「昭和の学校」のままなのだ。

多くの教員は真面目で熱心で、昭和の熱血教師を彷彿させる。学校生活は全体として規律正しく、目立って荒れている学校は少ない。九州大会や全国大会で好成績を挙げている部活動も多い。

こうした「昭和の学校」は、その弊害も大きい。厳しい校則、部活動の過熱、教員の多忙といった全国的に指摘される問題に加えて、高校受験の過熱が著しいと感じる。この中学で何番までなら○○高、何番までなら□□高、といったように、偏差値で輪切りをする受験指導がまかり通っている。

その結果、熊本の学校は、他県からの転入者から厳しい評価を受けることが多い。保護者へのアンケートでも、教育委員会や学校への苦情でも、転入者から「いまだにこんなことが行われているのかと驚いた」という声をよく聞く。いつの間にか時代から取り残されているのだ。

■「体罰アンケート」で見えた甘い姿勢

こうした「昭和の学校」を改革すべく日々奮闘しているつもりだが、最近特に問題だと感じたのは、体罰への甘い姿勢である。言うまでもなく、体罰は学校教育法で禁止されている。体罰の存在は、教師自身がルールを守れていないことを意味する。

文科省によれば、体罰の定義は「懲戒の内容が身体的性質のもの」である。身体的性質とは、「身体に対する侵害」(例えば、殴る、蹴る等)、「肉体的苦痛」(例えば、長時間の正座・直立等)とされている。

この定義に従えば、「罰として殴る」のはもちろん体罰だが、「暴れる生徒を押さえつけて鎮める」のは、懲戒ではないから体罰ではない。また、「教員が暴言を吐いた」という場合も体罰ではない。暴言も不適切な指導には違いないが、身体的性質ではないので体罰とは別の問題になる。今回は体罰に絞って論じたい。

熊本市教育委員会が毎年度行っている「体罰アンケート」では、子供や保護者から体罰に関する報告が50件前後寄せられる。しかし、その中で学校が体罰だと認めた件数は、2015年度が1件、2016年度は0件であった。2017年度も同じく0件という報告が上がってきた。さすがにこれはおかしいと思い、アンケートの詳細を見せてもらった。

■「許してもらったら体罰ではない」という理屈

すると、先ほどの定義に照らせば体罰に当たらない事例も多くある中で、殴る、ボールを投げつけるなど、どう考えても体罰だと思われる事例も出てくる。そこで学校の説明を読むと「事実であるが、保護者に謝罪し納得いただいたので、体罰には該当しない」などと書いてある。

ちょっと待て。そんな理屈が通るわけがない。学校も事実は認めているのだ。子供や保護者が許しても、体罰は体罰である。むしろ、体罰があっても許されるという環境があるなら、さらに大きな問題ではないか。まさに、スポーツ団体のパワハラ問題と同じ構図である。

そこで、学校の判断に関わらず、教育委員会の判断として厳しく体罰を認定するよう、担当課に見直しを指示した。

■教育委員会も簡単には体罰を認めない

しかし、数日して出てきた答えは、「やはり0件です」。

そんなはずはない。殴った、ボールを投げつけた、などとはっきり書いてあって、学校もその事実を認めているのに、なぜ0件になるのか。とても納得できない、もう一度見直すように、と指示した。

すると今度は、「1件ありました」。

いやいや、もっとあるだろう。なぜそうなるのかと聞くと、「身体に対する侵害」はあるが、「肉体的苦痛」がないからだという。しかし、定義を読み返しても、そのいずれかに該当すれば体罰である。なぜ勝手に限定するのか。もう一度しっかり見直すように、と指示した。

するとようやく、「15件です」。

やればできるではないか。できれば最初からやってほしいが、しつこく突き返した甲斐はあった。体罰を黙認しない姿勢を教育委員会が示すことが、学校現場の意識を変える出発点である。

■体罰に頼らず指導ができてこそプロ

私が変えたいのは、後で謝れば体罰が許されるという学校の体質だ。実際に体罰を行う教員はごく少数だとしても、それを管理職や周りの教職員が指摘しない状況、さらには学校ぐるみで「体罰ではない」と擁護する状況こそが問題である。

あまり厳しくすると現場が萎縮するという意見もあり得るが、今回は熊本市の教員4000人の中で15件である。それが厳しすぎるとは思わないし、アンケートで出てきた約50件のうち過半数は「体罰ではない」と認定している。生徒が体罰だと言えば何でも体罰になるわけではない。もし萎縮するとすれば、力に頼った指導をしている教員だが、そういう人にはむしろ萎縮してもらいたい。

念のため、教員経験の豊富な教育次長に「体罰をなくしたら学校が荒れますか」と聞くと、「それは絶対にありません」と即答された。その答え方には、体罰などに頼らず指導できてこそプロだというプライドを感じた。熊本市の全ての教員に、そうした指導力とプライドを持ってもらいたい。

体罰は一例であるが、「昭和の学校」を平成に、そして次の時代にふさわしい学校に変えていくためには、このように具体的な課題を一つずつ解決していくしかないと思っている。

----------

遠藤 洋路(えんどう・ひろみち)
熊本市教育長
1974年生まれ。埼玉県出身。東京大学法学部卒業。ハーバード大行政大学院修了(修士)。文部科学省で生涯学習政策、学術交流政策、知的財産政策などを担当し、多数の新規立法・法律改正に携わる。2010年に退職し、友人と政策シンクタンク「青山社中株式会社」を起業。同社共同代表を経て、2017年度より熊本市教育長に就任。

----------

(熊本市教育長 遠藤 洋路 写真=iStock.com)

プレジデントオンライン

トピックスRSS

ランキング