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池上彰『君たちはどう生きるか』愛読理由

プレジデントオンライン / 2019年1月1日 11時15分

雑誌「プレジデント」(2018年10月15日号)では特集「ビジネス本総選挙」にて、仕事に役立つ100冊を選出した。このうちベスト10冊を順位ごとに紹介する。今回は第2位の『君たちはどう生きるか』。解説者はジャーナリストの池上 彰氏――。

■子どもに向けた哲学書・道徳書

盧溝橋事件が勃発し、泥沼の日中戦争が始まる1937(昭和12)年に、少年向け読み物として出版されたのが本書『君たちはどう生きるか』である。現在は岩波書店をはじめ複数の出版社からそれぞれの装丁で販売され、世代を超えて多くの読者に愛読されている。2017年に出版された羽賀翔一氏による漫画版が200万部超のベストセラーとなったことでも注目された。

著者は、戦前戦後を通じて活躍した進歩的文化人の吉野源三郎。旧制中学2年の「コペル君」(本名は本田潤一)を主人公に、コペル君が体験したり考えたりしたことを小説仕立てで描いていく。その間に、コペル君のメンター的な存在である帝国大学出身の若き知識人「叔父さん」による「ノート」を挟み込んだ構成だ。

『君たちはどう生きるか』は、もともと「日本少国民文庫」全16巻シリーズの一冊として書かれたもので、作者はこのシリーズの編集主任も務めていました。その後、岩波書店に入社して、岩波新書を創刊。戦後は雑誌『世界』初代編集長を務め、岩波少年文庫の創設にも尽力しました。『世界』に寄稿していた学者・知識人と共に市民団体「平和問題談話会」を結成し、反戦運動にも取り組んでいます。

本書はこうした活動の、いわば原点とも言える作品です。日本少国民文庫シリーズの配本が始まったのは、1935年。その4年前、日本は満州事変をきっかけとして、アジア大陸に侵攻をはじめます。日本国内には、戦争へと突き進む重苦しい空気が広がっていました。軍国主義に異を唱える人はもちろん、リベラルな考え方の人も弾圧され、作者自身も治安維持法違反で逮捕されるという経験をしています。

そんな時代だからこそ、次代を担う子どもたちには、ヒューマニズムの精神にもとづいて自分の頭で考えることの大切さを伝えたい。すでに言論の自由も、出版の自由も著しく制限されていましたが、偏狭な国粋主義から子どもたちを守らなければという強い思いから、この本は生まれたのでした。

戦前に書かれたにもかかわらず、この作品は戦後も売れ続けます。むしろ戦後のほうがよく売れたのではないでしょうか。戦時を知らない多くの子どもたちが、この本を手にとり、引き込まれていきました。かくいう私も、その1人です。

私がこの本と出合ったのは、小学生のとき。珍しく父が私に買ってきた本でした。当初は「親に読めと言われた本なんて」と反発していましたが、読んでみると面白く、気がつくと夢中になっていました。

ひと言で言うなら、これは子どもたちに向けた哲学書であり、道徳の書。人として本当に大切なこととは何か、自分はどう生きればいいのか。楽しく読み進めながら自然と自分で考えられるよう、いくつもの仕掛けが秀逸にちりばめられています。

■なぜコサック兵を賞賛したか

歴史をどう見るか、戦争をどう考えるか。これは、この作品の大きなテーマの1つです。作者はナポレオンを取り上げ、読者に問題提起しています。どんな話が書かれているのか、まずは読んでみましょう。

ジャーナリスト 池上 彰氏

これはコペル君が、同級生の北見君、浦川君と一緒に水谷君の家に遊びに行ったときのこと。水谷君のお姉さんのかつ子さんが4人を相手に、ナポレオンの英雄的精神について熱弁をふるいます。

敵に攻め込まれ、苦戦を強いられるなか、ナポレオンは敵のコサック兵の戦いぶりに感服し、見とれていたというエピソードを引きながら、かつ子さんは言います。

考えてごらんなさい、戦争よ。負けたら、命が危い場合よ。お互いに、相手を倒すか、自分が倒されるか、必死の場合よ。その中で、敵の戦いっぷりをほめるなんて、――敵の勇敢さに見とれるなんて、実際、立派だわ。(「五、ナポレオンと四人の少年」)

かつ子さんは、さらに勢いをつけて、ナポレオンが疲れきった兵隊をかき集めて最後の一戦に臨んだ話や、結局、その戦いに負けて捕らえられ、島流しにされたという話をしていきます。

一方で、この本を読んだ子どもたちが事前に書いてくれた感想文には、ナポレオンに対して否定的な意見が多かった(編集部注・池上氏は本書『君たちはどう生きるか』をテキストに東京の武蔵高等学校中学校で特別授業を行った)。彼の行いの、どんなところに共感できなかったのでしょうか?

子どもたちの多くがナポレオンに対して否定的だった理由の1つは、このエピソードに戦争を肯定するようなにおいを感じたから、ということです。

私は、違う読み方をしました。作者がナポレオンを取り上げた背景には、実にさまざまな意味があるように思います。

まず、ナポレオンのことを熱く語っていたのは、かつ子さんでしたね。ここで突然、女性が登場する。しかも、かなり威勢がいい。

かつ子さんは、ショートヘアにパンツルック。スポーツ万能で、跳躍のオリンピック選手を目指すほどです(1940年には東京オリンピックの開催が予定されていました)。いまは女性アスリートも、ショートヘアも、スカートをはかない女性も珍しくありませんが、この本のなかで、コペル君は「女の癖に、(中略)ズボンをはいている」ことに驚いています。

自分の意見をはっきり言う当時としては珍しいタイプの女性に、作者はナポレオンの英雄的精神や、少年たちの学校にいる横暴な上級生への批判を語らせているわけです。物語の展開として、これは読んでいて面白いですよね。少年たちが中心の物語の世界に、かつ子さんという女性をあえて登場させることで、小説としてのエンターテインメント性をもたせたのだと思います。

かつ子さんが、ナポレオンの英雄的精神を示すエピソードとして選んだのは、危機的状況のなかで敵のコサック兵を賞賛した、という話でした。これは、戦争の実際を知る、あるいは戦争について考えるうえで、1つの大きなポイントです。

吉野源三郎氏(毎日新聞社/AFLO=写真)

コサック兵は勇敢に戦った、と書かれていますが、では、ナポレオン軍はどうだったのか。重要な役割を果たしていたのは、外国人部隊でした。ナポレオンが征服した国々から集めた傭兵、いわゆる雇われ兵です。

60万もの人間がはるばるロシアまで出かけていって、氷や雪の中で、ほとんど全部みじめな死方をしてしまったということは、考えて見ると実に大きな出来事だった。この人々は、ヨーロッパの各地から集まった兵隊たちで、何も自分たちの国のためにロシアまで出かけていったわけではなかった。彼らは祖国の名誉のために戦ったのでもなければ、自分たちの信仰や主義のために戦ったのでもない。命にかけて守らなければならないものは何ひとつなく、ただナポレオンの権勢に引きずられてロシアまで出かけ、その野心の犠牲となって、空しく死んでいったのだった。(叔父さんのノート「偉大な人間とはどんな人か」)

■軍国化する日本を婉曲に批判

ロシアに侵攻したとき、ナポレオン率いる大軍の実に半数以上はフランス人ではありませんでした。敗色が濃くなると、外国人部隊の士気はおのずと下がります。しかしコサック兵のように、自分の国を自分たちで守ろうとして戦っている国民兵は、敵の大群にもひるまない。これは近現代の戦争にも言えることです。

たとえば、太平洋戦争が始まるとき、日本が真珠湾を攻撃したことはよく知られていますが、同じ日に日本軍は、シンガポールを攻略するためマレー半島に奇襲上陸しています。

当時、あのあたりはイギリス軍が統治していました。歴史の教科書には、日本軍はイギリス軍を破って半島を占領したと書いてありますが、そこにいたイギリス軍の多くはインド兵です。イギリス人は将校だけで、前線で戦う兵士たちは、イギリスの植民地だったインドから連れてこられた人々。彼らにしてみれば、「マレー半島やシンガポールを守るために、なぜ自分の命を投げ出さなければいけないのか」ということになる。日本軍に押し込まれると、逃げ出してしまいます。

コサック兵のエピソードは、実は、戦争とはどういうものかということを考える大きなヒントになっているのです。どんなに弱い国も、自分の国が攻められると、みんな死にもの狂いになって戦うから強い。そもそも戦争というのはそういうものだと考えると、よその国を攻めていくということが、いかに愚かなことかということがわかります。

また、この本が書かれたのは、太平洋戦争が始まる少し前ですが、すでに日露戦争などで功績のあった人々を英雄(軍神)として賞賛する風潮が強まっていました。

この作品も、その影響を受けているという意見が多かったけれど、実はその逆で、よく読むと、軍国化する当時の日本を、やんわりと批判していることがわかります。

六十万の人々には、それぞれ家族もあれば、友だちもある。だから、ただ六十万が死んでいったばかりでなく、その上になお生きている何百万という人々が、あきらめ切れない、つらい涙を流したのだ。

ここまで来れば――、そうだ、これほどまで多くの人々を苦しめる人間になってしまった以上は、ナポレオンの権勢も、もう、世の中の正しい進歩にとって有害なものと化してしまったわけだ。遅かれ早かれ、ナポレオンの没落することはもう避けられない。そして、歴史は事実その通りに進行していった。

コペル君。ナポレオンの一生を、これだけ吟味して見れば、もう僕たちには、はっきりとわかるね。

英雄とか偉人といわれている人々の中で、本当に尊敬が出来るのは、人類の進歩に役立った人だけだ。そして、彼らの非凡な事業のうちに、真に値打のあるものは、ただこの流れに沿って行われた事業だけだ。(同前)

最後の部分は、本の中でも太字で強調されています。太字が用いられているのは、ここだけです。つまり、これは戦争を肯定するために書かれたのではなく、軍国主義に警鐘を鳴らすために書かれたものなのです。

戦争を全面的に否定するような本を出版することがどんどん難しくなっていくなかで、作者は慎重に言葉を選びながら、真の英雄とは何か、多くの人の命を奪う戦争はいかに愚かしいか、ということを読者に考えさせる仕掛けとして、ナポレオンの話を取り上げているのです。

▼吉野源三郎とは
●1899(明治32)年生まれ、1981(昭和56)年没。東京府出身。
●旧制の東京高等師範(後の東京教育大学、現・筑波大学)附属中学校を経て、第一高等学校へ進学。1925(大正14)年、東京帝国大学文学部哲学科を卒業。
●明治大学教授、岩波書店「世界」編集長などを歴任。昭和の戦前戦後を通じ、代表的な進歩的文化人として活躍した。
●『君たちはどう生きるか』をはじめ、『人間の尊さを守ろう』『人類の進歩につくした人』『エイブ・リンカーン』などの著書を残した。

■立ち止まって考えることの価値

この章(「五、ナポレオンと四人の少年」)には、ナポレオンが敵兵の勇敢さを賞賛した話のほかに、捕らわれの身となっても誇りを失わなかったナポレオンに、敵国であるイギリスの人々が敬意を表したというエピソードも描かれています。敵国人であったとしても、よいところはよいと認め、尊敬の念をもって接する必要があることを伝えたかったのだろう、と私は思います。

また、負けるとわかっていながらナポレオンは最後まで戦い続けたという話も、その裏には、世の中が大きな流れに呑まれていこうとしているとき、立ち止まって考え、流れに抵抗することも必要なのではないかということを伝えたかったのだろう、と私は読みました。だからこそ、こんな文章でノートを締めくくっているのだと思います。

君も大人になってゆくと、よい心がけをもっていながら、弱いばかりにその心がけを生かし切れないでいる、小さな善人がどんなに多いかということを、おいおいに知って来るだろう。世間には、悪い人ではないが、弱いばかりに、自分にも他人にも余計な不幸を招いている人が決して少なくない。人類の進歩と結びつかない英雄的精神も空しいが、英雄的な気魄を欠いた善良さも、同じように空しいことが多いのだ。

君も、いまに、きっと思いあたることがあるだろう。(同前)

悪いことだとわかっていても、声を上げない、“小さな善人”であることは、仕方がないでは済まされない、ということです。

▼『君たちはどう生きるか』の時代
●1923(大正12)年:関東大震災
●1927(昭和2)年:金融恐慌
●1931(昭和6)年:陸軍満州派遣軍(関東軍)が暴走、「満州事変」起きる
●1936(昭和11)年:陸軍将校らによるクーデター未遂、「二・二六事件」起きる
●1937(昭和12)年:『君たちはどう生きるか』出版。日中戦争始まる
●1941(昭和16)年:太平洋戦争始まる

本文は『池上彰 特別授業「君たちはどう生きるか」』(NHK出版)より抜粋・再構成

調査概要●2009年から2018年までのプレジデント誌で実施した読者調査(計5000人)に、今回新たに弊誌定期購読者、「プレジデントオンライン」メルマガ会員を対象にした調査(計5000人)を合算し、「読者1万人調査」とした。ランキングのポイント加算にあたっては、読者の1票を1ポイント、経営者・識者の1票は30ポイントとした。経営者・識者ポイントは、弊誌で過去に取材した経営者、識者の「座右の書・おすすめ本」と、今回取材先に実施したアンケートによるもの。続編やシリーズに分散した票は合算(例えば、『ビジョナリー カンパニー』に10票、『ビジョナリー カンパニー2』に20票入った場合は、『ビジョナリー カンパニー』に30票とした)。また、同一著者(例えば、稲盛和夫氏、司馬遼太郎氏、百田尚樹氏)による本は票数の多い書籍を「ランキング入り」としている。結果として、時代の流行などに左右されない良書が多数ランクインできたもようだ。

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池上 彰(いけがみ・あきら)
ジャーナリスト
1950年、長野県生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、NHKに入局。報道記者、キャスターとして活躍。「週刊こどもニュース」のお父さん役で大人気に。2005年に退職。名城大学教授、東京工業大学特命教授などを務める。『おとなの教養』『はじめてのサイエンス』『見通す力』『伝える力』『世界を変えた10冊の本』など著書多数。

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(ジャーナリスト 池上 彰 撮影=原 貴彦、市来朋久 写真=毎日新聞社/AFLO)

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