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日本人がイラクの性暴力を取材すべき理由

プレジデントオンライン / 2018年12月11日 9時15分

フォトジャーナリストの林典子氏

イラクの少数民族「ヤズィディ」のナディア・ムラド・バセ・タハ氏がノーベル平和賞を受賞しました。過激派組織「イスラーム国」(IS)による性暴力被害を受け、被害者の救済を訴えています。ナディア氏と交流のあるフォトジャーナリストの林典子氏は「私がナディアに話を聞いた場所には渡航中止勧告が出ていました。しかしヤズィディの人たちは『メディアの力は武器よりも強い。ぜひ取材を続けてほしい』と訴えます。その声は無視できません」と語ります――。

■ナディアは「無表情な女性」ではない

今回刊行されたナディアの自伝『THE LAST GIRL』(東洋館出版社)には、平和だったころの楽しさ、家族との愛情、そして、家族や自分が直面した、ISISからの理不尽な殺戮や暴力への怒り、悲しみ、絶望、そういった多様な感情がとても率直に書かれています。

ナディアには、イラクへの3回の滞在で取材を続けてきました。この自伝の中には、私が直接聞いたものもあれば、ここまで詳細には語られなかったものもあります。私が話をした2015年は、彼女がISISから脱出して1年たたないころで、まだ言葉にできなかった思いも多かったのでしょう。

本書を読んで率直に感じたのは、語り手であるナディアが、私が見てきた彼女の姿そのままだったことです。ナディアは、とても表情豊かな女性です。家族や故郷を失った状況で悲しみや苦しみに打ちひしがれながら、おかしなことや楽しいことがあれば笑い合う。私が取材で話を聞くときは、淡々と自分に起こったことを語りましたが、そうでないときは普通の女の子だったのです。

一般に広がっているナディアのイメージは、冷静に話し続ける、無表情な女性というものではないでしょうか。それはおそらく、日常生活の中で彼女が見せる本来の姿ではありません。本書で彼女は「正直に、淡々と伝える私の話は、テロリストに対して私が持っている最良の武器だ」と記しています。彼女の家族たちを殺害し、彼女に性暴力を振るったISISの戦闘員を法廷に立たせるという決意から、意図的にあのような姿をみせているのでしょう。

■「自分の目で確かめたい」とイラクへ

2014年8月、トルコにいた私に、イラクでISISによるヤズィディへの虐殺と集団的性暴力が起きている、という情報が入りました。そこで、まずは何が起きているのかを目にしたくて現地に入りました。最初は、確固とした目的というよりは、ヤズィディとはどういう人々なのか、実際に自分の目で確かめ、話をし、そのうえで次に何ができるかを考えたい、というのが訪問の理由だったように思います。

当時、外務省の安全情報で、イラクは危険な場所とされていました。私が訪問したドホークは渡航中止勧告、ISIS支配下にあったシンジャール山南麓も、ISISから奪還されたばかりであったシンジャール山北麓も、その地域一体は退避勧告の対象だったと思います。

ですが、それは取材をしない理由にはなりませんでした。実際のところ、取材に際して安全情報はあくまで目安にすぎません。安全だと思っていた場所で、事件や事故に巻き込まれる危険性だってあるのです。外務省の安全情報には記載されていない、さらに細かい情報が必要なんです。すでにBBCやニューヨークタイムズ紙、シュピーゲル誌、私の知人の外国人記者たちは当たり前のようにイラクの地に入っていました。

■性暴力被害にあった女性たちに話を聞く

どこが危険で、どこであれば訪問できるかという情報は、詳細なレベルでは現地で収集していくしかありません。現地の協力者やイラク人記者から情報を集めたり、何年も前からイラクに拠点を置いている欧米の知人の記者の家に時々滞在したりして、安全管理や治安情報を共有するなどしたうえで、取材を続けることにしました。

とはいえ、危険性の高い取材だったことは確かです。訪問する地域や移動手段には細心の注意を払い、通訳にしても、事前によくよく情報を調べ、会って面談をしたうえで正式にお願いをしました。

訪れたカディア・キャンプでは、ナディアと同じコーチョ村出身の人々が多く集まり避難生活を送っていました。まずは性暴力の被害にあった女性たちに話を聞きはじめました。当初は、一度の滞在で済ませるつもりでした。

ですが、取材を重ねれば重ねるほど、自分がなにも分かっていないことに気づかされていきました。このヤズィディの人々はどんな民族なのか、性暴力だけではない、家族や故郷を奪われてきた人がどのような思いでいるのか。女性たちと少しずつ打ち解けていき、取材を続けるつれ、聞きたいことは増えていくばかりでした。

■死が日常の一部になっている

日中は性暴力を受けてきた女性たちの話を聞き、夜はあるヤズィディの一家のお宅に泊めさせてもらっていました。すると毎晩のように、夕食後にヤズィディの人々がやってきて、延々と話が続く。家を失った人々がこれからどうするか、どこどこで集団墓地が見つかった、明日はあそこで戦闘があるらしい、といった生々しい話が毎日繰り広げられている。紛争や暴力、死が日常の一部となっているんです。

こうした経験を続けるにつれ、1カ月にわたる滞在の後半には、ここで終わりにするわけにはいかないという思いが強くなり、また戻って取材を続けることを決意しました。イラクに何度も向かいましたし、移住プログラムでナディアたちが向かった先のドイツにも行き、そこでの暮らしや思いも取材しました。こういった取材を重ねて、『ヤズディの祈り』という写真集を刊行するに至り、写真展も開催しました。

■「美容師になりたいと思っていた」と語るナディア

『THE LAST GIRL―イスラム国に囚われ、闘い続ける女性の物語―』(東洋館出版社)

私はクルド語やアラビア語が話せず、ナディアも英語が話せなかったので、彼女への取材は通訳を介して行いました。

彼女は取材されることに自覚的で、以前と同じ質問をすると、「3カ月前に来たとき、その質問には答えました」と返してきたことがあります。自らの経験を語ることの意義をそれなりに理解して、取材を受けていた印象が強くあります。そのため、その後国連の親善大使になったと聞いたときにも、驚きはありませんでした。

ナディアとの印象的な思い出があって、彼女がドイツに移住する数日前、難民キャンプの彼女のコンテナハウスで、二人で過ごしていたときのことです。私は移動を続けてキャンプに到着したばかりで、疲れ切ってついうとうとしてしまいました。すると、ナディアが私の髪の毛にそっと触れて、手でとかしはじめたのが分かりました。

彼女は「コーチョの村にいたころは、美容師になりたいと思っていた」と語っていました。本書の中でも、かくまってくれた一家の、小さい女の子の髪をとかしてあげる場面があります。女性の長い髪を目にした時に、髪をとかすのはナディアにとってはとても自然なことだったのかもしれません。きっとそれはコーチョが平和だったころから、彼女の日常にあった習慣なのだと思います。

■「本当の願い」はもう叶わない

今、彼女はノーベル平和賞の受賞者として注目を浴びています。ヤズィディの人々の被害を訴え、家族を殺し自分を傷つけたISISを法廷に立たせたいという、彼女とそれを支える人たちの主張に光があてられたのは喜ばしいことです。でも、2014年8月以前の彼女はそんな将来を望んでいたわけではありません。本当に彼女が求めていたのは、生まれた村で、愛する家族と暮らし続けることだったのです。

時々、ISISの襲撃がなかったらナディアはどうしていたのだろう、と考えるときがあります。今彼女は25歳、結婚していたかもしれないし、村で夢だった美容師になっていたかもしれない。でも、それはもう叶えられない願いなのです。

■マスメディアは問題提起をすべきだった

ナディアへのノーベル平和賞受賞が決まってから、私自身にも多くのメディアから取材依頼を頂いています。ナディアやヤズィディについて伝える機会を頂けることは、素直に喜ばしいと思います。

ただ本当のことを言うと、今回の受賞以前から、もっとナディアやヤズィディに関心をもってほしかった。そしてマスメディアは、もっと問題提起すべきでした。

ナディアたちヤズィディの人々は、日本からずっと離れたイラクの、その中でも山奥の少数民族です。そこで起きたことが、私たちの生活と直接結びついているわけではない。だから、「遠く離れた場所での出来事」という程度の受け止めしかなかったことは、仕方がない面もあるでしょう。

けれど、距離が離れていて、文化や慣習が違うといって、まったく別の世界の話ということではありません。あたりまえではありますが、私たちと同じように日々を暮らしている、そんな人々に起きた出来事なのです。

■難民キャンプの女の子が取り戻す「日常」

取材を通じて仲良くなったある女の子は、ナディアと同じくISISから逃げ出してきた被害者の一人でした。あるとき彼女に、暮らしていた難民キャンプの外でボーイフレンドができました。そのことを、まだ両親には恥ずかしくて言えなかったんですね。

それで「今日、彼とデートをしたいんだけど、両親には『今日はノリコと遊ぶ約束をしている』と言ってあるの。だからそういうことにしておいて。それと、ノリコがキャンプに来ているとバレちゃうから、悪いんだけど今日はキャンプには来ないでおいて」と、私にアリバイ工作を頼んできたんです(笑)。

こういうことって、高校生くらいの年齢でよくあるじゃないですか。だからすごく共感しましたし、悲痛な状況にある中でも、普通の日常を取り戻して生きようとしていることが感慨深かった。そんなヤズィディの人々と一緒に過ごしていたら、日本から離れているとか別の民族だとかいったことは、どうでもよくなってしまいます。

このことは、彼女の自伝を読んでいても強く感じました。彼女が語るイラクの生活は、食べ物や服装などの文化は違っても、日常のちょっとしたことに喜んだり悲しんだり、結婚式に夢を見たり、といったように、まったく私たちと変わらないのです。

ごく普通に暮らしていた人たちが、こんな苦しい悲劇に巻き込まれてしまっている。そのことを伝えたいという思いは、取材を通じて強くなっていきました。

虐殺につながる差別はどこにでもある

ヤズィディの人々は、歴史的にも周囲から差別の対象となってきました。今回の襲撃でも、ISISは彼らに対して、改宗するか死ぬかのどちらかを迫ります。

こうしたヤズィディへの非人道的な扱いの根底には、ヤズィディへの差別意識が見え隠れしています。あいつらにはなにをしても構わない、という思いがあるのでしょう。

もちろん、命の危険を省みずナディアをかくまったアラブ人のイスラム教徒の一家のように、信仰の違いや民族の違いを超えてヤズィディと親しい関係を築いてきたイスラム教徒の隣人も多くいることは、決して忘れてはいけないと思います。友人のヤズィディを助けるために、命を落としたアラブ人も多くいます。ですが、イラクでのヤズィディに対する差別意識は、2014年8月にシンジャールが攻撃される、ずっと以前から根付いていたのは事実です。

このような差別はどこにでも、日本にだって存在しています。私自身、もしかしたら誰かに対して、自覚しないままに差別的な感情をもっているかもしれません。差別意識が集団化して強まり、それが引き金となって、紛争や集団的暴力が起こってしまうことは、歴史をみれば珍しくありません。

ヤズィディの人々に起こった、民族に対する虐殺や集団的な性暴力というのは、確かに極端に残虐な事例です。しかし、歴史や地域を越えて見てみると、ある被差別集団に対して抑圧的なまなざしや行動をマジョリティーが要求する図式は、ごくありふれたものです。

日本にいる私たちにも、同じことが起こっているかもしれないし、将来的に起こりうるかもしれません。だから、ヤズィディの虐殺や性暴力を「遠く離れた土地で、見知らぬ人々に起こったこと」と捉えてほしくないのです。

■「メディアの力は武器よりも強い」

ある男性にインタビューしたときに、とても印象的だった言葉があります。この方は、後にシンジャール・シティの市長になっています。

「イラクと日本はとても離れているし、文化や伝統も全然違うだろう。でも、このイラクの山岳地帯で起きた悲劇に、想像力をもって向き合ってほしい。今も苦しみや哀しみを抱えて、そこに生きているヤズィディという人々がいる。それを日本の人たちに知ってもらうことで、自分たちはこの世界に存在できる。メディアの力は武器よりも強い。あなたが日本の人々に伝えてくれることではじめて、自分たちが存在することができるんだ」

知られることがなければ、ヤズィディの人々や、かれらが被った悲劇は、日本の人たちにとって存在しないことになります。だからナディア自身の言葉を通じて、何が起こって、彼女たちが何を感じたのか、想像力をもって皆さんにも向き合ってほしいのです。

私が取材を続けるのは、それを「使命」だと思っているからではありません。なぜなら私が直接取材で出会った人々、見てきたものはあまりに限られ、向き合っている問題の全てを伝えきることなど不可能だと分かっているからです。ですが、少なくとも、ナディアを始め私が関わった人々が直面している理不尽な苦しみや悲しみ、生き抜きたいと思う、その強い意思――こういった感情に思いをはせることで、どこかで彼らにきっと共感していただけるはずだと思うからなのです。

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林典子(はやし・のりこ)
フォトジャーナリスト
1983年生まれ。国際政治学、紛争・平和構築学を専攻していた大学時代に西アフリカのガンビア共和国を訪れ、地元新聞社「The Point」紙で写真を撮り始める。「ニュースにならない人々の物語」を国内外で取材。英ロンドンのフォトエージェンシー「Panos Pictures」所属。

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(フォトジャーナリスト 林 典子)

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