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「秋篠宮発言」を招いた安倍首相の逃げ腰

プレジデントオンライン / 2018年12月7日 9時15分

2018年11月30日、半蔵門から皇居に入られる秋篠宮さま。53歳の誕生日を迎えられた。(写真=時事通信フォト)

■「宗教色が強く公費を支出すべきでない」

大嘗祭(だいじょうさい)は宗教色が強いので公費を支出するべきではない。天皇家の私的費用で執り行うべきだ――。秋篠宮さまが誕生日を前にした11月22日の記者会見でこうした趣旨の発言をされ、波紋を広げている。

大嘗祭とは皇位の継承にともなう一代一度だけの儀式で、新しい天皇が五穀豊穣と国家の安寧を祈るものだ。神道的な色彩が強いことから国事行為の「即位の礼」とは別に、皇室行事として皇居に建設される大嘗宮(だいじょうきゅう)で行われる。来年11月14日から15日に実施される予定だが、平成の前回も皇室の行事として実施され、22億円を超す公費が充てられた。

同じ秋篠宮さまの記者会見でも、週刊誌やテレビのワイドショーは「婚約にあたる納采の儀は行えません」と長女の眞子さまと小室圭さんについて語ったことを繰り返し取り上げていたが、沙鴎一歩は大嘗祭発言に焦点をあてたい。

■「言ってみれば話を聞く耳を持たなかった」

秋篠宮さまは記者会見で次のように話された。

「宗教行事と憲法との関係はどうなのか」
「大嘗祭自体は絶対にすべきものだと思います。ただ、身の丈に合った形で行うのが、本来の姿ではないかなと思いますし、そのことは宮内庁長官などにはかなり言っている」
「ただ残念ながらそこを考えること、言ってみれば話を聞く耳を持たなかった」

「聞く耳を持たなかった」との苦言は、厳しい指摘である。この発言を受け、宮内庁の山本信一郎長官は記者会見で、「大嘗祭は様々な議論を経て(天皇家の私的生活費の)内廷費ではなく、(公費である)宮廷費を充てることが決まったと、秋篠宮さまには説明してきた。つらいが、聞く耳を持たないと受け止められたのであれば申し訳ない」と述べた。

だが、本当に秋篠宮さまにきちんと説明し、秋篠宮さまの理解を得ていたのだろうか。大いに疑問である。理解されていないから記者会見という公の場で「聞く耳を持たない」とまで批判されたのではないだろうか。

■「前例踏襲」の元凶は安倍首相の逃げ腰にある

秋篠宮さまら皇族側との水面下での調整はどうなっていたのか。宮内庁は機能不全に陥っている。

そもそも大嘗祭を公費で賄うという決定は前回の平成のときの踏襲に過ぎない。宗教色の強い大嘗祭に公費を使うことへの反対意見は強く、安倍政権が議論に時間がかかる憲法の政教分離の原則に触れるのを避けようと、そのまま前例を踏襲した点に大きな問題があると思う。元凶は安倍晋三首相の逃げ腰にある。

天皇の高齢を心配されてのことだったと思うが、過去にも秋篠宮さまは天皇の定年制の必要性などについて記者会見で発言されたことがあった。歯に衣着せない率直な性格なのだろう。だからはっきりと物事の是非を言って周囲を驚かせる。

今回の発言も異例ではある。それだけに学者や研究者ら専門家の評価は「政治的発言だ」「いや違う」と大きく分かれる。

■「憲法の制約を受けるのは天皇だけ」なのか

秋篠宮さまに対する批判を上げると、たとえばこんな意見がある。

「国の多額の予算と公的行事のあり方に異議を唱える極めて政治的発言だ」
「政府の決めたことに記者会見という公の場で異論を唱えたことは不適切」
「秋篠宮さまはご自身が即位して大嘗祭の主催者になる可能性もあってその発言は大きな影響を持つ」

これに対し、同情的な意見はこんな具合である。

「憲法の制約を受けるのは天皇だけで、皇族は政治的発言ができる」
「今回はすでに決定したことにつての意見で何の問題もない」
「皇室の行事に多額の税金を使うことへの苦しいお心を伝えたかったのだろう」
「皇室の神道行事が戦前のように国の行事になることを心配して問題を提起したのだと思う」

さてこのように賛否が大きく分かれる秋篠宮さまの“大嘗祭発言”に、新聞各紙の社説はどう切り込んでいるのか見ていこう。

■7年前には「天皇にも定年制が必要になってくると思う」

12月1日付の朝日新聞の社説は「踏み込んだ発言をした」と書き出しながら「政治的な対立に発展しかねない極めて微妙なテーマだ」と指摘する。秋篠宮さまの発言を評価したいのか、それとも批判しようというのか。そう考えながら朝日社説を読み進んだ。

「秋篠宮さまは7年前の同じ会見でも『天皇にも定年制が必要になってくると思う』と、いまふり返って問題の本質をついた発言をしている」
「お仕着せでない肉声が発信されるのは歓迎だが、来春には皇位継承順位第1位となる立場を踏まえ、テーマや表現については慎重な対応を望みたい」
「もっとも、今回の指摘それ自体は正鵠を射たものだ」

「問題の本質をついた発言」と評価しながら「慎重な対応を望みたい」と批判する。そうかと思うと、「正鵠を射たものだ」と褒める。朝日社説は評価したいのか、批判したいのか、分からない。はっきりしてもらいたい。

見出しも「異例の発言機に考える」と逃げている。想像するに社説のテーマを論議する論説委員の会議で意見が分かれたのだろう。前述したように専門家の間でもあれだけ意見が分かれる問題だ。

だが、社説を書く場合、スタンスをはっきりさせたうえで書かないと、読者に分かりにくくなってしまう。

■とにかく安倍首相が大嫌いな朝日新聞

朝日社説はどう筆を運んで結論付けるのだろうか。

「朝日新聞の社説はかねて、前回のやり方にただ従うのではなく、憲法の諸原則やこの間の社会通念の変化を踏まえてゼロから検討し、改めるべき点は改めるべきだと主張してきた」

書いている論説委員本人も「分かりにくい」と感じたのだろう。読者に朝日のスタンスを直接示し、「前例に従わずに改めよ」と主張する。

「ところが政府は突っ込んだ議論をしないまま、大嘗祭のあり方を含めて『前例踏襲』の基本方針を早々と決めてしまった。見直せばその内容がどうあれ、必ず疑問や批判が寄せられて対応に追われる。それを避けようと安直な道を選んだのだろう。憲法が掲げる価値に立ち返り、真摯な議論を重ねていくというやり方がとられなかったのは、残念というほかない」

なるほど、沙鴎一歩も「元凶は安倍首相の逃げ腰にある」と書いただけにこの指摘や主張は分かる。だが褒めるのか、けなすのか、よく分からない状態でその先に筆を進め、いきなり自社のスタンスを持ち出して安倍政権のせいにしようというのはいかがなものか。安倍首相が大嫌いな朝日新聞らしい。

結論も「誠実とは言い難いその態度は、政治への不信の石をまた一つ積み上げる」と安倍政権をたたく。

■「発言は慎重にされることが求められる」と読売

全国紙の中で出遅れたのが読売新聞だった。それだけ論説委員の間で議論が分かれたのだと思う。朝日社説がどっち取らずの分かりにくい主張を繰り返したぐらいだ。ただ時間をかけた分だけ、読売社説はすっきりとまとまってはいる。

その12月5日付の読売社説は「皇室儀式を見つめ直す機会に」と見出しは静かだが、「皇族が公の席で、政府の決定に疑問を呈するのは異例である」と指摘したうえで、次のように秋篠宮さまにはっきりと忠告している。

「憲法は、天皇は『国政に関する権能を有しない』と定める。秋篠宮さまは来年の代替わりで、皇位継承順位1位の皇嗣(こうし)になられる。重い立場を考えれば、発言は慎重にされることが求められる」
「政教分離に絡む発言は、政治的色合いが濃いと受け取られる可能性もあるだろう」

さらに「聞く耳」という発言に関しては「皇室活動の円滑な運営のため、皇族と宮内庁幹部の意思疎通は不可欠なだけに、残念な事態だ」と書くが、これはいただけない。「残念」で済ます話ではないからだ。

宮内庁、つまり安倍政権がきちんと対応してこなかったからこそ、秋篠宮さまが苦言を述べられたのだ。やはり読売という新聞社は安倍政権擁護の新聞なのだ。読売は批判すべきところをきちんと批判できない。これこそ、残念である。

■「国費でつつがなく挙行を」と産経

次に産経新聞の社説(12月1日付)を見てみよう。見出しは「国費でつつがなく挙行を」だ。国費で行うべきだと明確に訴えている。他紙と違って社説を「主張」としているだけはある。

産経社説は、前例を踏襲して国費での賄いがすでに決まっていることや、政府方針に変わりはないことを論拠にこう主張する。

「即位の中核的な行事であり、国費の支出によってお支えしたい」

さらに政教分離の原則についても主張する。

「憲法の政教分離原則に触れるという懸念は当たらない。平成の大嘗祭に対して複数の訴訟があったが、政教分離に反しないとの最高裁判決が確定している」

しかしこの点に関し、朝日社説は違う。朝日社説にはこう書いてある。

「政教分離を定めた憲法と大嘗祭との関係は、平成への代替わりの際も論議になった。『知事らが公費を使って大嘗祭に参列したのは儀礼の範囲内で違憲ではない』とする最高裁判決はあるが、国が大嘗祭に関与することや費用支出の合憲性についての判断は示されていない」

産経社説は、知事らの大嘗祭参列の公費支出を問う住民訴訟の最高裁判決に基づいて論を展開しているのだろうが、厳密には朝日の社説の方が正しいのではないか。

社説はひとつの新聞で満足せずに他の新聞と読み比べることがいかに大切であるかがよく分かる事例だ。

さらに産経社説は「政教分離は、政治権力と宗教の分離が目的である。天皇や皇族は権力を持たないし、宗教団体を擁さない。大嘗祭をはじめとする宮中祭祀を一般の宗教と同列視して、私的行為と見なす必要はないのである」と書くが、この指摘は理解できる。

■政府を支持しながら秋篠宮さまもフォローしている

産経新聞の読者には皇室ファンが多い。それゆえ秋篠宮さまの発言をむげには扱えないのだろう。

「費用を節約し、行事を簡素化しようと促された秋篠宮さまのご発言は、国民の負担をできるだけ少なくしようというお考えとして受け止めたい」と書き、きちんとフォローしている。

さらに産経社説は秋篠宮さまを強く支持する。

「秋篠宮さまのご発言に対して、天皇や皇族が控えられるべき政治的発言ではないかとの指摘があるが、見当違いだ。皇室のご活動に関わる重要な事柄に天皇や皇族が考えを示されるのは当然であり、封じ込められるべきではない」

ここで産経社説をもう一度初めから読み返してみると、政府見解を強く支持しながら秋篠宮さまの発言や立場もうまく考慮している。

産経社説は読売社説以上に保守的なところがある。もろに安倍政権も皇室も批判しにくい。そうした産経新聞らしい、実に巧みな論調なのである。ただしこの論調が日本の社会にとって良いのか、悪いのかは別の話である。

(ジャーナリスト 沙鴎 一歩 写真=時事通信フォト)

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