「健康で長生き」は素人の幻想に過ぎない
プレジデントオンライン / 2019年1月8日 9時15分
■「100%の安心・安全」というありえない物語
ふつう現役の医者は、医療の限界や闇の部分を語ろうとしません。それは医者自身が自己否定を恐れるからです。われわれが沈黙を守り続けた結果、何が起きたか。医療に対する世間の期待値が、おそろしいくらい高くなってしまったのです。
医者も人間ですから、試行錯誤を繰り返すなかで「自分のやっていることは全部正しい」という建前を信じていない限り前へ進むことはできません。結果的に医者は世間の高すぎる期待に応えるために無理をし、場合によっては事実を誤魔化しながら治療行為に当たっているのです。
今の日本の医療は、医療者側のそうした欺瞞と、「100%の安心・安全」というありえない物語を求める世間とがつくりあげた、共同幻想のうえに成り立っています。
そのとき、もし治療が失敗に終わったらどうなるか。患者は期待を裏切られたという失望感や、医者への怒りの感情にとらわれてしまう。非常に不健全で残念なことだと言わなければなりません。そのことが最も端的に表れるのが、がん治療の場面でしょう。
■患者はありもしない「正解」を求める
がん治療はいまだに「やってみなければわからない」という側面が強い。実際、医者自身ががんで倒れているのですよ。医療者ですら自分の身体のなかでがんが育っていることに気づかないし、治療に失敗することがある。これが現実です。
ところが、医療への共同幻想のなかで、患者はありもしない「正解」を求め、医者はメンツにかけて、その正解があるフリをし続けます。
契約社会の米国のように、がんの告知を含めて、よしあしを問わずすべての事実を開示するルールを医者と患者の双方が受け入れることができれば、少しは風通しがよくなるでしょう。しかし、そうなったとしても、医療に正解はない、という事実だけは変わりません。正解がないなかで、医者は自らの裁量により、それぞれが正しいと信じる道を選択します。同じがん、同じ病期でも、医者によって最善とする治療法が異なるのはそのためです。
■「腕のある一流の医者に、優しさや人格を求めたらダメ」
小説『虚栄』で私は、がん治療の開発研究についた巨額の国家予算をめぐり外科、放射線診療科、腫瘍内科、免疫療法科が四つ巴で覇権争いを繰り広げる様を描きました。あの作品は一定の事実に基づいていますが、少々劇画風の書き方をしたフィクションです。小説の形で私が世間に伝えたかったのは、医者が勧める治療法には「医者側の都合」も少なからず含まれているということです。
![](https://president.jp/mwimgs/4/9/-/img_498745dc216bde79f20a438bbcdb91cc312816.jpg)
医者側の都合とは、ひとつには「自分が専門とする治療法でやりたい」という素朴な自負心によるものです。医者自身がその手術を得意としているかどうか、という都合もあります。A医師が「切除不能」と診断した症例でも、高度専門病院では切除できるというケースもあるからです。
そして、さらに言えば、外科とか放射線診療科といった所属領域の未来のために、または単に利益を目当てに、高度先進医療を勧めるケースもあると思うのです。
もっとも、裏読みしてばかりではきりがない。たとえば「この先生、腫瘍内科医だから抗がん剤治療を勧めているのだろうか」などと疑心暗鬼に陥っては、治療の機会を逃してしまうおそれもあります。その意味では、なんでも医師の言うとおりにしていた昔の医療の常識にも、妥当なところはあったのだと思います。
そこで、講演会でよく話しているのが「腕のある一流の医者に、優しさや人格を求めたらダメですよ」ということです。それだけの努力を重ねてきた人なら、ふつう、性格は悪いはずです(笑)。最初にそう理解しておけば、ちょっとした優しい言葉をかけてもらっただけで「この先生、腕だけや思うてたけど、案外ええ人やんか」と思えます。
■「健康で長生き」は、なぜありえないか
肥大化しすぎた期待には応えられなくても、日本の医療は結構「いい線」いっています。「100%安全で、必ず当たる宝くじ」という幻想を求めると苦しみますが、「75%くらいでいい」と期待値を下げてみたら等身大の医療を受けられる。
そう考えれば、地元にあるそれなりの病院を頼り、たまたま初診で診てもらった医者と治療に向き合う。治療費や時間などの負担と、結果として得られる利益の収支バランスからすれば、この選択が最も効率的で、結果的には治る可能性も高いのではないでしょうか。
■健康管理に留意してきた人ほどコロリとは逝かない
「健康で長生き」というイメージこそ、幻想の最たるものです。現実には年をとるにつれ、あちこちの機能が低下し、トイレに立つにも躊躇する日々が待っている。ものを飲み込む機能も衰えてきます。
「ぴんぴんコロリ」とは言いますが、健康管理に留意してきた方ほど、なかなかコロリとは逝きません。食べる喜びもなく、死ねない状態がどれだけ辛いかを理解すれば、健康づくりに汲々とする時間がもったいなく思えてきます。それよりもっと大きな、人生観や死生観に目を向けることが大切ではないでしょうか。
私は消化器外科医を経て、在宅医療に進みました。終末期がんの患者を看取るなかで、ある男性が印象に残っています。その方は知性と人間的な強さ、何よりゆるぎのない人生観をお持ちでした。胃がんの終末期でしたが、しっかり現実を受けとめておられた。私への質問も「もう治らないのか」ではなく、「何なら食べられるのか」「便秘なのだが、下剤を飲んだほうがいいか」など、辛いなかでベストの状態を保つための具体的な内容ばかりでした。最期の充実した日々を有意義にご家族と過ごされて逝かれました。
人は必ず死を迎えます。そして病気になったら助けてくれるであろう医療を恃(たの)むには限界がある。医療者、患者の双方が辛く厳しい「不都合な真実」を直視することで、私たちは医療幻想から脱し等身大の医療を実現できるのだと思います。
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作家・医師
1955年、大阪府生まれ。大阪大学医学部卒業。在外公館の医務官や高齢者を対象とする在宅医療に従事。2003年、小説『廃用身』でデビュー。小説ではほかに『破裂』『無痛』『虚栄』などの作品がある。『大学病院のウラは墓場』『日本人の死に時』『医療幻想』など医療の裏側を描いた一般向けの啓発書も多数著している。
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(作家・医師 久坂部 羊 構成=井手ゆきえ 人物撮影=熊谷武二 書籍撮影=早川智哉)
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