1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 経済
  4. ビジネス

ゴーン氏の"心のコップ"は満たされない

プレジデントオンライン / 2018年12月13日 9時15分

龍安寺のつくばいに書かれた「吾唯知足」(写真=iStock.com/AG-ChapelHill)

日産のゴーン会長逮捕など、2018年は大企業の不祥事が相次いだ。背景になにがあるのか。京都在住の僧侶兼ジャーナリストの鵜飼秀徳氏は「目先の『利益』を求めるがゆえに、企業が善の心を見失った結果だろう。最近の経営者は『利益を上げられたのは、企業努力の結果』と語ることがあるが、それは大きな錯覚だ」という。ビジネスパーソンが噛みしめるべき「仏教の教え」とは――。

■「ゴーンさんは“足る”を知らなかったのでしょう」

2018年もわずか半月ばかりを残すのみとなった。私はこの時期、全国紙の「読者が選ぶ10大ニュース」を自分なりに選ぶのが恒例になっている。的中率は毎年6、7割程度といったところか。長年、新聞・雑誌の記者をやってきたが、なかなか全てを的中させるのは難しい。

しかし、このニュースは間違いなく2018年の「トップ10」に入るだろう。日産のカルロス・ゴーン会長の逮捕劇である。私は経済誌記者であった時代に2度ほどゴーン氏の取材をしているが、それだけに信じられない思いで報道に接した。

テレビニュースを見ていると、ある評論家がこういう言葉を口にしていた。

「因果なものですね」

また、あるキャスターはゴーン氏の役員報酬の有価証券報告書の過少記載にからんで、こう言った。

「ゴーンさんは、足るを知らなかったのでしょう」

■「吾唯知足(われただたるをしる)」を知らないゴーン

普通なら聞き流してしまいそうなコメントである。しかし、その言葉は意味深長だ。いずれも仏教の根本的な教えであるからだ。

まず、「因果」について。簡単に言えば、「すべての結果には、原因がある」ということだ。たとえば、善い行いをすれば、善い結果が得られる。他方、悪い行いをすれば、悪いことが起こる。ゴーン氏逮捕という負の結果は、負の積み重ねによって招かれたものだろう。これを「因果応報」ともいう。

ちなみに仏教の始祖であるお釈迦さまは、人生を苦(結果)ととらえ、その原因を解き明かした人物である。当然のようなことではあるのだが、普段の生活の中で因果を意識して、善い行いを実践することは、実はとても難しい。

次に「足るを知る」について。禅寺の掛け軸などで「吾唯知足(われただたるをしる)」と墨書されたのを見かけることがある。

■心のコップを満たそうと思うほど際限ない欲望の淵へ堕ちる

『ブッダの 真理の言葉 感興のことば』(中村元訳、岩波書店刊)では、法句経の訳文が紹介されている。

「たとえ貨幣の雨を降らすとも、欲望の満足されることはない。『快楽の味は短くて苦痛である』と知るのが賢者である」(ダンマパダ186)
「たといヒマーラヤ山にひとしい黄金の山があったとしても、その富も一人の人を満足させるのに足りない」(ウダーナヴァルガ2-19)
※写真はイメージです(写真=iStock.com/Ivan Bajic)

モノやカネを欲するのは、われわれの「心の働き」による。心という器は、コップのように容量が決まっているわけではない(満たされることはない)。したがって、満たそう、満たそうと思えば思うほど、それは際限のない欲望の淵へと堕ちてしまう。

渇望することよりも、今与えられたものにたいして、「十分である」と気づき、感謝の気持ちを持つことで、心の器は満たされるというのだ。

また、ゴーン氏の逮捕にからんで、しばしば彼の高額な報酬が俎上に上がる。そして、よく指摘されるのが、「世界のグローバル企業のスタンダードからみればゴーン氏の報酬はさほど高額ではない。むしろ日本の企業トップの報酬が安すぎる」との見解である。

この問題についても、仏教の「縁起」とからめて考えたい。縁起とは、「つながりを意識する」ということである。これまで経営を支えた歴代経営者や従業員、またはステークホルダー、あるいは顧客……。多くの縁起があって、今の事業が成立しているのである。

これまで日本の企業トップの報酬が低く抑えられていたのは、従業員や株主にたいして「おかげさま」という謙虚な姿勢が、経営陣の中にあったからではないか。稼げばそれだけの報酬を受け取る権利がある、という考えかたは、独善的だと思う。

■企業は目先の「利益」を求め、善の心を見失った

ゴーンショックだけをとってみても、教訓となり得る仏教視座はいくらでもありそうなものだ。しかし、こうした古きよき日本型経営の理念が「グローバリズム」の名の下に失われてきているのは残念なことである。

2018年は、企業の不祥事が相次いだ。1月8日、成人の日に突然、休業して新成人を大いに落胆させたのが、振り袖の販売・レンタル業を手がけたはれのひだった。同社社長は粉飾決算による詐欺容疑で逮捕、起訴された。

さらに免震ダンパーを手掛けるKYBや日立化成、三菱電機などで品質管理に関する不正が発覚。近年は、三菱マテリアルのグループ会社、神戸製鋼所、スバル、日産などでも品質データの改ざんが次々判明している。金融機関ではスルガ銀行で不正融資問題が明るみに出て、一部業務停止命令が出された。

いずれの企業不祥事も、意図して行われたのは明白である。これは、目先の「利益」を求めるがゆえに、企業が善の心を見失った結果だろう。

■「利益を上げられたのは、企業努力の結果」は大きな錯覚

そもそも「利益」という言葉の本来の意味をご存じだろうか。企業内では「営業利益」「経常利益」などの経済用語として使われているが、そもそもは仏教用語なのだ。「ご利益」と書けば、ああそうか、と気づく人も多いだろう。

わが浄土宗では、お勤め(勤行)のシメに「総願偈(そうがんげ)」という、短いお経を唱える。そこでは、

「自他法界同利益(じたほうかいどうりやく) 共生極楽成仏道(ぐしょうごくらくじょうぶつどう)」

という文言が出てくる。これを現代語訳すれば、

「私やあなた、生きとし生ける者たちは、等しく仏からのご利益を授かることができる。そのためには共に極楽に往生して仏道に励もうではないか」

という内容だ。

決算発表の場で、しばしば経営者が「利益を上げられたのは、企業努力の結果である」と語ることがあるが、それは大きな錯覚である。利益は、本来は他者からの「賜り物」なのだ。「おかげさまで、利益をいただいている」という精神が、経営者には必要なのではないか。

■今の企業経営には「利他」の実践が欠けている

「利他」の実践が、今の企業経営には欠けていると思う。利他とは、自分の利益よりも、他者の利益を優先することだ。社会や人々のために尽くす。それが利他行であり、その結果、利益がもたらされるのである。

かつて利他行は、老舗企業の多くが実践してきた。利他の精神が、とてもよく表現されているのが「社是」だと思う。あなたは、自社の社是を諳(そら)んじて唱えることができるだろうか。

社是は、言い換えれば企業が定めたお経のようなものととらえて良い。企業のあり方の指針であり、創業者の理念が込められていることもある。近年は、「社是」とは呼ばず、「企業理念」などとする企業も多い。基本的にはどの企業の社是も言っていることはほとんど変わらない。

共通するのが「社会のお役に立つ」である。

たとえば、日産自動車の場合、「ビジョン」と掲げた社是がある。そこには、「人々の生活を豊かに」と掲げられている。

写真=ロイター/アフロ

グループ会社で性能データ改ざんのあった三菱マテリアル。企業理念に「人と社会と地球のために」をうたっている。燃費などの測量データ改ざんに関わっていたスバルは企業理念の第2項目に「私たちは常に人・社会・環境の調和を目指し、豊かな社会づくりに貢献します」と述べている。

不正融資問題で揺れているスルガ銀行は、企業理念の中で「いつの時代にも社会から不可欠の存在として高く評価される企業」としている。

■稲盛和夫氏が名誉会長を務める京セラの社是は「敬天愛人」

不祥事企業ではないが、得度を受け、仏門を叩いた稲盛和夫氏が名誉会長を務める京セラの社是は「敬天愛人」である。敬天愛人の説明として、

「常に公明正大 謙虚な心で 仕事にあたり 天を敬い 人を愛し 仕事を愛し 会社を愛し 国を愛する心」

としている。京セラの社是を見ると、ほとんどお経に書かれていること、そのままである。

社是の歴史をさかのぼれば、創業1440年、世界最古の企業として知られる寺社建設業金剛組の「職家心得之事」(江戸時代中期制定)が古い。そこには、

一.出すぎたことをするな
一.憐れみの心をかけろ
一.争ってはならない
一.人を軽んじて威張ってはならない
一.誰にでも丁寧に接しなさい
一.入札は廉価で正直な見積書を提出せよ
一.家名を大切に相続し、仏神に祈る信心を持て

などの16カ条が記されている。

300年ほど前に、今でもそっくりそのまま使える内容の社是がつくられていたのは、驚きである。同社の社是の冒頭には、「神仏儒の三教の考えをよく考えよ」とも書かれている。

■ゴーンは「仏の真理を理解しようとせず、迷走した」

社是のルーツは、仏教の教えそのものだと言ってもよい。

ゴーン氏や不祥事企業の経営者は、「不覚を取った」のだろう。この「不覚」も仏教用語。「仏の真理を理解しようとせず、迷走してしまう」ことを指す。

しかし、不覚をとった者にたいして、仏教は寛容である。常に「懺悔」の機会が与えられている。キリスト教でも懺悔はあるが、仏教では「さんげ」と読む。

私のいる京都では大晦日、「除夜の鐘」があちこちから聞こえてくる。自坊のある嵯峨野にいると、複数の寺院からの鐘の音が鳴り響き、実に風情がある。

※写真はイメージです(写真=iStock.com/Arrlxx)

除夜の鐘の回数は、煩悩の数と言われる百八つ。さまざまな欲望や執着を鐘の音とともに振り払ってくれる。大晦日は、この1年に犯した罪を懺悔できる絶好の機会なのである。

今こそ、仏教の教えを経営者や社員は学んでほしい。きっとガバナンスやコンプライアンス強化の上でも効果を発揮することだろう。経営にとって必要なことは、仏教がすべて教えてくれるのだから。

----------

鵜飼秀徳(うかい・ひでのり)
浄土宗僧侶/ジャーナリスト
1974年生まれ。成城大学文芸学部卒業。新聞記者、経済誌記者などを経て独立。「現代社会と宗教」をテーマに取材、発信を続ける。著書に『寺院消滅』(日経BP)など。近著に『仏教抹殺 なぜ明治維新は寺院を破壊したのか』(文春新書、12月20日発売)。一般社団法人良いお寺研究会代表理事。

----------

(浄土宗僧侶/ジャーナリスト 鵜飼 秀徳 写真=ロイター/アフロ、iStock.com)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください